7.小さな王〜Regulus/Ryan〜
みんなみんな、遠ざかっていく。魂たちは先へ行く。動いているこの世界では避けられないこと、避けるべきではないこと。
いや、むしろ…
ふと蘇ったあの日の言葉。スピカの声。
ーーあなたはきっと光の仕事人…ーー
遠ざかっているのは…俺、なのか?
光の仕事人…それは、かつて居たフィジカルでも何度か耳にした。そしてアストラルに生まれてからは幼い頃から何度も聞き始めた。当たり前のように語り継がれている、かなり有名なものだ。
人々に影響を与えるべく、行動や言動で示していく仕事人。その形はそれぞれで、宗教家となった者もいれば、霊能力者や占い師、政治家や芸能活動をする者もいる。会社という組織の中で必死に伝えようとしている者もいる。適職を割り切り、天職で本領発揮する者、一見するとそんな風には見えない、なんて者も。
そんな多種多様な生き方、だけど彼らには共通していると言われるものがある。強い、強い意志を持たねば苦しいばかりのもの。薄ら暗くって、漠然と、怖い。
孤独。
見返り以上に動くことになる。返って来ないときだってもちろんある。毎度毎度、求めてなどいられない。それでも前に進んでいけるか、伝えていけるか…
自分を保っていられるか。
かつてこの仕事人になろうとした男は深く傷付き、決して手放せない一人を選んだ。こんなこともあるかも知れない。
かつて生まれながらにしてこの役割を与えられた女は2000年もの時を経て、再び顔を上げた。彼女の向かう先は似ているように思える、だけど何か違うようにも…こんなこともあるかも知れない。
つまり、やってみなければわからない。誰もがなれるという魂の仕事人、恐れはあるけれど少なくとも、今の俺が選ぶべきなのは
やはり、こっちなんだ。
ーーあの後、また元通りに席に着いて、二杯目の紅茶を飲んで、王と王妃が眠りについていた16年間のことを話した。昼を迎える前に席を立った。
懐かしい王宮を散歩したい、と言ったアルタイルとベガ。娘を託して去っていった二人はきっと、気を遣っていたのではないだろうか。こんなときにまで…いや、こんなときだからなのか、と罪悪感に奥深くが苦しくなる。
扉の近くではいつの間にかセレスがクー・シーの傍へ近付いていた。優しげな顔、だけど強い光を宿した瞳で彼を見つめ、何か語りかけているようだった。やがてクー・シーが小さく頷くのが見えた。セレスとマラカイトに守られるようにして、彼もまた扉の向こうへ消えた。遠くへ。
春の陽気が射し込む、静まり返った部屋。もう、彼女と二人だけ。
ふと背中に感じた、ぬくもりとピリッとくる刺激にレグルスの身体は小さく跳ね上がった。同時に背中に触れた彼女の指先が離れる気配。よく知る彼女の匂い、それも遠ざかっていくよう。
スピカ…
焦燥とも思える感覚を覚えた、レグルスは振り返った。うつむき立ち尽くしている彼女へ、まるで引き止めるみたいに触れようとしたとき。
…ねぇ、レグルス。
甘美な声色が届いた。胸が高鳴った。
「私が…怖い…?」
おずおずとした仕草で彼女は問う。心地良くも消え入りそうな声で。条件反射だったとは言え、きっと気付いてしまったのだろう。まだコントロールできていない強い霊力に俺の魔力が拒絶を示したその瞬間を、見逃さなかったのだろう。
だからきっと手を離した。遠ざかろうとした。そう確信するなり、またあの熱い感覚がふつふつと内側で沸いてくる。
ーーああ、怖いよ。
低く、答えていた。彼女がぴく、と反応を示した。レグルスもたまらずうつむく。それから、どんな顔をしているかもわからない彼女に言う。
「何処までも、アンタを愛してしまいそうで…怖い」
とんでもなく恥ずかしいことを口走った気がした。それでもおのずと踏み出していた、たまらない熱も落ち着かないまま。
