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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第3章/魂たちの傷痕
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6.結束〜Unity〜



ーーお前たちは【破壊】と【再生】。それぞれの役目を理解し、互いに手を取り助け合って生きていくのだぞーー



低い声が言う、夜。数多あまたの魔族の中でもとりわけ闇を選んで生き繋いできた蝙蝠コウモリ魔族が誓いを交わす時間帯。湿った薄暗さが占める厳かな広間だった。


語るその人へ向かい合う二人はまだ前世の記憶を得ていない少年。揃いの銀髪と闇色の翼、唯一異なる目の色をそれぞれに持つ双子の二人は真摯な姿勢で耳を傾ける。


彼らは知っていた。自分たちの一族が並外れた魔力を受け継いでいること、決して絶やしてはいけないこと…そして、その力の持つ尊さと恐ろしさを。


良いことばかりではない。むしろその力を持つが故にこの先幾重もの困難に見舞われるだろう。驕り高ぶるなどもってのほか。すでに身を持って知っているその人、父はまだ知識ばかりの若い二人に説く。


受け継がれてきた力の意味と、一族としての有り方を。



ーー【破壊】は人々に恐れと試練をもたらす。物事の生まれ変わりが必要と判断したとき、その前の段階として必要となるもの。判断も使い方も決して誤ってはならない。その為に人の心だけは支配できないーー



ーー【再生】は人々に癒しと希望を与える。形あるものが壊れたとき、必要に応じて新たな一歩を創り出す。間違って神などと思うな。その為に自分自身の傷だけは癒すことができないーー



赤と紫、それぞれの瞳を閉じて頷く二人の少年はまるで与えられる言葉を深く胸に刻み付けているかのよう。幼いその身では完全に理解するなど到底できない。きっと、前世の記憶を得るまでは。


それでも若いなりにできるところまで理解しようと努める姿勢。そんな兄弟に父は言った。


重さの中に慈愛を孕んだ優しく深い声色で。



ーー己の力を恥じるな。どちらが優位かなど決めてはならない。二つの力はそれぞれに必要であるとわかってほしい、何があってもーー



ーーそれがガルシア一族の有るべき姿なのだからーー



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


ほら!彼女の明朗な声と共に色鮮やかなものが差し出された。南国風の花の柄の包装紙に包まれた平べったい箱。聞かなくてもわかる。なんだ、こっちの世界でも似たようなものなのか、などと思ってみたり。


「土産だよ、クー・シー」


「お休みありがとう、クー・シー」


ニコニコ顔でやってきたメイサとミラが言う。すっかりリフレッシュできたのだろう。暗さなど微塵も感じさせない何とも晴れやかな顔がそこにある。


お菓子の包みであろうそれを受け取ったクー・シーは戸惑った様子で黙り込んでしまった。自分を置き去りにした二人に文句の一つでも言ってやるつもりが、温かな笑顔を前に呆気なく拍子抜けしてしまった…といったところか。察していながらもセレスは彼のすぐ傍で微笑んで見せる。


「良かったじゃない、クー・シー」


そう言ってやるともじもじとはにかみだす幼い彼がうん、と小さく答える。朱に染まったその顔は確実に緩んでいく。


「お土産ももらったし…まぁ、いっか…!」


機嫌が直った、そう判断できる状態になるまでいくらもかからなかった。あまりの早さにセレスは思わずふふ、とこぼして前方に視線を送った。その先でしてやったりなニンマリ顔のメイサが腰の辺りでVサインを決めている。ミラはうつむきがちでちょっぴり申し訳なさそうだ。女の方がしたたかとはよく言ったもの、自分もまたしかり、とセレスは実感を覚えて苦笑した。


「おう、メイサ、ミラ。楽しめたか?」


「レグルスさん!それに…スピカ様も!」


廊下の奥からこちらへ向かってくる二つの姿に一同は目を見張った。迷うことなくセレスは片側の彼の表情へ目を向けた。それから小さく息を漏らした。ほっ、と冬の空気を暖めるようなため息を。


全身に伝わってくる和やかな雰囲気が無垢な姫と彼を包んでいる。憑き物が取れたみたいなスッキリとした笑顔を互いに交わしながら。


あの後、もしかしたら余計なことをしてしまったのではないかと何度か自分を悔いたことを思い出す。だけど今やそれさえ忘れさせてくれそうな彼の笑顔を見た。



上手くいったのね?



