第10話 聖水
「牢の間……まこと狭うなり申した……」
グリムナがそう呟いた。ラーラマリアとグリムナが捕まって、ほんの3時間後の事である。
現在地下牢の中にはラーラマリア、グリムナ、シルミラ、レニオが囚われている。勇者一行の全員が捕まってしまったことになる。
なにゆえ斯くなる仕儀と相成ったのか。
ゴルコークの命を受けて衛兵の一人が勇者一行の残りのメンバー捜索に乗り出した。彼がまず目を付けたのはここ数日で屋敷に雇われることになった使用人である。すぐさま数名の候補者がリストアップされた。さらにシルミラがレニオに会いに屋敷に来たところで、「これは怪しい」と感じて二人を拘束した。
さらに街に出て地道な聞き込みをし、シルミラとラーラマリアたちが茶店であっていたことを割り出して、二人が勇者の仲間である可能性が高いと判断、拘束した状態でラーラマリアの目の前に連れてきて、そのリアクションから確信を得たのである。
「あの衛兵……有能すぎひん……?」
自然とシルミラの口から諦めにも似た言葉が漏れ出た。しかしその言葉に応える者は誰もいない。すでにお通夜状態である。
仕方あるまい、実際有能である。勇者達がこの町に潜入してわずか半日ほど、ラーラマリアの正体を見抜き、潜入している仲間の存在に気づき、外部にいる連絡係を突き止め、全員を捕縛した。
敵でなければ是非勇者一行に欲しい人材である。
「まあ……それはともかくとしてさ……」
そう言いながらレニオが辺りを見渡す。
地下牢の部屋には他にもいくつか牢があり、幾人かの人間が捕まっているが、いずれもぐったりとしていて動かず、生きているのか、死んでいるのかも判然としない。
「お気に入りが地下牢に囚われてるってのはどうやらガセだったみたいだね。ここに囚われてる人は罪人なのか、それとも善良な一般市民なのか……できれば話を聞きたいけど、声をかけても誰も答えないね……」
レニオがそう言うとグリムナも心配そうな表情で辺りを見渡す。グリムナの回復魔法は怪我を治すことはできるが、衰弱した人間を回復させることはできない。脳内麻薬を分泌させて一時的に元気にすることはできるが、体を構成する栄養素自体が足りなければ衰弱した人間はそのまま死んでしまう。
だがこの場合それ以前に牢から出ることができないためにそもそも回復魔法をかけること自体ができないが。
「まず……現状をまとめましょうか」
そう一言言ってからシルミラが一つ一つ状況を整理し始める。
「まず、現状でゴルコークの悪行を把握できていない。そして全員ここにいるからそれを調査することもできない。ただ、まだ何も要件を言ってないにもかかわらずいきなり勇者一行を拘束したことから考えても、奴は間違いなく『クロ』だとは思うわ。もしかしたらうちらが把握してないような悪事がいくつもあるのかもね。そこの牢に倒れてる人に事情を聴きたいところだけど、まあ、それもできないし……
……まあ、つまり……」
「外に出なきゃ、何にもならない、と……」
グリムナがそう呟いた。状況をまとめたところで何の意味もなかった。
一同が押し黙っていると、先ほどから一言も話していないラーラマリアが口を開いた。額に汗を浮かべて、苦悶の表情を浮かべながらである。
「とにかく、あまり時間が残されていないわ。何か、ここから出る方法はない……?」
「大丈夫か? ラーラマリア……どこか痛いのか?」
普段と様子の違うラーラマリアの様子にグリムナが心配そうな表情をするが、ラーラマリアはそれに答えなかった。
(お……)
(おしっこがしたい……)
ピンチである。
この牢のシステムとしては排泄物は砂の敷いたトレイの上にして、食事を差し入れるのと同じスペースから出して牢番に回収してもらうシステムとなっている。と、いうことは。小便をしようと思ったら男女混合メンバーのこの牢の中でしなければならないということである。しかも、牢の外に出すときに排泄物を見られてしまう。さすがのラーラマリアもそこまで業の深い性癖はしていないのだ。
我慢できるのは恐らくあと30分余り。彼女の希望としてはその間に可及的速やかにこの状態を解決しなければならない。
「おなかが痛いのか? ここか?」
そういいながらグリムナがラーラマリアの下腹部を軽く押さえた。
「ああ!!?!!?!?!」
その瞬間ラーラマリアのショートアッパーがグリムナの顎をとらえた。事情を話してないとはいえ、膀胱を押されたのだ。仕方あるまい。
「フーッ、フーッ……」
「だ、大丈夫なの? ラーラマリア……」
血走った目で歯を食いしばるラーラマリアの形相にさすがにただならぬ気配を感じてレニオも心配そうに声をかける。
「とにかく! 一刻も早くここを脱出したい!!」
「わ、分かった……何か策を考えるよ……」
そう返事をしたレニオであったが、正直言って策など何もない。物理的に堅牢なものに対しての対抗策などそう簡単に上がるはずがないのだ。しばらく鉄格子を眺めながら思案していると、失神していたグリムナが起き上がった。
「ここから……脱出する策……か……」
グリムナも地下牢全体を見回しながら思案する。先ほどラーラマリアが魔法が使えるかどうかを確認していたのを思い出す。魔法が体表から出ようとすると散ってしまう、と言っていた。しかし体内で完結する身体強化魔法は使える、とも。ならば彼の『奥の手』、ネクロゴブリコンより授けられた『あの技』は使えるはずである。
「やってみるか……」
そう呟くと、グリムナは外に出る階段近くでボーっとしていた牢番を呼んだ。
「なんだ? 名高い勇者様一行が俺に用か? 勇者の乳でも触らせてくれんのか?」
ニヤニヤしながらそう言って近づいてきたが、いつもなら激怒して掴みかかるはずのラーラマリアが静かである。大分限界が近いようだ。
「勇者一行もここまでだな。お前らはここで殺されて終わりさ」
牢番は全く無防備に鉄格子に近づいてくる。グリムナはその牢番の肩を鉄格子越しに強く掴んだ。
「へっ、何のつもりだ? 俺は鍵なんて持ってねぇぞ? 鍵はそこさ」
そういって牢番は階段の近くにかけてある鍵を指さす。
「それに俺を人質にしたって意味なんかねぇぞ? 俺はただの下働きの牢番、ゴルコーク様は邪魔になれば殺すだけだからな」
「人質になんかしないさ。お前には俺達と『仲良く』なってもらう」
そう言うとグリムナは牢番を逃げられないように抱き寄せ、おもむろに唇を重ねた。
「キャアアアアァァァァーーーー!!」
瞬間、耳をつんざくような歓喜とも恐怖ともつかないシルミラの嬌声が響き渡った。
「んぶ、……んちゅ、レロ……」
「んぐ……んん! ん~~ッッ!!」
牢番はしばらく身もだえしていたが、やがてグリン、と白目をむいてその場に崩れ落ちた。
「秘技! 有情激唇口!!」
格好つけて技名を叫んでみても、しょせんキスはキスである。
その時、ちょぼぼぼ……とグリムナの後ろで水音がした。グリムナがそれに気づいて振り返ると……
ぴちょん、ぴちょん……
ラーラマリアが足元に水たまりを作っていた。
「シルミラが……急に大声なんか出すから……びっくりして……」
大惨事である。




