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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第5章/未来のために
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3.息吹〜Breath〜



ーー仲間の何人かと取り戻したかったものを失って、更にスピカが倒れた。あの日からもうすぐ一週間が経とうとしている。


自室のソファの上で身体を起こしたレグルスは額を押さえて呻いた。テーブルには乱雑に投げ出されたままの書類の山。鏡を見なくても前髪がおかしな方向へ向いているのがわかった。



ーーだっらしねぇな!ーー



はっと顔を上げた。腕組み、仁王立ち、ふてぶてしい態度にふてぶてしい口調。確かに見た、気がしたのはほんの一瞬だった。もうそこには居なかった。しん、という音が薄暗い室内に遠く響いているだけ。



ため息をこぼした、レグルスは立ち上がった。カーテンを開けると薄明るい程度の空の色が窓を染めている。途中のままの仕事がありありとテーブルの上で照らされた。


レグルスは踵を返した。クローゼットから服を引っ張り出すと、それを手に部屋を出た。





ルシフェルが死んだことで16年間の呪いが解けた。



アルタイル王と王妃ベガも生身に還って一度は目を覚ましたが、すぐに意識を失ってしまったとのことで、レグルスたちが王宮に戻ったときにはすでにベッドの上だった。


王宮には元々契約を結んでいた医療チームが留まり、特設の処置室、集中治療室などを設けて、負傷した兵士、王、王妃、スピカ、そしてミラの治療に当たり始めた。当然ながら前者以外は精神崩壊を危惧してのメンタル治療だ。レグルスも度々足を運んだが、今までのような距離で関わることは許されなかった。



一方でやらねばならない仕事に追い込まれていった。今回の戦いでの犠牲者の数は計り知れない。いや、正確には、16年前からただの一度も終わったことなどないのだ。その間に命を落とした者は皆、犠牲者と言っていいだろう。


彼らと彼らを愛していた者たちの想いが行き交う場をこの王宮に創ると決めた。今、わかっている以外にも多数存在するであろう犠牲者の捜索は今も続いている。羽を休める時間などない。悲しみに暮れるタイミングさえ掴めそうになかった。





誰も居ない浴場で一通りを洗い終えたレグルスは脱衣所の鏡の前で、一瞬、静止した。それからすぐに顔を伏せた。直視することはまだ難しい。


普段たてがみのように逆立てている髪は今、濡れてしっとりと落ち着いている。変えたはずの分け目も元に戻ってしまった。ストレートのセンターパート…あまりにも似ている。


自分の姿を見るだけでこれ程胸を痛める日が来るなんて…そこまで考えたレグルスの脳裏にやがて蘇った。



いくつもの命が流れ星みたいに呆気なく散った、あの夜、息を飲む程澄んでいた、星空。セレスと話すうちに次第に増えていった星座の知識は今でもちゃんと覚えている。



春は乙女座…αアルファ星【スピカ】


夏は蠍座…λラムダ星【シャウラ】


秋はくじら座…α星【ミラ】


冬はほ座…δデルタ星【クー・シー】そしてオリオン座…βベータ星【リゲル】λ星【メイサ】




気付いてしまった。レグルスは濡れたままの拳を握った。自分の顔を見る度…だけじゃない。乾いた笑みなんかと共にこぼした。



「参ったな」



…一年中じゃねぇか。




きっとそうなんだと思った。夜空を見上げる度に、きっと、そうなんだと。そうでなければならない、と。




素早く服を着込み、髪もろくに乾かさないまま、脱衣所を後にした。廊下を少し進んだところでレグルスははた、と足を止めた。


そびえる長身と厚い胸板、鋭い眼光が、思いのほか近くにあった。


「レイ…」


その名を呼ぶと、彼の目が見開かれ、唇がかすかに震えるのが見えた。レグルス、そう返ってくるまでに少し間があった。きっと、ついさっき自分と重なって思えた姿と同じものを彼も思い浮かべたのだろう。


悪りぃ、と呟いて、レグルスは半乾きの髪をくしゃっ、と握った。苦し紛れの笑みがこぼれた。


「来てたとは知らなくて…その…」


視線を落とすと鮮やかなものが目に飛び込んだ。何故ここに居るのかなど聞く必要はないと思った。レグルスは言った。


「今、支度してくるから」


ああ、と低い返事が返る。


「気を遣うな、レグルス」



案じるようなレイの顔を一瞥したレグルスは足早にその場を去った。


髪を掻き回し、彼の中にも焼き付いているはずのイメージを崩すくらいしかできないことを、悔しく思った。





「アイツは騒がしいのが嫌いだから、落ち着いた頃に来ることにしたんだ」


庭園へ続く道のりの途中で、レイが言った。レグルスは彼の方をちら、と見上げた。



穏やかな横顔。この顔を取り戻すまでどれ程の苦悩があったのだろうか。時間が必要だったのはむしろ…耐え切れずにうつむいた。ぽつりと言った。



ーーごめん。



レイのものであろう、視線を感じた。


「シャウラを助けられなくて」



レグルス、と名を呼ばれた。やっと顔を上げると見下ろすレイの姿が目に映った。彼はゆっくり、かぶりを振っていた。


「お前のせいじゃない」


言われてやっと予想通りの返答だと気付いた。何処かで許しを求めていたのではないか。レイならきっとそう返すとわかっていて…そう自覚すると、たまらなく嫌気が差して唇をきつく結んだ。



