第8話 名士の評判は多方面で稼ぐ必要がある
明日まで1話更新です。明日の投稿分で青州の地図を出す予定です。
青州 北海国高密侯国
年末。雨が少なかった高密侯国の一部で、水不足をなんとかできないかと蔡邕様に相談があったらしい。
蔡邕様のいる孫家の屋敷で相談というより、君ならどうする?という課題のような形でこの話を聞かされた。
「井戸はあるのでしょうか?」
「ある。が、水の出が最近悪いそうでね」
青州は年間降水量が少なく、稲作をするには厳しい立地だ。そのため漁業や養蚕、牧畜といった様々な産業で人々は生計を立てている。そこに畜産飼料と主食として優秀な作物が投入されれば、人々の生活は一気に安定する。
とは言えそこまで水が必要ない作物でも水は必要だ。その水が十分になければ、作物を育てるとか家畜を育てるどころではない。
「さて、旋殿ならばどうする?」
「今の井戸はどの程度の深さで?」
「4丈(約9.3m)ほどかな?」
「であれば、もっと深い井戸を掘りましょう。深い井戸ならば地下水を取りこめます」
少し予想外だったのか、蔡邕様は軽く目を見開いた後、髭を軽くなでた。
「旋殿、その方法は用意できるのかね?掘る方法だけでなく、水を汲み上げる方法もだ」
「ええ」
この時代にない概念を使えば、井戸掘りは1つ上のステージに行けるのだから。
♢
近くの公営炉で鉄を用意してもらい、板状の鉄を丸めて管にしてもらった。鉄管はこの時代まだない。鉄管を使えば深いところまで掘れるので、帯水層と呼ばれる地下水の溜まった場所まで掘れる可能性は高くなる。
内部に竹管を入れた鉄管を地面に刺して上から石のハンマーで叩いて地下深くまで掘り進める。そして鉄管の中の土を竹管ごと引っ張って抜いていく。その様子を蔡邕様や孫乾も見ていた。
「これで本当に水が湧くのか」
「元々このあたりに井戸があり、水が湧いていたなら可能性は高いです」
帯水層だった場所が近いということなら、その層の水を全て使ったのでなければ出るはずだ。
1日で作業は終わらないから、2日目以降は現地の作業員に任せて、俺は鄭玄様のところをメインにたまに現場を見に行くようになった。途中から井戸の周りを固める瓦も用意してもらい、少しだけ鉄管の周囲を掘って普通の井戸くらいの穴を開けていく。ハンマーで打ちこむ鉄管を減らすのも狙いだ。
10日で水が湧きだしたと連絡が入った。定期的に抜いたため鉄管の中の土が少ない分、鉄管が帯水層に届くと周囲の土の重さから水が逃げようとする。その水の圧力で残った土は吹っ飛んで水が湧いてくるのだ。
ただし、水の湧く力はそこまで強くない。なので今度は帯水層から上ってきた水位まで井戸を掘り進める。鉄の道具が用意できるのは孫家の支援あってこそだ。
「まさか本当に新しい井戸を掘ってしまうとはな」
「孫家が支援して下さらなければ、ここまで上手くいきませんでしたがね」
「いやいや、その支援を引き出したのは旋殿の人徳よ」
支援を受けられたのはコーリャンのおかげだ。そして、蔡邕様が孫家に掛け合ってくれたからだ。でなければここまで大それたことはできない。
完成したのは光和3(180)年になった3月だった。ギリギリ種まきに間に合った形だ。寒い中作業を続けてくれた人々には感謝である。
「私の期待以上の答えだった。水を湧かせ穀物の恵みをもたらす旋殿を、民も大いに称えているよ」
「多くの方が協力して下さったからですよ」
「協力ついでに、もう1つ民の悩みに答えられるかね?」
「はぁ」
「実は北海の北東にある東莱郡の東牟侯国で、魚や貝は穫れるが日持ちしないので、売り物にならないことが多いと。特に貝は地元の者しか食べないので何とか金にならないか、と相談が来ているのだよ」
「貝……どんな貝でしょうか?」
「牡蠣という硬い殻を持った貝だ。北海でも少し穫れるそうだけれど、東莱は量が桁違いらしい」