伝わるかどうかもわからない視線だけの語りかけだった彼はすぐに察してくれたようだ。小さく頷いた顔がそれを示しているようでまた安堵の息を漏らす。セレスは次に隣の彼女へと視線を移した。


美しくもあどけなさの残る王女スピカ。顔を合わせるのはこれで三度目。一度目は乙女座の名に劣らない純な乙女の姿。二度目は微笑みの下から隠しきれない陰りが滲んだ、良心の痛みさえ覚えてしまった怯えた仔羊のような姿。そして今、彼女の姿はこれらのものとは明らかに異なっていることに気付く。


時折、一定の方向に向けられる視線。そわそわとした上目遣いは甘い色を帯びているかのよう。純粋なだけではない、あどけなさの中から漂う“女性”の香り…



「ーーレグルス」



呼びかけると彼が、ん、と反応した。仲間たちと談笑を交わしている彼女を気遣ってセレスは声のトーンを抑えて言った。



「…あなた、調子に乗って羽目を外したりしてないでしょうね?」


「なっ…!?」



レグルスが反応すると同時にげほっ!とむせ返る音がした。セレスは慌ててそちらに着目した。


心配そうに見上げるミラとクー・シーの傍、赤い顔で幾度もの咳を続けているスピカ。しまった、と思った。今更反省しても遅いが、どうやら聞こえてしまったようだ、と。


「セ、セレスタイト…わ、私…何も…っ…」


必死に弁解しているのが見て取れるが元々隠し事は得意ではないのだろうということもまた見て取れる。紅潮した顔からは見事なまでに全てがだだ漏れている。自身の両目に“察し”の二文字が浮かんでしまう程に。向かい合うレグルスもいよいよ血の気の少ない顔を健康的に染めていく。


「だからそういう顔すんなっ!悪いかっ!!」


「いえ、別に」


スピカ様が嫌じゃないなら、と喉まで出かかったが寸前で止めた。ここまで止まらない自身の熱に悶えている彼女だ。さすがに可哀想だ、と。


少し冷静になって辺りを見渡した。まずニヤニヤ顔のメイサ、彼女が食い付かないはずもないだろうと納得。続いて渦中のスピカにも劣らない真っ赤な顔であわあわしているミラ、推定精神年齢27歳とは言え純情なのだろうとまた納得。そして最後にキョトンとした顔のクー・シー。またしても彼だけが置いてけぼりだとわかる。最も年相応なのだから無理もないだろうとやはり納得。


「まぁまぁ、良かったじゃん!みんなリフレッシュできたっつー事で!」


メイサが半ば強引に場を収めようと事を上げる。


「えーっ!僕、何もしてないよぉ?」


「私も特に…」


不満そうなクー・シーに便乗して突っ込みを入れてみる。メイサは相変わらず“まぁまぁ”を繰り返している。そのうちに気が付いた。今日の彼女はいつもにも増して雑だ、と。そう、まるで毒気が抜けたみたい、そう思ってセレスは笑った。可笑しさと安堵が込み上げいた。



コホン、とおもむろに咳払いが鳴った。レグルスが口元に握った手を添えている。空気を変えようとしているのがあからさまに伝わる。本当に不器用だ、この男は…などと思ってしまう。



「今日はみんなに話があるんだ」



彼が切り出すと自身を含めた一同がはた、と動きを止めた。


「何だよ、改まって…」


聞き返したメイサは直後、はっと息を飲む仕草をした。きっと反射的なものではない、わざとらしいまでに目を見開き口を手で覆っている。嫌な予感は的中した。


「まさか…!ついにデキ……ってぇ!何だよセレス!!」


頬をつねられたメイサが声を上げた。空気を読みなさい、そんなメッセージを込めた冷ややかな視線を送ってやる。


「んだよ、セレスだってさっき際どい質問してたじゃねぇか。っていうか、ちったぁバカンスの余韻に浸らせろよな…」


納得がいかないとばかりにふてくされるメイサ。そんな彼女にやがてレグルスが目を向けた。いつもなら怒りそうな彼が穏やかな目をしていることにセレスは気が付き口を閉ざした。