怯えた様子の彼女にはお構いなしに、容赦もなく距離を縮めていく。じり、と後ずさる華奢な足元が視界に入る。それにさえ苛立ってしまう。
「…っ、レグルス…!?」
「……っ!」
逃げられる前にしっかり抱き締めた。ピリピリとしたあの波長が全身を占めて、情けなく息が詰まってしまう。それでも…離さない。
「レグルス…いいの、お願いだから、やめ…」
「…嫌だ」
案じてくれる言葉さえ遮った。更に身体を密着させると、やっと、恐る恐る伸びてきた彼女の腕が背中を包み、ぎゅっ、と握った。このまま一つに溶け込んでしまいたかった。
ーー怖い。
彼女が言うのは、解き放たれた己の中の底知れぬ力のことだろう。だけど違うのだ。本当に恐ろしいのはそんなものではない。未だ続く痛みの中でレグルスは熱く湿ったため息をこぼす。こんなことを考えた。
俺も所詮、一人の男、一つの魂だ。世界を揺るがす霊力の脅威より、ただ一人を選び、その愛に狂いそうになる。何度、死と生を繰り返しても、またこの人を求めてしまうのではないか。アイツのように…
あの、鏡に映った顔を思い出した。何だ、自分の中にも…そう気付くと、知らなかった今までが何だか滑稽に思えて、苦笑した。いつの間にか痛みは薄れ、すんなりと息が通るようになっていた。彼女はまだこの胸に居るのに、だ。
「レグルス…大丈夫、なの?」
「ああ、大丈夫だ」
まだ案ずる目で見上げてくる彼女に笑いかけた。身体を離し、柔らかなくせ毛を撫でてやる。彼女に言う。
「悪かったな、スピカ。アンタには随分無理をさせた。腰は痛まないか?」
ううん…小さく呟いてかぶりを振る、彼女の顔が柔らかくなっていく。安堵したように、嬉しそうに。
「…俺は、駄目な男だな」
本当にそうだ。本当に、一体何を考えていたんだろう、と思った。彼女はここに居る。忌まわしい茨はもう、ない。もう精一杯に守れるんだ、精一杯この世界で、この生涯をかけて。
例えこの先何があろうとも、何に生まれ変わろうとも
今はそれでいいはずだ。
「少し休もう、スピカ。ゆっくりしよう。俺も疲れた。今はアンタと、その子と、一緒に居たい」
口にすると少し熱さが込み上げた。ええ、と微笑みながら返すスピカ。彼女の続けた言葉が更に甘い痛みと熱を連れてくる。
「そうしましょう、レグルス、ううん…」
もう、パパね。
恥ずかしそうに言ってくる。そんな顔を見せられちゃ、こっちはもっと恥ずかしい。
俺がパパならアンタは…答えなら明白だけど、どうもそればかりは口にできない。まだ待ってくれ、いつか言うから、今は勘弁してくれ、せめてこの熱が落ち着くまでは、と内心で早口を呟きながらレグルスは彼女を導いた。まだお互い20歳にも満たなかった頃、結ばれたあの日からずっと迷子同士の二人が過ごしてきた、隠れ家だったあの場所へ。心地の良い、彼女の部屋へ。
天蓋付きのベッド、日差しを程よく透かすベールの中で一緒に布団に包まった。温かな部屋着を着て冷えないように寄り添った。
この場所で何度も夜を明かした。次の世では離れ離れ…避けようのないそれが怖くて、寂しくて、振り払うみたいに身体を重ねた日もあった。だけど…
虚ろと霞み始める視界。同じような細い目をしている、彼女を眺めながら思った。眠りに落ちる間際で。
変わっていくものと、変わらないもの。どっちがどっちかもうわかっている。
ーーそう、お前は王様だーー
遠い日の言葉が蘇る。こんなどうしようもない男がアストラル王の後継者?嘘だろ、なんて言いたくなってしまう。そしてあんな昔から予言されていたのかと思うと何か、癪だ。それでいて、可笑しい。
だけど、それでもいくらか見えてきている。自分の中で絶対的に変わらないもの…それはきっと変える必要のないもの。
これを大事に守っていれば、何処へ行こうと何になろうと、怖くはない。
怖くは、ないんだ。