「牡蠣」
中華料理で牡蠣なんて必須レベルのうま味調味料・オイスターソースさんがいるじゃないか。確か古典的な作り方は酒と塩と砂糖と小麦粉で、って砂糖がない、か。
「牡蠣を使うなら、酒があると良いですね」
「酒はどこでも造るしある」
「甘い物と言えば蜂蜜ですよね」
「蜂蜜、が関係あるのか?今は牡蠣の話をしているのだが」
「ええ。酒と蜂蜜があれば牡蠣と合わせて新しい調味料が用意できるのです」
そう言うと、蔡邕様は少し悩んだ後、こう言った。
「旋殿が育てている蓮華を使って、養蜂をすればいいのではないか?」
「あぁ……その手がありましたか」
「確か荊州江夏郡に養蜂家一族がいる。江夏はかつて子幹殿が太守を務めた廬江郡の隣で、大江の上流にあたる地となる」
大江はようは長江だ。この当時は長江をこう呼んでいる。
「養蜂家一族、なんているんですね」
「姜岐という者が数十年前に独自の蜂蜜を採る技術を作り上げたのだが、漢朝からの誘いに乗らず山の中で一族でその技術を継承しているとか」
「それ……私がお願いして誰か教えて下さるのでしょうか?」
「まぁ、話を出したのも私だ。少し伝手があるか調べておこう」
とは言え、レンゲの使い道は鄭玄様からも課題として出されていた。養蜂はベストアンサーと言っていいはずだ。父に頼ることも吝かではない。
♢
青州 北海国 都昌県
川を下って海岸に近い都昌に着いて、現地の役人と会った。ちょうど近場の海で獲れた殻に入った牡蠣があるとのことで、オイスターソースを早速試作してみることにした。同行してくれたのは蔡邕様と郗慮、そして孫邵と孫家の人間が数名だった。
「牡蠣の身を取りだして水で洗ってぬめりを流す。少量の水を入れてすり身にしていく。酒と蜂蜜、塩、少量の小麦粉を入れてひたすら煮込む。何度かこして煮てを繰り返してどろっとしたら完成です」
試作なので実際は前世の記憶にあるようなオイスターソースではない。濃い黒色でもっとうま味の凝縮された、パンチのある味だったはずだ。だが試作でできたのはどろっとしたかんじは出たものの、牡蠣を潰した時の茶色っぽい色が強く味もうま味はあるがそこまで濃厚ではないものだ。だが、蔡邕様や郗慮には好評だった。
「うーむ、これは今まで食したことのない味わい」
「ほんのり海の香りがします……それでいてしょっぱくもなく、甘くもなく、不思議な味で」
「これを使って肉を焼いたものはしっとりした美味しさになっています」
「蔡郎君の申される通り、これは他の物を焼く時につけてから焼くと良いようです」
まぁ、うま味という概念がまだ薄い時代だからこその反応か。もうちょっと工程を丁寧に進めればなんとか。孫邵も食べた後こちらを見ながらうんうんと頷いていた。美味しいらしい。
「旋殿、やはり急ぎ蓮華で蜂蜜をとるべきでしょう」
「旋殿、蔡郎君の申される通り。我が家でも伝手がないか探ってみましょう」
どうやらよほど郗慮の舌に合ったようだ。実家の伝手で蜂蜜づくりのために尽力してくれるらしい。まぁ、喜んでもらえたならいいか。試食に参加した地元の漁師たちも喜んでいた。孫邵が彼らに話を聞いたようで、孫家の使いが聞いた話を教えてくれた。
「牡蠣は今まで蒸すか塩を振って焼いて食べていたそうで、こうした保存できる食べ方は初めてと申しておりました」
「牡蠣を保存するのは難しいですからね。牡蠣らしさを残すのが難しい」
牡蠣の別名である「海のミルク」は濃厚な水分は干して乾燥させれば当然失われてしまう。貝柱が売りになる貝とはそこが違う。
せっかくなのでそこを生かせそうな料理も見せる。水分が抜けすぎないように焼いて作ったオイスターソースをかけた牡蠣とにんにく、花椒を入れてごま油に沈めて保存する。
「これで10日ほどは牡蠣が日持ちしますので、もう少し広い地域で売れると思いますよ」