「悪いな、メイサ。大事な話をしたいんだ」


付き合ってくれるか?とレグルスは問う。向かい合う漆黒の目が見開かれる。


「レグルス…アンタ…」


何を言いかけたのかメイサの声は霞むように消えていく。あまりにも真摯な視線に触れられた為なのか戸惑いがちな目が下で泳ぐ。そういえば彼女は時々こんな顔をする…などと思いつつもセレスは再び前を見る。


「クー・シー、お前もだぞ」


「えっ!?う、うんっ!」


レグルスの手にポン、と頭を叩かれたクー・シー。一瞬驚きに硬直した顔が輝く笑みへと変わっていく過程を見た。いつも子ども扱いされては度々蚊帳の外へ追いやられている彼のこと、“大事な話”に加えてもらえるのがよほど嬉しかったのだろう。


行くぞ、というレグルスの鶴の一声で皆が同じ方向へ進み出す。セレスも黙って着いていく。きっと大人の仲間入りのような気分を噛み締めているクー・シーはその中でも一際跳ねるような軽さで進んでいた。



時々メイサとミラの土産話なんかを交えながら歩き、辿り着いたのはスピカの部屋だった。つい最近、セレスも居合わせた記憶に新しいテーブルの周りにはすでに人数分の椅子が配置されていた。こうなることは決まっていたようだ。


あの日と同じ香りの紅茶が運ばれた後、レグルスの目の合図に頷いた執事とメイドたちが続々と大人しく退室していった。静寂が占める、残った五人の顔を見渡したレグルスが切り出した。



「今から話すのは今後の計画についてだ。スピカと俺が最も信頼を置くアンタたちに知っていてほしいこと…」



まずは俺たちのすべきことを、明確にしよう。



凛と通る声が響く。誰からともなく、こく、と頷き始めたのを見届けた彼がまた続けて言う。


「まず第一にルナティック・ヘブンの狙いであるスピカを守ること。16年前の事件以来、自宅から通勤していた王室従事者も皆住み込みになって、メイサの開発のおかげで王宮自体のセキュリティも強化された」


でも、と消えかかる声。夕立の前触れの如く彼の表情が険しく曇っていく。迫り来る危機感をきっと誰もが感じていた。最近得たという情報がレグルスの口から語られた。



犯罪組織ルナティック・ヘブンの侵略範囲は着実に広がり、更に勢いを増しているという。各地至るところででテロが発生し、滅亡の危機に追い込まれた種族は数知れず。ここ最近でもすでに数人のスパイが王宮間近まで迫っていたこと。万全に思えるセキュリティもいつまで持つかわからないということ。


それらの事実はこの場に居る限りは見えず、思っていた状況よりはるかに深刻なものだと知った。凄まじい早さで上書きされていく情報の多さにセレスの全身はおのずと強張った。視界の端に映る皆の表情も固い。きっと同じなのだろうと痛々しく伝わってくる。


「奴らの潜伏先の目星はすでについている」


「…っ!マジかよ」


いつになく興奮した様子で身を乗り出すメイサに、レグルスはああ、と答える。彼は言う。


「侵略される前に動き出さなければならない。稀少生物研究所と手を組んで攻め込むつもりだが、奴らに対抗するにはより強い魔力、妖力が必要なんだ」


聞きなれない名称が出てきたな、と思いつつもセレスは彼の放つものをしっかりと受け止めようとしていた。確かに自分に向けられている視線、それの言わんとしていることはわかっていた。そして今なら受け止められる気がした。


