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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第3章/魂たちの傷痕
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3.偽り〜Make believe〜(後編)



挿絵(By みてみん)



表でさえ人気ひとけの少ない書店の影に、一台の車が停まった。真っ黒な車体にスモークガラス。隠し過ぎてむしろ目立つ外観と言える。


静かに開いたドアから黒服を纏った脚がするりと出て地に着く。どうやって収まっていたのだろうと思うくらい細長い脚だ。


黒脚の持ち主はやがてその全体を現した。佇み迎えるレグルスとメイサの方へ、おずおずとためらいがちな足取りで近付く。


「シャウラ…」


「……」


そっくりな二人の男は向かい合ったまま黙り込む。適当な言葉が見つからないといったところなのか、目もろくに合わせずうつむいて。


一方でメイサは初めて会うシャウラに上から下まで容赦のない視線を浴びせる。そして容赦もなく顔をしかめる。


顔立ちこそレグルスと瓜二つだが、筋肉のないひょろっとした体型。やや猫背がちでその上に自信のなさげな表情を乗っけている。まさに絵に描いたような優男。いや、服装によっては男に見えるかどうかさえ怪しい。


大丈夫か、コイツ。メイサのそんな毒づきが聞こえてきそうなときだった。



「…王宮の親衛隊長ともあろう貴様がまだ手がかりを掴めないと言うのか」


「……っ!」



小さくも低い声色が響くなりメイサは驚愕して辺りを見渡した。そしてまた元へ戻した。


彼女の目の前には悔しそうに拳を握り締めているレグルス。そして冷たい氷のような目で彼を見つめる男。メイサは目を凝らした。本当にこの男が言ったのか、と探るように。


ふっとため息がした。自身の中の熱を放出するかのように息を吐き切ったレグルスが口を開く。



「…それは面目ない。アンタの妹の兄にはなりきれなかった。俺じゃ駄目だった」



本当に、すまない。



彼は深々とこうべを垂れた。レグルス…向かい合うシャウラが目を丸くしてこぼした。彼の知っているレグルスはおそらくこんな素直で潔くはないのだろうと見て取れる。


で、と痺れを切らしたような声が切り出した。


「アンタは心当たりあんの?ミラの行き先」


「え…」


顔を上げたシャウラの視線の先には腕組み、仁王立ちのメイサの姿。当然のようにそこにいる彼女を前に彼は怪訝そうに眉をひそめる。それでも一応、とばかりに答える。


「…もしかしたらって場所なら…」


「そうか!ならそこへ行こうぜ!アンタ案内しろよ」


「……」


ビッ、と立てた親指を彼方へ向けるメイサ。シャウラは困惑した顔をレグルスへ向ける。この偉そうな女は誰だ、とでも言いたげだ。


「専属看護師のメイサだ。ミラと仲良くしてくれている」


「…看護師?」


シャウラの心中を察した、いや、もしかしたらテレパシーで聞き取ったのかも知れないレグルスが返答した。しかし対する彼は納得するどころかますます訝しげに眉間の皺を深く刻んでいく。看護師、その回答とこの状況があまりに合っていない為なのか、更に疑問を深めてしまったようだ。



「何してんだよ、行こうぜ」


そんな二人には構わず、メイサはさも当たり前のように助手席側に回っている。二人の男は同時にあんぐりとした。先に声を上げたのはレグルスだった。


「待てメイサ、アンタが乗るのかよ?」


「は?他に誰がいるってんだ」


「いや、そこは俺が…」


慌てふためくレグルスを見ていたメイサが呆れ顏でため息をつく。もっともと言える答えが続く。


「アンタはマズイだろ、レグルス。有名過ぎる。もし町の人間にコイツと二人でいるところを見られてみろよ。似た顔が二つ…ってことはもう片方はルナティック・ヘブンのシャウラか?何でこの二人が一緒に?って思われんぞ。私だったら顔割れてねぇし、ぱっと見はアンタと一緒に行動しているように見えんだろ?」



