表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

162/440

第162話 ガール・ミーツ・トロール

「寝ようと思ってたのに邪魔しないでください……ヤーンに何か用ですか……」


 そう言いながら、ヤーンと名乗った青年は痩せた男の手首を掴み、ぎりぎりと締め上げる。痩せた男の手の甲にはぼこぼこと血管が浮き出ている。


「てめ……放しやがれ……」

「何言ってるんですか……あなたの方こそ襟首を締め上げないでください」


 ヤーンも痩せた男も一歩も引きさがるつもりはないようだ。しかし痩せた男の掴まれた手はだんだんとうっ血してきているのが、メキの夜目の聞く視界にははっきりと捉えられていた。この青年が何者なのか、それはメキには分からないが、うまくいけばどさくさに紛れてこの窮地から逃れられるかもしれない。

 メキは自分の手首を掴んでいる太った男の手の感覚に全神経を集中する。


(手の感覚が……なくなってきた……このガキ……見かけによらずなんて力だ……)


 痩せた男はヤーンに見えない角度で左手を懐に忍ばせる。こうなったらもう威嚇など意味がない、不意打ちで殺すしかない、そう考えてナイフの絵を握りしめていた。


淫売の息子め(サノバビッチ)!!」


 その痩せた男の言葉に……ヤーンの瞳孔が……野生動物の如く拡大した。


 少なくとも、メキの目にはそう見えたのだ。あまりにも一瞬の出来事であり、夜の暗闇に紛れての出来事であり、誰も触れたくない裏社会の出来事である。

 実際その一部始終を見ていた者はいなかったし、見えた者もいなかった。ただ、メキだけがその優れた夜目と動体視力で、それをはっきりと見ていた。痩せた男はヤーンの襟首を引っ張りながら少し後ろに体を引いて、彼の体勢を崩させると、懐に隠し持っていたナイフで彼の首に斬りつけた。しかしヤーンはそのナイフから逃げもせず、体を守ることもせず、自身の首をナイフが切り裂くのと同時に、痩せた男の横っ面を殴りつけた。


 バンッという音と共に痩せた男はその体を壁に叩きつけられた。ヤーンは虚ろな目で血の吹き出す自分の首元を手で押さえている。それと同時にメキは一瞬手首の拘束が弱まるのを感じ、ほぼタイムラグなしで手を引き抜くと、地を這うように男たちの足元を潜り抜けて、風の如くその場から離れた。


「ハァハァ、た、助かった……あのよくわかんないお兄さんがバカなことしたおかげで……」


 メキはそう言いながら少し歩みの速さを遅くした。この速さで歩いてももう5分とかからず家に着くはずだ……母親と父親のいる家に……自分の居場所に……

 メキは立ち止まってしまった。顔を俯かせて、しきりにぶつぶつ言いながら何やら考え込んでいる。


「すごい音だった……あのチンピラは……死んだかな……」


 まず考えたのはメキを捕えようとしたチンピラのことであった。二人組であったが、一人は青年に側頭部を叩かれてすごい勢いで壁に叩きつけられた。あれほどの衝撃なら脳挫傷、さらには頸椎も折れているだろう、即死は間違いない。そして次に、青年のことを考えた。その青年のおかげで、自分は逃げることができたのだ。


「首を斬られていた……傷はそう深くなさそうだったけど、血が凄かったな……」


 メキは顔を振り返らせてまた小さい声で呟いた。


「死んじゃうかな……もしかしたら、手当すれば間に合うかも……誰かが、手当しないと……」





 そのころ、青年ヤーンと太った大柄なチンピラはまだ路地で対峙していた。


「てめぇ……人間じゃねぇな」


 チンピラは腰に差していた剣をスラっと抜き放ちながらそう言った。ヤーンは先ほど痩せた男に斬られた首のあたりを押えていたが、そこから手を離すと、すでにそこには傷跡は残っていなかった。異変はそれだけではない。先ほど痩せた男を殴り倒した右手、長さが1.5倍ほどになり、太さも足のように太い。


「魔族か……それともトロールが変化(へんげ)してやがるのか? もうすぐトロールフェストだしな……」


 ヤーンはそれには答えない。しかしチンピラは剣を構えながら話をつづける。


「まあどっちでもいい。魔族だろうが何だろうが、このガラテアファミリーに喧嘩売ってのうのうと生きてるなんてのが知られたらこちとら商売あがったりなんだよ……思い知らせてやるぜ」