もう一週間程前になるだろうか、悲しいくらい遠い日に思えるその頃には考えられなかった覚悟が固まり始めていた。怖くない、とまでは言えなくても。



セレス…



レグルスの声が、呼んだ。正面から真っ直ぐと見据えた。


「アンタの力を必要としている。危険に巻き込むのは承知の上で頼みたい。先に言っておくが…」


彼は目を伏せた。きつく閉じられたその目尻にいくつもの皺が浮かんでいる。ぐっ、としばらく言葉に詰まって、それからためらうようにまた口を開いた。


「この戦いはアストラルとフィジカル、二つの世界の運命がかかっている。…俺は、やり遂げなければならない。アンタに危険が及んだら全力で助ける。だけど…」


「わかっているわ」


彼の言葉が終わる前に自身のもので遮った。驚きわずかに震えている赤の目に向かってセレスは頷いた。


今、それ以上先は言わせたくなかった。伝えたいのは一つだけ。



「ただ信じる…それでいいんでしょ?レグルス」



いつか彼に言われたそれを口にした。しばらく動きを止めていた彼からやがて困ったような笑みが返ってきた。参ったな、そんな呟きが聞こえてきそうな。



「セレスは明日から妖力を高める訓練を受けてほしい。トレーナーも付いてるし、俺も一緒だ」


「ええ」


こちらの同意を見届けたレグルスの表情が変わった。凛と冴えた目の色で皆の顔を順に見て告げていく。


「メイサはセキュリティシステムの再開発を頼む。ミラはそのサポート役だ」


「はい!」


「おう、まかせとけ!」


彼女たちの返事の後、彼の目はまた別の方へ向いた。そわそわしながら自分の番を待っているのであろう、彼に。


「クー・シー」


「う、うんっ!」


いざ指名されるとびくっと跳ね上がる。それでも背筋を伸ばし、澄んだ目で見上げている健気な彼にレグルスは言う。


「お前には親衛隊と共に王宮警護を担ってもらうつもりだ。いざというとき戦えるように訓練内容をレベルアップする。そして…」


レグルスはまた何か詰まらせたように口をつぐむ。その隣のスピカが何か言いたげにまごついている。やがて覚悟を決めたように切り出した、レグルスのその言葉を聞いてわかった。



「ルナティック・ヘブン上層部との戦いのとき、もし俺らの力が足りないと判断した場合…お前の力を貸してほしいんだ、クー・シー。共に戦ってほしい」



一人の戦士として。



思いがけないことだったのか、クー・シーの円らな目が更に大きさを増す。皆の表情にも一瞬にして緊張が走った。無理もない。


まだ子どもである彼を敵の上層部との戦いに赴かせるのがどれ程危険なことか、誰が考えたってわかるだろう。スピカはもしかすると反対したのかも知れないと思った。だからあれ程不安げな顔をして、と。


すぐ側のミラも弟の身を案ずるみたいに眉を寄せて彼を見つめている。一見冷静に見えるメイサの表情にもわずかに緊張の色が伺える。


そんな中でレグルスのものだけは変わらなかった。真摯な面持ちのまま彼は言った。


「お前の成長を間近で見てきた俺が判断したんだ。今やお前は大人と同等に渡り合っていけるだけの力を身に付けたと断言できる。わずか4歳で飛行を覚えた。自信を持っていい。生きる伝説と呼ばれた竜魔族の力をお前は確実に受け継いでいるよ」


純度の高いガーネットみたく輝やくクー・シーの瞳は真っ直ぐ食い入るように彼を見つめている。レグルスはそれを微笑みで受け止める。優しく、そして少し遠慮のようなものが混じる。


「もちろん強制はしない。お前がどんな答えを出そうと、それが今でなくたって失望などしないから安心しろ。お前のしたいように…」


「何言ってるの?レグルスさん」


クー・シーはやっと動いた。目を見張るレグルスの方へに身を乗り出して更に言う。


「決まってるじゃん!僕は強い男になるんだよ?」



レグルスさんみたいに…!



上向きの口角、その間からにっと白い歯を見せつけるクー・シー。しかしそこから放たれた言葉は力強く、8歳の少年のものとは思い難いものだった。驚きに身体を固めていたセレスも真っ直ぐな少年の視線の先を見た。


何か飲み込むみたいに唇を内側へ食い込ませているレグルス。内心では大号泣といったところか、震える声でやっと、ありがとう、と返す。相変わらずの不器用な笑顔。


「やったじゃん、クー・シー。レグルスに頼られるなんてアンタも立派になったもんだねぇ」


メイサに肘で小突かれた幼い彼はほんのり朱に染まった照れ笑いを浮かべている。まだ心配の拭い去れないであろうミラも、うんうん、と一人頷き彼の決意を何とかして受け止めようとしている様子だ。そんな彼女へセレスは大丈夫、と視線で語りかける。


全体を見渡していたスピカはやがてレグルスの方を向いてにっこりと笑った。彼の心情を代弁するかの如く、うっすらと両目を潤わせて。


セレスは笑った。レグルスも同じような顔をしているのに気付いた。何というチームワークの良さ…私がそう感じたのならきっと彼もそうなのだろうと限りなく確信していた。



「…もう一つ、聞いてほしいことがある」


気を取り直した様子のレグルスが言った。全員の視線が再び彼へ集中した。



「救出する必要のある者たち…まず一人は、マラカイト」


……!!



