第183話 許し
グリムナが最後の部屋のドアを開けると、そこは月明りのさす、薄暗い、荒れ果てた小屋の中であった。
彼はこの部屋に覚えがある。
思わず吐き気を覚えて口に手を当てる。生々しい死の匂い。彼はもう少しというところで助けられなかったヤーンの母、カルケロのことを思い出した。自分がもう少し慎重に行動していれば、もっと早く遺跡から脱出していれば、ヤーンの異変に気付いていれば、何か一つでも違えば彼女を助けたことができたかもしれない。
グリムナにとってもここは後悔の念を覚えている場所である。
グリムナはテーブルの向こうに回り込んで床を見た。そこは以前カルケロの遺体があった場所であったが、そこにいるのは一人の、10歳くらいの小さな少年であった。
「ヤーン……」
グリムナはそれが、すぐにヤーン本人だと気づいた。彼はバッソーの時と同じく、体育座りで床の上にうずくまっており、ここにはカルケロの遺体はないが、現実世界で『それ』があった場所をじっと見つめていた。
グリムナは彼を刺激しないようにゆっくりと近づいて、横に並ぶように座った。ヤーンは、少しだけ嫌そうな表情を見せた。彼の座った場所、座った姿勢、それがバッソーと全く同じだったからである。
ヤーンは不貞腐れたような表情で呟いた。
「ヤーンを……説教しに来たんですか……? お母さんを殺し、今もまた何の罪もない人を殺し続けてるヤーンを……」
しかしグリムナはヤーンの方に向きなおり、彼の両肩をガシッと掴んで言葉を制した。
「嘘をつくな……お前はカルケロさんを殺していない」
その言葉にヤーンは思わず目を見開いた。そういえば、ヤーンが暴走したとき、現実世界でも彼はそんなことを言っていたと思い出した。
「なぜ……なぜそれを……? みんな、ヤーンのことを血に飢えた悪魔だと思っているのに、ヤーン自身ですらそう思い込もうとしているのに、それでもまだヤーンのことを信じているんですか……?」
「あの炙り出しのメッセージ……あれを書いたのはヤーンだろう? ……オーブンの中にはアップルパイがあった……犯人はカルケロさんを油断させることには成功してたんだ……なら、カルケロさんには襲われてから死ぬまでの間に、炙り出しのメッセージを用意する暇なんてなかったはずだ……」
ヤーンは一筋の涙を流した。誰もが自分のことを敵だと、悪魔だと思っているだろうと考えていた。実際ヒッテは彼のことを自分の母親を殺した悪魔と呼んだ。しかし目の前のグリムナは真実を見抜き、そして彼を助けるためにこんな南の国まで来たのだ。
「それでも……ヤーンは、母さんを見殺しに……」
未だ自分を責めるようなことを言おうとするヤーンをグリムナは制した。
「自分を責めるな……カルケロさんはそんなことは望まない」
その言葉を聞いて、ヤーンの表情は一層絶望の色が濃くなったように見えた。グリムナはその気持ちを察してか、さらに言葉を続ける。
「カルケロさんはあの前の晩、俺に言ったんだ……もし、ヤーンが戻れない場所まで来てしまっていて、苦しんでいるなら、自分を殺してくれって……彼女は、自分の生死と無関係に、君が幸せに生きることを望んでいた」
ヤーンはその言葉を聞くと、顔を伏せ、そして、声を押し殺しながら、えずくように、ただひたすらに、泣いた。
グリムナはそれを見て、彼の背中をさすりながら優しく声をかける。
「いくらでも泣いていいんだ……泣いて、泣いて、気持ちが落ち着いたら、ここを出よう……お前を、探し出して、何とかして助けようとしてた人もいる……ヤーンのお父さんが、お前のことをずっと探してたんだ」
「ひっ、ヒック……お父さんが……? でも、ヤーンはお父さんなんて、知らな……」
