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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第2章/秘密と罪
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20.婚約者〜Fiance〜



あの厳かな場での対面の後、すぐに三人で別室へと移った。円形のテーブルを囲む椅子に腰を落ち着かせると、メイドらしき女性が一式のティーセットを用意してくれた。


テーブルの中央には緩やかな曲線を描く細身の花瓶。瑞々しく保たれた百合ユリ向日葵ヒマワリが一輪ずつ寄り添うように飾られている。何かを比喩しているとしか思えない。


その手間に焼きたてのスコーンと淹れたての紅茶。漂う香りはおそらくダージリン。白いレースのカーテンに程良く中和された太陽光が心地良い。


向かい側の奥に置かれたいかにもお姫様のものらしい天蓋付きのベッドにセレスは魅入った。思わず熱っぽいため息がこぼれる。


言うまでもなく…であろうが、ここはスピカの部屋だそうだ。



「お会いできて光栄ですわ、女帝エンプレス・セレスタイト。」


向かい側に座ったスピカが柔らかく微笑んだ。

年齢は21歳と聞いているがフィジカルでの自身の姿、桜庭伊津美のものよりも幼くさえ思える顔立ちはまさに童顔と呼んで良いだろう。


だけどやはり違う。ただ若いだけではない立ち振る舞い、全身から漂う気品を前に取るべき姿勢は決まっているように思えた。


それに従うようにセレスはこうべを垂れた。おのずとそうしていた。敬意を込めて、深々と。


「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。王女プリンセス・スピカ。」


顔を上げて微笑みかけた。彼女のものに引けを取らないよう、品よく柔らかく目を細めた。

そのとき狭まった視界の端に映った姿にセレスは動きを封じられた。


彼女の隣の男、嫌味ったらしい笑みを浮かべ、へぇ…と意味あり気にこぼすレグルスの顔を捉えた。一瞬にして真顔になった。


「こういう場での振る舞いはさすがに心得ているんだな。」


上から見下ろすみたいな口ぶりと共に彼の顎はまた上を向いている。鼻につくわかりやす過ぎる態度に呆れつつも、セレスはあくまでも落ち着き払って冷ややかな視線だけをそちらに送る。


