11.天青石〜Celestite〜
大き過ぎるベッドの上にちょこんと乗せられた。メイサとミラの大きな顔が向き合う形になった。
「羽があるからベッドの高さの問題はいいとして…布団はもっと軽いものを手配するか…」
メイサは独り言をこぼしながら手のひらサイズのメモ帳に黙々とメモを取っている。
ミラは姿を変えた伊津美を前にほんのり頬を染めている。言葉さえ忘れ見惚れているかのように。
「レグルスさん、こっち!」
部屋の外からクー・シーの声がした。後からテンポの早い重い振動が近付いてきた。
予想はしていたがやはり大きいレグルスが現れた。先程までの皆と同じ顔をしてこちらに見入っている。
…ドクン…
脈打ちを感じた。彼を目にした瞬間に。小さな伊津美は思わず身を引いた。
今までにも似たような感覚があった。しかし今回はそれにも増して深く、重い。
あなたは…
レグルスの口元が動いた。呆然としている、だけど決して取り乱さずに落ち着いている。まるでこうなることがわかっていたみたいに。
続く言葉がそれを示した。
「ーーやっぱり、妖精だったんですね」
伊津美は頷いた。彼の口調と同じように、静かな動きで。
もうすでに確信していた。ふい、と斜めに顔を向けて言った。
「私の…前世ということね?」
その問いが自分に向けられたことに気付いたメイサが顔を上げた。そうだよ、と彼女は返した。
「やっぱ昨日話しておいて良かったぜ」
後頭部をまさぐるように掻き安堵の意を漏らしている。
一体何がいいというのか。十分に混乱しているのだけど、と言い返したくなる。
メイサ、
しばらく見入っていたレグルスが我に返ったかのように彼女を見た。彼は言った。
「お前、彼女に何処まで話しているんだ?」
ん~…とメイサが唸る。
大きな漆黒の瞳を左上へ。これは過去を思い返すときの角度だ、などと思ってみる。やがて彼女が隣の彼へ返した。
「ほとんど全部じゃね?多分だけど」
「マジか」
俺のいない間に…などとレグルスはやや不満気な顔でぼやいている。それに対してメイサが何か言い返している。
手間を省いてやったんだろうが、そんな声が聞こえる。聞こえては、いる。
だけど続く言葉の一つ一つがしっかりと頭に入ってこないのだ。奥で湧き始めている何かに飲まれて。
いつの間にか話し声が止んでいた。真剣な面持ちのレグルスが見下ろしていた。
「名前は…言えますか?」
彼は問う。それを受けた伊津美は小さく頷く。そう、それだ、と思っていた。
姿が変わったことに気が付いて真っ先に思い出したことがあった。
深い海を閉じ込めたような青の石。天青石。
それこそが、私の名…
「ーーセレスタイト」
はっきりと蘇ったその名を口にした。レグルスの顔色が変わった。
「セレスタイト…!?」
上ずった声が響いた。オウム返しにした彼の顔には隠しきれないのであろう動揺が滲んでいる。
えっ、セレスタイトって…
まさか…
他の皆もざわつき始めている。伊津美は不思議に思って見下ろす顔を見渡した。
皆、動揺している。クー・シーも、ミラも、あのメイサでさえも…
一つの気配が近付き始めた。歩み寄るメイサが伊津美、と呼びかけた。しかし彼女はすぐに小さくかぶりを振った。
いや…
小さな呟きを挟んで彼女は訂正した。
「セレスタイト、アンタのことはみんな知ってるよ」
「えっ…」
何故?と表情に浮かべた伊津美のまえで彼女がしゃがんだ。真っ直ぐ視線を合わせて返した。
「アンタは、有名人だからね」
有名?私が?
何故か浮かんだ【セレスタイト】という名。それが自分のものだという確信もある。どういう訳か。
だけどわかるのはそこまでだ。有名などと言われても当然理解は及ばない。
「メイサ、話すのか?」
レグルスが問いかける。ああ、と迷う様子もなくメイサが頷く。
「その方がいいだろ。これから続々と記憶を取り戻すんだ。それもセレスタイトの、だぞ?今のうちに話しておいた方が却って精神的ショックも軽く…」
ちょっと待って!!