だけど…っ



何か言いかけたレグルスの声が、止まった。揺らぐ視線が斜め後ろを向く。表情が強張っている。


その斜め後ろに佇むシャウラがふい、と顏をそむけた。すぐに察したのだろう。


「何を遠慮しているんだ、レグルス。僕が貴様らにとって敵に当たる存在なのは周知の事実だろう」


感情を感じさせない冷たい声色で彼は言い放つ。振り向くレグルスをすり抜けた彼の視線はメイサへと向かった。


「君、運転はできるの?」


「あ?できるけど?」


苛立ちを露わに答えるメイサ。気付いているのかいないのか、シャウラは淡々と続けて言う。


「それなら住所を教えるから君が行ってやってくれないか。僕はもうあの組織の一味だ」



これ以上、関わることは…



「アンタじゃなきゃ意味ねぇんだよ!ふざけんなッ!!」



彼の言葉をメイサの怒鳴り声が遮った。きつく吊り上がった彼女の目つきも合間って、たじろいたシャウラが再びレグルスの方へ顔を向ける。何この人、怖いよ?とでも言いたげだ。


レグルスは同情するかのような眼差しと共に頷く。困惑している彼へテレパシーで何か送っているらしい。



全く…



やがてメイサの呆れたような声がした。


「どうしてアンタらはこう揃いも揃って腑抜けなのかねぇ」


「なっ…!メイサ、アンタなぁ!」


感情的に詰め寄ろうとするレグルスを前にメイサはしれっとした顔で助手席のドアを開いた。彼女はそのまま言った。立ち尽くしているもう一人に向かって。


「モタモタしてねぇで早く乗れよ。見つかるぞ。」


「いや、ちょっと待っ…」


「乗れよ」


「…はい」


言われるがまま運転席に乗り込むシャウラ。その顔は借りてきた猫のように大人しい。ドアを閉める直前、メイサは一言言った。


「レグルスは念の為、反対側のエリアの聞き込みをしといてくれ!」


「おい、メイサ…!」



またしても声を遮って閉じられた二つのドア。その中はもう全く、見えない。



んだよ…



残されたレグルスは一人呟いた。不満の表情の中に潜むもの…きっと過ぎ去った中の二人を案じる思いに陰を落としながら。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



……仲がいいのだな、レグルスと。



商店街を通り過ぎて人影の一つもない鬱蒼とした細道にさしかかったとき、ふとその声は響いた。メイサはそちらを目だけで見る。変わらぬ無表情でハンドルを握る彼の横顔へ返す。


「ああ、それなりにな。安心しろ、やましいことは何もないぞ」


「そんな心配はしていない」


「そうか」


メイサはさもつまらなそうに外側へ顔を傾ける。ノリの悪さが気に入らないようだ。



…何処がいいんだよ、ミラ。


こんな根暗男の一体何処に惚れて…



「何をブツブツ言っている」


へっ?とメイサの上ずった声が上がった。よほど内心で毒づいていたのか声にまで出ていたことに今更気が付いた。いや、何でもねぇよ。苦し紛れに取り繕う。誤魔化すように続けて言う。


「で、アンタ何処に向かってんのさ?」


その問いの後、数秒間の沈黙があった。苛立ち覗き見ようとしたメイサの元に消え入りそうな小さな答えが返った。



…昔、住んでいた家。



へぇ!とメイサが声を上げた。びっくりした様子のシャウラに鼻息を荒くした彼女が近付いた。



「やるじゃん!正解だよ」



……?



怪訝に眉をひそめて隣を一瞥するシャウラ。メイサは構わずにイキイキと続ける。



「ミラは確かにそこに居るよ。ちゃんと打ち合わせしてあるし連絡ももらったから心配な…」


「ちょっ…ちょっと待て!!」



上ずった声が今度は彼から飛び出た。ついさっきまでぼんやりと虚ろだった紫の目が大きく見開かれた。恐る恐るといった様子で彼は言った


「今…何て?」


ハンドルを握る両腕の動きがぎこちない。それこそ油切れした機械みたいに。


「いや、だからさぁ…わかるっしょ?アンタを連れて来る為に今回の計画を…」



すうっ、と車が速度を落として端に寄った。気付いたメイサが口をつぐんだ。


停車した車内に流れた沈黙、それは束の間だった。



バンッ!!



突如顔のすぐ横、窓から鳴った凄まじい音と打ち込まれた腕にメイサは身を引いた。バランスを崩して肘が座席に付く。半分程倒れかけている。


間近に迫ったシャウラの顔。見上げるメイサは姿勢を立て直すことも出来ないまま狼狽する。


「な、何だよ、急に…」


容赦もなく至近距離から見下ろしてくるその顔は、ついさっきまでのそれとは別人のようだった。メイサはそれ以上を言えず息を詰まらせた。尋常じゃなく張り詰めた空気に鼓動を高まらせながら。



君が…仕組んだのか?



