第123話 人体切断マジック
グリムナは大ブーイングで迎えられたが、それを無視してテキパキと準備を始める。準備と言っても、シャツを脱いで上半身裸になり、用意されている木の板の上に横たわるだけであったが。
グリムナがシャツを脱いで上半身を見せたとき、少しだけ「キャー」と黄色い声が聞こえたような気もしたが、それはすぐにブーイングにかき消された。旅を続けているだけあって脂肪の少ない、均整のとれた体であったが、しかしむさい男の裸など見たくない、どうせ脱ぐならそっちのエルフだろう、という意思表示である。
一部男の観客もグリムナの乳首が見えた瞬間「ほうっ」と艶めかしいため息をついたが、グリムナはそれに気づかない振りをする。罪作りな男である。
大層な盛り上がりであったがフィーが移動して横たわったグリムナの後ろに陣取ると観衆は急に静かになった。それはこれから始まる奇術を見守るためでも当然あるのだが、それよりは困惑の方が大きかった。
なぜか? 『タネも仕掛けも無さすぎる』からである。
ふつうであればこういった人体切断マジックは斬る方が男、斬られる方がセクシーな女性であることが多いが、今回は逆である。それはまあいい。
そして、こういった奇術では『斬る部分』は見せないのが基本である。胴体切断なら腹の部分に箱でも設置して、その箱ごと斬る。当然箱には剣が通るためのスリットなどが入っているのだが、それが普通である。しかしグリムナの胴には何もない。ただ彼のシックスパックが鎮座しているだけである。
まさか、この状態で斬るのか……?
そのまさかである。横たわったグリムナの横っ腹にフィーが剣の刃を当てる。準備が済むとグリムナは手ぬぐいを取り出し口に咥えた。これは食いしばるあまり、歯を噛み砕いてしまわないように、という仕儀である。
辺りを静寂が包んだ。……本気か……本当にやる気なのか……恐怖と静寂が広場に蔓延していた。いつの間にか近くで芸を披露していた大道芸人までが集まってきている。
「ふっ!」
フィーが気合いを入れて力を込めると、剣身がグリムナの腹を切り裂いた。
血が滲む、いや、迸る。辺りには悲鳴が響き始めた。
「続けるわよ! グリムナ!」
フィーのその言葉にグリムナは歯を食いしばったまま何も応えなかったが、フィーはすぐに全体重を剣に込めて、若干押し引きしながらずぶずぶと剣をグリムナの腹にめり込ませていく。グリムナの鼻の穴からはだらり、と鼻血がこぼれた。
その時、不思議なことが起こった。既に刃は10センチほどもグリムナの腹を切断していたが、切ったそばから剣の通った後のグリムナの傷口が見る見る内に塞がっていくのだ。
読者はお気づきであろうが、これはグリムナの回復魔法である。
そこから数センチ剣身が沈むと、グリムナは手ぬぐいを口に咥えたままゴボッと血を吐いた。それに併せて観衆からは更に悲鳴が上がる。
観衆の内の数人はこれが回復魔法による根性マジックだと気付き始めたが、しかしそれでもこんなことがあり得るのか、こんな無法が通って良いのか、自分の目を信じることが出来ない者が大半である。回復魔法について知っている者でも、この光景は信じがたい蛮行であった。
魔法には精神の深い集中を要する。自身が攻撃を受けながら『それ』を使える者は殆ど居ない。しかしグリムナは別である。最前線で皆の盾となりながら戦ってきた回復術士、世界中探しても彼しか居ないその特異な経験がそれを可能にしているのだ。
剣はぞぶりぞぶりと進み続け、とうとうへその横まで来て一旦止まった。グリムナは血の涙を流している。観衆の中には顔を両手で覆って、その場に泣き崩れる者まで出始めた。
此は尋常なる奇術に非ず。
もはや誰もがそれを疑う余地はない。親子連れで来ていた客などは子供を抱きしめて見せぬようにし、更に自らも手で顔を覆って指の隙間から何とか彼の蛮勇なる芸当を見ている始末である。
しかしそれでもその場を離れようと謂ふ者はおらなんだ。
それほどまでに彼の奇術は抗い難い魅力を放っていたし、事実観衆も此の者の行き着く先がなんであるのか、その狂気から目を離すことなど出来ようもなし。
「背骨まで来たわ……一気に行くわよ!!」