とっさに二人の会話に割って入った。
不穏な何かが迫っているのがわかる。おのずと顔が強張り、抑えようのない寒気が全身を覆い尽くしていく。
「精神的ショックって…何?」
恐る恐る問いかけた。いつもにも増して大きいメイサの瞳が見つめ返してきた。
覚悟を決めた、そんな表情だった。彼女は語り出した。
「セレスタイトの生涯は美しく、悲しく、そして最期は壮絶だった。アンタは【命の泉】の主、妖精女帝だったんだよ」
妖精…女帝…
覚えのある二つ名に記憶の断片が引きずり出されそうになる。
以前メイサから聞いたがそれだけではない、もっと奥深くから…
頭の奥に鋭い痛みが走った。伊津美は耐え切れずにうずくまる。
伊津美さん!
心配そうな顔で駆け寄ってきたミラが傍で腰を下ろした。大丈夫よ、とやっと呟いたが顔は上げられない。
そのまましばらく口をつぐんだ。乱れた息を整えるだけで精一杯だった。
聞き慣れないはずの情報の数々も徐々に確信へと変わりつつある。そんな感覚を否定できないと怯えながら。
…メイサ。
沈黙を破った声があった。何処か野性味のある低めの声色…もう覚えた。
レグルスのものだとわかった。
「その話、俺にさせてくれないか?」
彼の声が言った。伊津美はびっくりして顔を上げた。
数歩、こちらへ歩み始めた彼。目前まで近付いた姿を見上げてまたしても反射的に身を引いた。
来ないで…
胸の奥が細い悲鳴を上げた。どんな顔をしていたのかは、わからない。
ただ、彼の顔を見て気が付いた。自身を落ち着かせる為か、はたまたまとわりつくものを振り払う為か、ぎゅっと固く閉じられた瞼。
彼もまた何かを感じているのだろう、と。
やがて白い顔が近くまで降りてきた。視線を合わせたレグルスが言った。
「伝説の妖精女帝、ミス・セレスタイト。どうかしばし耳を傾けて頂きたい」
深々と降りる頭。銀の頭髪の旋毛が見えた。
張りつめた空気を全身で感じた。おのずと背筋が伸びていった。
「あなたがその姿でアストラルに存在していたのは今から2000年程前のことです」
ゆっくり、顔を上げたレグルスが語り出した。
ーー推定2000年前。
当時のアストラルには大きく分けて4つの種族が存在していたことを。
人間と動物、そして魔族と妖精族。
光と闇を魔族が、森、河川などの自然に関するものの大半が妖精族の力と精霊界からの働きかけで成り立っていたという。
彼らはそれぞれの種族の中だけで文明を築き上げ、子孫を繁栄させてきた。異なる種族同士であえて関わるようなこともなかった。
色濃く分かれているが故、干渉しないことが暗黙のルールだった。
「元々、アストラルとフィジカルの間を交互に転生するのは人間と動物だけの能力だったのです」
世界を発展させる為の情報伝達、メッセンジャーの役割だったと彼は言う。えっ、と伊津美は思わず声を漏らす。
真っ先に浮かんだ疑問、言わんとしていることを察したのだろうか。
目の前のレグルスの顔が声もなく頷いた。そう、と彼は言った。
「あなたも本来ならアストラルの中だけで、妖精族として転生を繰り返すはずでした」
フィジカルで得た新たな学びを持ち帰りアストラルの発展へと繋げる人間。
一方、自然を司る妖精族と破壊と再生のエネルギーを司る魔族は、アストラルに存在し続けて守っていく役目。
そうしてそれぞれが長きに渡って役割を果たしていた。古より受け継がれたそれを当然のように。
その成り立ち自体に疑問を抱く者が現れるなどかつては想像すらできなかったはずだ。
しかしこのときになって不穏な動きは始まりつつあった。噴火前、地中で蠢くマグマの如く、不気味に、確実に。
どの種族より幅広い知識を得た人間が時代を変えていた。皮肉なことだった。
「動き出したのは…魔族でした」
レグルスが瞼を伏せた。長く降りる睫毛の影に目を奪われてしまう。彼の口調は、重い。
