14.氷点下〜Below freezing〜
「セレス…っ!?」
突然ものも言わず飛び出した。迷わずある一室に入って行ったセレスに遅れ気味なレグルスとクー・シーが続いた。
事件が起きてしまった。けたたましい警報音は未だ鳴り続けている。
やがて目を止めた場所へセレスはすがりつくように飛び寄る。多数の書類が積み重なった机の上をあれでもないこれでもないと漁っていく。為す術もなくその姿を見ていたクー・シーがぱっと目を見開いた。何か気付いたように。
「そうか…!メイサだったらせきゅりてぃを直す方法を知ってるかもっ!」
期待に晴れていく彼の表情を一瞥すらしないまま、セレスは取り憑かれたように書類の山を掻き分けていく。はらりと落ちた栞を何気なく拾うとそこに硬い芯のようなものを感じて動きを止めた。
ゆっくり、紐を引いてみた。引きずられ姿を見せた一本の銀の鍵に、レグルスとクー・シーも目を見張った。
差し込むべき場所を見つけ出すのにさほど時間はかからなかった。唯一鍵穴のついた一番下の深い引き出しに見つけたばかりの銀の鍵をねじ込んだ。続く警報音にあらゆる音が掻き消されるも指先に伝わる感覚で解錠の瞬間は知ることができた。
「これは…」
開け放たれた引き出しに向かって顔を寄せる三人。一同の視線の先には重厚な鉄製の箱とそれを守るダイヤル錠。何か大切なものが納めされているのは一目瞭然だが、もはや迷っている余裕などない。この事態に関係するものが眠っている可能性があるならなおのことだ。
「レグルス!メイサの誕生日は?」
「あ!?何だって!?」
「誕・生・日ッッ!!」
不快な大音量と鬱陶しい赤の点滅の中、セレスとレグルスの怒鳴り合うようなやり取りが始まる。
「12月1日だ!!」
1、2、0、1
レグルスから告げられた通りにセレスの細い指が数列を作り出す。皆の意識が揃ってそこへ集中する。
回してみる。ガツ、と虚しく引っかかる。
「駄目…開かないわ」
ため息と共にこぼす一方でそれはそうか、とも思った。誕生日なんて近頃ではフィジカルの口座暗証番号に使用することも避けろと言われているくらいだ。いくらメイサがガサツとは言え、そんなわかりやすい設定に落ち着くとは考えにくい。
そうなると次は…
セレスはまた叫ぶ。
「メイサ彼氏とかいないの!?記念日とかは!?」
「はぁ!?そんなの知るかよ!見たところ男がいるようには思えねぇけど!?」
駄目か…ため息を吐き出すセレスの眉間にはついに深い皺が現れた。感じていた。私だけではない、今ここにいる皆が苛立ちを募らせていると。ピリピリ伝わる感覚を全身に覚えながらもセレスはしきりに思考を巡させていく。
何か、ないの?
何か……
祈るような思いを繰り返していたとき、ふと一つの存在を思い出した。そう、いつだって脳天気に見えた彼女にとって、きっと唯一でかけがえのない存在…
「弟は?メイサの弟の誕生日、知らない!?」
「だから!そんなもん…」
声を荒げて反論しかけたレグルスの顔からふっと強張りが消えた。しばし何か引っ張り出すように視線を傾けていた彼がやがて言った。
「2月…そう、2月だと言っていた、前に…!だけど日にちまでは…」
「2月…」
彼が全て言い終える前にセレスの指先が素早く動き出す。
0、2、0、1
0、2、0、2
0、2、0、3……
「それ全部やるの!?」
声を上げたクー・シーがすぐ傍でオロオロと慌てふためく。それでもセレスはただ手元の一点を凝視するだけ。
「これでも確率の高い方から当たっているわ!今はこれくらいしか手がかりが…」
気が付くと汗だくになっていてもどかしさに唇が歪む。絶え間なく動き続ける指先が湿って滑り思い通りにならなくなっていた途中、思い出した。はっ、と息を飲んだ。
命日…
また、声を張った。
「弟の命日は!?まだ最近よね?」
「……!」
持ち出した可能性にレグルスもピンときたように眉を引き上げた。彼が答えた。
「…アルテミア魔族の島でテロが発生したのが…28日。メイサの弟もきっとそのときに…」
今、残されている確率の高い可能性。彼を見上げて頷いた。同じ動きが返るのを見届けるとまた錠に向かった。
重々しい手つきで、ダイヤルを回す。
0、2、2、8
カチャ、とおそらく鳴った。
確かな手応えにはぁっ、と息が漏れる。開いた!!箱の隙間を覗き込んだクー・シーが声を上げた。すっかり安堵したような彼の声が続いた。
「良かった!これできっと…」
そしてトーンダウンした。きっとこちらの異変に、気付いて。
「セレス…?」
クー・シーの声が近付いた。覗き込んでいるのがわかった。
だけどどうしようもない。見ることができない。
こんなのって……
「ーーーーーーーーっっ!!」
何処かの時点でたがが外れた。たまらず顔を伏せてうずくまった。言葉にならない悲鳴に空気が振動し始めたとき、警報音が止んで叫びだけが虚しく、残った。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
ーー時間はまた戻る。警報の赤が夜空を照らす前へ。
