第150話 聖剣エメラルドソード
「バカモン! 退くな!! 押せ押せ! 盾を前にして押しつぶすんだ!! 数はこっちが圧倒的に上なんだぞ!!」
ヤー・バニシの怒号が飛ぶ。しかし国境なき騎士団を突き崩せない。エメラルドソードを持つアルトゥームはもちろんのこと、両翼の一般兵ですら恐ろしい強さだった。しかし数では圧倒的に聖堂騎士団が上。ヤー・バニシの言う通り数の力に頼って盾で圧し潰せば勝機はあったかもしれない。
しかしそれができないのだ。
おそらくこれがエメラルドソードを持たない普段の国境なき騎士団であればあるいは数の力に頼って有利に戦えたかもしれない。(まだイェヴァンが出てきていないが)
しかし、中央にアルトゥームがいる。盾を前面に出して圧し潰そうとしても、盾ごと両断されてしまうのだ。しかも一人一人、斬るごとにその切れ味は増していく。もはや尋常の作戦行動ではこの『聖剣』の前には意味をなさない。それが分かってしまったからこそ聖堂騎士団の前線は恐怖と、狂気が支配していた。
両翼が盾を前面にして圧し潰そうとしても中央の異様な雰囲気を感じ取って、乱れが出る。そしてその『乱れ』を突いてこないほど、国境なき騎士団は甘い連中ではない。まさに戦場は、一本の『聖剣』が支配していたと言えよう。
「一国の軍隊にも匹敵するといわれる聖剣の力……眉唾もんだと思ってたけど、こりゃ案外……アタシの出番はないかもね」
最後方でイェヴァンがにやりと笑いながらそう呟いた。騎士団長イェヴァンが指示を飛ばす必要がないほど、アルトゥームと前線の兵士たちは獅子奮迅たる活躍であった。一方の聖堂騎士団、ゲーニンギルグの長、ヤー・バニシはバイザーを上げたまま矢継早に指示を飛ばす。しかし思うように動かない。恐怖に支配された軍というものはたとえ五倍の戦力をもってしても、理に依りて勝ちの揺るがない戦力差があっても脆いものだ。
数の多さは戦では力、しかし一度崩れればその『数』は集団恐慌となり自軍を崩してしまう。
おそらくはイェヴァンがもっと多くの手勢を率いていれば前線が崩壊している聖堂騎士団をさらに横から突き崩す手もあったであろう。しかしアルトゥーム達の活躍凄まじく、国境なき騎士団にも多数の死者も出ているものの、このまま押し続ければ勝ちは揺るがないように見えた。何しろ誰もエメラルドソードを持つアルトゥームに近づくものはミイラとなって崩れ落ちるのだ。
それはまるで、戦場に咲いた小さな花が、周りの命を吸い取るような、そんな光景であった。
「助太刀がいるか、プリバティーズ卿……」
井戸の底に響くような、恐ろしく低い大司教メザンザの声が騎士団長、ヤー・バニシ・プリバティーズに届けられた。ヤー・バニシは青い顔でその言葉を聞いた後、彼に背を向けて、馬を降りて前へと歩を進めながら言った。
「不要です……犬一匹、私が仕留めまする」
「ふむ……」
その言葉を聞いてメザンザは少し考えこみ、やはり助言だけは授けようと思った。
「刃に触れるな……それだけで彼の者は斃せよう」
簡単に言ってくれる……ヤー・バニシはそう思った。体がでかいだけで戦の経験もないような司教が、「助太刀がいるか」だの「刃に触れるな」だのと、素人考え丸出しの口を出す。餅は餅屋に任せておればいいものを、聖剣エメラルドソードが手に入ると浮かれて戦場にまでのこのこ出張ってきて、いい御身分だ、そう彼は思った。
もはや戦況はそんな余裕のあるものではない、ここまで崩れればお前の命とて危ういのだぞ、そう思ったヤー・バニシはこの事態の『けじめ』をつけるべく足早にアルトゥームのもとに向かう。
「コイツはすげぇ……切れ味もそうだが、これだけ剣を振っても全く疲労がない……」
エメラルドは鈍い緑色の光を放ち続ける。切るほどに切れ味を増し、いくら剣を振っても疲労もない。それどころか力が満ち溢れるようにすら感じる。アルトゥームは手にした聖剣に万能感と恐怖を同時に感じていた。
「こいつはもしかしたら、団長の魔剣サガリスよりも……?」
戦いながらもチラリと、彼は後方に控えているイェヴァンを見る。彼は以前に彼女のサガリスを奪って使ったことがある。
自在にその形と重量を変化させる魔剣サガリス。戦場では決して刃こぼれせぬ剣となり、騎馬を馬ごと叩き伏せる鈍器となり、時には矢から身を守る盾ともなる。しかし彼にはその重量を扱う膂力が足りなかった。『魔剣』はあくまで『剣』であり、それを扱う者の技術と膂力がなければ豚に真珠であった。しかしこの『聖剣』は違う。切った者の魂を吸い取り、無限に切れ味を増し、使い手に力を授ける、これこそ『魔剣』だ、とアルトゥームは感じていた。
