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大罪の悪魔と滞在する悪魔  作者: 聖湾
第一部 最終章
38/44

第三十八話 輝ける未来(6)

 人は蛇の誘惑に負け、知恵の実を食べて楽園を追われた。其は人の原罪である。

 けれど・・・

 知恵なき祝福と知恵ある原罪。

 汝はどちらを選ぶのか。




 彼が母国に送り返されるという話を聞いた私は、驚いて彼と連絡を取り詳しい事情を聞こうとした。

 だが、返ってきたのは、この電話番号は現在使われていないというアナウンスだった。

 携帯の契約が既に切られている事を察した私は、学生課に急ぎ、彼の事を問いただした。

 個人情報の重要性が叫ばれる中、彼の住所や送り返される理由が聞き出せるとは思えなかったが、母国に帰るというのなら大学でも様々な手続がある筈だ。上手くすれば彼と会うチャンスを聞き出せるかもしれないと考えたのだ。

 案の定、詳しい事情は聞き出せなかったが、彼が手続の為に大学にくる予定がある事を聞き出せた。私はそんなに知られているとは想わなかったが、私と彼が親しい事は良く知られた事だったらしい。


 講義をサボって待ち構えていた私を見て、彼は驚いたようだった。

 だが、すぐに笑顔になり、私の元へやって来た。

 いつもの、しかし、どこか泣きそうな笑顔で。

 私は大学の敷地の一角にあるカフェで彼から話を聞く事ができた。

 そして、ようやく、彼が母国に送り返される理由を知った。

 彼は、不法労働者を匿っていたのだ。

 その不法労働者は短期の就労ビザで入国したにも関わらず、ビザの期限が切れた後にも日本に残って働き、祖国の家族に仕送りをしていたらしい。

 それが警察に捕まり、調査された結果、彼がその不法労働者を自分のアパートに匿っていた事が発覚したのだ。

 私はその話を聞いて、何故そんな事をしたのかと彼を責めた。

 留学している身でそんな事をすれば、自分の立場が不味くなるのは分かりきっていた。

 彼は私の詰問に、顔を伏せて視線を逸らしながらポツポツと答えた。


 彼が匿ったという不法労働者は彼の母方の親族だった。


 その親族の祖国、そして彼の母の母国でもあるその国は長年の間一部の有力者による独裁国家だった。しかし、今から数年前、独裁政権からの解放を求める解放軍と独裁政権の間で内戦に陥った結果、列強の支援を受けた解放軍が勝利し独裁から解放された。後のアラブの春に比べればずいぶんと早く、そして血生臭い話だった。

 独裁政権から解放された民衆は歓喜した。

 一部の有力者ではなく、自分達の手でこの国の未来が築かれるのだと。

 だが、そんな熱狂が冷めるのは早かった。

 それまで一部の有力者が独占していた利権を巡って、国内の各部族の間で衝突が起きたのだ。そこに、列強の大企業が進出する事により、問題は更に複雑化した。

 国内で武力衝突が起きる一方、解放軍を支援した列強の影響力を背景に、油田などの利権を列強の大企業が確保しようとした。

 当然、各部族は大企業に反発して何度もテロ事件が発生し、大企業は各部族のテロを恐れ雇用を親列強派の部族に偏らせた。

 その結果、親列強派の一部の部族を除いて民衆の多くが石油資源の恩恵を受ける事が出来なくなり、彼等の生活は独裁政権時代以上に困窮する事となった。

 彼の親族の家族もそうした事情を背景に祖国での生活に困窮し、日本での不法労働による仕送りに頼る事になった。

 そして彼は、親族の苦境を無視する事ができなかった。


 彼が全てを話し終えた時、私は言うべき言葉が思い浮かばなかった。

 ゆっくりと席を立つ彼に、私はこれからどうするのかと訊ねた。

 その言葉に、彼はいつもの笑みを浮かべて答えた。


 何も変わらない・・・と。


 自分は母国に帰らなければならない。それでも、自分が日本過ごした日々が消える訳ではない。日本と自分の母国を繋ぐ絆になるという夢が潰えた訳ではないと。

 そして、そこでイタズラっぽく笑い、続けた。

 ただ、そこに母の母国との絆が付け加わっただけだと。

 彼の笑顔は、私にはひどく眩しかった。

 今回の一件は彼の心にも深い傷を残した筈だった。

 だが、見送りに来た私に、彼はそれを感じさせる事のなく笑顔で帰国していった。


 彼を見送りながら、私は形にならない黒い想いに駆られていた。

 私は何も出来なかった。

 私は何もしなかった。

 そして・・・これからも何もしないのだろうか?