フィーが静かにそう言うと、グリムナは大きく息を吸い込んだ。
ぞむっ、と剣は彼の体の中心を通り過ぎた。その勢いは明らかに固いもの、おそらく脊椎であろうが、それを通過したことを知らせ、剣は勢いに任せるまま体の反対側にまで通り抜けた。
剣が抜けておそらく一秒にも満たない時間であったであろうが、すぐにグリムナの傷口は塞がり、まるで何事もなかったかのように彼の腹はきれいに元通りになった。
元通り、と言っても実際には血塗れであるが。
辺りは静寂に包まれた。しかし永遠にも思えるその静寂ののち、まばらにぱちぱちと手を叩く音がし始めると、辺りには一斉に拍手が巻き起こった。
いや、『拍手が巻き起こった』と記述すると少し語弊があるかもしれない。実際には観衆は何かに取り憑かれたかのように、もしくは憑いていた者が抜けてようやく緊張の糸が切れたように、幽鬼の如く生気の無い顔で力なくその両手をぱちぱちと叩いているのだ。歓声は聞こえない。
グリムナはべっ、と手ぬぐいを吐き出すと、ごほごほと血を吐きながら這って板を降り、横に置いてあったレバニラ炒めをすぐに食い始めた。
無から有は生み出せない。傷は治ったが血は失った。それを早く補充するためすぐ横にレバニラ炒めが置かれていたのである。更に言うならここ数日彼が野菜しか口にしていなかったのも、内蔵の臭気をなるべく減らすためでもある。実はこの町に着いたら路銀を稼ぐために芸を披露することを前々から考えていたのだ。
グリムナはまだ立ち上がれないようだが、バッソーとフィーが恭しく観衆に向かって礼をすると、最初はパラパラと、次第に絶え間なく銅貨、銀貨が彼らの足下に投げ込まれ始めた。彼の芸は観衆にウケたのだろうか。
否、誰もが『見るんじゃなかった』と後悔の念におそわれていた。しかし見てしまった。
見てしまった以上、そう、あれだけの命がけの芸を見てしまった以上、「グロいから」という理由だけで金も払わずにその場を後にするほどの剛胆な者などなかなかいないのである。
バッソーとフィーは急いで投げられた金を拾い集める。グリムナの命を賭した報酬である。一枚も無駄にすることなど出来ない。
悪夢から解放された観衆はそれぞれ帰路につく。或る者は愚痴をこぼしながら、或る者は涙を流しながら。しかしそれが悪夢でなく現実であることは木の板に滲んだ赤黒い血が物語っている。
後には金を拾い集めるバッソーとフィー、それにまだ立ち上がれず、あぐらをかいて座っているグリムナ、そしてまばらに飛び散っている観衆のものであろう吐瀉物だけだった。
「何度見てもグロいのぅ……他に方法はないんかのぅ……」
バッソーは金を拾いながらも愚痴をこぼす。しかし、一度にこれだけの金を集める方法などなかなかないだろう。
「いったい何やってるんですか……」
聞き覚えのある声にグリムナが顔を上げると、そこには憤怒の表情のヒッテである。
「あ、いや……これは……」
グリムナが言いよどむ。実を言うとこの芸を公言すれば必ずヒッテが反対すると思って、自由行動と言うことにし、ヒッテにはお小遣いを与えて別の場所に行かせていたのであるが、流石にあれだけの大騒ぎである。こちらに気付いて、一部始終を見ていたようである。
「本当に……なんでそんな無茶ばっかりするんですか、ご主人様は!」
彼女が怒るのも仕方ない。路銀を稼ぐことは命を張ってまですることであろうか。きりひと賛歌の人間天ぷらじゃないんだから。
「いや、まあ……路銀は稼がなきゃならないし……ヒッテは何してたんだ?」
グリムナがそう訪ね返すと、ヒッテはドサッと小さい袋をグリムナ達の前に投げ捨てた。袋の中には銀貨がいっぱい入っている。
「このお金は……? ヒッテ……まさか、体を売って!?」
そう言ったグリムナの顔を蹴飛ばしてからヒッテが答える。
「酒場を巡って歌を歌ってきたんです! これはその報酬です!!」
見れば、グリムナ達が今稼いだのと同じくらいの金額があるようだ。
「え……? 歌だけであの命がけの芸と同じくらいのお金を……?」
思わずフィーが声を上げると、グリムナは両手で顔を覆って小さい声で呟いた。
「うわっ……俺の年収、低すぎ?」




