第179話 繭の中には
──小さき者よ 灯火の傍に来たりて
──此の物語を聞け かの無惨なる語らいを
──我が眼は見えず 力もない
──歩む道も違うだろう……
──時のはかり無く横たわり ただ吐息を吐き続ける
──なにゆえ 『なにゆえに』と思うのだ
──なにゆえ 『どこに』と思うのだ
──我らが意思を 知りたいと思うのだ
もはやヤーンは、人でもトロールでも悪魔でもない。異質な存在へと変貌していた。数多の衛兵たちの死骸を踏みつぶし、彼は進み続ける。辺りに響き渡る歌声と共に。
それはまるで巨大な肉塊のようであった。トロールや衛兵、それに町の人々を食らい続けて肥大化した肉塊は、高さはゆうに二階建ての建物を超える大きさであり、タコのような触手の足が生えてずるずると蠢き、10トンを超えるであろうその巨躯を前に進ませる。
前面には巨大な青年の上半身であろう容貌が見える。これが彼、ヤーンのかろうじて残っている自我であろうか。青年の上半身は何者かの腸を弦にしたリュートのような楽器を持っており、時折それをかき鳴らすと、両側の肉塊から生えている小さな緑色の化け物、おそらく取り込んだトロールであろうが、彼らが歌い、太鼓を叩き、笛を吹く。
そして、それに合わせてヤーンの肩の上に座っている、いや、一体化している猫耳の少女、メキが歌うのだ。
「アルブムラウ フォーペイ フォーペア ヴァルジューシーベン」
「イッテムレイ スマシー スマシル ヌドヌル ヴォーレン」
それはまるで祭りの山車のようであった。いや、実際に山車なのかもしれない。トロール達は今日のトロールフェストを大変楽しみにしていた。トロールだけではない、人間だってそうだ。彼らと一体となったヤーンに彼一人の自我がどこまであるのかはもう分らない。
歌いながら進むそれは、行く先々で触手を振り上げ人間を叩き潰しながら移動することを除けば、まさに祭りのパレードである。なんともシニカルでおぞましい姿ではあるが。
「でかいな……さっきと全然違う姿だ……」
建物の陰からグリムナがヤーンの姿を覗きながらそう呟く。
「なんだか取り込まれたトロールもあれはあれで楽しそうじゃない? ほっといていいんじゃないかな?」
「あらぁ、そんなに楽しそうならあなたも加わってみるかしらぁ?」
さすがに実物を近くで見るとフィーも怖気づいたのか、及び腰の姿勢を見せるが、ここまで来て逃げることなどさすがにリヴフェイダーが許さない。取り込まれてしまったトロールと人間たち、そしてヤーンとメキの精神がどうなっているのか、中でせめぎあっているのか、それとも完全に一体化しているのか、それはもはや本人にしか分からないだろう。
「本当にアレと戦うつもりですか、ご主人様……」
ヒッテが不安そうな表情でグリムナを見上げる。しかしグリムナは恐怖に顔をゆがませながらも、決してヤーンからは目をそらさない。どれだけ彼が変貌していようと、助けが必要なことに変わりはないという思いである。
「戦うんじゃあない、助けるんだ……」
そう呟くと、グリムナはゆっくりと歩いて、ヤーンの進行方向に立ちふさがるようにその姿を見せた。そのすぐ後ろには少し遅れて、元のトロールの姿に変化しながらリヴフェイダーが仁王立ちする。
二人の姿が見えると、ヤーンは楽器の演奏を止めて、立ち止まった。グリムナは恐る恐る口を開く。
「ヤーン……俺が分かるか……? もう、こんなことはやめるんだ。こんなことをして何になる? お前の望みはヴァロークから逃げて、メキと一緒になることじゃないのか?」
ヤーンはその言葉に返答はせず、動きを止めると、ゆっくりと自分の右肩に座っている、メキの姿を見て呟いた。その体には口がついていないのでどこから声を出しているのかは分からないが、低く、くぐもったような声でグリムナの問いに答えたのだ。
