4.芽生え〜Sprout〜
ーーあれから数日間はそれぞれが別のことで精一杯だった。
セレスはマラカイトと共にひっそりと過ごした。お互いの傷に触れるには早過ぎる…だから会話もわずかにしか交わさなかった。一人ぼっちは無性に寂しくて、傍に居ることだけはやめなかった。
スピカとミラは特設の治療室で療養中だと聞いている。レグルスからはほんのわずかに現在の状況を聞いた。親衛隊長である彼にはやるべきことが山のようにあって、だからこそ気丈に振舞わなければならないのだと見て取れた。
「…平気な訳ないわよね。仲間も家族も亡くしたんだから」
広大な場所、まだ乾きがちな風に吹かれながらセレスが言う。後ろでマラカイトが、ん、と小さく返す。またしばらく沈黙が続いた。うつむき加減になると、やがて冷たく湿った感触が手に伝わった。彼の手が遠慮がちに指先だけを掴んでいた。
王宮の庭園には慰霊碑が建てられた。立派にそびえるそのふもとにいくつもの平らな墓石。溢れ返らんばかりの花々。慰霊碑を白にしたのは光を集めてここを照らす為だろうか。
連日多くの人が訪れたこの場所も、一週間程経った今はいくらか人気を減らし、より静かになっている。
早朝、佇むセレスの足元にはまだどうも馴染みのない名が刻まれている。弟とおぼしきものと並んでいる。
【シルビア・未来・アルテミス】
あの日、自ら夜空に散った漆黒の髪と瞳の彼女のことだという。
「実感が沸かないわ」
セレスはぽつりとこぼした。
「私にとってはやっぱり“メイサ”なんだもの」
どんなに嘘だと言われても、共に過ごした日々が、記憶が、否定させてはくれないのだ。男勝りで世話焼きで、“伊津美”の友達によく似た看護師がいたことを。
こうしている今にも、後ろから忍び寄って悪戯な笑顔で覗き込んできそうな気がする。びっくりさせないで、と睨み付ける、そんな幻を一瞬、見たようだった。
あの後、ミラとスピカは彼女の死のことも聞かされたのだろうか?あれ程までに傷付いた心と身体で…?考えるだけで息が止まりそうだ。
自爆の為、遺体のほんの一部さえ残らなかった姉弟の墓を創るよう命じたのはレグルスだったという。今や魂だけの存在である二人が手を繋いで迷わずに、今度こそ幸せになれる場所へと向かえるように…きっと彼もそう考えたのだろう。
ーーメイサ。
しゃがんで視線を落とし、胸の内で呼びかけた。やはり、あの名で。
今度こそ、自分の為に生きて。
誰の為でもなく、あなたとあなたが心から大切にしたい人の為に。
…あの世界で、待っているから。
ーー俺も…
サラサラと続く風の中に声が混じった。いつの間にか隣でしゃがんでいた、マラカイトからだった。
「俺もまだ信じられない。2000年前は友達と呼べる奴なんていなかったから…こんなの、初めてだ」
…友達を亡くすなんて。
うん…先程の彼と同じように小さく返すくらいしかできなかった。考えていることならこんなにも沢山あるのに、言葉となって出てこない。
彼も私もフィジカルでは17歳。このくらいの齢なら身近な人間…それも歳の近い友人の死なんてそう多く目にするものではないだろうし、私たちのように経験のなかった者だって少なくはないはずだ。どんな形であれ、堂々と友達だと言い切れる存在を失った痛み…私たちは乗り越えていけるだろうか?考えているうちに今度はもう一人、姿が浮かぶ。
あの人は…彼は、もしかして…
そのとき、ふと、背後に気配を感じた。セレスとマラカイトは揃って振り返り、目を見張った。
「レグルス…!」
ゆっくり歩み寄ってくる彼は、数日前よりも青白く、細く見える。髪なんか酷いものだ。ただぐしゃぐしゃに掻き乱しただけのような仕上がり。一体何がそうさせたのか。
だけど近付くに連れて気が付いた。その瞳が朝焼けの色に似ていること、何処か深みのある闇と光を合わせ持った風であることに。そしてそんな彼の後ろを付いてくる人物にもすぐに目が止まった。
存在感のあり過ぎる長身、強面の顔を見てすぐに思い出すことができた。その名を口にした。
