第16話 龍脈
「駄目だ、殻すら破れない……」
何度剣を振り下ろしても弾かれる。
同じ場所を何度も剣で狙ってみたが、意味は無さそうだ。
元々意味がないのか、単純に俺が弱いのか。それに、疲労に加えて不自然に体が重い。
まるで、高熱を出した時の様な倦怠感にも似た感覚だ。
一応、『簡易拠点』から取り出した体温計で体温を測定してみるが、平熱と変わらなかった。
「疲れてるだけか……」
水を飲み、小さなパンを飲み込みながら霊樹を眺める。
確か、霊樹は周囲から魔素を吸収している、とアラドは言っていた。
もしかしたら、アラドが『殻』と呼ぶ壁の様な物は、〝水壁〟の様な魔術の一種なのかもしれない。
俺は、霊樹に触れて『魔素支配』を発動して攻略の糸口を探ってみる。
すると、霊樹が根や枝葉から引き込む魔力の流れを感じる事が出来た。そこから、周囲の魔素の流れを感じ、自分の中に流れる魔素まで見えている気までする。
《熟練度が一定に達しました。『魔素支配』がLV:2→3…4にレベルアップしました。》
《霊樹の魔素が、サイガ・アキラと同調を開始しました。
ーーーー……魔素による肉体及び精神が侵食される可能…性…あ…り…………職業:『道化師』の非公開能力【全適正】により、防御システムを無効化。》
頭の中に声が聞こえようと、俺は、今感じている魔素の流れに引き込まれていた。
意識が深く沈んで行く。
すると、周囲の景色を霊樹の視点で俯瞰している様な不思議な体験をする。
だが、それによって、先程よりもはっきり魔素の流れを捉える事が出来た。
自分の立っている地面の深い場所を、魔素の川の様な物が流れている。そこから溢れた魔素が、地面を通って水に溶け、空へと舞い、凡ゆる事象の中に宿る。だから、魔素は、どんなに小さな花にも、地面を覆う草や苔にも宿っていた。
いや、動植物が無意識に魔素を取り組んでいた。
俺の様な人間は、取り込んだ魔素を呼吸と共に吐き出したり、体の中を循環させ、体の一部にしている様に見える。
だが、霊樹は、他の動植物とは異なっていた。魔素を常に、溜め続けるしかない。多少は、根から大地へと養分として与えているが、それでも魔素をどんどん溜め込んでしまう。
「苦しい……」と、そう叫ぶ様に霊樹の枝葉が騒めく。
周囲の木々や草花が、終わらせて欲しい、と囁いた。風が、救って欲しい、と背中を押した。
不思議だった。幻だったかもしれない。
植物などに意思があるなど、考えた事すらなかった。それなのに、今感じた感覚は嘘ではない、と信じられる。
《ーー特殊条件を達成しました……ーー特殊条件を達成しました……》
刀を振り続けた腕や指先には、既に感覚はなく、鈍い痛みだけが走る。
ーーずっと、見守っていたかった。
誰かの意思が伝わって来る。
ーー彼等が喜び、育み、巣立つ姿を……。それが、私の幸福。私の誇り。
ーーだから、彼等を傷付けたくない。苦しめたくない。
ーー彼等を見守る、霊樹のまま還りたい。
俺が、弱い所為で貴方を救えない。それが、情け無くて、悔しかった。だから、『弱さ』が嫌いだ。
ーー異邦の子。
風が頬を撫でた。
ーー私は、人々の弱さを愛している。
霊樹の中の何かが流れ込んで来た。
人は、必ず弱さを持っている。そして、弱さを否定する。
でも、どうか忘れないで欲しい。
弱さがあるから、人は、自分の弱さを埋めてくれる人を愛する事が出来る。弱い我が子を守る為なら、親は死をも恐れない。弟妹が傷付いた時、兄姉は、ちっぽけな勇気すら振り絞って恐怖に立ち向かう事だって出来る。
弱さは人を陥れる事も有るけれど、弱さが人を救い、強くする事だって必ずある筈だ。
私は、何度も見てきたし、風達が弱かった人々の活躍を教えてくれた。
ーー優しい子よ。貴方は、私達の前に現れ、私達の声に耳を傾けてくれた。
俺が、耳を傾ける事が出来たのは、単なる偶然だ。
ーー愛しい子。私は、待っていた。私を終わらせてくれる貴方の様な人を。
ーーどうか、忘れないで欲しい。貴方の弱さは、決して恥ずべき物ではなく、希望でもある事を。
《特殊条件を達成しました。固有スキル:『龍脈之王』を獲得しました。それにより、『魔素支配』は『龍脈之王』に統合されました。》
いつの間にか、陽が傾いていた。
空が紅く染まり、周囲の空気は冷たさを帯びている。
まるで、夢を見ていた様に時間が経過していた。
「……」
無意識に手に握っていた刀の感覚を確かめる。
まだ、手の感覚は鈍い。それなのに、痛みは増していた。
いつの間にか、傷付いた皮膚からは血が滲んでいる。
「随分、無茶した様だなぁ」
突然背後に現れたアラドに驚いた。
「い、いつから!?」
「今ぁ、来た所だなぁ」
アラドは、俺から俺の握る刀に視線を移した。
「ああ?」
すると、急に目を細めて先の折れた刀を睨みつける。その顔が予想以上に迫力があり、固まって動けない。
「何が有ったかは、知らねぇけどよぉ。随分と気に入られてぇんじゃねぇか」
「え?」
「ったくよぉ……らしくねぇな…」