「当然でございましょう?レグルス様。」


しれっとすまして言ってやった。斜め向かいの彼が心底嫌そうに顔をしかめた。


「俺に“レグルス様”はやめろ。気持ち悪い。」


「なっ…!?」


無礼極まりない口調を受けて思わず腰が浮いた。ガタッと椅子が鳴って我に返った。

しまった、そう思ったときだった。



…クスクス……



控えめな含み笑いに目を見張った。エメラルドの瞳が見えなくなる程、細められた瞼。スピカが口元を覆いながら笑っている。


無性に恥ずかしかった。仮にも女帝と呼ばれる身でありながらこんな失態…未だ残っている使命感に叱咤されたような気分だった。セレスは静かに腰を下ろした。


「…大変失礼致しました、スピカ様。」


ばつが悪く感じて詫びた。しかし向かい合う彼女は、優しかった。



良いのですよ。



余裕を感じさせる笑みで返してくれる。続けて彼女は言う。


「先程すれ違ったとき、もちろん私も気付いていたのですが、あまりにも楽しそうだったので声をかけなかったのです。」


聞き捨てならなかった。不覚にもまた身を浮かせてしまった。



『誰がこんな…!!』



言ってからはっ、と我に返った。斜め向かいの男が全く同じ口の形をしている。そういえば今の言葉も完全に重なっていた、と。


顔を見合わせるセレスとレグルス。尖っていく両者の表情。

ふん!という声が聞こえそうな勢いでどちらからともなく顔をそむけた。愛らしいスピカの笑い声がまた響いた。



ほら、やっぱり…



笑いを含んだ彼女の声が言う。


「お二人は気が合うのですよ。良い仲間になれそうですね、レグルス。」


そんなことを言っている彼女の口調は何故か嬉しそうだ。セレスは視線だけでそちらを見る。内心は驚いていた。そして思った。


この二人は婚約を交わした仲。自分が彼女の立場ならこうも息の合ったコンビネーションを見せ付けられて同じように振る舞えるのだろうか、と。


やはり大人なのだ。2000年もの間ただの一度も転生を経験しなかった、未熟な赤子に等しい名ばかりの女帝の自分とは違うと認めざるを得ない。


ふと視線を戻すとちょうど紅茶をあおったレグルスが荒々しくカップを置いた瞬間だった。あのなぁ!憮然とした表情の彼が言った。


「アンタはまだ知らないだろうけど、この女は強情な上に理屈っぽくて全っ然、可愛げがねぇんだぞ!」


「なっ…!」


耳を疑った。思わず声を上げた。

自分への侮辱に対してではない、もっと前のことに。


「レグルス、あなたは王女様に対しても“アンタ”呼ばわりなの!?」


ん、と短かい呟きが返ってくる。赤の瞳だけでこちらを見ている。訝しげに。


やがて彼が理解したように目を伏せた。ふっ、と鼻で笑いを漏らした。



「馬鹿か、アンタ。コイツは王女である前に俺の女だぞ。」



はぁ!?