「メキは……モウ、生キテは イナイ……止めたくバ……ヤーンを コロセ……」
そう言うなりヤーンは触手の一本を振りかぶり、グリムナに叩きつけてくる。グリムナは思わず目をつぶってしまったが、すんでのところでリヴフェイダーがそれを掴んで止めた。
「邪魔するカ、リヴフェイダー……オマエモ……食ッテヤル……」
ヤーンがそう言うと、触手はリヴフェイダーが掴んで接していた部分からじわじわと同化していったが、しばらくするとはじかれるように飛んで、ぼとぼとと、ちぎれて地面に落ちた。
「やっぱりナ……お前は……オデの血で、トロールになった。上位の存在である、オデを食うことは、できナイ……」
リヴフェイダーはそう言うと両手でヤーンをガシッと掴んで押さえた。
「話を聞いてくれ、ヤーン……」
すぐそばでヤーンの触手がうぞうぞと蠢いている。恐怖に顔を引きつらせながら、しかし強い意志と覚悟の表情でグリムナが話しかける。
「ヴァロークから逃げてきた先でやっと見つけた幸せを……メキを失ってしまって自暴自棄になる気持ちは分かる……だが、だからと言ってヤケになって暴れてどうするんだ! お前と同じような悲しみを持った人間を増やすだけだ! そんなことはカルケロさんだって望まないはずだ!」
「母さん……モ……」
ヤーンの表情は伺い知れないが、しかし彼の言葉からグリムナは確かな手ごたえを感じた。
「そうだ! カルケロさんだって悲しむぞ!」
「母さんは……悲しまなイ!」
そう強くいったヤーンにグリムナは一瞬驚いた。やはり冷静な判断ができなくなっているのではないか、もしやすでに彼の中に正気の部分はないのではないかと思った。
「母さんは 死ンだ!! モウ何も、感じない!! 俺が殺したからだ!! 分かルだと!? お前にヤーンの何が分かる!! お前ハ、口だけダ!!」
激高したヤーンがリヴフェイダーを両手で跳ね飛ばし、無数の触手でグリムナの体を絡めとる。みしみしと骨のきしむ音をさせて彼を締め上げた。触手はそのままグリムナの皮膚と一体化し始める。しかし傷みに慣れているグリムナは怯まない。いざというときのための奥の手、右手にずっと持っていた小瓶のコルクを親指で跳ね飛ばし、そのまま一気に中に入っていたリヴフェイダーの生き血を飲み干した。
「ヤーン!! 俺の話を……」
しかしヤーンの触手はそのままグリムナの顔も含めすべてをその触手で包み込んだ。
「ご主人様!!」
「グリムナッ!」
「まずいぞぃ! 取り込まれたッ!!」
建物の陰に隠れていたヒッテとフィー、それにバッソーがその様子を見て慌ててグリムナとヤーンの傍に駆け寄る。グリムナを包み込んだヤーンの触手と、ヤーン自身もすでに動きを止めていたが、しかしグリムナの方も全く気配が感じられない。繭のようにグリムナを包み込んだ触手は硬質化して木の根のようになっている。
「落ち着いて、グリムナは取り込まれたわけじゃないわぁ……」
ヒッテ達の後ろから声をかけたのはトロールの姿から再び美女の姿に変化していたリヴフェイダーであった。どうやら人間と話すならこの形態が最もやりやすいようである。
「どうしてくれるんですか! あなたの口車に乗ってご主人様はまんまと取り込まれてしまいましたよ! 助ける方法はあるんですか!?」
ヒッテが彼女に食って掛かるが、リヴフェイダーは落ち着き払った様子で答える。
「取り込まれてはいるけど、他の人のように一体化しているわけではないわ。今、彼はヤーンの精神世界の中に入りこんで、彼を説得しようとしているはずよぉ……」
その言葉を聞くと、ヒッテは再度グリムナの方に振り返って彼を包んでいる触手に手を当てた。
「ちょ、ちょっと! 触って大丈夫なの!?」
フィーが驚いてそれを咎めるが、ヒッテはそれを全く意に介することなく、リヴフェイダーに問いかける。
「ヒッテも……この中には入れませんか……?」




