16.革命〜Revolution〜
寝静まった町が目を覚ましたのは、フラフラと千鳥足で家路を辿る中年の男が枯れた声をこだまさせたときだった。
「おぉい!!大変だぁ!みんな起きろぉ!!」
一つ、また一つと灯りが灯り、それを追うようにいくつかの窓が開いていく。顔を出した住人たちは始め、紅潮した顔でうろつき回る男に訝しげな視線を落としていた。しかし、それはほんのわずかな間のこと。震える男の人差し指の示す方へ視線を向けるなり、誰もがじわじわと表情を変えていったのだ。
「な、何だ…あれは…」
異様な光景に彼らはやっとざわつき始める。地を這いながら向かい来る闇の群れ。その上空では烏のようなシルエットがおびただしい横の列を成している。
王宮に一番近い町。不穏に蠢くそれは、ここに住まう彼らにとって初めて見るようでそうではない。やがて上がった声が蘇る記憶を示すように。
ルシフェルだ…
静寂の夜の中、一人が漏らしたのを皮切りに、わぁっ!とどよめきが生まれる。
「ルナティック・ヘブンだ…!」
「悪魔が攻めてきたぞーッ!!」
いくつもの真っ青な顔が家屋の中へ引っ込んだ後、武器を手にした数人の若者たちが外へ飛び出した。火のついたような子どもの泣き声に、女性のものらしき金切り声。やがて王宮の方面から上がった高い唸り声と点滅する赤い光に振り返った人々は、いよいよ確信を覚えたのか一斉に表情を強張らせていく。
そうしている間にも確実に順調に迫り来る不気味な群れは、いつしかその全体像を人々へ知らしめた。町の中央通りで止まった車体の中から黒ずくめの人影が次々と降りてくる。年齢層は全体的に若く、その中にはちらほらと曲線を帯びた体型の者、それから平均よりも歳を重ねたと思われる者がほんの数人混じっている。
続いて上空から舞い降りた翼を持つ者が10人程、降り立って群れの中に加わった。角の生えた影、翼を持つ影、獣の耳を持つ影…ほとんどが魔族であるのは一目瞭然だった。
「俺らの町に…何の用だッ!!」
黒ずくめの群れの中で際立つ、白髪の年長者の男に向かって町人の一人が叫んだ。声の方へ顔を向けた男のあまりに穏やかな表情に人々は言葉を失った。
「あなた方が大人しくして下されば我々は何も致しませんよ。これから大事な任務があるのでね、事が済むまでここでお待ち頂きたいのです」
すらりと細長く紳士的な佇まいの魔族の彼は、怯える民の顔を順に見渡しながらにっこりと微笑む。それからまた言う。
「首を突っ込もうなどと考えないで下さいね?」
罵声の一つも上げることなく黙々と一定間隔の場所へ配置されていく黒ずくめの集団の動きはぬるぬると不気味なものだった。武器を持たない町人は身動きもとれない。そんな中、数人の若者は武器を構えながら、じりじりと中央に並んだ車とその前に立つ年長者の男に迫ろうとしていた。
「…っやろぉぉぉおおッッ!!」
ついに一人の青年が槍を振り上げながら中央へと駆け出した。刀やら鎌やらを持った他の数人も続こうとしたときだった。
鳴ったのは金属音でも何でもなく、ドス、という鈍い音。
「……っ…」
先頭の青年が膝から崩れたところで続いていた数人が踏みとどまる。カラン、乾いた音を立てて槍が転がった数秒後、倒れ伏した彼の腹部からそれは溢れた。面した地面へ広がる黒い染み、錆びた鉄に生臭さが混じったような、匂い。
「きゃああぁぁぁッッ!!」
甲高い女性の悲鳴が宙を切り裂く中、武器を持った若者の一人が、何てことを…漏らして歯を食いしばる。白髪の紳士は自らが貫いた眼下の亡骸に向かって低く言い放つ。
「忠告は、しましたよ?」
立ちすくむ町人たちの顔を蝕んでいく陰、現実感。
「…だから嫌だったんだ。魔族を野放しにするなんて…っ」
「何っ!?」
気弱そうな人間の青年が絞り出すように言うと、角の生えた別の青年がづかづかとそちらに歩み寄る。
「魔族がみんな悪者だってのかよ!あぁ!?」
がたいのいい青年に上から見下ろされた彼は身を縮ませながらもやがて震える指先を中央へと突き付けて言った。
「だって…奴らを見ろよ!ほとんど魔族じゃないか!ルナティック・ヘブンだけじゃない、王宮にだって魔族がいるんだぞ。そうだ、これはきっと陰謀だ。魔族がアストラルを支配する為の…!」
ざわつき始めた町人たちを見渡しながら、何処か自信を得たような人間の彼はやがて卑屈な笑みまで浮かべた。演説でもするかの如く、彼は声を大にして続けた。
「親衛隊のトップが魔族だなんておかしいと思わないか!?あの蝙蝠魔族…レグルスはスピカ王女まで取り込んで、この世を魔界にする気なんだ!奴が裏で手を引いているに違いない!そうだよ、全てはガルシア一族のせいだ。あの呪われた一族が…」
……っ!
