第124話 もう遅い
グリムナの命がけの芸に匹敵する金額を、別行動していたヒッテは酒場で歌を披露しただけで稼いでいた。……いあ、別にそれはいいのだ。確かにヒッテの歌声は透き通るような高音と、すばらしいメロディーで度々今回の旅の中でもグリムナ達の疲れを居やしていた。
それは別にいいのだ。いいのだが、しかしなぜか釈然としないものをグリムナは感じていた。
しかしともかく、当面の路銀に困ることはなくなった。心身ともに疲れ果てたグリムナはまだ地べたに座っていたが、バッソーとフィーがおひねりを拾い終えると「いつまでもこんなところにいても仕方ない」と、立ち上がった。
「いつも思うんですけど、ご主人様はいったいどういう心持ちでこんなつらい旅を続けられるんですか……人を助けても全然感謝されない、寄ってくるのは変な人たちばかり……」
そう言うとヒッテはちらり、とバッソーとフィーの方を見た。二人は曖昧な笑みを浮かべて小首を傾げている。自分が変だという自覚がないのだ。
「何の対価もなく、感謝もされないのに、困難を乗り越えられるものなんですか……? あんな辛いだけの人体切断マジックなんて、普通は思いついてもやりませんよ? それで何か得られるんですか……」
このヒッテの質問にグリムナは深く呼吸をして、気を落ち着けてからゆっくりと話し始めた。
「人の成長とは……進化とは何か、わかるか……?」
もったいぶった答え方である。ヒッテは一瞬イラッとしたが、聞き始めたのは自分からなので仕方なくおとなしく話を聞く。
「人は、環境に『慣れる』ことで成長するんだ」
全員が「それが今の話と何か関係があるのか」と思ったが、グリムナがゆっくりと自己語りをするのは珍しいので仕方なく話を聞いている。フィーはしょっちゅうやらかしているが。
「困難や障害というものは『乗り越える』ものじゃない。『慣れるもの』だ。それが一番の近道だし、多分正解だ。だから、どんな困難でも『我慢する』んだ! 慣れるまでの我慢だ!!」
「…………」
全員、何とも言えない表情になってしまった。
意識が高いんだか低いんだか。いや、おそらく低いのだろう。完全に社畜のそれである。そんな後ろ向きな考え方だからいつまでたってもうだつが上がらないのだ。この物語は勇者一行を追放された回復術士の成り上がりの話だったはずなのにいつになったらこの男は成り上がるつもりなのか。こんなんじゃタグ詐欺と言われても仕方あるまい。
「慣れって怖いのう……」
バッソーがぼそっと呟いた。流石に刺激になれてしまってED気味になった男の言葉は重みが違う。
「やっぱり……ご主人様にはヒッテがついていないとだめですね……」
ヒッテもあきらめ顔で目頭を押さえながらそう呟いたが、しかしグリムナの言っていることにも一理あるにはあるのだ。毎日毎日筋肉を酷使することで人は少しずつ負荷に慣れて重い重量が持ち上げられるようになる。それが筋トレであるし、実際グリムナはリヴフェイダーと戦ったときは戦いながら回復魔法を使うことが出来なかったが、今では剣で胴体を両断されながらでも回復魔法が使えるようになった。
しかし志が低いのはどうしようもない。もっとこう、言い方というものがあったと思うのだが。
一行が広場でうだうだとどうしようもない話を続けていると、彼らに近づき、声をかける者があった。
「相変わらず無茶苦茶な事してるわね、グリムナ……」
聞き覚えのある声にグリムナは顔を上げて声のした方に振り向く。
「ラーラマリア……」
声をかけたのはかつてのグリムナが所属したパーティーのリーダー、女勇者ラーラマリアであった。旅装束の上からでも分かる美しく、グラマラスな肢体の上にふわりとかかる金髪は昼を少し過ぎた太陽の下ではまさに神々しいとも言えるような輝かしさであった。
少し後ろには女魔導師シルミラと斥候のレニオも控えている。シルミラはいつも通りつまらない物を見るような目で彼らを見ていたが、レニオはなにやら申し訳なさそうな、気まずそうな表情をしている。
ラーラマリアは更にグリムナ達に歩み寄り、彼のすぐ前で立ち止まった。
しかしグリムナはこの女神を描いた絵画のような美しい幼馴染みを前にしても喜びの色を見せるどころか敵が目の前に立ちはだかったかのような緊張した面持ちである。
「まだ、私の元に返ってくるつもりはないの……?」
厳しい目つきでラーラマリアが問いかけるとグリムナもまた強い表情でこれに返した。
