第5話 親は親、自分は自分
青州 北海国高密侯国
父に鄭玄様の件で感謝の手紙を書いて送ったら、雒陽から返信が来た。俺が北海に来るまでの間に改元で光和に変わったこと、尚書の任に戻ったことなどが書かれていた。書き方が無念そうだったので、東観での五経の校訂や漢紀の編纂が楽しかったのだろうなと思った。
父の手紙には約10年ぶりの再会となった蔡邕様との別れを惜しむ言葉が並んでいたので、それも理由だろう。俺から贈った蔡邕様の娘の出産祝いは喜ばれたらしい。生まれた年的にあの蔡文姫だろうし、仲良くしておいて損はないからね。何かあれば北海を頼ってほしいとも付け加えておいた。たかが13歳の子どもの言う事だから真に受けるとは思えないけれど、この時代を生き抜くと決めたなら使える縁は何でも使うべきだろう。
せっかくなので手に入れた種を早速蒔いてみる事にした。鄭玄様には「自分で種まで用意したならそれを使うと良い」と許可をもらえた。農作業と学問、そして少しだけ鍛錬という日々だ。成長期に入ったからか、収穫までに自分の身長も伸びているのを実感した。というか、成長痛で夜眠れない日もあったくらいだ。父が8尺2寸(約195cm)もあるので、おそらく自分もそれなりには背が伸びるだろうと思っている。だから成長期が終わるまで過度な筋トレはしないつもりだ。
生活する部屋は高誘とともに、先輩が2人いた。その1人が郗慮だった。年齢でいえば10歳上でここには5年前に来たそうだ。
「より深く儒学を知るならば、太学に通うよりもここで学ぶのが何よりだ。盧大海様は儒学だけでなく漢朝のために政に時間を使わねばならぬ身。純粋に学ぶためならば鄭先生よ」
「まぁ、父の私塾は今弟子の方が教えてますからね」
「そうそう。尚書ともなれば直接教えを乞うのは難しい。なれば、学を志すならば鄭先生が一番よ」
ただ、この会話の後、部屋で一番年長の門下生は俺と高誘にこう言っていた。
「あいつは太学を落とされてここに来たから、負け惜しみさ。実際は雒陽の話題に人一倍飛びつくし、茂才で推挙されればすぐに雒陽に行くだろうさ」
つまり、官僚になろうとして東大を受けて失敗したから、研究者になるために山中教授に弟子入りした、みたいな?ちょっと違うかも。
まぁ、この年長の門下生も割と俗物っぽいタイプで、お世話になるからと布を贈ったおかげで俺と高誘はかなり面倒を見てもらえた。
高誘は俺と一緒にトウモロコシとコーリャンの栽培を手伝ってくれた。トウモロコシはフリントコーン種と呼ばれる寒さや乾燥に強いタイプで、どちらも育て方のメモがついていたのでその通りに育てる。春にはなっていたが、まだ夏まで時間もあるので育てるのは大丈夫そうだ。後は、土の状態次第だ。
「しかし、何故に蒲公英の咲いていた土で育てるのかい?」
「このコーリャンは蒲公英の咲く土で育てるとちょうどいいらしいんだ」
土壌のphの問題だ。大体ph6くらいで育てたいのだが、調べる方法がない。しかし、蒲公英が咲く土は大体ph6くらいらしい。ちょっと変則的だが、コーリャン(麦類)→トウモロコシ→カブ→レンゲで輪作すれば疑似的なノーフォーク農法にできる。コーリャンは自分たちで食べて、クローバーは緑肥植物にし、カブは食べたり馬などの餌にし、トウモロコシも食用と餌用の半々にしようという目論見だ。定期的に石灰を撒いて土のphを安定化させると良いらしい。
「まぁ、失敗もまた農を知る一歩って先生も仰っていたからな。手伝うよ」
「ありがとう」
大人と言える年齢の高誘が手伝ってくれるのは大きい。とりあえず手に入れた種は全て撒くことが出来た。ありがたいことに、このあたりはあまり野鳥が出ないらしい。鄭玄様の徳のおかげだと周辺の住民たちは言っているようだ。おかげで、植えたばかりの種が奪われるようなことはなかった。
♢
夏も盛りになると作物の育ち方が明確になる。さすがに超常的な存在からもらったコーリャンとトウモロコシなだけあってすくすくと育っており、現地のカブとレンゲも順調だ。鳥よけの棒に紐をくくりつけて囲いを作っているが、あまり鳥が寄りつかないのは本当にありがたい。そして、他の鄭玄様門下生も俺が育てているものの生育速度の早さと実の量が多いことに徐々に気づきつつある。
部屋で一番年長の門下生に収穫分と食料を交換してもらうようお願いし、来年は彼にも育ててもらうことにした。他にも数名と同じ約束をしたが、郗慮は自分から交換してくれとは言ってこなかった。同じ部屋で渡さないのも不自然なので仕方なくこちらから交換を提案する。
「このコーリャンは良く育ちますので、まだ数を増やしたいのですよ」
「ならこの量の麦と交換してやろう」
「あ、ありがとうございます……」
他の人は少し多めの食料と交換してくれる約束だが、郗慮は同じ量での交換を求められた。年上だからと少々交換レートおかしくない?