伸びてきた大きな手に胸ぐらを締め上げられた彼はそれ以上を口にすることはできなかった。それでも空気に現れている。徐々に徐々に広がっていく町人たちの動揺と不信感。怒りに肩を上下させる魔族の彼もきっと気付いている。
てめぇ!
焦燥すらしているような彼は息苦しそうな目の前の顔へ至近距離から叫んだ。掴んだ細い身体をガクガクと揺さぶった。
「レグルスさんのこと本気でそんな風に思ってんのかよ!?王宮の側に済む俺らを守ってくれたのは誰だ?町に巡回に来たときには病人や年寄りの介護まで…あれは親衛隊の仕事じゃねぇ!それなのにてめぇは…!」
「やめなさいよ、こんなときに仲間割れなんて!」
気の強そうな若い女性が二人の青年の間に入って制止する。手を離された人間の方の彼が地べたに崩れて激しく涙目でむせ返った。
…はぁ。
小さな、ため息。車内で起こったそれは当然、町人たちへは届かない。
突如開いた車のドア。黒ずくめの中の何処かから、おい、と制止するかのような声がしたが、彼は構わず細長い脚で外へと降り立った。
……!!
全体を現した、彼の立ち姿に町人たちが一斉に鎮まった。同じ黒ずくめでありながら明らかに大多数とは異なる色鮮やかさ。草原のようになびくビリジアングリーンの短髪とシトリンのように透明感のある黄の瞳に誰もが目を奪われて。
「お前は…妖精…?」
誰かが言うと、彼はさもつまらなそうな舌打ちを一つ鳴らした。それから誰に向かってでもない、ただ目前の点滅だけを見据えて言い放つ。
「俺たちは魔族でも妖精でも人間でもない」
革命軍ルナティック・ヘブンだ。
若々しくも何処か年相応でない彼の硬派な表情に町人はおろか、黒ずくめの仲間までもが口をつぐんだ。変わらず前を見据える彼は、そんな周囲になど気にも止めないと言った様子で一人、続ける。
これからは新しい時代。魔族、妖精族、ましてや一族などという狭い括りではなく強者が統べる世となる。
桜庭伊津美…いや、セレスタイト。
忌まわしき罪人の元からお前を解き放つ。取り戻す、この俺が。
美しく鮮やかな妖精は、ぶれず、真っ直ぐ見続けていた。耳障りな高音を放つ先の場所、王宮のある方を、睨んだ。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
「ガルシア親衛隊長!東から町が制圧されているとの報告がっ…!」
長い廊下の先、横をすり抜けたクー・シーを一瞥しながらも、隊員の彼は向かい来る姿の方へと叫びを上げる。そしてやがて両者は間近へ。
「悪い!10分…いや、5分だけくれ!俺もすぐに向かう!」
立ち止まらずクー・シーと同じように横をすり抜けたレグルスは振り向きざまに言い残した。きっと困惑しているであろう部下を置き去りにすることに胸を痛めながらも全速力で先を急いだ。お前たちなら信頼しているぞ、後ろ姿で伝えたつもりだった。
「待てよ、クー・シー!」
廊下の突き当たりが見えたところでようやく泳ぐ尻尾を捕らえた。こっちを向かせようと肩を掴むと反対へと身をよじる。小さいながらも凄まじい力で振り解こうとするクー・シーに苦戦を強いられたが、ちょうど掴みやすい形状の二本の角を握り締めることでやがてその動きを封じることができた。
白目まで真っ赤にしてうつむくクー・シー。捕まえたはいいものの、向かい合うレグルスはかける言葉に迷ってしまう。
「…僕は、何を信じたらいいの?」
消え入りそうに細い声が届いた。おのずと息が詰まった。角を握られたままの小さな竜の少年の肩が震えてポタポタと床へ雫が落ちるのが見えた。
「仲間だと思ってたのに…メイサも、ミラちゃんも、セレスも…みんな、裏切ってたなんて…」
「クー・シー…」
動きを押さえつける為のこの手ももう不要に思えた。レグルスはゆっくりと角を解いた。見下ろしていた。
みんなそれぞれに訳があった。ただ何処かで歯車が狂って、上手く噛み合わなくなってしまった。もうわかってる。
しかし一体如何にして幼い彼に伝えればいいのだろう。自分だってまだ到底受け入れられそうにないこんな残酷な現実を、どうやって?