木々が見下ろす鬱蒼とした深夜の森は彼にとっては慣れたものだった。一年前のあの日から何度となくこの道を歩んだ、彼にとっては。
日付をまたいだ深夜1時。森を抜けたシャウラを迎えたのは灯りの消えた温室。ミラが起きているのは遅くても11時まで。当然人の気配はない。
まさに今、王女の誘拐計画が進んでいるなど想像もつかないくらい静まり返ったそこへ彼は恐る恐るな足取りで近付った。そして恐る恐るドアノブを捻った。彼の顔色は変わった。
ミラがいない以上、開くはずのないドアがキィ…と鳴きながら口を開けていく、不穏なその様子に見入る彼は入ることさえためらっているようだった。
それでもやがて足を踏み入れた。電気はついていないものの満ちた月の明かりである程度は見える室内をシャウラは進んでいく。窓から床に落ちる青みを帯びた光と、ピチャ、ピチャ、という規則的な水の打つ音。高くそびえ立つ植物たちは、まるで思わぬ時間にやってきた彼を見張っているよう。
彼の表情は強張ったまま。迷子にでもなったみたいに足取りが心細げに弱まっていた、そのとき。
…カラカラカラカラ…
遠くから響く音に顔を上げたシャウラ。彼は吸い寄せられるように音の鳴る方へ足を運ぶ。屋内の廊下へと続くドアの前へ辿り着いたとき、ふっ、と消えた音。しばしの静寂。
固唾を飲んで佇む彼の前で、突如カチャン、という音と共にドアノブのツマミが半回転した。ゆっくり広がっていく隙間からまず最初に見えたのは人一人丸まって入れるくらいの白い箱。
照らす月明かりが更に明らかにする。一瞬箱のように見えたその実態はシーツの被さったものを乗せた台車だった。それから更に浮かび上がってくる。台車のハンドルを握る人物と、その色が。
印象的なのは白。それは今ばかりではない、常日頃からだったはずだ。身に纏ったワンピースの形状と覚めるようなその色こそが、普段の彼女の職務を示していたのだから。
シャウラの動きは完全に止まっていた。目の前の姿に凍り付き、声一つ発せられない。そんな彼に台車越しの彼女は言う。
「ーーお久しぶりです、シャウラ様」
よく通る綺麗な旋律の声。漆黒のまとめ髪の上にも映える、白。
「君…だったのか…」
今目の前にある光景が信じられない、そんな様子のシャウラがこぼした。そしてゆっくりと視線を落とす。自らの手首で鈍い輝きを放っている冷たい金属に。
「人は根拠のない説得にこそ弱いものです」
あまりにも整った微笑のその人は言った。優雅にこうべを垂れることで敬意を示し、立ちすくむ彼に向かってまた微笑む。
「改めまして、未来と申します。コードネームは氷の女優。今宵、貴方様の右腕となるべくここまで演じ切って参りました」
未だ言葉を紡げないシャウラがまた視線を移す。彼女の手にしている台車、その上で包まれているものに。きっともう気付いている、だけど口にできない、青ざめていくばかりの彼を前にしても彼女はまさに氷の異名に相応しく動じることはない。
「急ぎましょう。貴方様がここへ来たということは、王宮のセキュリティは間もなく崩壊します」
「え…?」
聞き返すシャウラに彼女は答えた。それは彼の血の気を更に奪うものだった。
「そのブレスレットが特殊なのは履歴が残らないというだけではありません。センサーから侵入する為のウイルスが仕込んであります。この一年間はセキュリティの母体にウイルスの侵入を食い止めるソフトを搭載していましたが、今夜それを解除致しました。貴方様のブレスレットは今、本来の役割を果たしたのです」
「本来の…?それじゃあ…」
シャウラの白い唇が戦慄いた。
「その為に、ミラを利用…して…?」
やがて全身にまで広がった震えをどうすることもできない、彼もまたウイルスに侵されているかのよう。シャウラ様…動じない氷の彼女が語りかける。
「ルシフェル様との約束のことなら存じておりますよ。安全でなくなった場所に妹様を残したりは致しません」
「……!」
顔を上げた彼に彼女は台車のハンドルをそっと押しやる。それからひらりと踵を返す。
「シャウラ様はこのままお車へ。私は妹様を迎えに行って参ります」
「…っ、ちょっと…!」
立ち去ろうとする白い背中へシャウラが呼びかけると、彼女は一度振り返った。彼はまた言葉を失った。
白の似合う完成された美しい微笑。一切の感情を手放したような闇を思わせる、漆黒。
何もかもが恐ろしいくらいに整っている女性。
女優。
ドアは閉ざされた。走る軽やかな足音が遠くなっていく。物言わぬ植物たちの間に取り残された物言わぬ彼と、もう一人。青白い月も見下ろすばかり。
誰も語らない、語ってなどくれない、沈黙があった。静けさだけが、あった。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
その夜はいつもにも増して静かだった。まん丸に満ちた月の下、王宮の誰もが床についていた。いや、床じゃない者もいた。潜入させたスパイ失踪の日から深夜警備に当たっていた従事者までもが門の前で船を漕いでいたのだ。
そして彼女もまた…
…ラ、ミラ…!
