11.小宇宙〜Microcosm〜
伊津美!
呼ぶ声に振り向いた、部室の側。身支度を終えた制服姿の優輝が大きなバッグを背負って小走りでやって来た。
「悪りぃ、遅くなって」
彼は言う。その理由なら知っている。
今日最後の練習試合が終わった後、半ば諦め気味に立ち去ろうとした乃愛を彼が呼び止めていた。頬を染めてオドオドする彼女を連れて何処か陰に引っ込んだ。何、気にすることでもない。多分、あれだ。何となく察しがついていた、伊津美は特に追うようなことも覗くようなこともせず、大人しく部室側で待った。
伊津美には、これ。
校門の外まで出たところで彼に手渡された。小さなラッピング袋。透明の素材からはっきり見えている。リボン型のキャンディ、マシュマロに、クマのクッキー、いっぱいに詰まったおもちゃみたいなお菓子たち。3月14日…今日はホワイトデーだから。
「神崎にも似たようなモンあげたけど…」
やっぱりね。彼の言葉に納得の頷きをしてしまう。昔から何だかんだと律儀な男、今までの彼女の善意を無視することなどできなかったのだろう。“好意”とは気付いていなくても、鈍感でも、だ。
今もありありと感じる不器用さ加減に笑ってしまう。不満とかより可笑しさが上回る、そんなとき。
伊津美…
また彼の声がした。ん、と見上げて少し息を詰まらせた。真っ赤な情熱の空の下で見下ろす彼の顔。潤いのある双眼は光を拾って一部だけ、あの色に。
「お前には、もう一つあるんだ」
俺んち、来れる?
胸が高鳴った。長い付き合いのはずなのにまだこんな感覚を与えてくれる彼をすごいなんて思った。きっと頬が染まっていた。紛らわせてくれる夕日の赤に感謝しながら、伊津美は頷いた。
片側だけ夕日に照らされている彼の顔を何度か見上げた。時々ちらつくシトリンの色が眩しかった。二人で歩いた。彼の帰路を。
すごく久しぶりに前にした【昭島】の表札。玄関を開ける彼が振り返った。
親、居ないから。
そんなことを言う。これを世間ではこう呼ぶのだ。“ベタ”だと。特に初めてという訳でもない、二人っきりの家。今までだって何度かあった。なのにこうも身体が固くなってしまうのは、彼がいちいち告げてくる前置きのせいなのか。高まる内側に落ち着けって、言いつけながら伊津美はいよいよ一歩を踏み出す。背後でパタン、と閉じる音。
着実に沈んでいく陽。薄暗い彼の部屋からは彼らしい匂いがした。電気をつけてはっきりした。久しぶりに目にする、勉強机、インディーズバンドのポスター、ハンガーがけのユニフォーム。端っこに荷物を置いて慣れた定位置、ベッドの上に腰掛けた。彼は開け放たれたクローゼットの前、しゃがんで何やらごそごそやっている。しまっていたものを出して渡す、そう推測するのが自然だが…
「カーテン閉めてくれる?」
もう夜が近いからだろうか。言うとおりにカーテンを閉める。蛍光灯の明るさが際立つ。彼は次に言う。
「そのまま座ってて」
「うん」
「電気、消すよ」
「…うん?」
疑問に首を傾げた瞬間、パチ、と鳴った。闇に染まった。えっ…ここにきてやっと声を漏らした。ただでさえ落ち着かなかった胸が更にまた暴れ出して。
「ちょっと、優輝…っ」
彼を探した。見渡した。光が現れ出した。幾つも、幾千も。
宇宙、に、放り出されたと思った。
天井だったところにも、カーテンだったところにも、キラキラ眩く煌めいている。星たちの群れ。恒星の息吹。
「プラネタリウム…?」
ぽつり、とこぼすとそっと手に重なったぬくもり。そうだよ、って応えるみたいに。
「すごい完成度…」
ムードのないことを言っているのはわかってる。だけどね、これでも私なりに魅せられているの。今までならきっと、構造がどうとか、こんなのが市販で?とか、いくらしたの?とか、続けていたもの、きっと。
よく見るとベッドの下に球体の何かが置いてある。プラネタリウムの本体。天井に伸びる光が隣の彼の姿もぼんやりと照らし出してくれている。
ぎゅっ、と強く込められる彼の手の力。高鳴りはいつの間にか程よい具合に落ち着いていた。伊津美はくす、と笑う。彼に聞く。
「何か、ムード作ろうとしてる?優輝」
「……!」
うっ、と詰まる息の音に、ぴく、と跳ね上がる指先。図星といったところか。伊津美は身体を傾ける。温かな彼の胸に頭を寄せると伝わってくる鼓動。それはもう凄い。厚い胸板だって突き破ってしまいそうな重低音にまた吹き出す。
「優輝が緊張してどうするの。演出、してくれるんじゃないの?」
「いや、うん、その、何だ…」
ああもう、言ってることが滅茶苦茶。まどろっこしい。本当、不器用。だけど…
ーーありがとう。
そう言って手を握る。汗ばんだ感触を受けながら、彼の耳元で囁く。
「ゆっくりでいいわ、私たち」
だってまだ若いのよ。
思い出してくれたのだろうか、優輝が見下ろす。伊津美は見上げる。どちらからともなく頷いて、どちらからともなく、笑う。
2000年の時を超えようが、この世界、この人生では高校生。枝分かれした無数の道の前に立つ、未熟で無知で勇気ある、17歳。自分で道を作ることだってできる。どうにでもなりうる、未来は、未知数だ。
もし忘れそうになったらこれを見ようと思った。彼がそうなったときもやっぱり同じ。見せてあげる。思い出させてあげる。
だって星たちが教えてくれる。無限大、未知の数。みんなみんなそれぞれに独立した魂だと、語りかけてくれるだろう。
星の世界の【アストラル】
いつかそっちに行くときまで、桜庭伊津美を一生懸命に生きる。守りたいものを守り、変えたいものを、変えて…
「優輝」
え、と短く呟いた、その唇にキスをした。暗くてはっきりは見えないけれど、きっと今赤くなってる。昭島優輝…不器用なこの人も、一緒よ。
そのまま二人で仰向けになって、手を繋いだまま、見上げてた。世間一般で言うところの“生意気”だとか“やましい”だとか、そんなことはなかった。年齢…確かにそれもあるけれど、私たちなりの、私たちに合った寄り添い方。今に合った愛の交わし方。
行きたくなっちゃった…
宇宙。
小さく芽生えた願望をこぼす、私に彼が答えてくれた。
「行こうよ。いつか、行ける」
ーー未来はあるから、絶対にーー
優しく、強い、確かな響きが、小さな部屋の小さな宇宙に、登った。