唇を固く結びながら、回らない頭をしきりに動かそうとしていたとき、突如、形を変えた視線に気付いた。出処は紛れもなく眼下にある、泣き腫らした二つの目。
「アンタもだよッ!レグルスさん…!」
まるで初めて会ったときのような感覚を覚えた。あのとき、竜魔族の谷の跡地で感じ取った殺気と絶望に似た波長を前に、レグルスは胸の奥の鈍い脈打ちに耐えるくらいしかできない。鋭く見上げるクー・シーは全身からの波長を更に滾らせてなおも食らいつく。
「弱いとか逃げたとか…何だよ、それ。アンタ強いんじゃなかったのかよ!?仲間の仇をとる為に、僕を強くしてくれるんじゃなかったのかよ!?」
ひっく、としゃくり上げている。舌足らずだけど苛立ちの溢れる口調で彼はまた叫んだ。
「僕をだましてたのかよ!?僕はまた一人ぼっちにされるんだ…また……!」
目の前に居ても、開いていく距離を感じる。レグルスは追いかけるように踏み出した。もう二度と壊させない、離さない、そんな思いに駆られて気が付くと伸ばした手で力強く小さな身体を引き込んでいた。
しばらくはまた抗われた。だけど離さなかった。鋭い爪が腕に食い込んだ。切り裂かれるかも知れない、だけど抱き締めた。
やがて感じた。バラバラだった二つの鼓動が一つに揃っていく音。鎮まっていく、殺気の波長。
俺は…
口を開いた。取り繕うものなんて見つからない。必要も感じない。思うがままに伝えた。
「認めるよ、自分が不甲斐ない男だって。呆れたっていい。いつか離れていこうがお前の自由だ。だけど、これだけは聞いてほしいんだ、クー・シー」
腕の中にすっぽりと納まってしまう小さくでも確かな重さのあるぬくもりは、未だ奥深くに残り続ける遠い日の自分と重なった。
ーーあのなぁ、レグルスーー
忘れることなど決してできない程、深く焼き付いたあの言葉が自然と口を突いて出た。
「…腕っぷしだけが強さじゃないんだ」
それを教えてくれた人はもう、いない。まるで自分の言葉のようにしてしまっていることが滑稽に思えて、レグルスの顔には薄く哀しい笑みが浮かんだ。腕の中のクー・シーが胸元に顔をうずめた。こちらの痛みを感じているかのように、ぎゅっと服を握って。
「俺が今許せないのは、ただただ自分自身なんだ」
声が震え始めるのがわかった。それでも続けた。
「俺は、つまらないプライドの為にシャウラを犠牲にした。スピカともついこの間までちゃんと向き合えずにいた。ミラの心の叫びだって聞こえていたのに、目をそむけた。俺がこんなプライドなんてさっさと捨てていたら…もっと芯から強かったら、今日という日がまるで違うものになっていたかも知れない。みんなを守れていたかも知れないと、思うと……っ…」
ついに語尾が高く裏返ってしまった。もぞ、と動くクー・シーの頭。覗く潤んだ双眼が驚いたようにこちらを見ていて。
きっと今まで見せたこともない程情けない顔になっているのが自分でも容易にわかったが、今やそれは気にするところではないと思った。この思いを伝えられるならと。
「クー・シー、お前は人一倍強くなろうとよく頑張っていたな。自ら必死になって修行して、お前は本当に強くなった。俺が頼りにするくらいだ。だから次は真の強さに近付く為に、身につけてほしい」
信じる力を。
「信じる…力…?」
見上げるクー・シーの顔は初めての言葉を覚えた赤子のようだった。レグルスは頷いた。優しく、言った。
「過去はもう終わったことだ。信じることも疑うこともできない。だから未来を信じるんだ。メイサやミラが裏切るはずがない…じゃなくて、そうだったとしても必ず乗り越えられる、変えられるって、そう信じるんだよ」
そっと頭を撫でてやると、潤んだクー・シーの目から更に大粒の涙がとめどなく溢れ出す。レグルスの視界も次第に霞んでいった。
「ねぇ、レグルスさん…」
か細く呼ぶ声がした。
「ミラちゃん、大丈夫だよね?スピカ様も、殺されたりしないよね?メイサも…戻ってきてくれるよね?」
ボロボロとこぼして泣きじゃくる彼にレグルスはああ、と返して笑った。自分も少し鼻をすすってから言った。
「当たり前だろ。お前が助けに行くんだからな」
腕に力を込めて抱きすくめると、わぁっ!と激しい泣き声が上がった。濡れていく胸元、むず痒いその感覚さえ手離したくはなくて、何度も何度も背中をさすっていた。
「ガルシア親衛隊長!」
背後からの声と迫る足音を細い耳で捉えた
「奴らが門の前まで…すぐにご指示を…!!」
すがるような隊員の声にレグルスは眼光鋭く振り返る。いくらか整った息、低く唸るような声色で。
「…当然、迎え撃つまでだ」
数秒前までとは180度も違う顔。向かい合う部下の表情が一瞬で凍り付く程だった。
野生の闘争本能に燃え滾る、獅子のように。