頭の奥深くに再び鋭い痛みを感じた。伊津美はたまらず低く呻いた。
抉られる、とわかった。
あの記憶が、忌まわしい悲劇が…
今よりも貪欲さの色濃かった魔族はついに禁忌に手を染めてしまった。
ーー自分たちこそが世界を動かしているーー
ーー光と闇なくしてこの世はどのように存在することができようかーー
ーー弱者など不要だーー
ーー強きものだけが君臨する世の中が実現出来たとき、この世界は無駄のないより美しきものに…!ーー
己の力に陶酔し始めた一部の思想は増殖する闇のように同族間へと広がった。
やがて彼らは理想郷を求めた。魔族だけが統べる世界を。
ーーそうだ、まずは人間ーー
奴らは最も弱い。
我々の与えるエネルギーの活かし方も知らず感謝もしない、下等な種族。
ーーそんなものは要らないーー
それは全くの誤解だった。
人間は光を【お天道様】と呼び崇めていた。エネルギーを活かした数々の文明も持っていた。
しかしそれは人間という種族の中で独自に受け継がれていったものだ。
何故…
魔族たちは思った。
人間は形あるものを作って、それに向かって祈りを捧げる。光と闇の主が同じ世界に居るにも関わらず。
魔族にはその形が理解できなかったのだ。
「魔族はまず人間を支配しようとしました。しかし…」
人間は賢かった。だてに異世界間を行き来していないと感じさせる程に。
彼らは逆らわず、かと言って従うわけでもない。滅びを避ける為に逃げ延びる道を選んだ。迷いもなく。
実際は多くの人間たちが犠牲になっていたのだが、より若い者を、女、子どもを守ろうと庇い合うことで子孫が途絶える危機を免れたのだという。
命を守り抜いた彼らが、犠牲になった年長者たちの為に流した涙の数は測り知れない、とレグルスは呟きのような声でこぼす。
一方、すっかり傲慢になっていた魔族たちは逃げ去り身を隠す人間たちを見て勝利の美酒に酔いしれる日々を送った。
驕り高ぶった者の欲望は留まるところを知らない。それこそ、破滅を見るまでは。
彼らはすぐに次の計画を立て始めた。
光よりも闇よりも、前へしゃしゃり出てくる目障りな色を恨めしげに、睨んだ。
ーー精霊の使いのような顔をして得意気にふんぞり返っている奴らに、どちらが上か思い知らせてくれる…!ーー
もちろんこれも誤解だった。
妖精族はひっそり森の中に身を潜め、見えないところから世界を支えていた。
決して多くを語らない寡黙な種族。ただその誰もが色鮮やかで煌びやかな美しい容姿を持っていた。
人間の間では幸せの象徴であるかのように語られ、芸術作品の中にも彼らは度々描かれる。
その当時、まだ人型ではなく獣のような容姿をしていた魔族はただ恐れられるばかり。
手柄を横取りされている、そんな風に感じてしまったのだろうか。形となっていく計画は人間襲撃のときよりも更に過激なものだった。
「魔族が望んだのは、妖精族の滅亡。その計画は水面下で確実に進んでいきました」
そして妖精族はその動きに気付いていた、と彼は言う。追い詰められることが目に見えていたのだろう、と。
彼らは来る日も来る日も祈りを捧げ続けた。願ったのは、救世主の誕生。
赤の瞳が真っ直ぐ見つめてきた。硬直している伊津美へ彼は言った。
「願いは叶いました。そして…」
ミス・セレスタイト、あなたが生まれた。
「私が…皆の祈りで…?」
そう、そうだった。
私、は……
堤防を破ったように押し寄せる記憶の渦に飲み込まれた。伊津美は息を詰まらせた。
何が何だかわからない。だけど記憶は確かにここにある。
ばらけた破片は一つ一つがはっきりと鮮明、そして今、寄って組み合わさって形になろうとしている。
視界に映った景色に今が遮られる。そこに居るはずのレグルスの姿さえ、もう見えない。
確かなものになっていた。彼の言葉など必要ない程にはっきりと、思い出したのだ。