「カルケロさんのところに何度か訪ねてきてた怪異がいたろう? 後から分かったが、あれはヤーンを探し回ってたお前のお父さんがレイス化したものだったんだ。今も生きてるのかどうかまでは分からないが……そうだ、一緒にコルヴス・コラックスを探しに行こう! ヒッテもコルヴス・コラックスの娘なんだ。自分の生まれた場所を見てみたくないか?」
未来のことを語れば光明が見えてくる。グリムナはそう思って彼に提案をした。ヤーンは一瞬明るい表情を見せたが、しかしすぐに首を振ってうつむいた。
「母さんのことだけじゃない……この町の多くの人を、メキを死なせた……とても許される罪では……」
この町にとどまって罪を償うべきなのか、全てから逃げて一緒に旅をするべきなのか、その答えはすぐにはグリムナには出せない。彼が口を開こうとすると、少し離れた場所から若い女性の声が聞こえた。
「私の事なら……気にしないで」
小屋の入り口から声をかけたのは、確かに死んだはずのメキであった。二人の妄想や幻覚などではない。確かに、この場所に彼女がいたのだ。確かに彼女の母親や町の人々の精神がここでは混ざり合っていたので彼女がいてもおかしくはない。しかしまさか彼女の方からアクセスしてくるとは誰も思っていなかった。
「私は……十数年間、ずっとこの町で生まれ育って、毎日毎日、ただつらくて、閉塞感しか感じられないこの町での生活に苦しみしか感じられなかった……でも、ヤーン、あなたと過ごした数日間は本当に楽しかったよ……」
メキは部屋を見回しながらそう言った。
「ここが……ヤーンが生まれ育った家なのね……」
実は違う。彼女は知らないが、ここは神殿の調査のためにカルケロが建てた家である。しかしヤーンとグリムナは空気を読んでそこには突っ込まない。彼女は一通り辺りを見てからヤーンの方を向いて笑顔を見せながら言った。
「つらい事ばっかりだった私の人生に現れた、ヤーンは私のヒーローだったんだよ? こんなことになっちゃったけど、私は、私の人生に満足してるんだ……最後にヤーンと大暴れしたのもお祭りみたいで楽しかったしね……にゃはは」
そう言って笑った後、メキは真剣な、そして少しの優しさを感じさせる顔を見せてヤーンに語り掛ける。
「でも……ヤーンはまだ生きられるんだから……生きて……」
「メキ……」
いつの間にか、ヤーンは元の青年の姿に戻り、両膝を床についたまま、涙を流してメキに正対していた。グリムナはその姿を見て、安心したような表情を見せたが、しかし少し厳しい表情でヤーンに話しかける。
「ヤーン……お前のしたことは決して許されることじゃない……誰もお前を許すことはできない……お前自身以外はな……」
グリムナはいったん言葉を区切り、少し深呼吸してから話す。ヤーンはその言葉を引き込まれるように、ただ聞いていた。
「許しを『求める』んじゃあないんだ。お前が『こうすればよかったのに』と、『正しいを思うこと』を、毎日毎日、一つずつ積み重ねるんだ。そうやって『正しい事』を毎日積み重ねて、世界のために奉仕できれば……いつか、お前自身が自分を許せるときがくる。それが何年後か、何十年後か、それは分からないが、その時本当に、お前は『自分を許せる』んだ。……死んでしまったら、それもできなくなる」
グリムナの言葉を聞いて、ヤーンは目をつぶりながら、一言だけ、彼の名を呟いて言った。
「グリムナ……ありが、とう……」
その彼の姿を見て、メキは安心した表情を見せながら言った。
「私の事、忘れないでね……今年のトロールフェスト、今までで一番楽しかったヨ……」
最後の別れの言葉が終わったことを確認して、グリムナは優しくヤーンを抱きしめ、口づけをした。
辺りにノイズのようなものが走りボロボロと周囲の風景が崩れ始める。その崩れる世界の中、自分自身も崩れながら、メキは微笑んでいた。