つい叫んでしまった。身を乗り出して言い返した。


「王女様であることが前提でしょ?何を言っているの?」


アンタと呼んだりコイツと言ったり…そうぼやいていると彼も負けじと言い返してくる。


「アンタなぁ、まだわかってねぇのか。王女だろうが女帝だろうが女に変わりはねぇ。昨夜言っただろ。」


「私はいいわ、女帝なんて過去の話だもの。だけど現アストラル王女に対する礼儀くらいは持っているべきではないの?」



厚かましい男。王女様もよくこんな…



口にしきれないぼやきを胸の内でこぼしながら、セレスはちらりと前方を見た。そしてすぐに後悔した。


目に映ったのは頬を赤らめてもじもじと身をよじっているスピカ。一体今のやりとりの何処に恥じらったのか…大体想像はつくが。


「…まぁ、いいけれど。」


そう返すしかなかった。頭を抱えたかった。まさかこんなところまで来て惚気のろけを見せ付けられることになろうとは、と。


それはそうと…


半ば無理やり、自身落ち着かせてからセレスは切り出した。


「さっきの広間は?とても美しい場所ですね。」


とりあえずの社交話にもスピカは手の平を合わせて頷いてくれる。嬉しそうな口調の彼女が答える。


「礼拝堂ですよ。式典の際などにあの場を使うのです。」


「普段はあまり使われないんですか?」


ええ、と返す彼女がちらりと視線を流した。未だ隣で拗ねている彼へと。


「レグルスがあの場で迎えろと言うんですもの。」


締まりのない姿勢、頬杖をついていたレグルスが我に返ったように顔を上げた。不意打ちだったのだろうか、頬がわずかに染まっている。唇を尖らせた彼が言う。


「当たり前だろ、アンタがただの女でいていいのは俺の前だけだ。それをあんな普段着でウロウロして…」


「ごめんなさい、レグルス…」



しおらしげにうつむくスピカ。いいよ、とでも言うような眼差しを送るレグルス。普段のものとはまるで違う、しっとりと湿ったその目は何だと言いたくなる。


再び甘さを帯び始める、空気。



わかったからもういいでしょ。早く帰りたい今すぐ帰りたい聞いているだけで恥ずかしい…



口には出せない思いを内心だけでぶちまけた。熱い自身の顔をうつむかせながらセレスは感じていた。

今やこの二人に如何なる氷の一撃を放とうが効きやしないだろう、と。


場を占める空気が程良い温度に戻るまで、ただじっと待つしかなかった。





ーー私ね、



暖房の効いた部屋の中でもほのかに漂う冬の空気の冷たさ。それをまともに感じられるようになる頃、スピカが口を開いた。


「本当は堅苦しいことが苦手なのです。あまり王女らしいとは言えないかも知れませんね。」


少し恥ずかしそうに彼女は笑う。確かに…言いはしないもののそう思った。廊下で会ったばかりの彼女の姿を思い返していた。


あのときの彼女の装いは今のものとは異なっている。ラフなパンツスタイルはロングドレスへ。フラットシューズもパンプスに履き替えたようだ。


きっと今も落ち着かないのだろう、と思うとおのずと同情のような感覚を覚えてしまう。彼女が身を置く“王族”という立場に。



私も…



いつの間にか口にしていた。お気持ちはわかります、と。

スピカとレグルスが黙って見つめる中、あの頃の思いが蘇った。


自由など考えることさえできなかった、いや、思い付きさえしなかったことを。孤独が伴う痛みさえいつしか麻痺していったあの頃の…



私はまだいいですわ。



声がした。優しく柔らかく。セレスは反射的に顔を上げた。


スピカが微笑んで見ていた。いいえ、と小さく訂正した彼女が、続けた。



「私は幸せだと胸を張って言えるでしょう。」



目を見張った。口元が震えた。


そんな、だって…


思わずこぼしそうになった。彼女を取り巻くもの、明らかに異常なそれに目を奪われながら。


「生まれながらの女帝…その苦悩は計り知れません。だけどセレスタイト、あなたはもう自由に選び、生きることができるのです。」


「スピカ様…」


ただただ目の前の彼女に見惚れた。あなたはすごい。強く、そして美しい。それは決して外見だけのものではない。痛いくらい全身へ伝わってくる、と。



今、私に見えているものがどんな意味を持つのかまだわからないけれど、それでも幸せだと言い切れる、あなたは…



「時代は変わったと言っただろう、セレス。」


幾分か柔らかくなった低い声が言う。レグルスだった。


「今やアンタを縛り付けるものなど何もない。…と言うか、こんな強情な女帝がいたんじゃたまらねぇんだけどな。」


そう言って意地悪そうに笑っている。隣のスピカも強く頷いて同意を示す。


「そうですよ、セレスタイト。王女である私でさえあんな自由に振る舞えるのです!」


「アンタはもうちょっと王女らしくしてくれ。俺が心配だ。」


「はいはい、ご馳走様です。」


皮肉っぽく、それでも心から笑った。未だ完全に消えてはくれない孤独感、それによって度々凍りかける奥が溶けていくみたいに。

いつの間にか三人で、声を出して笑っていた。



……スピカ様。



少し落ち着いたところで呼びかけた。目を丸くしている彼女へ宿った決意を伝えた。



「私も仲間になった以上はあなたをお守りできるように努めます。」



セレス……


目を見張ったレグルスがこぼす。変わったな、とでも言いたいのだろう。

反してスピカは目を細めた。彼女は言った。


「セレスタイト、あなたのお気持ちは大変ありがたく思います。」


でも、と続いた。目の前の彼女の動きに今度はセレスが驚く番だった。


ゆっくりと、でも確かに横へと振られた彼女の首。やがて開いたエメラルドに優しさとそして強さが入り混じる。



「今はあなたの大切な人を取り戻すことだけをお考え下さい。あなたがその人と再会できること…それが私にとっての幸せとなるのですよ。」



……!




小さく息を飲んだ後、反動で溢れそうになるものに手で蓋をする。だけどその蓋さえ震えてしまう。




はい……ありがとうございます。



本当に……



そんな風に返すのがやっとだった。レグルスが言った言葉が現実味を帯び始めた。


最も女神に近い存在、叶うはずもない…そう思った。




それからしばらく主にスピカと話をした。

何のことはない、お互いの恋愛観や最近身近で起こった面白い出来事なんかをいつまでも。そこへ時折レグルスが呆れたような突っ込みを入れる。


フィジカルでもあまり経験することのなかった女子トークとはこんな感じなのではないかと思った。きっと王女と女帝であることなど忘れていた。



あの、スピカ様。



途中、ふと問いかけてみた。ほんの興味本位で。


「レグルスの何処を好きになったのですか?」


おい!とうわずった声が上がった。


「何妙なことを言い出すんだよ、アンタは!」


みっともないくらいに狼狽するレグルス。そんな彼をスピカは愛おしそうに見つめた。頬を染め、恥じらいつつも彼女は答えた。



「レグルスはとても勇敢なのです。真っ直ぐで揺るがない信念を持っていて、私はいつも守られてきました。上手くは言えないのですが…いつの間にか惹かれていて…」



へぇ、とセレスは呟いた。ここぞとばかりに冷やかしの視線を彼へ送った。


そして、気付いた。軽く目を見張った。


お互いを想い合う気持ちは十分過ぎるくらいに伝わっている。そこに嘘はないだろうと確信するくらい。


きっとこれ以上になく嬉しい言葉をかけられたはず。なのに、そんな彼の表情が何故か、暗い。


しばらく続いたように思えた時間はきっと思いのほか短い間のことだったのだろう。

やがてすぐに動き出した。セレス一人をそこに残して。



「当たり前だろ。俺を誰だと思ってんだ。」



何事もなかったかのように自信に満ちた表情を浮かべたレグルスに、スピカがごく自然に笑いかけていた。



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