軽く揺すられる感覚と聞き慣れた声で彼女はうっすらと目を開けた。月明かりにぼんやりと青白く浮かぶ姿を仰向けの姿勢から捉えて、やがて驚きを露わにしていく。
「ミラ、起きろ!急いでここから出るぞ!」
「メイサ…?」
目覚めたばかりのミラの声はまだはっきりとしない。何があったのかという問いが出るより先に、焦燥した顔のメイサが彼女を強制的に抱き起こした。当然彼女は戸惑う。しかしメイサは待とうとはせず強い口調で言い放つ。
「セキュリティシステムが破壊された。ここは危険なんだ!すでに奴らが潜んでいる可能性がある…!」
「えっ…」
行くぞ、という声かけと同時に彼女はミラの細い腕を引いた。そのまま共に部屋を出た。
手を繋ぎ、二人だけで走る廊下。何処に敵がいるかわからないから外に出るまで声を出すな、というメイサの言いつけをミラは律儀に守っていた。だけどその水色の瞳は落ち着きなく泳ぎ続けていた。
それもそのはずだ。こんな緊急事態だというのに廊下は間接照明のみ。警報音も鳴っていないし、それどころかいつもの深夜より静かでさえあるのだ。
ミラはちら、と上を見る。見下ろすメイサは至って真剣な表情で早く、と促しているかのよう。誰が見たって悪い冗談、とは程遠い。
階段を下り切り、温室を通り抜け、やっと森に出たとき、ミラは一度振り返った。何の変哲もなくそこにある、確かに通り抜けたバリアの膜を見ていた。
…メイサ。
暗い森の中を進みながらミラは前の彼女へ遠慮がちに声をかける。
「みんなは…どうしたの?」
「私らの棟はみんな先に避難してるよ。ミラ、なかなか起きないからさぁ…。男共の方はレグルスに任せといたからそのうち来るよ」
後ろ手に引っ張るメイサは振り返りもせずに答える。ミラは気まずそうにうつむいて、ごめんなさい、と小さく言う。そこからの会話はしばらくなかった。やがて開いた木々の間から街灯のわずかな光が射し込むまで。
いつかシャウラとの再会の為に目指したバス停のある町、あの高いレンガ造りの壁が見え始めていた。緩まっていく歩調、切れ切れな息を整えながらミラはようやくちゃんと口にする。
「メイサ…制服のままね。どうしてこんな遅くまで…?」
全ては言えずに視線を止めた。建物の陰に停められた黒の車…覚えのある形状だった為か黙って見入るミラにメイサが背中越しに答えた。
「…仕事、だよ」
迷わず後部座席のドアを開けた彼女は視線で中へと促す。ミラはまた見入る。冷たい真顔のメイサの向こう、暗い座席に座っている、誰か…
切迫した表情で固まったところを突如強引に背中を押しやられた。車の中へと。
バンッ!
「!?」
背後で鳴り響いたドアの音の大きさにびく、と身をすくませるミラ。座席の上で四つん這いのまま恐る恐る顔を上げた彼女は、ぐったりと首を垂れた目の前の姿に息を飲んだ。
「スピカ様…!?」
無我夢中でしがみ付いて呼びかけるも目を開く気配はない。ただならぬ状況にミラの息が乱れ始める。そのとき開いた助手席のドア。
「メイサ!スピカ様は……っ」
乗り込んだ彼女に問いかけようとしたミラの言葉が途切れた。視線は助手席からその隣へ。
運転席からはみ出した銀色の髪と細長い耳。ハンドルに当てがわれた細く繊細な指、と後ろの彼女は順に見ていく。より深く人の記憶に刻まれるという、匂い。かつては身近なものだったシトラス系の芳香剤の香りが彼女の鼻先へ。
…シャウラ……?
間違えるなどあり得ない。よりによって彼女がなんて、身の危険をおかしてまで求めた存在を、なんて。
名を呼ばれた彼は一瞬振り返りかけたものの、すぐにうつむいてしまい彼女を見つめ返すことはなかった。
口を閉ざした前方の二人。目を覚まさないスピカ。勝手に震え出す車体と内部を照らす月明かりに似たブラックライト。
今確信できる事実と共に到底受け入れられないであろう事実がそこにある。ミラは言葉の一つもなくただ暴れる胸を押さえたまま。
どんな進路を辿っているか知ることのできない車内でたった一度、声がした。前方から、あの甘く寂しい旋律で。
ーーごめん……ミラーー




