第132話 虎は家畜
ぎりぎりと歯噛みする音が聞こえる。
もちろんアムネスティ騎士団長の歯ぎしりである。
グリムナ達のいたコスモポリからヤーベ教国はそう遠くないので既にヤーベ教国の領内に入っている。やむを得ない場合を除いて基本的に村や町で宿泊しているのでこれまでのグリムナ達の道程から比べればそう厳しくない道のりである。それも全てアムネスティの差配による。彼女が言うには獣や魔物を恐れていることもあるが、女を中心としたパーティーを組んでいるとたちまち野蛮な男どもの餌食になってしまう、と彼女は言う。
グリムナはこの言葉にも同意を示した。実際彼も野盗や国境なき騎士団に襲われたりと、何度も危ない目にあっている。しかしそれ以上に、この先の裁判のことを考えると少しでも彼女の心証を良くしておこう、というたくらみがある。
グリムナがゴマをすると、アムネスティは「ほれ見た事か」と鼻の穴を膨らませて喜ぶ。なんと簡単な女か。
「世界は残酷なのは、当たり前のことですよ。みんな生きるために他者を蹴落としているんですから。男とか女とか関係ないです。実際ご主人様をさらおうとした国境なき騎士団の団長は女だったじゃないですか」
ヒッテは一々その言葉に突っかかっていく。グリムナはそのたびに戦々恐々としているが、奴隷として生きてきたヒッテからすると、このアムネスティでさえも『世間を甘く見ている』から、黙っていられないのだ。
グリムナは大変物分かりがいいのに、それにひきかえこのメスガキは……! というのがアムネスティの歯ぎしりの正体である。
グリムナを捕縛している鎖は騎士団の女が持ち回りで引いていたが、ある時従者のレイティが、アムネスティから少し距離を取って、彼女に聞こえないように小さい声でグリムナに話しかけてきた。
「グリムナさん……一体何考えてるんスか。団長の事不用意に持ち上げたりして……」
「いや……この先の展開を考えると、少しでも彼女の心証を良くしておいた方がいいかな、って」
グリムナの言葉を聞くと、レイティはぽりぽりと頭をかいて、微妙な表情をしてから答えた。
「ん~、分からないでもないスけど、団長めんどくさいことになるスよ? ああいうこと言うと……あの人異様に惚れっぽいスから」
えっ? と驚いてグリムナはハトが豆鉄砲を食らったような表情になってしまった。自分は、もしやまためんどくさい扉を一つ開いてしまったのか、と。
「あの人の世界ではスね、敵じゃなければ、味方なんスよ。世界には白か、もしくは黒しかないんス。要はちょろい女なんスよ。ちょっと適当におだてとけばどこまでも登ってく世界一簡単な女っス。だからちょっと褒められたり同意されたりするとコロコロ惚れるんスよ、あのリトマス試験紙は」
えらい言われようではあるが、実際グリムナもアムネスティの事は『ちょろい』と評価していたのだ。ヒッテがグリムナの事を『ちょろい』と評価していたように。
実際掌の中でビー玉を転がすかの如く他者を操るというのは大層な快感であった。『他者を自由自在に動かしている』という感覚は権力者が感じるのと同じ快感が存在するのだ。ここまでわかりやすく『ちょろい』奴に初めて会ったグリムナはその快感を余すところなく楽しんでいたのだが、まさかそれが恋愛感情にまで発展する可能性があるとは。
「そんな感じで一方的に惚れて、でも相手にはそんな気がないからくるっと手のひらを返されて、そんなこんなでここまで拗れちゃったんスから、あの行き遅れおばさんは」
レイティがまた暴言を吐いていると、馬の足音が近づいてきた。アムネスティだ。
「何やら楽しそうに話しているな……容疑者とあまり仲良くなるなよ……」
この言葉はグリムナを心胆寒からしめた。もちろん小声で話していたレイティの言葉が聞こえたわけではなかったが、冷たい口調である。実を言うとこの時すでに、アムネスティはグリムナが他の女と楽しげに話しているのが気に食わなかったのだ。話している内容は正直楽しくとも何ともない内容であったが。
「鎖を引くのを代わろう、レイティ。貸せ」