 それは後悔だった。

 それは懺悔だった。

 それは焦燥だった。

 彼は私と比べて特に優秀というわけではなかった。無論の事、留学できるほどなのだから優秀でないわけはなかったが、日本でも有数の大学であるこの大学の中ではそれほど突出した存在ではない。

 だが、どこまでも揺らぎのない彼の姿を見てきた私には、彼が自分よりもずっと大きな存在に見えていた。

 そして、自分を省みて思うのだ。

 私はこれまで何をしてきたのだろう?

 何か望みや夢があるわけでもなく、ただ自分の優秀さを信じ、その限界を思い知り、それでもただ勉学にしがみついた日々。

 自分が卑小な存在に感じられてならなかった。

 だからだろうか。

 私はいつしか自分に何が出来るかを自問自答する事が癖のようになっていた。

 いつも私は彼の言葉を思い出す。


 『輝ける未来』


 私にも何か出来ることはあるのだろうか?

 いつしか私の関心は次第に勉学そのものではなく、実際の経済、社会、心理などに向いていった。

 輝ける未来の為に。

 私に出来る事を探して。




 だが、現実は非情だった。

 知れば知るほど、考えれば考える程、今の社会の矛盾や歪みが見えてくる。

 しかし・・・

 ならば、何が出来るのか?

 私はいつもそこで立ち止まってしまった。

 例えば、自分が政治家になって世の中を変えられないかと考えた事もあった。

 しかし、私はすぐに挫折した。

 自分の利権を守る事しか考えない官僚や政治家たち。彼等を批判する事はたやすい。

 しかし、ならばどうするのか。彼等に代わり、誰が政治を行うのか。どのようにすれば世の中が良くなるのか。

 不満を言う事は出来ても、その代案を示す事が出来ない。

 どこまでいっても私は凡人だった。

 様々な分野に関心を持ち、様々な事を学んでも、結局は挫折してしまう。

 私には何も出来ないのだろうか。そんな葛藤に悩まされる日々が続いた。


 そんな中、私は気分転換にオカルトに興味を持つようになった。

 それはある種の現実逃避だったのかもしれない。

 あらゆる分野において自分の限界を感じていた私には、現実から解離したオカルトに心を馳せるのは大きな安らぎとなった。

 もっとも、周囲からオカルトにしか興味のない変人と思われている事を後輩から知らされた時は吹き出しそうになったものだが。

 私が特に心を引かれたのは中世の悪魔達だった。

 この時代には悪魔の力を借りる黒魔術という発想が生まれた時代だ。それに伴い、悪魔や黒魔術を題材とした様々な物語が生まれた。

 自分の望みを叶えるために己の魂を代償に契約する人々。それは幼稚で愚かではあるが、私にとっては共感できるものがあった。

 本当にままならない現実を変える事が出来るのならば、私でも悪魔と契約するかもしれない。




 いつしか、彼がこの国を去ってから、長い年月が過ぎた。

 私はいくつかのオカルト雑誌に寄稿する事で糊口をしのいでいた。私が活動していた大学のサークルは予想外に注目を集めていたらしい。

 大学の後輩からは才能の無駄遣いだと呆れられたが、彼は私を過大評価している。

 様々な分野に手を出した私は雑学は豊富であるものの、専門家の知識には決して及ばない。実用に足らない、中途半端な知識しかないのだ。

 だが、何故か後輩は私を尊敬していて、後輩の娘とも何度か会う機会があった。


 彼とは電話やメールで時折連絡を取り合っていたが、実際に会う機会は得られなかった。

 いや、会う事は決して不可能ではなかった。ただ、何故か彼に対して引け目のようなものを感じ、直接会う事を避けてしまったのだ。

 その感情が何なのか。

 ・・・私がそれを理解する機会は結局のところ無かった。


 ある日、彼から唐突に日本に来るから会いたいという連絡があった。

 私は慌てて予定を空けて、彼を迎えに行くことにした。どこか気が進まなかったが、遠い異国からやって来た親友を無視するほど私は薄情ではなかった。

 私が空港で彼を出迎えた時、私は目を疑った。

 長い年月が過ぎたのだ。老いは私と同様に彼にも訪れ年相応に老いていたが、昔の面影が確かにあった。

 だが、私を驚かせたのは彼の眼差しだった。

 暗い暗い、疲れきった眼差し。

 記憶の中にある未来への希望に溢れた彼からは想像も出来なかった。

 私が駆け寄ると、私の姿を認めた彼は消え入りそうな笑みで私に笑いかけた。

 私は彼の身に何かがあった事を直感した。

 そこで私は込んでいる空港の喫茶店を避け、少し離れたカフェで話を聞く事にした。 

 何があったのかと聞いた私に、彼は顔を伏せて答えた。

 母の親族達が殺された・・・と。

 彼の母の祖国が政情不安なのは知っていた。

 彼が帰国した時点で既に各部族の部族衝突が起きていたが、今では内戦に近い状態になってしまっていた。もっとも、政府は内戦状態になっている事をガンとして認めていないようだが。