冷ややかな声が言う。紫の双眼は今や、獲物を食い殺さんとするような冷酷さを放っている。メイサはごく、と喉を鳴らす。


「…驚いた。そんな顔もできるんだな、アンタ」


頬を紅潮させ、肩で息を切らすメイサは口元だけわずかににやけさせる。恐怖の中に何か別の感情が入り混じった、そんな顔をしている。


対してシャウラは実に淡々としていた。行動と声色が伴わない、それが返って恐ろしいくらい。


「君が仕組んだのか、と聞いている」


そう口にする彼の凍るような瞳が更に強い光を纏う。はは、メイサは乾いた笑みをこぼす。


「女だろうが容赦しないってトコか」


「…当然だ」


限界まで追い詰められた彼女はいよいよ弱ったように笑った。直視は出来ず斜め上を見ながら言う。


「いや、あの、さ、ミラが会いたがってんだよ、アンタに。こうでもしなきゃアンタ、絶対来れないだろ?」


「だからってミラをこんな危険に晒していいと思っているのか?」


必死のご機嫌取りも彼には通用しない。メイサの顔から笑みが消え始めた。それを目前にしたシャウラは額を手で押さえた。己の暴走を鎮めようとするかのように、深く息を吐きながら。


「…たった一人で王宮の外に出したと言うのか…」


「いや、もちろん事前調査はしてるよ?極めて安全性の高いルートを選んでさぁ…」


両手をパタパタと振って弁解を試みるメイサ。シャウラはそれすら見ずに目元まで押さえている。完全に自分の世界に入ってしまったようだ。



…6歳の子どもを、か?



やがて届いた声にメイサの動きが止まった。腕を離した彼が遠のき、また深い息を吐いている。思いつめた横顔、常識に囚われた者の典型…目を奪われつつもメイサは身体を起こした。


「一人じゃ何も出来ない年頃だ…」


奥まった位置で項垂れた彼の声が言う。それは次第に苛立ちの色を濃くしていく。


「だから頼るのはこれが最後と決めて、レグルスに託した…それなのに…!」


メイサは黙って見つめていた。仕方ない…すっかり静まったような表情で小さくこぼし始めた。



仕方ない、コイツは知らないんだ。


仕方ないんだ。



うつむき独り言を繰り返す彼女は知っていた。彼のような特殊なケース【前世喪失】の者に本人の前世に関わる話をするのはタブーであると。下手をすると精神崩壊を起こしかねないということも。


目立った力はなくとも確かにガルシア一族の血の気配を放っていた、目。それを間近で見た彼女ならなおさら口を閉ざしてしまうところだろう。こんな底知れぬ殺気を秘めた者が精神崩壊など起こしたら自分など木っ端微塵…いや、この世の終わりか、などと考えたことだろう。



ならばどうする?


どうやって伝える?



メイサはしきりに思考を巡らせる。そんなことなど知る由もないシャウラはキッと強く彼女を睨みつける。


「だからさっきから何を呟いている!伝えるって何を…いや、それはいい」


すっかり語気を荒くした彼はなおも叫んだ。


「余計なことをしてくれたな。もしこれでミラの身に何かあったらどうしてくれるつもりだ!?」


責めたてる毒を受けた瞬間、メイサの動きが止まった。滾っていく漆黒の目が彼へ向いた。



「元はと言えばアンタがあの子の手を離したからだろうが!自分のやらかしたことを棚に上げてんじゃねぇ!!」



……!!



突如シャウラを襲った罵声は当然、メイサのものだった。肩を上下させ鋭く睨み付ける彼女に反して彼の表情は愕然と力を失っていく。


「僕…が…?」


どういうつもりなのか自分の手の平を見つめているシャウラ。やっと息を整えたメイサは一度、喉を鳴らした。これから伝えようとしているこんなものでは済まない残酷な事実…その覚悟を決めるかのように。



「ミラにとってアンタのいない世界は色も感触も味もない、ただの焼け野原なんだよ。あの子は頑張ってた。だけどついに耐え切れなくなって一度はそんな世界から逃げようとした。風呂場で手首を切って…あの日、私が朝風呂に行かなければ、多分マジで、ヤバかった」