保存に使うのが陶器だから、通常の油漬けほどは長持ちしないだろう。素材の鮮度もあるし、保存状態も密閉ではない。だが10日あれば沿岸部から青州全体くらいまでは流通させられるはずだ。
「しかし、油に蜂蜜と高い物が多いですな」
「そうなんですよね。そこが一番の問題で」
それでも、蜂蜜が自家生産できれば大分改善されるはずだ。交易も相手が少ないことや手段が限られていることも含め難しい部分はあるが、少しでも結果に繋がるといいのだけれど。
♢
青州 北海国高密侯国
年が明けて光和3(180)年。新年の祝いに蔡邕様への挨拶に滞在する屋敷を訪れた。屋敷の前には竹を火にくべた跡があり、除夕の儀がここでも行われたことを感じた。爆薬がない今の時代は竹を燃やして中の水分で弾けるのを見て悪鬼を駆逐するのが伝統だ。それが爆薬の発見で使う物が変わる。毎年この時期はそんな遠い未来を思う日にしている。
貞姫と文姫の2人にも挨拶をする。2人とも蔡邕様から新しい服をもらったらしい。俺からは近場の職人(井戸造りの過程で知り合った)に頼んだ竹笛をプレゼントした。貞姫は何かわかったようで喜んでくれたが、文姫はまだよくわかっていなさそうだった。まぁ数えで4歳ならさもありなん。
「宦官共も、まさか青州に私がいるとは思っていないようだ。羊氏の元に宦官に唆された尉が探りを入れてきたようだがね」
「ここで蔡先生が心安らかに過ごせるなら、それは孫家の皆様のご尽力によるもの。私は何もしておりませぬ」
「子幹はもう字を名乗って良いと申しておっただろう?世の為人の為に旋殿が尽力していることは皆が知っている。高密に住む者は旋殿を『盧北海』と呼んでいるではないか」
今年は高密侯国で例年にない豊作で、コーリャンは周辺にその名を一気に広めた。それと同時に、俺の名前も北海だけでなく青州や周辺でも語られるようになっていた。そうして得た俺の異名が盧大海の子で北海で活躍するから盧北海だ。ギャグかよ。
俺が幽州から来た道の途中で手に入れたと言ったものだから、一部の商人が通り道を血眼になって探していると年末に会った商人の張世平が言っていた。
「正直、畏れ多い名です。しかし、名に恥じぬ学を身につけねばと引き締まる思いです」
「旋殿を連れてきた商人はかなり方々に宣伝しているようだな。自分が北海に連れて行ったと」
「まぁ、その分私にも益をもたらしているので」
「連れてきた馬。的盧ではあるが、だからこそ盧氏の旋殿には吉兆である、というのは、面白い話よ」
彼はちゃっかりうちで収穫したコーリャンとトウモロコシの種の一部を的盧2頭および貨幣と交換で持って行った。「旋殿には吉兆な馬ですから!」と言って置いていったかんじだ。それぞれ的盧の形からコウミツトップガン、ゲキインパクトと名付けた。
「字を名乗るなら相談に乗るからな」
「はい。ありがとうございます」
そうは言っても、まだ数えで16歳だ。ためらうのは許してほしいところだ。
漢代の井戸の深さは10mほど(広東省の遺跡のものが8.8m)。日本ではそのくらいまで掘れれば水が出てくる水資源大国ですが、中国はそうもいかない場所も多いです。
竹管は漢代の製塩図に既にあるので管の概念はありますが、鉄管はまだなかったようです。鉄を使えれば20mは割と掘れる深さです。とは言え、あと2年遅ければ色々な影響で鉄が不足するので厳しかったでしょう。今しかタイミング的にはなかったかなと。
段階的にはこれを発展させるとうちぬきや上総掘りになるので、技術ツリー的にはそこまで極端には進んでいません。
諸葛亮も曹操も料理を開発した逸話があるように、名士は料理の面でも高いレベルを要求されたのが古代中華。恐ろしい話です。
字については通例は20歳で名乗りますが、周囲が大人と認めたり、色々な事情があれば15歳くらいでも普通に名乗っています。なので主人公も名乗っていいよと言われているかんじです。