やがて視界に広がるいくつもの石の群れの中に二つの姿を捉えた。声をかけるよりも先に振り返った二人が目を丸くした。


先に名を呼ばれたのはレグルスの方だった。レグルスはしゃがみ込んだ姿勢のままのセレスを見下ろす。心配そうな顔…こんな目で見つめられる自分は今、どんな顔をしているのだろう、なんて考えた。


ぼんやりしている横でレイがセレスとマラカイトに頭を下げている。ありがとう、という言葉が聞こえた。向かい合うセレスは悔しそうな涙目だ。ただちいさく首を横に振るだけ。それしかできない、言葉になどならないのだろう、と自然にわかった。きっと同じ気持ちだから。



アイツは?



レイの声がしてようやく我に返った。レグルスは身をひるがえしてその場所へと向かった。隣の彼が抱えるものの香りが鼻先をくすぐった。




「ミラはどうなんだ?」



二つ並んだ墓石を見下ろしながらレイが尋ねた。



まだ何とも…



レグルスは小さな声で答える。そうか、と返した、レイが続けて言った。


「お前からあの話を聞いたときは驚いたよ。俺、そんなことも知らずにアイツにミラを任せたから、まさかこんなこと、って…」



いつも同じ夢を見る。夢の中で女性が呼んでいる。


その話ばかりをするアイツに何とかして気付かせてやりたかった、と語る彼の長身がすっ、と沈んだ。抱えたままのものを見下ろしながら、彼は言う。



「知ってるか?レグルス。この花」


いや…レグルスが答えるとフッ、と笑みのこぼれる音がした。


「まぁお前はそんな柄じゃないよな」


図星なことを言う彼が花を置いた。それから教えてくれた。


「…アネモネだ。フィジカルではよくあるけれどこっちではすごく珍しいやつで、研究所内で大事に栽培してきた。花にもちゃんと言葉があるんだ。紫のアネモネ、こいつのは…」




“あなたを信じて待つ”



その響きは煌きを含んでいるように感じた。ごく、と喉を鳴らしたレグルスは未だ立ちすくんだまま。



「ミラは強いな。生まれ変わったばかりの小さな身体に記憶を呼び起こして、必死にアイツと繋がろうとしてた」



シャウラ。



墓を見下ろすレイの背中から聞こえた。レグルスも同じ方へ視線を落とした。



「馬鹿だな、お前。ミラはきっといい女になるぞ。諦め切れる訳、ないよな?」


いくつかの花で飾られた無機質な石が、彼の置いた紫で更にはっきりと美しく彩られている。レイの声は続いている。



「約束、絶対守れよな。お前は執念深い男だ。それくらいやってのけるだろ?」



その言葉にレグルスはわずかに頬を緩めた。執念深い、か。よくわかっているな。そう思うと何だか可笑しい気分になった。




しばらくして立ち上がったレイが隣の墓に目を止めた。


「その花は…レグルスが?」


「すげぇな、レイ。花見ただけでわかんの?」


驚いて返すとレイが呆れたような苦笑をこぼす。彼は言う。



「当たり前だろ、俺は花言葉だって知ってるロマンチストだぜ?大体そいつは研究所から王室に分けた花だ。簡単に手に入るものじゃないよ」



参ったな、とレグルスは笑った。シャウラに供えたものと同じ、白と黄色の花に包まれた石を見下ろしながら。



「こいつのことは許せねぇけどさ…」




ーーリゲル・グラディウス・ガルシアーー



一族の名を捨てて、悪魔を名乗った男。いや、正確には堕天使。明けの明星を意味する名だ。


世界に新しい光を降らせんとする…それはきっと彼の求め続けた正義なのだろう。だけどその形ときたら理解に苦しむものだった。


父を奪い、シャウラを縛り、多くの命を犠牲にした所業は、死んでなおとても許せるものではない。こちらが信じる正義からしたら“悪”以外の何ものでもないのだ。



それでも…



レグルスは続けた。



「シャウラが再生させるって、そうしたいって言ってんだ。まだ終わった訳じゃねぇよ」



終わった魂じゃない、そう締め括って天を仰いだ。頼んだぞ、と想いを彼方に送っている差中。



「生まれ変わるんだもんな、俺らは。またいつか、会える」



そう言うレイも同じように空を見上げる。彼もまた締め括ったつもりなのだろう。



そのまま二人、しばらく黙って、馬鹿みたいに空ばかり見ていた。馬鹿みたいに綺麗に締め括った言葉。これ以上言いたくはなかった。今はこれくらいしか自分を保つすべがないように思えて。




ふと、空気が変わった気がした。レイと揃って振り返った。息が、止まった。



真っ直ぐと確かな足取りでこちらへ向かってくる、三つの姿。中央にいるのがスピカ。そして、彼女を挟んでいる男女。




おのずと身が引き締まった。16年前の若い姿のままの、王と王妃だった。



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