 彼は帰国してからも親族と頻繁にやり取りしていたが、争いが激しくなり所属する部族の本拠地に身を寄せるという連絡を最後に所在が分からなくなっていたらしい。

 だが、つい先月、その親族が武力紛争に巻き込まれて死んでいた事を知った。以前に彼が母国に送り返される原因となった親族もその時に死んでいたらしい。

 全てを話し終えた彼は俯いたまま肩を振るわせた。

 私は・・・かける言葉がなかった。


 彼が落ち着くのを待った後、私は日本に来た理由を聞く事にした。気持ちを切り替えさせたかった事もあるが、この話をする為だけに日本に来たとは思えなかったからだ。

 彼は視線をさまよわせて言葉に迷っていたようだが、しばらくするとしっかりと私に視線を合わせて答えた。

 親族が死んだ事を知ってから彼はずっとふさぎ込んでいたのだが、ふさぎ込んで仕事がほとんど手に付かない有様を見た上司が、しばらく休んで気分転換するようにと休暇をくれたらしい。

 そこで、日本にあるというある物に興味を持っていた彼は、この機会に日本に行こうと思い立ち、私に連絡を取ってきたらしい。

 そのある物というのが何か気になり彼に聞いてみると、彼は恥ずかしそうに鼻の頭を掻きながら答えた。

 なんでも、彼は最近オカルトに興味があるらしい。

 言うまでもなく私の影響だろう。彼に自分の趣味を押しつけるつもりは無かったが、それを仕事にしている関係上その話題を出すことも多かった。

 そこで、彼は大学時代の友人から、後輩の一人がオカルト的ないわゆる『曰く付き』の代物を持っているという話を聞き、それを見せて貰いたいらしい。

 私は後輩がそんな物を持っているという話を聞いた事が無かったので、正直驚いた。加えて言えば、それを所有しているのが、私と今でも交流のあるサークルの後輩だとは思わなかった。

 彼から話を聞いた私が後輩と連絡をとって見たところ、後輩は自分の家にそれがある事をあっさりと認めた。

 何故私に教えなかったのかと、後輩に大した関心がなかったにも関わらず理不尽な不満を感じたが、後輩は私が悪魔にしか興味が無いと思い込んでいた為に伝える必要は無いと思っていたらしい。

 私がそれを見せて貰いたいと頼むと、喜んで招待してくれた。

 後輩は訪ねてきた私達を歓待してくれた。再会してからずっと暗い眼差しをしていた彼も顔が綻び、私は内心ほっとしたものだ。

 夕食をご馳走になった私達は、後輩に案内されて彼の家の敷地の片隅にある倉を見せて貰った。

 そこに彼が見たがっていた『曰く付き』の代物があった。




 それは、簡素な拵えの一本の刀。


 銘は・・・"葵切り"。


『列強』なんて古臭い言葉を使っているのは気にしないでください。あくまで悪魔憑き視点から話で、欧米批判をするつもりはないので。


前話の注釈を忘れたので。

前話の冒頭ですが、『右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい』、この聖書の言葉は有名ですが、後世の創作だという説があります。

あと、某神の子とその弟子がある商人に一夜の宿を求めて追い払われた時、怒った某神の子が呪いの言葉を吐き捨てたという説があります。

・・・これらは聖書の内容が後世に改変されているという懐疑説の一端です。キリスト教徒の方が聞いたら怒るかもしれません。すみませんm(_ _)m


ついでに、アメリカの自由がキリスト教を基準とした自由という話ですが、これはかなり誇張していますが全くの出鱈目というわけでもありません。

アメリカの政治に強い影響力を持っている団体として、イスラエルに肩入れするよう働きかけているユダヤロビーとか銃規制に反対するライフル協会等が有名ですが、キリスト教系団体のロビー活動はそれらより大規模で強い影響力を持っています。元々キリスト教徒が多いので全く話題になりませんが(多数の人間の代弁になっているので)。


何か、注釈を入れれば入れるほど自分の首を絞めているような気がしますが、悪魔を扱おうとするとどうしても世の中を否定的に書く事になります。特に今回の人は社会的な批判がメインなので。

・・・悪意はないので、ごめんなさいm(_ _)m


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