「レイさん…」
もうほとんど見えている関係性。激しく胸を痛めているであろう彼は深々と一礼した後、こちらへ笑顔を向けた。憂いの隠し切れていない儚げな表情だった。そんな彼が口を開く。
「会いに来ました、アイツに」
セレスタイトさん、マラカイトさん、とこちらへ向かって呼ぶ。太い腕に抱えられた花束の包みがカサ、と音を立てた。彼は言った。
「アイツ…シャウラを助けようとしてくれて、ありがとう」
セレスはすぐにかぶりを振った。優しいその顔を見るのがあまりに辛くて、そうしてしまった。横に立つレグルスがぎゅっ、と瞼を閉じるのも見えた。涙が滲んだ。責められた方がマシだった、なんて思ってしまった。
二人の青年は少し離れた場所へと歩き出した。アネモネによく似た紫色の花弁が風に乗って流れてきた。
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このアストラルの王宮で過ごすうち、環境にも人にも、いくらか慣れた。皮肉なまでに優れた自分の適応能力に驚いてしまった程。
それでも寂しい夜は何度か訪れた。決して消えることのない彼の姿を追い求めるみたいに星空の下へ躍り出た。
もしかしたらまたあの森の中で、私を待って…?だけど、そしたらまた怒られるよね。そんな危うい心情だった、ある日の夜。
セレス…?
すっかり慣れてきた、あの声に振り返った。風邪引くぞ、と言いながら近付いてくる彼を前に、決して満面とは言えない笑みがこぼれた。
身体が冷えることを懸念してくれているようだったのに、冷たいレモネードなんかを持ってきてくれた。それからしばらく一緒に居てくれた、彼に。
クー・シーって冬の星なのよ。ほ座δ星。メイサのはあっち…
指で指し示していく私にちょっと呆れたような声で、マニアックかよ、なんて返した。そんな彼が一体、何処で、どの部分に感心を示したのだろう。
スピカは…いつ?
ぽつりと尋ねてきた。春。乙女座α星って答えた。その後もいくつか続いた。
おおいぬ座、蠍座、オリオン座、聞かれたあたりを全部答えた。最後に獅子座を教えてあげた。その後。
獅子は春、か。春…
スピカと同じか。
何処か救いを得たような声が、胸の奥に甘く響いて、また惚気?なんて返した。うっせ、なんて言う、彼も照れ臭そうに笑った。共に何か、目をそむけているみたいだった。
今になって思い出した、あの夜。今、少し後悔してる。
ただでさえ亡くなった従兄弟と瓜二つな容姿を持つ彼は、きっと鏡を見る度に胸を痛めたりするんだろう。その上…
あんな話なんて、しなければ良かった。
風の流れが変化した。少し離れた場所の二人の元へ近付いていく三人の姿は見覚えのあるもの。
セレスはすぐに立ち上がった。戸惑うマラカイトの手を引いて、レグルスたちの傍へと駆け寄った。
スピカ様…!
まず彼女へと呼びかける。彼女を挟んでいる二人が誰なのかもうわかっていた。だけど居ても立ってもいられなかったのだ。
童顔の彼女がこちらを向いた。セレス、と口にするその顔には柔らかい微笑みが浮かんでいた。
「心配をかけましたね。私たちの為に手を尽くしてくれて、ありがとう」
本当にありがとう、と繰り返すスピカの口調はしっかりしている。目の輝きも確かだ。セレスは安堵のため息をこぼした。
ふと横へ視線を向けた。いや、落とした。さっきまでためらいがちに佇んでいたレグルスがいつの間にかひざまずいている。レイも慌てたようにそれに続く。これはさすがに、と感じたセレスはマラカイトを引っ張り下ろし、同じように膝を着いてこうべを垂れる。
くす…
小さな吹きだす声がした。
「そんなに恐縮なさらなくても…」
品の良いアルトの声はスピカのものではない。心地良い響きは更に続く。
「頭が上がらないのは私たちの方ですわ」
セレスはやっと顔を上げた。