「何…だって…?」



ただでさえ血の気の少ない彼の顔色が更に蒼白していく。何てことだ、と力なく呟き始める。


「僕が…僕の、せいで…ミラは…」


ガルシアの血の気配なんて何処かへ行ってしまったみたいに頼りなく、小刻みに震えている。そのタイミングを逃さずメイサが口を開いた。いよいよ彼へ切り出した。



「ミラに会ってやってほしいんだ。」



これからも、ずっと。



そう言うと持って来たものを懐から取り出して彼の前へと差し出す。シャウラは戸惑った様子で目の前のそれと彼女とを交互に見た。それは?彼は問いかけた。すぐにメイサが答えた。


「セキュリティシステム【ガーディアン・エンジェル】の為に開発したブレスレットだ。王宮は今、最先端技術で作られたバリアで守られている。コイツを持っている者だけがそこを通過できる。」


メイサはそう言って自分の手首に装着した同じものを彼の目の前へ突き付ける。金色の金属がブラックライトに照らされて青みを帯びる。その一点に見入るシャウラに彼女はまた続けて言う。


「この中には個人情報を記録したチップが搭載されていて、王宮に出入りすると管理システムに履歴が残るんだ……本来なら、ね」



この先は彼女が犯した大きな罪だった。


王宮の安全を守るものとして皆が信頼を置くそれに細工を加えたこと。今、この事実を知るのは発案者である彼女自身とミラ、そしてたった今聞かされたばかりのシャウラの三人だけであること。


これを使えば誰にも気付かれずミラに会うことが出来る。ひと月に一度だけでいい。深夜、温室に面した森から彼女を訪ねてやってほしい、とメイサは言う。


あまりにも大胆な計画内容。シャウラの額にはじっとりと脂汗が滲んだ。


「本気で言ってるの?君…」


「ああ」


探るように尋ねても彼女の真っ直ぐな眼差しは変わらない。共に罪を犯す者としての強い決意まで漂わせている。彼女は言う。


「間違えてもサングラスにマスクなんかして行くなよ?」


「えっ…」


「…する気だったのか。危ねぇな。アンタは遠目からならレグルスに見えるんだ、そこはむしろ堂々としていた方がいい」


ん、と突き出される両手。恐る恐る伸びたシャウラの手が彼女の手の中の金属に触れた。待ち切れないとばかりにメイサがそれを彼の手へ無理矢理握らせた。


「さぁ、急いで車を出せ。ミラが待ってる」


彼女が言うと手元に意識を奪われていたシャウラが我に返ったように顔を上げ、小さく頷いた。


あの…


ハンドルを握った彼が発進の前に呟いた。ばつが悪そうな表情をうつむかせながら。



「…押し倒して、悪かった」


「いや、“押し倒す”の使いどころおかしいだろ」


呆れ顔のメイサの返しにシャウラは小さく首を傾げた。すっきりしない面持ちのままエンジンをかけた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



彼の一言は彼女の表情を一瞬にして変えた。


思わず口元を覆った彼女、溢れる多数の粒がみるみる頬を濡らしていった。少し心配そうに見つめる彼に頷いて見せるのがやっとというところか。


温かい夕日に見守られながら広げた彼の腕の中へ近付いた。


このまま時が止まってしまえばいい…


何処かで誰かが苦しんでいるかも知れないのについよぎってしまう、我儘。このときの彼女もまた感じていた。


耳元で続く自分の名。くすぐったい囁きに耳を傾けながら。




ーーラ……ミラ……ーー



呼ばれる彼女の意識が徐々に鮮明になっていく。ミラはうっすらと瞼を開く。その間から覗く水色の瞳が一つの姿を映し出す。


乱れた銀髪、紫色の目、少し汗ばんだ肌…


不安に駆られたような表情が見下ろしている。呼び続ける彼の頬へ小さな手が伸びていく。さくらんぼのような小ぶりな唇が意図せず自然に、動いた。声にはならず、形だけ。


「…え?」


間近で見ていたシャウラはそれを確かめようと更に顔を近付ける。すぐ傍まで迫った彼の気配にミラははっ、と我に返った。



……っ!!