アラドの言っている言葉の意味が分からないが、聞き返す勇気がない為、黙ったままキセルを吹かす姿を見つめる。
その時、不思議と霊樹の言葉を思い出した。
『人は、必ず弱さを持っている』
もしかしたら、アラドにも弱さがあるのだろうか。
「そんじゃ、そろそろ帰んぞ」
アラドは、俺に方に手を差し出した。
だが、俺はそれを断った。
「すみません、師匠。もう一度だけ挑戦して良いですか?」
「ああ?心意気は買うがぁ、体を壊しちまったら元も子もねぇぞぉ?」
アラドが言う事は尤もだ。
俺の体は、既に限界だ。それでも、あの声に答えたい……そう思ってしまった。
「それは、分かってます。でも、俺がやらなければいけない事なんです」
「……ったくよぉ。しょうがねぇ。師匠として、許可出来んのは一太刀だけだ」
「はい!」
師匠であるアラドから許可を貰った俺は、霊樹の前に再び立つ。
血が滲んで、感覚の鈍い手で刀を握る。
力はいらない。無駄な力は、太刀筋を鈍らせてしまう。
「はぁー……」
呼吸が乱れれば、体の動きが乱れる。だから、どんな感情の時でさえ、心に波紋は起こさず静寂を保つ。
《固有スキル:『龍脈之王』がサイガ・アキラの意思に呼応し発動しました。》
風が吹いた。木々が騒めいた。遠くで、獣が羽ばたいた。
感覚が研ぎ澄まされて行くのが分かる。
アラドから貰った刀が、必死に応えようとしてくれている、そんな気さえした。
霊樹が見せてくれた時の様に、俺の足下や空中を伝って魔素が流れて来ている事を感じる。
霊樹を包む魔素の壁の綻びが見えた。
その瞬間、思考を忘れて体が動く。痛みや限界の事など全て忘れーーーー斬る。
今までの様な、壁に弾かれる事もなく、抵抗すらなく、ある筈の物を置き去りにして刀が全てを斬り裂く。
一瞬の静寂。そして、霊樹が崩れ落ちる様に地面に倒れた。
その光景を見て、俺の中に沸いた感情は、安堵だった。
達成感や満足感ではなく、霊樹を救う事が出来た……そんな、喜びに似た感情だった。
□□□□□
天猫御殿に、絶叫が響く。
「動いちゃ駄目ニャ!」
「でも、すげぇ痛い」
「このくらいの痛みで、男が騒いじゃ駄目ニャ」
それは、アラドの言葉だろうがっ。
天猫御殿に戻って来た俺は、ヴァッシュから傷の手当てを受けていた。
だが、傷口に使う薬が一々沁みて痛い。
暴れ狂いたい程の激痛だが、必死に『認識誘導』や『感情操作』を使って耐えていた。
『虚飾』を任意的に発動すれば、傷がなかった事になってしまう。そうなれば、また同じ痛みの繰り返しになってしまうので耐えるしかなかった。
「オムニス殿!助太刀下されニャ!」
「すまん、アキラ」
背後からオムニスに庇い締めにされる。抜け出そうとしても、オムニスの腕が岩の様にびくともしなかった。その為、必死にオムニスの太い腕にしがみ付く。
『虚飾』を発動できない事から、逃げる事も出来ない。
く、くそぉぉ……。
「いっでぇぇええ!」
《熟練度が一定に達しました。『感情操作』がLV:9→10にレベルアップしました。条件達成により、『心象操作』を獲得しました。》
《『心象操作』を獲得した事により、『認識誘導』と『感情操作』を統合しました。それにより、『心象操作』がLV:1→5にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『器用強化』がLV:9→10にレベルアップしました。条件達成により、『身体強化』を獲得しました。》
《『身体強化』を獲得した事により、『筋力強化』『器用強化』『耐久強化』『知力強化』を統合しました。それにより、『身体強化』がLV:1→6にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『勇気』がLV:1→3にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『観察』がLV:9→10にレベルアップしました。条件達成により、『推測』を獲得しました。》
《『推測』を獲得した事により、『観察』を統合しました。それにより、『推測』がLV:1→3にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『苦痛耐性』がLV:7→8にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『精神耐性』がLV:9→10にレベルアップしました。条件達成により、『侵食耐性』を獲得しました。》
《熟練度が一定に達しました。『損傷耐性』がLV:9→10にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『過労耐性』がLV:3→4にレベルアップしました。》
《熟練度が一定に達しました。『痛覚耐性』がLV:4→6にレベルアップしました。》
俺が、薬の痛みにもがいてる間に頭の中ではシステムの声が鳴り止まなかった。