あの日、怯えた顔を貼り付けたまま石化していた20代後半程の二人が、今は神々しく輝くオーラを放ちながら、余裕に満ちた笑顔を浮かべている。色が戻った状態を見て改めて実感した。エメラルド色の瞳は紳士のものと、栗色の髪と白い肌は淑女のものと同じ。スピカは間違いなくこの二人の娘であると。
皮肉なことに今やすっかり年の差が縮まって兄妹、姉妹のようになってしまっているが、彼らにそこは関係ないのだろう。幸せそうな王と王妃の笑顔がしっかり物語ってくれている。
「アストラル王のアルタイルです。女帝セレスタイト殿、それから勇者マラカイト殿、お目にかかれて光栄に存じます」
「王妃のベガです。本当に何と申し上げて良いものか…」
深々と頭を下げる二人。どう考えても厳かなる状況に、こちらこそ、と返すのが精一杯だ。マラカイトに至っては更に口ごもり、何度も噛んでいる。しっかりしなさいよ!そんな念を込めて彼を肘で小突いた。ベガがまたくすり、と笑った。恥ずかしくなった。
一方でアルタイルがゆっくりと歩み出した。彼の前に。
「レグルス君だね?大きくなって…」
はい、と上ずった声と共に顔を上げるレグルス。その表情はカチンコチンに強張っている。無理もないだろう、と同情してしまう。
「スピカを守ってくれたそうですね。レグルスさん…本当に立派になりましたね」
ベガも彼の方へ顔を向けて語りかける。もったいないお言葉です、ぎこちない口調で返した彼は再び深く頭を下げた。スピカは言葉もなく、恥ずかしそうに身体をもぞもぞと揺らしている。明かりが灯るように、胸の奥が温まる感覚をセレスは感じた。もう全て伝わっているのだろうとわかった。
ーー君の従兄弟と叔父さん…だね。
低く、静かな声色が届いた。沢山の花に囲まれた二つの石をアルタイルが眺めている。ベガがそっと彼の隣に寄り添った。彼女は言った。
「未来を切り開こうとした全ての者たちに祈りを捧げましょう。それがどんな形であっても…アストラルの未来は彼らの希望であったはずです」
彼女は胸に手を当てる。セレスも目を閉じた。今度は誰の様子も伺うことなく。
身体を張って戦った兵士たち、捕らえられた王宮のスパイ、巻き込まれた町人。
相反する正義に敗れたルナティック・ヘブンと、悪魔を貫いた男、リゲル。
ミラを守り、父も見捨てられず、遠くへ旅立ったシャウラ。
そして、最期に本当の顔を見せてくれた、メイサ。
悲し過ぎる争いの中で唯一希望と思えたのは、きっと、みんなの目に“未来”が映っていたこと。変えたいと強く願っていたこと。
叶えたい未来や守りたい人の為に何度も何度も生まれ変わり、時に戦い、時に自分を投げ出す。
意志を持つ魂たちの宿命とも言えるそれが、いつしか犠牲を出さず、認め合い、譲り合い、溶け合うときが来るのだろうか?そんな時代を築く一員となることができるのだろうか?
この道はきっとこの先も、気が遠くなる程遠くまで続いていくのだ。怖くて、怖くて、たまらない。
だけど…
静かに瞼を開いた。心配そうなマラカイトの顔が鮮明になっていく。セレスは彼に、大丈夫よ、と言って微笑んで見せた。目尻のものを指で拭って。
「ーーさぁ、冷えてしまいますわ。戻りましょう。温かい紅茶をご用意致しますから」
ベガに促されて皆が動き出す。そのときふと、アルタイルの足が止まった。くるり、と振り返った。その先に立つ彼が固まった。
「ところでレグルス君…スピカと結婚するんだってね?」
明らかに空気が変わった。セレスも息を飲んだ。アルタイルの目がついさっきまでの朗らかなものとはうって変わって、射るような視線を放っていたからだ。そしてあまりにも鋭く、突き刺さる言葉が続いた。
「でもね、レグルス君。君にスピカはやらないよ」
まさかの、だ。え、とこぼしそうになるのを何とか飲み込んだ。自分のことのように胸の奥が鈍く脈打つ。だけど今は、何も言うべきではない…そう肌で感じてしまった。
冷たい氷のような視線をレグルスへ投げかけたのを最後、アルタイルはすっとこちらに背を向けた。広く大きな背中が語った。