言葉が出て来なくてただ口を空回らせるミラ。その顔は紅潮している。


近過ぎる彼を直視するのが難しかったのか彼女はその後ろへと視線を送った。離れた位置で得意気な笑みを浮かべているメイサの姿があった。


「ごめんなさい、私…いつの間にか、寝ちゃって…」


「ミラ…」


身体を起こそうとする彼女の背中にシャウラが手を回す。お互いの息が十分に感じられるくらい、近い。恥ずかしさなのか嬉しさなのか、彼の腕の中のミラがぶるぶる震え出した。


「私、外で一息つきたいからよ、まぁゆっくりしな」


「ちょっ…メ、メイサ!?」


ミラが慌てて引き止めようとするも、メイサは手をひらひら振ってドアの方へ遠ざかってしまう。意味深なウインクなんかを投げた後、彼女はドアの向こうへ引っ込んだ。静かな部屋にパタン、と響く。


眠っているミラの元に到着した二人が慌てて駆け寄った為か部屋には電気すらついていない。もうすっかり夜。月明かりで薄暗く、少し青い。


冷たげな辺りの色とは反してミラは熱を帯びていく。明らかに熱い彼女の体温に寄り添うシャウラが気付いた。


「ミラ、待ってて。今水を…」


立ち上がりかけた彼がくい、と引かれた。小さな手が服の裾を掴んでいた。



…シャウラ。



切なげな表情で呼ぶミラ。シャウラは驚いて目を見張る。


「ミラ…?」


動揺が抑えられない…そんな様子でありながらも見入っている。無理もないことだった。


彼の知る妹はこんな艶っぽい顔をしたりはしなかった。そして、名前で呼ばれることもこれが初めてなのだ。


ベッドに腰掛けたまますがるミラが言った。



我儘わがままを言って、ごめんなさい。迷惑をかけているのはわかってる…ただどうしてもあなたの傍に居たかった。自分勝手な私だけどもし許してくれるのなら、傍にいさせて」



…一人の人間として。



「迷惑だなんて…そんなこと言わないでよ、ミラ。僕の方こそ君の気持ちも知らずに、寂しい思いをさせてしまった」


骨の浮いた細い腕に巻かれた包帯。シャウラはそこを手に取って、そっと額を押し当てる。現実味が迫ったのか歯をきつく食いしばっている。そんな彼にミラはゆっくりとかぶりを振る。


「あなたのせいじゃないわ。顔を上げて、シャウラ」


か細くもしっかり届いた声に彼は顔を上げた。その目は今にも涙が流れ落ちそうに潤っていた。


ミラは再び手を伸ばした。彼の体温を確かめるみたいに何度も何度も撫でていく。彼女は言う。


「私はもうあなたを“お兄ちゃん”とは呼ばない。だから、一人で全部背負わないで。自分の為に生きて。私なら大丈夫。たまにでいい、こうしてシャウラに逢えるなら私は生きていける」



待っていて、みんなと一緒に必ず助け出すから…あなたを。



まるで幻を見ているみたいに魅入るシャウラの瞳が潤いに揺らいだ。かすれた彼の声がこぼれた。



「大人になり過ぎだよ…ミラ。僕なんて、何も、変わらない…」



きつく結ばれた唇が震えている。自虐的な言葉だけに留まらず、身体を強張らせ視線を落とすその様は何処までも自分を罰しようとしているかのようだった。


愛しい人のそんな姿にミラはきっと胸を痛めただろう。それでも彼女は寄り添った。


コツン、と二つの額が重なるとシャウラの目尻からはついに抑えきれない潤いが一筋、流れた。





ひっそりと終わりを迎えた騒動。再び書店裏に戻り、待ち合わせたレグルスにミラを引き渡した。レグルスは何か言おうとしていたが、シャウラはそれを聞くこともなく車に乗り込み、隠れるように闇の奥へと消えた。


レグルスは全く怒らなかった。ためらいがちに手元をまごつかせた後やっと少しだけミラの肩に触れ、帰ろう、と笑顔で言った。ごめんなさい、とだけ小さく伝えたミラ。律儀な彼女は王宮に戻った後も捜索に当たった全員に詫びて回ったという。



ーーその深夜、体力を消耗しているという理由で例の如く救護室で様子見となったミラの元に、夜食を済ませたメイサが戻ってきた。ベッドの上でしおれた花のようになっている彼女にメイサは笑いかけた。