 目の前に化け物が現れたというのに意外にもチンピラは冷静であった。右半身に構えて、手に持った片手剣でヤーンを始末するつもりらしい。


 ヤーンは先ほどまでの生気のない目と打って変わって怒りに満ちた表情をしている。左手も右手と同じように異形となり、チンピラに襲い掛かる。狭い路地の中嵐の如く両の手がチンピラを襲うが、意外にもチンピラは器用にそれを捌きながら一刀、二刀、と正確にカウンターをヤーンに返す。


「へっ、力はあっても戦いはド素人だな……傷はすぐに回復しちまうが、いつまでもつかな?」


 チンピラはにやにやと笑う。確かに傷はすぐに回復してしまうが、斬られるたびに多量の血が飛び散る。このまま、決め手に欠けたままカウンターを受け続ければいつか失血死してしまうのは自明である。いや、これだけの実力差があるとその前にヤーンの首が落ちるのが先かもしれない。しかしそれでもヤーンは攻めの手を緩めない。怒りに曇った表情のまま攻撃を繰り返す。だが単調な攻撃はチンピラに軽々と躱され、逆にヤーンの傷は腕を振るたびに増えていく。


 そのことにすら気づいていないヤーンにもはや勝機はないと思われていた、その時であった、一陣の風のように黒っぽいものが宙を舞い、チンピラに一撃を加えようとする。チンピラは何とかそれを躱したが、その時の重心のずれが命取りであった。


「しまっ!!」


 ズン、とチンピラのわき腹にヤーンの拳がめり込んだ。時間差でごぼりと血を吐く。内臓が傷つけられたサインである。男はそのまま崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。ヤーンは戦いの終わりを知り、また生気のない目に二人戻っての死体をボーっと眺めていた。


「お兄さんありがとうね、おかげで助かったよ……」


 声の主、先ほどチンピラに跳躍しての攻撃を放った者と同一人物であったが、それは獣人の少女メキであった。メキのフード付きの短いマントの下は普通の町娘のようなロングスカートの服であったが、その格好で空高く跳躍して一撃を放ったのはやはり獣人のしなやかな筋肉のなせるわざであろう。破壊力ではヤーンに軍配が上がるものの、瞬発力と戦闘のセンスではメキの方が一枚上手に見えた。

 メキに話しかけられてもヤーンはそれにこたえることなく「ふぅ」とため息をつくだけであった。全く彼女の方を見ようともしないその態度は、まるで彼女が見えていないようにも見える。


「ねぇ、ありがとうって言ってるのよ?」


 メキはさらにヤーンに近づいて行って上目遣いで彼の表情を覗き込みながらそう言う。ヤーンもここまでされるとさすがに無視できなかったようでしぶしぶ彼女の問いかけに応えた。


「別に君のためにやったわけじゃない……こいつらが絡んできたから相手しただけだ……それよりも……」


 ヤーンは彼女の外見を下から上までなめるように見た。その視線は彼女の身体的特徴、その猫耳やしっぽに多く注がれており、多少不躾であったものの、それでもメキは別に慣れたものなのか、嫌がるようなそぶりは見せなかった。


「一度逃げたのに、わざわざ戻ってきたのか?」


「だって、お兄さんたくさん出血してたし、見殺しにして私だけ逃げたら寝覚めが悪いかな?って……思ったんだけど、お兄さん人間じゃないの? 何者?」


 不躾な視線は彼女も同じである。メキは傷があったはずの彼の喉元や、すでに人間の形状に戻っている腕をまじまじと見た。


「さあ? それはヤーンにもわからない……自分が何者に『なってしまった』のか。……あの時トロールに何かされたのが原因だろうか……」


「自分の体がどうなってるのか分からないの?」


「この力に一番戸惑っているのはヤーンなんだよね……君はヤーンが怖くないのか? あんな化け物の姿を見せて、人を二人も殺して平然としている姿を見ても、なんとも思わないのか?」


 ヤーンの問いかけにメキは笑って答えた。


「にゃはは、ヤーンってあなたの名前? 自分のこと名前で呼ぶなんて子供みたい! あなたは命の恩人だもの。怖いどころか、私を救ってくれたヒーローよ! ねえ、もし寝るところに困ってるなら私の家に来ない? 大したもてなしはできないけど、屋根と壁のある場所くらいなら貸せるわよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