とは言えこういう時に不満を言うと面倒なので黙っていたら、後日交換レートが結構良くなったものを再提案された。育ちの良い作物の話だという噂が鄭玄様の耳に入り、どの程度の交換比率で受け取ったか数人に聞いたらしい。年長の門下生でさえ少し食料多めの交換だったため、鄭玄様が郗慮に、
「ではお前は来年以後他の年長者にその比率で全てのコーリャンとやらを交換して渡すのだな?」
と聞いたらしい。それで慌てて比率を見直したそうだ。ちょっとスカッとした。とは言えそれで八つ当たりする程器の小さい人物ではなかったようで、しばらくはこちらを気遣って収穫道具の手配などを手伝ってくれた。そういう様子を見るとむしろ小物なのかもしれない。
コーリャンとトウモロコシの1回目の収穫を終え、トウモロコシは水車で粉にすることにした。このあたりの技術発展は流石古代中国。鉄だって農具でさえ鄭玄様のところに少量あるレベルで普及している。このあたりでは水車で臼を挽く水碓と呼ばれる設備がなかったそうで、水車で挽くという提案をしたら「流石盧大海の息子だ」と言われた。
このコーリャンとトウモロコシにしろ、水碓にしろ、「盧大海の息子だから」提案を許されている部分がある。一方で、自分が頑張ったとしても「盧大海の息子だから」出来ていると思われる部分も多々ある。まぁ、知識も作物の種子も自分で思いついた、探したものではないから、そういう意味では仕方ないのだけれど、もどかしさもなくはない。
「盧大海のいる幽州ではこの作物を育てているのか?」
「鄭先生。いえ、これは道中で見つけた作物で」
「そうか。良く見つけて来たな。後は食べられるかを見てからだ」
恐らくそうした色眼鏡(儒学的に見れば親の積み重ねた功徳のおかげ)で見ないのは鄭玄様くらいだろう。そういうところもすごいと感じさせるところだ。
収穫の季節になると、門下生がみんな俺と高誘の収穫を見守った。そして、その一部を食糧とすべくトウモロコシは貝殻の粉末で処理して煮る。いわゆるニシュタマリゼーションだ。やり方はフリントコーンの入っていた袋に書いてあった。
処理したフリントコーンを潰して粉にし、メキシコ料理のトルティーヤにして振舞った。正直作り慣れているわけでもないので、味はそこそこだった。でもこの青州という地域で栽培されているのは粟が多く、粟の実の殻をとると白米と呼ばれる。これを幽州含め北部では良く主食にしている。
最初に白米と聞いた時はいわゆる前世の主食かと思って嬉しかったが、残念ながらあれは稬と呼ばれていて別物扱いらしい。徐州あたりまでいかないと寒すぎ&水足りなすぎで栽培できないらしい。やっぱりもっと南に行けば良かったか。いや、理由がないわ。ここに来た理由は青州黄巾を防いで曹操不在でも黄巾討伐をなんとかするためでもある。南に行けば行くほど黄巾賊の影響は小さくなる。つまり自分の身は守れても父や兄を見殺しにしかねないのだ。
「この皮で肉を包んで食べます」
鄭玄様に見せた上で、毒見的なかんじで同部屋の年長門下生がまず食べる。一口食べたらそのまま全部食べた。彼は口いっぱいに頬張ったままでうんうんと大きく頷いている。
「美味!美味ですよ先生!」
「ふむ」
そのまま鄭玄様も口に入れると「豚が食べやすいな。口の中がしつこくない」と一言。そのまま年上の門下生が1人1つ食べて、合格がもらえた。さらにコーリャンを煮込んだ粥も食べてもらい、味はともかくきちんとお腹がふくれることは確認してもらった。
「次からはこの粥を主に作る。こちらの玉蜀黍とやらは食べるまでに手間がかかる。しかし、家畜の餌になるなら作ることは作る」
鄭玄様はそう結論付けた。
「あと、蓮華を育てるだけ育てて家畜の餌にもしないのはもったいない。何か上手く使いなさい」
「はい」
「次の1年でこの高粱と玉蜀黍を増やし、北海の民草に分けること。これは私と旋の名で広めてよい」
この言葉に、郗慮が驚いた顔をする。
「旋の名で、ですか?盧大海の息子と言った方が民の納得も多いかと」
「駄目だ。旋は旋だ。旋の為した事は、旋の名で広めよ。それとも、郗慮が大業を成し遂げた時、わしの弟子として讃えられたいか?」
「な、成程」
「親の功名は大事だが、その親元を離れて学びに来た者をまた親の名で縛りすぎるのは儒学でも求められていないことよ」
やはり、鄭玄様は尊敬できる人だった。
「だが、旋よ。父の名から逃げることもまた叶わぬことよ。子幹とどう向き合うのか、己なりに考えることも、忘れるなよ」
「はっ。しっかり考えていきまする」
儒教の生きづらさが出たと言えばそうだが、親は親、自分は自分とはいかないのがこの時代というものかもしれない。
東観は後漢の史料編纂所というか、国の図書館のような場所です。
水碓は中国の技術史に関する本を読む限り、意外と全土には行き渡っていないようでした。なのでこんな描写を入れてあります。
本日2話目は16時更新予定です。