「退け! 退けぃ!! 貴様らは雑兵の相手でもしておれ!!」
そんなアルトゥームの前に、周囲の味方に檄を飛ばし、同時に国境なき騎士団の兵士たちを蹴散らしながらヤー・バニシが現れた。彼はアルトゥームに対峙すると兜を外して投げ捨てて顔を見せた。フルプレートアーマーを紙のごとく切り捨てるエメラルドソードの前にはもはや兜など視界を狭めるだけ、無用の長物である。本当を言うと鎧も脱ぎ捨てて身軽になりたかったが、そんな時間はないし、この後の戦いを考えるとそれはできない。
「第一聖堂騎士団、ゲーニンギルグが長、ヤー・バニシ・プリバティーズ! 参る!!」
「国境なき騎士団副団長、アルトゥーム・デッロ! お相手する!!」
二人が名乗りを上げると先に仕掛けたのはアルトゥームであった。速度は速いが、何の変哲もない上段からの振り下ろし。ヤー・バニシはそれを剣で打ち払いながら半歩踏み込んで剣で突きを放つが、すぐにアルトゥームは体勢を立て直し、やはり半歩下がって今度は横なぎに剣を振る。
ヤー・バニシはそれを剣で受けようとしたが、思い直し、大きくバックステップして逃げる。
(やはり、峰の部分ならば触れても何ともない……)
最初の振り下ろしは剣の峰を払っていなした。次の横薙ぎを受けるのをやめたのは自身の剣が両断されるのを恐れてのことである。この二つの判断は結果的に正しかった。聖剣といえども剣であることに変わりはない。やはり切れるのは刃の部分だけなのだ。
「腰が引けてるぜ、騎士団長さんよう……」
アルトゥームがニヤリと笑いながらそう言い、攻撃を仕掛けてくる。ヤー・バニシは何とか攻撃を凌ぐがなかなか反撃に転じることができない。それも当然、アルトゥームの言う通り腰が引けているのだ。完全に剣の間合いの外で戦っている。これでは当然ヤー・バニシの剣も届かない。
周辺では聖堂騎士団と国境なき騎士団の戦闘は続いているがやはり混戦状態で、少し国境なき騎士団が押しているように見える。
「そろそろアタシの出番かね。これ以上手勢を減らしたくないしね!」
そう言ってイェヴァンが馬から降りて戦いに加わった。メザンザはまだ動かない。
イェヴァンの戦いぶりはまさに鬼神の如き様であった。味方の少ない場所ではサガリスをバスタードソードのように大きくして片っ端から聖堂騎士団をなぎ倒していく。味方が多くいる場所では片手剣の大きさにして正確に鎧の隙間から敵の急所を切り刻む。イェヴァンと聖堂騎士団ではもはや『格』が違うといったレベルである。全く相手にならない。この膂力とスタミナはいったいどこから来るのであろうか。
戦いのさなか、キィン、という音ともにヤー・バニシの剣先が飛んだ。彼の剣は中ほどで折れ、半分ほどの長さになっていた。何とか間合いの外で戦って機をうかがっていた彼であったが、とうとう集中力が切れたのか、エメラルドソードを自身の剣で受けてしまったのだ。
「ひぃっ」
情けない声を上げる。まだ切られていないが、これでもう結果は火を見るより明らかだ。リーチの違いは戦いの差を決定的にする。もはや彼に勝ち目はない。ここから先は彼だけが間合いの外で戦い続けなければならないのだ。しかも相手はかすめるだけで命を吸い取る聖剣エメラルドソードである。
(ここまで……ここまで強いとは……こんなことなら強がりなどせずに弓隊を連れてくるんだった。この兵力差でなすすべもなく負けるなんて……「刃に触れるな」だと……そんな戦い方ができるか、口だけなら何とでも言えるわ、あの木偶の坊め……!)
心の中で断末魔の悪態をついていたヤー・バニシであったが、その時彼の背後に巨大な影が舞い、ズン、という音とともに着地し、同時に彼の頭頂部に拳による鉄槌が叩き込まれた。
ヤー・バニシは悲鳴を上げることもなく絶命した。その頭部は首がなくなったように胸部にめり込み、眼球は陸揚げされた深海魚の如く飛び出している。
彼の体が力なくうつ伏せに倒れると、その後ろにいたのは大司教メザンザであった。
「少々荷が勝つ相手であったか……ここから先はビショップ空手十段の業前をもつ、この拙僧がお相手仕ろう……」
姿を現した巨大な影、それは他ならぬこの軍の大将、大司教メザンザであった。




