第195話 あけたい男とあけたくない男
「おう、グリムナさん、あんたに客人だぜ」
そう言って宿屋の親父はグリムナに一人の少年を紹介した。体全体を覆う薄手のマントに褐色の肌。猛禽類のような鋭く、大きな目に黒い髪。どうやらステップ地方に住むタンズミッミルの男性のようである。頭に巻いているターバンのような布は牧畜神を信仰するファウン教徒の証である。
「……よろしく」
少年はそう言ってグリムナに手紙を渡してきた。どうやらあまり人と会話するのが得意な方ではないようだ。それとも大陸の共通語があまり得意ではないのか、とにかくグリムナとあまり会話をするつもりはなさそうなのであるが、さすがに『よろしく』だけでは何の要件なのか、この少年が何者なのか、全く分からない。
困ったような表情を浮かべながら渡された手紙を見てみると、すぐに彼が何者であるかは判明した。
手紙には差出人の名前として『ビュートリット・ルゥ・コルコス』と書かれていたのだ。ベアリスの捜索の依頼主にしてターヤ王国の前宰相、ビュートリットからの返事である。グリムナはベアリスの方に振り向いて笑顔を見せた。
「ベアリス様!」
ベアリスもこくり、と頷いてグリムナに微笑み返す。すると、グリムナはベアリスに手紙を見せながら尋ねてきた。
「これ、どうやって開けるんですか?」
「え?」
手紙には赤い色のロウで封がされている。平民生まれの彼は封のされた手紙など初めて見たのだ。勇者の一行として教会からの正式な手紙を受け取ったことはあるものの、そう言ったものはいつもラーラマリアが開けていたので、彼は手紙を開けること自体初めての経験である。ベアリスは困惑の表情を示す。まさか手紙を開けたこともないような田舎者が存在するとは思わなかったのだ。
「どうやって、って……どういう意味ですか?」
したがって、グリムナが何を聞いているのかも、いまいち意味がよく分からない。
「ど、どういう意味って……どういう意味です?」
しばらくグリムナとベアリスのにらみ合いが続く。二人とも再会したばかりの時よりも少しやつれたように見える。生水を飲んだことによる食中毒から引き起こされた下痢騒ぎからは回復して久しいものの、いまいち全快とはいいがたい体調であった。頭がよく回らないのか、しばらくそうして見つめあっていたが、ベアリスは手紙を取ってそのまま開けようとする。
「どうやってもなにも、ロウを無理やりはがして開ければいいだけですけど……」
「え? とっちゃうんですか、そのきれいな奴!」
グリムナの言葉にベアリスは目を丸くする。
「え……だって、これ他の人が勝手に見ないように封がしてあるだけですよ? ロウでできてるから誰かが勝手に開けてれば分かりますよね? そういうものなんで……」
ベアリスがそう言うとグリムナは興味深そうに手紙の封印を見てから、ゆっくりと呟いた。
「へぇ……そういう目的で……初めて見たな……じゃあ使い捨てなのかこれ。もったいないなあ、きれいなのに……これって、カメムシです?」
封印には何やら五角形の虫の意匠があしらってある。確かにカメムシに見える。
「さあ? ビュートリットさんのとこの家紋かなんかでは?」
「なあ、早く中身を読んでくれ。手紙の指示に従う、言われてる」
しびれを切らしたのか、手紙を持ってきた少年がカタコトで話しかけてきた。確かにやり取りがぐだぐだで進まない。ヒッテも退屈そうな視線を向けている。
「カメムシかあ……カメムシって害虫ですよね」
「いいから早く開ける」
「なんでカメムシが家紋なんでしょうかね?」
「早く開ける。オレもヒマじゃない」
少年は大分イライラしてきているようである。手を伸ばして手紙を手に取ろうとするが、グリムナが手首を掴んで止める。
「お前、なぜ手紙開けない?」
手首を掴まれたまま少年はグリムナを睨む。両手とも掴まれているのでもはや何もできない状態、睨むくらいしかできないのだがそれでもぐいぐいとグリムナを押してくる。
「手紙、早く開ける!」
「別に、急ぐことないだろう!」
二人が両手のふさがったまま押し問答をしているとヒッテが手紙を取り上げてまじまじと封印を眺めた。
「家紋? カメムシが? カメムシって臭いイメージしかないですけど、そんなのが家紋なんですか?」
「カメムシは危険があると匂いを出すので、危機察知の象徴でもあるんですよ。ビュートリットさんの家は古くから南方のピアレスト王国との国境にある地域なんで、外敵の危険を知らせるってことで、それが家紋なんじゃないかなあ、と思います。
ターヤ王国では家紋は何かを象徴する動植物一つの意匠で表すのが一般的なんで。私も詳しくは知らないですけどね。ちなみにターヤ王家は子孫繁栄を現す三つ葉のクローバーが家紋ですよ。私以外子孫みんな死んじゃいましたけど」
ヒッテが訪ねると、ベアリスは詳しい解説を始めた。しかし事の発端のグリムナはまだ少年と両手を手四つの状態で組み合ったままだ。
膠着状態を破ったのはヒッテであった。彼女はベアリスの話を聞き終えると、封印をむしり取って手紙の封筒を開いた。
「ああ! なんてことを!」
グリムナは少年とがっぷり組んでいた手を離してヒッテを咎めるが、しかし彼女はどこ吹く風である。というか開けるために存在する封蝋を破って何が悪いというのか。グリムナは粉々に破壊されてしまった封蝋を手に取ってしばらく残念そうにしていたが、ヒッテはそれを無視して中の手紙を取り出す。
「お前、字、読めるのか? 奴隷じゃないのか?」
ターバンをした少年が物珍しそうな表情で覗き込んできたがヒッテは特にそれにこたえることなく手紙を読み始める。
「う~ん、直接ターヤ王国のビュートリットさんの領内まで護衛をして連れてきてくれ、って書いてありますね。その少年は水先案内人、ってことだそうです」
フィーとグリムナも少年の方に振り向いて彼の顔を覗き込むように見ると、かれはフン、と鼻息を荒くして答える。
「そうだ。ビュートリット様に言われた。お前たちを、案内しろと」
しかしグリムナは首をひねる。
「なぜ水先案内人が必要なんだ? 別にターヤ王国は何度も行ったことあるし、確かにビュートリットさんの領地に行ったことはないけど、案内人っていうなら、ベアリス様以上の人はいないんじゃ? 関所だってベアリス様が通るって言ってるのを止められる人なんていないだろうし……」
「その関所が越えられないのでは?」
グリムナがぶつぶつと言っていると、ベアリスがそう口をはさんだ。さらにヒッテも手紙を見ながら言葉を付け足す。
「手紙にも書いてありますよ。すでに革命派に主要な街道を押さえられていて、王政派の治めている土地でも、どこに革命派が潜んでいるか分からないので、そのままステップから砂漠を抜けて秘密裏に入国してほしい、って」
「砂漠!?」
グリムナは思わず素っ頓狂な声を上げて聞き返してしまった。