セレスは目を見開いた。その名を誰かの声で聞くのはすごく久しぶりに思えた。理解した直後からドクドクと駆け出した脈打ち。



マラカイト。



昭島優輝。



ミラの相談に乗ったり、メイサの無茶振りに付き合わされたり、甘えるクー・シーを受け止めたり…そうして過ごした間もただの一日だって忘れることはなかった、彼を示す響き。胸の騒ぎは止められそうにない。こればかりはどうしようもない。



「彼の救出は言うまでもない、セレスの願いだ」



レグルスの顔が向いた。動悸に胸を押さえているセレスを鎮めようとばかりに無理な笑顔を作って言う。


「かつてセレスをかばって命を落とした男…例え記憶はなくたって魂は覚えている。こんな形で存在することなど彼の魂は望んでいないはずだ」



レグルス…あなた…



言葉には出せないまま胸を詰まらせた。そんなセレスの横でよし!と突き抜けるような声が上がった。メイサだった。


「要は何としてでも無傷で取り戻そうってことだな!」


彼女らしく実にサックリとまとめてみせる。そんな彼女もやがて何かに気付いたように、ん、と呟いて止まった。レグルスが射るような目で彼女を見ていた。



メイサ…



深い声色の為か突然の指名の為か、漆黒の両目がぴく、と大きくなる。そのとき彼はもう口にしていた。救うべき、次の者を。



「二人目は、アンタの弟だ」



即座にえっ、という響きが上がった。クー・シーのものだった。



ははっ…



しばらく呆然としていたメイサから聞こえた乾いた笑い。弱々しい口の動きで彼女はこぼし出す。



「何、言ってんだよ。アイツはもう…」


「でも証拠はないだろう?」


「そりゃそうだよ。だってアイツは…自爆したんだぜ?」



骨の一つだって、跡形も…っ……



所々、裏返る声。無理矢理すぎる面のような笑顔。空気が重く薄くなっていく。


「な…何だよ、メイサ…自爆って?僕、そんなの聞いてな…」


瞳と唇を戦慄わななかせるクー・シーにミラがそっと触れる。今は待って、そう訴えるように悲しげな顔を横に振る。


しばらく隣の彼女に見入っていたクー・シーが静かに顔を伏せた。音の一つも立てず、かすかに震えている彼の背中をミラが優しい手つきでさすっていく。その様子に気付いているのかいないのか、レグルスとメイサはあくまでもお互いだけを見ながら話を続ける。


「確かな事実確認ができていない以上、真に受けるのは早いと思うんだ、メイサ」


「レグルス…」


彼の名を呟いたのを最後、メイサはうつむき口を閉ざしてしまう。セレスはただ食い入るように見入ってしまう。


今やしおれてしまった花みたいに小さく見える、メイサ。悪戯いたずらな笑みもない。明朗な声も聞こえてこない。彼女のそんな姿を見ること自体が初めてで、どうしたら良いのかわからない…その一言に尽きる。


それでもレグルスは向き合っていた。彼は続けた。


「アンタの持っている尋常じゃないスキルのことくらい、奴らは知っているだろう。医師としての確かな腕、最先端のセキュリティシステムまで開発できるエンジニアの技術…奴らは欲しいと思うだろうな。これは罠かも知れない」


「………」


「俺は…まだ信じるぞ、メイサ」



ちら、と陰の落ちた彼女の目が動きを見せた。相変わらず伏せたままの顔が一回だけ小さく縦に動いた。


「探させてくれ。きっと、見つけ出すから」


「………」


「それまではアンタも諦めるなよ?」



「……うん」



やっと届いた小さな小さな、声。レグルスの腕がテーブルを跨いで彼女へ伸びた。いつかセレスにもしたように彼女の頭をわしわしと掻き乱す。存在の忘れ去られたナースキャップがぽとりと落ちた。


ずっ、とすする音が聞こえる。メイサだけではない、至るところから。それはまるで容赦のない試練に次々と脱落者が出ていくサバイバルのよう。


場の空気は当初のものとはだいぶ変わってしまった。自らも目の奥の痛みに耐えながら、それでも信じたいとセレスは思っていた。ここに居る皆はこの過酷な現実と向き合うだけの強さがある。そうでなければとっくに逃げ出しているはずだ、と。