「追放したのは自分の方だろう。それに、俺とお前じゃやり方が違いすぎる。もう違う道を歩んでいるんだ。今更「戻ってくれ」なんて言われてももう遅いんだよ!」
グリムナはたとえ自分の命を狙う敵であろうと、人喰いの化け物であろうと、決して殺さない。命をあきらめたりしない。しかしラーラマリアは違う。モンスターは問答無用で皆殺しにするし、実際イェヴァンと戦う理由など一つもなかったにも関わらず「自分の邪魔をした」と言う理由で彼女にとどめを刺そうとし、それをすんでのところでグリムナが止めたのだ。
グリムナとラーラマリアでは死生観が違いすぎる。グリムナにとっては命とは何もにも代え難い、決して取り返すことの出来ない尊いもの。ラーラマリアにとっては放って置いても後から後から湧いて出てくる無限のリソースである。
根本から考え方が違う。しかしこの世界では彼女のような考え方の方が一般的なのだ。異端児はグリムナである。
「分かり合うことなど……出来ないだろう……」
グリムナがそう言うと、ラーラマリアは突如として表情を崩し、悲しそうな目をして、その灰色がかった青い瞳に涙をためた。グリムナはこれに大いに動揺した。他人に弱みを見せることを何より嫌う彼女が人前で涙を見せるとは思わなかったのだ。
しかしそんな彼の動揺を分かってか分からずか、ラーラマリアはグリムナに抱きついて大泣きに泣いたのだ。
「分かってくれなんて言わない! 分からなくてもいい! そんな物どうでもいいから、ただ、側にいてほしいだけなの! 何でそれがいけないの!!」
突如として弱い部分を見せたラーラマリアにグリムナは戸惑うばかりである。
「な、何を……急に……ッ!?」
流石に鈍いグリムナといえどもこれが愛の告白であることは分かる。
「何も言わないで! このまま抱きしめて!!」
「あわあわ、あわわわ……」
フィーは歯の根があわずカチカチと歯を打ち鳴らしながらあわあわしている。恋愛などに関わりのなかった重度のオタクである彼女は脳の処理が追いつかずに、バッソーとヒッテを交互に見ながらグリムナを力なく指さしている。あまりの事態にあわあわしているときに本当に言葉で「あわあわ」と言う人間をバッソーは初めて見た。
「もう今更……見て見ぬ振りなんて出来ないよ。いくら鈍いあんたでも分かるでしょう? ラーラマリアがあんたのことをどう思っていたか……」
後ろに控えたシルミラがゆっくりと、しかし怒りを滲ませた表情でそう呟いた。ラーラマリアの行動には以前から危ういところがあるということは周知の事実であったが、その多くは、少なくとも半分くらいは彼女のグリムナへの思いからくる奇行であると彼女はよく知っていた。
グリムナのラーラマリアへの無関心さが、彼女の心をここまで追いつめてしまったのだという事実に、彼女は怒っているのだ。
だったらホモ疑惑の噂なんて流すなよ、と言う話であるが、それはさておき、しかしレニオはグリムナ同様大いに取り乱している。まさかあのラーラマリアがここまで直接的に愛情表現をするとは思っていなかったのだ。
「一応言っておくけど、『どう思っていたか』ってのは、『ラーラマリアがあんたを好き』ってことだからね?」
シルミラが一応念押しする。もしかしたら、万に一つの可能性ではあるが、それでもこのトンチキ男はまだラーラマリアの気持ちに気付かないのかもしれない、そう思っての念押しである。見くびりすぎだ。
「分かってくれなくてもいい! お互いの立場も関係ない! 勇者の地位も、教会も、聖剣も、全部捨てて私と一緒に……どこかに行こう……」
ラーラマリアは、そう言って涙を流したまま、グリムナの目を見つめた。
ヒッテがそれを不安そうに見つめている。
(グリムナ……だめです……こんな女について行ったら……この女はきっとグリムナを不幸にする。ヒッテにはそれが分かります……この困難を、グリムナは越えられるんですか……)
心の中で彼を心配するヒッテであったが、しかしグリムナはすぅっと、大きく息を吸い込んでから、しっかりとラーラマリアの瞳を見つめた。
(よし……)
心の中で彼はそう呟いた。何が『よし』なのか、ラーラマリアに付いていく決心が出来たのか。ラーラマリアが涙を見せたときは大層動揺していた彼であるが、今は澄み切った目をしている。決意した者の目だ。
彼女を受け入れるのか、それとも突っぱねるのか、天使の如く美しく、そして悪魔の如く苛烈な女性からの求愛、己の目的を曲げたくない彼にとってはまさに彼女の存在は苦難の一つであるが、それを彼は撥ね除けられるのか。
(よし、もう慣れたぞ……)