「いやさぁ、順序ってものがあるでしょう?結婚するならさぁ、両親である我々に挨拶くらいするよね?普通」
確かに普通はそうだ。普通ならば。だけどこればっかりは違う。21歳の娘がいながら20代の姿を保っている両親…この時点で、明らかに“普通”とは言い難いはずだ。
言いたいことは山々だが、当事者でもない者がこのタイミングで口を挟む訳にもいくまい。渦中のスピカは顔が見えないくらいにうつむき、押し黙っている。苛立ちとも思える感覚がつのった。
何とか言いなさいよ、とセレスは黙っているレグルスに訴える思いで睨み付ける。それでも大量の汗を滲ませ、大きな背中に見入る彼はこちらの視線に気付いていない様子。どうしようもないまま、しばらく沈黙が続いた。
ーーおっしゃる通りです。
どれくらいか経った頃にやっとレグルスの声がした。未だ振り返らないアルタイルの後ろ姿を真っ直ぐ見据えていた。彼は言った。
「恐れ多くもアルタイル様、ベガ様…スピカ様と一緒になることをお許し下さい。俺はまだ、その…未熟者です。でも…っ」
ぎこちない口調。ほら、やっぱり敬語の練習くらいしておいた方が良かったのよ、なんて思ってしまう。髪型はぐしゃぐしゃ…もう、絶望的ね、なんて。
だけどしっかり伝わってくる。真摯な目、おぼつかなくとも力強い口調。彼は更に前のめりになる。更に言う。
「この命に代えてでも彼女を守ると約束します!幸せにします!絶対にっ!」
固唾を飲んで見守る中、視界の端にマラカイトの姿が入り込む。かつていがみ合った彼と同じような体勢でそちらに見入っている。同じように拳まで作って…何を重ね合わせているのだか。セレスは固く握られたその手をそっと上から包み込む。きっと、大丈夫。そう信じて一緒に見守ろう、と。
どうしようかなぁ…
アルタイルが小さく呟く。レグルスは深くこうべを垂れて静止している。緊張に耐え切れないのか、足元だけは震えている。
そして広い肩が反転した。皆が息を止めた。
「なーんてね!!」
あまりにも呆気なく緊張が途切れた。アルタイルの満面の笑みを前に、セレスもあんぐりと顎を落とす。やがてぷっ、と吹き出す音が鳴った。クスクスという堪え笑いが更に続く。レグルスは明らかに戸惑い、声の方へと顔を向ける。
「アン…スピカ、知ってたのか?」
情けない程に狼狽するレグルス。スピカは申し訳なさそうに、それでも笑いが治まらずに肩を震わせる。
「ごめんなさい、レグルス。お父様ね、一度“お前に娘はやらん!”って言ってみたかったんですって」
涙目のままのスピカが言った。声真似まで付けて。レグルスがヘナヘナとその場に崩れた。更に、深く、同情した。
「むしろこっちがお願いしたいくらいだよ、レグルス君」
豪快に笑いながらアルタイルは言う。レグルスはそんな…などと、やっと呟いている。滝のような汗が額で光っている。しかしそれもすぐに引いてしまうこととなった。
「今年の冬、かしらね?」
「まさかこんなに早く孫に会えるなんて…」
『ねっ!!』
顔を見合わせて笑い合う、王と王妃。え…セレスの口からもさすがに間の抜けた声が漏れた。同じように呟いたのはすぐ隣のマラカイトだった。向こう側にいるレイは鋭い目を見開き、口元をほころばせている。すごく、嬉しそうに。
セレスは当のレグルスに目を向けた。蒼白以外の何ものでもない色に染まった彼の顔はゆっくり、ぎこちなく、スピカの方へと動く。ギギギ…と錆びた音が聞こえてきそう。
機械のように動く首が止まった。その先にいるスピカが真っ赤に頬を染め、ちら。と上目で彼を見てはにかんだ。
あーあ…
セレスは追い打ちをかけるように白々とした視線を彼に送ってやる。反撃してくる余裕はなさそうだ。
レグルスは数歩後ずさって地面にへたり込んだ。王、王妃、姫…いや、嫁?三人を同時に見据えられる位置から。
もっ…
早速噛んだ彼は、改めて力の限り、叫んだ。
「申し訳ございませ…!!」
勢いよく振り降ろした頭が地にめり込んで、渾身の叫びは途切れた。