それから、もう一人…



レグルスの声が次を告げた。



「…シャウラ。俺の従兄弟でミラの兄でもある」


「レグルスさん…っ」



真っ先にミラが顔を上げた。すでに飽和状態となった大量の雫がポタポタッとテーブルを打った。



ミラ…



レグルスは切り出した。自身もすでに限界なのか笑顔を作ることさえできずに。


「辛い思いをさせたな。お前の気持ちを知っていながらも俺は、アイツの名前を出さないようにしていた。それがアイツとの約束だったんだ」


「はい…」


わかっていた、そんな様子でミラは何度も何度も頷く。



「犯罪者の妹になんてできない。ミラの記憶から自分という存在を消し去る為にもう二度とこの名を出すな…そう言って去って行ったんだ、あの馬鹿は」



……っ、……っ!



壊れたように頷き続けているミラはもう一言たりとも発することが叶わないよう。レグルスの両の拳も固く締まっていく。きゅっ、という歯ぎしりと思われる音が彼からした。



「みんなの大切なものを奪っていったルナティック・ヘブン。アイツはルシフェルの息子として組織の上層部にいる。どんな理由があっても犯罪に加担するなんて許されることじゃない。それはわかってる…だけど…」



レグルスが顔を振り上げた。激しい動きに銀の前髪は乱れ、あれ程隠したがっていた傷さえも露わになる。雨粒みたいな細かなものを散らしながら彼は言う。



「俺も助けたいんだ、あの馬鹿を。何色に染まろうとも見放すことなんてできなかった。無理だったんだ…家族だから…!」



自然に震え出した彼の手をスピカの小ぶりな手がそっと包み込む。レグルス…彼の名を囁き寄り添っている。


しばらくそうしていた。セレスは背もたれに身体を預け、天井を仰いだ。束の間の休息をとるようにその場の皆がぼぉっと各々(おのおの)の世界へふけった。




どれくらい経った頃か、白目まで赤くしたレグルスがすまねぇ、と呟いて苦笑した。何とか立て直そうとしているのか、深く息を吐いた彼が言った。


「奴らの恐ろしいところは捨て身だということだ。弱者を死によって救えるものだと信じていて、世界を創り変える為なら自らを犠牲にすることだっていとわない」


普段のものに近い光を双眼に宿した彼は語っていく。


ルナティック・ヘブンの行為は主に破壊。それはこちらからしたら無差別で悪行以外の何ものでもない。しかし彼らにとっては正義そのものであり、そもそも“犯罪組織”という名だって王宮側が一方的に呼び始めたものなのだ、と。



「だからこそ行動を読むのは簡単じゃない。こっちも手を打たなければ…」


そう言った彼が身をかがめた。足元に置いていた大量の書類をテーブルの上へと投げ出す。それからまた言う。


「今後の計画だ。ここから先は喋らずに書面上で進めていく」


各場所に書類を回しながら続く彼の言葉で知った。


蝙蝠コウモリ魔族はテレパシーで通じ合うことができる。外部からの魔力を遮断するセキュリティシステムの効果もあるし、通信する相手を選んだり拒絶したりと自身である程度制御もできるが、魔力の強いルシフェルには聞き取られる恐れもある。感情が高ぶるとそのリスクは更に高まってしまうのだ、と。


「どうってことのない内容なら別に聞かれたっていいんだ。例えばメイサやセレスとの喧嘩、とかな」


冗談交じりなレグルスの口ぶり。何だよ、それ、とメイサがすかさず切り返す。いくらか元気になった様子の彼女の横顔にセレスはほっと息を漏らして乱雑に回された書類を掻き集める。この場に居る者だけの極秘の会議が始まった。


言葉を交わさず計画を共有する。どんな驚く内容を目にしてもできるだけ、冷静に。それが如何に難しいことであるか初めて知った。


ひっきりなしにペンを取り、メモを取り、書類を取っ替え引っ替えしていく。自分のものが何処へ行ったか見失わないようにいつしか書類に名前を記すルールができていた。


時折こちらに流れてくるのは大体【M】と記されたもの。書体から判断してメイサかミラへ返していく。


言葉なく黙々と進めていく、その差中で緊張が身体を強張らせていった。そこは桜庭伊津美の頭脳、一抹も気の抜けないシビアな内容はしっかりと受け止めていた。



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