ここ数日、明らかにアムネスティがグリムナの鎖を引く回数が多くなっていた。こういうことも既に『気づかれないようにやる』事ができないくらい彼女はバランス感覚を欠いていたのだ。そして当然それはグリムナ以外の誰もが気付いていた。
「しかし、アレだな、グリムナ殿は意外と話が分かる男なのだな……他の、無知蒙昧なる野蛮な男どもとは違うようだ……」
アムネスティは少し頬を赤らめながら口角を上げてそう話した。しかしグリムナはこの言葉にぞっとする。
「それに比べてあのメスガキは……」
さらにボソッとそう呟いてアムネスティはヒッテを一瞥する。彼女は特にそれに気付くことなくとぼとぼと歩いている。
「フンッ、所詮は無学な田舎のガキか。色街で花でも売ってる方がお似合いだな」
凄まじい差別発言が飛び出した。この女、人権擁護団体の長ではなかったのか。アムネスティは、少し考え事をするように黙り、そしてゆっくりとグリムナに話しかけた。
「私は、差別と男が大嫌いだ」
たった一文での矛盾である。なかなかの上級者だ。
「野蛮な男どもが社会を作ったからこそ、この世界は矛盾に満ちているのだ。……しかし、全ての男がそうでないことは私も知っている。大司教メザンザ猊下や、聖騎士ブロッズ殿は高潔で素晴らしいお人だ」
グリムナはメザンザについては知らないが、ブロッズは良く知っている。クソ漏らしである。
「全ての男が下劣でないのと同様に、悲しい事ではあるが、全ての女性が高潔ではないのだ。他人の下世話な噂話や、抱かれた男の数でしか話ができない下賤な女もいるのだ。男性優位のこの社会全体の中で、生きるために男に迎合している女どももいるのだ。そしてそう言った連中は、悲しいことに決して少なくない……」
アムネスティは話に熱が入ってきたようで胸の辺りで拳をグッと握って話を続けた。
「権力者たる男に迎合した方が女は生きやすいのかもしれない……しかし、そんな家畜の生き方に何の価値があるというのだ! そしてまさにあのヒッテとかいうメスガキは家畜の最たる例のようだな!」
少し遠くにいたヒッテがピクリと反応した。どうやら彼女も話題の中心が自分であると気づいたようである。なんとなしに、間合いを詰めてくる。グリムナは「頼むから面倒なことにならないでくれ」と祈るばかりである。
「だがそれでも私は誇り高く生きるぞ。あの女のようにはならん。唾棄すべきブタの平和よりも、誇り高き虎として死ぬのだ!!」
完全に自分に酔っている。馬は軽車両扱いなので飲酒運転である。しかし気持ちよく演説をしていたアムネスティにヒッテが冷や水を浴びせた。
「虎は家畜です」
唐突な発言にアムネスティは面食らって黙ってしまった。
「虎はこの大陸ではほぼ絶滅している状態です。野生の虎の個体数よりも、サーカスや金持ちに飼われている虎の方がよほど多いんです」
「虎は、家畜です」
だから何だ、何が言いたいのだ。いつの間にかすぐ近くにまで寄ってアムネスティに正対して言葉を吐くヒッテに対し、アムネスティは敵意をむき出しにして歯噛みしている。一方グリムナは何とかして二人をなだめようとあわあわしているだけだ。
「重要なのは、『なんであるか』ではなく、『どうあるか』ではないですか? 権力にすり寄り、社会の目の力を借りて弱者と悪を作り出して悦に入ってる虎よりも、奴隷の豚の方が、よほど誇り高く、強く生きてますよ」
「あったまきたぁ! このクソガキャァ! 被害者だと思って優しくしてやってればつけあがりやがって!! この話の分かるグリムナが、こんなちんちくりんのメスガキに性的虐待なんてしてるわけないわ!! ほら、グリムナ!! このクソガキぶちのめすから力を貸しなさい! こんなメスガキは私たちの大人パワーで『分からせ』てやらなきゃ! あんたはここで無罪放免! 代わりのこのメスガキを適当な罪でっち上げて臭い飯食わせてやるわ!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいス! 団長! ここ数か月実績上げてないんスから今月こそはちゃんとしたホシを上げないとマズイっスよ!」
ローゼンロットは目の前、である。




