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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第1章/幽体の世界『アストラル』
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22.無邪気〜Innocence〜



 人は【慣れる】生き物だ。



 それは無情であり、時に心の崩壊を防ぐ救いとなる。


 目を覚ました伊津美の脳内をそんな考えが巡った。




 目の前の白い光景と薬品の匂いにもはや驚かなくなってきている。慣れとは本当に不可解で、そして恐ろしい。



 伊津美は身体を起こそうと動いた。そのとき手元に違和感を感じた。



 ごつごつした硬い感触。棒のようだ。ぼんやりとした意識の中でそれを握り、引っ張ってみた。正体すら知らないまま。




 いたたたたた!!




「きゃっ!!」




 突如上がった甲高い声に思わずのけぞって握っていたものを離した。よく見るとベッドの下で何かがもぞもぞと動いている。緊張が走る。


 ベッドの下から伸びたものが、がしと布団を掴む。黄緑色の大きな獣のような手。伊津美はいよいよパニックになってわめいた。


 布団を引き寄せベッドから落ちるギリギリまで後ずさったところで恐れるものの全体が姿を現した。





 ……もうわめき声は出てこなかった。ポカン、口が半開きになったまま静止した。



 ガーネットのような円らなもの二つがこちらを見ている。二本の角が埋め込まれた髪はさっき目にした手の色と同じ。改めて見ると綺麗な若草色だった。


 そして何より、幼く愛らしい。人間離れした姿ではあるが少年だとわかった。



「君……は……?」



 伊津美は恐る恐る問いかける。目の前の少年は口元をぱくぱく空回らせている。


 怯えた顔。彼に取っても予想外のことだったのだろう。言葉すら出てこないようだ。



 どれくらいかそうしていたところで声が聞こえた。小さな彼の方から。





 ……クー・シー




 聞いたばかりのその名を伊津美は繰り返してみる。呼ばれた少年が今度は頬を染める。恥ずかしそうに身をよじってうつむいている。


 伊津美は口元を手で覆った。顔が熱い。


 自身の中で何かのボルテージが凄まじい勢いで上昇していくのがわかる。両手が今にも伸びそうに疼く。ここは自分も名乗るのが筋なのだろうがそんな余裕はとてもない。



 向こう側でガラ、と引き戸が鳴った。入るぞ、という声が後から続いた。



「ここに竜のガキが来なかっ……」


 歩み寄ろうとするメイサがはたと視線を止めた。少年がそちらを振り返った。油切れの機械のようにぎこちなく。




 あーーーっ!!



 耳をつんざくような声はメイサのものだった。伊津美は両の耳を塞いで顔をしかめた。



「……朝っぱらからうるさいわね」


 不機嫌を隠さずに言ってやった。もうだいぶ正気に戻っていた。



「とんだ女ったらしじゃねーか、クー・シー。8歳のクセに生意気な……」


「ち……ちが……!」



 両手を振ってあたふたとうろたえる少年にメイサは容赦なく近付き、小さな肩に腕を絡ませる。そしてにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。出た、と思った。



「私の目を盗んで伊津美を口説こうとしてたのか?」


「そんなんじゃないって!!」



 クー・シーと名乗った少年は腕をめちゃくちゃに振り回して叫ぶ。反発の仕方まで完璧だ、と伊津美は一人頷いた。





 やがて騒ぎが落ち着く頃、滑車付きのテーブルがベッドの前に運ばれてきた。その向かいにちょん、と小さな椅子が置かれる。



 緑茶のような香りが漂っている。メイサがいそいそとティーカップを並べ始めた。


 まさか、と思ったがやはり予想は正しかったようだ。彼女はあろうことかこんな場所でお茶会を開くつもりでいるらしい。



 伊津美はベッドに腰掛けた。奇妙だとは思いつつも特に止める気も理由もない。ベッドの空いたスペースには少年が座った。




 クー・シーという8歳のこの少年は竜属性の魔族なのだという。小さな身体には不釣合いとも言える鋭い爪の生えた大ぶりな足がベッドからはみ出してぶらぶら揺れている。


 その部分だけを見ていた伊津美が緩やかに視線を移行させた。まん丸な朱色の目が放つそれと真っ正面からぶつかった。



 ぱっと目をそらした少年が顔を赤くしてもじもじし始めた。どうやらずっと見ていたらしいことに気が付いた伊津美は再び口元を手で覆った。



「なかなかの色男だろ」


 カップにお茶を注ぎながらメイサが言う。どうやら彼女は人の秘めた趣味嗜好まで見抜く才があるらしい。悔しいが認めざるを得なかった。全てのカップにお茶が注がれたところで、じゃあ、と彼女が切り出した。



「改めて自己紹介だね」



 照れんなよ、と言って少年へと視線を送る。わかってるよ! というムキになったような声がすぐ隣から上がった。



「ク、クー・シーです。は……は、8歳です」


「桜庭伊津美、17歳よ」



 向かい合ったまましばらく黙り込む。そんだけ? と声が割って入った。メイサだった。


「他に言うことないの? ねぇ、クー・シー」


 彼を見つめてニヤリと笑う。とりわけ感が鋭い者でなくとも関係性が十分にわかる光景だ。目の前の彼に同情せずにはいられない。




 あ、あのっ……!



 意を決したような声がした。クー・シーが震える唇を開いた。





「き、綺麗なお姉さんは、す、好きですっ!!」




 空気が止まった。


 少しずつ、少しずつ、意味を理解しようと試みる。


 そして気が付いた。分解などしようがないことに。




 伊津美はついに端で手をつき顔を伏せた。のぼせるような熱さに肩が震えた。


「大丈夫かよ、伊津美」


 一見案じるような言葉を放つメイサの声色にはしっかりと笑いが混じっている。そこへクー・シーの声が続いた。



「ごめんなさい! 僕……何かしたかなぁ?」



 わかっていない。本当になにもわかっていない無邪気な声。


 悶えるほどの恥ずかしさの奥に細い痛みを感じた。





 優輝みたいだと思った。



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