「疲れたか?」


ミラはこく、と頷く。私もだよー、と言いながらメイサもベッドの端に腰掛ける。


「でも上手くいったじゃん。これからは月イチで会えるんだぜ?」


もっと喜べよ、とメイサは歯を見せつけて笑う。しかしミラは大人しかった。開いた窓からはいつもより乾いた心地良い風が吹き込んで彼女の頬を撫でる。瞬く星々と天の川まではっきり映し出しているそこに彼女はひたすら見入っている。



メイサ…



ミラがやっと口を開いた。


「私…否定しない。ううん、できないの」


ぽつりぽつりとこぼれていく言葉にメイサが、うん、と相槌を打つ。


「この計画はスピカ様を危険に晒してしまうかも知れない。シャウラはそんなことしないって信じてるけど…こうすることを決めたのは何より私が自分の想いを優先したから」



そんなことができてしまうなんて…きっと……



ミラは自身の肩を抱いて小さく震える。それの見たメイサの両腕が言葉より先に伸びてきて、頭ごと彼女を包み込んだ。彼女は言った。


「言わなくていいよ、ミラ」


優しく頭を撫でられる感触は彼女の内面を隠した殻を少しずつ剥がしていく。それを示すようにミラはボロボロと光る破片を落としていく。



「悪くないのに、スピカ様は何も悪くなんかないのに…っ」


「わかってる、わかってるよ」



よしよし、となだめるメイサ。ミラはその中でしきりにしゃくり上げた。


「この戦いが終わってシャウラを取り戻せたら…私、どんな罰でも受ける。全て…話す…から…」


途切れ途切れな彼女の声にメイサは困ったように笑った。


「馬鹿だなぁ、ミラは。そんときは結果オーライだろうが。」


駄目…と呟きながら首を振る小さな彼女に、メイサは大丈夫、大丈夫、と繰り返し言い聞かせていた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



……ラ……



ミラ……



呼びかける声に気が付いた彼女はんん、とこぼし薄く瞼を開いた。懐かしいものを見るみたいに細めのアクアマリンが潤って揺らぐ。



シャウラ……



彼女はいつの間にか呼んでいた。そこへ、ハァ?という声が降りた。


「誰がシャウラだ。私だよ」


大きく見開かれていくミラの瞳にそれは映った。夕日に染め上げられた空、その手前側で長い黒髪をなびかせる黒のボディースーツ姿のグラマラスなシルエット。


「メイサ…っ!」


ミラはがばっと身体を起こした。噴水前のベンチの上、だった。


「メイサ…休暇中だったんじゃあ?大丈夫…なの?」


「ああ、大丈夫、大丈夫!例の島でちゃーんと花ブン投げてきたぜ!」


選んでくれてありがとな!そう言ってビッと親指を上へ立てるメイサ。カラッとした男前な笑顔だった。いつもと違うとしたら…そう、やけに腫れぼったく見える両の瞼くらいか。


「本当は一週間休んでいいって言われてるんだけどよ、暇で暇でしょうがねぇんだ。多分明日から復帰するよ」


ベンチから降りたミラは歩き出すメイサの後をトテトテと付いていく。心配そうに見上げている。


「休めばいいじゃない、メイサ。スパとか行くの、好きでしょう?」


…って、あぁっ!!


「んだよ、びっくりさせんな!」


突然の後ろからの大声にメイサが軽く飛び上がる。立ち止まったミラの顔はすっかり困りきっている。


「どうしよう…私、いつの間にか寝ちゃったから今日の仕事できてない!今からでもちょっと手入れを…」


「おいおい、待てよ!もういいだろ、今日は」


踵を返して庭園へ戻ろうとするミラの細い腕をメイサががし、と掴んだ。まだ焦燥している彼女を呆れたような顔で見下ろす。


「ミラだって疲れてるってことだろ。いいじゃねぇか、たまには休んだって。どんだけワーカーホリックだよ」


「メイサだって……!」


ミラも一歩前に乗り出して返す。夕焼けを受けて赤みがかった二人の目から放たれる視線が高い音を立てるようにしてぶつかる。



……ぷっ。



どちらからともなく吹き出された息が間を破った。二人は声を出して笑った。


「私たち、どっちも頑張り過ぎ……かな」


「おう、一緒に行くか?スパ」



きっとはたから見たら何のことはない二人の娘の戯れを、全て見てきた庭園の植物たちが見送った。



挿絵(By みてみん)



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