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第45話 中常侍の全滅、董卓の政権掌握(別視点)

全編3人称です。

 司隷 河南尹かなんいん雒陽らくよう


 4月中旬、霊帝、崩御。


 これを知った中常侍の趙忠ちょうちゅうは周辺に他言無用を言い渡し、劉弁が皇帝になれるよう準備を始めた。劉弁の最側近だった高望が失脚していたため、即時彼に即位の準備をするよう伝える人材がいなくなっていたのが原因だった。


 趙忠は劉弁の即位を利用して張譲派の一掃と何進の影響力排除を狙った。上軍校尉の蹇碩けんせきが黄巾残党や白波賊の討伐に失敗していたのもあり、彼らは焦っていた。


「上軍校尉だけでは不安だ。張温を呼び戻し、兵力を揃えて何進と、張譲を排除する」

「趙大長秋の申す通り。まず何大将軍を何とかせねば」


 趙忠の考えに同意した宦官たちが策謀を巡らせる中、何皇后と何苗かびょうを取りこむべく動いたことで何進がその動きを察知した。何進は急ぎ自分たちと協調する郭勝かくしょう呂強ろきょうと連絡を取り、趙忠たちの不自然な動きを調べ始めた。


「何大将軍が我らを嗅ぎまわっている様です」

「張温の到着を待っている余裕はない!すぐに何進を討て!それと、張譲もだ!」


 趙忠派は蜂起を急ぎ、霊帝の遺命を捏造して何進を呼び寄せた。しかし、何進はこれに呉匡ごきょう・袁術・孫堅らを連れて宮中に入ったため、趙忠は先手必勝とばかりに張譲を殺害。そのまま他の宦官にも攻撃をしかけながら、何進殺害を蹇碩に行わせようとした。


 何進は孫堅とその部下らの活躍もあって、重傷は負ったもののなんとか撃退に成功し蹇碩の殺害に成功した。しかし、宮中は戦場と変わらない阿鼻叫喚の地となった。

 そして、戦場で袁術らは趙忠らに襲撃を受けていた手負いで供さえ1人もいない段珪だんけいと合流した。


「段黄門か」

「どうやらそちらも、趙忠に襲われたようで」

「とすると、張譲派はもう」

「それどころか、呂強らも皆殺しよ。武を鍛えていなければ、全滅していた」

「……奥の部屋で負傷者が休んでいる。貴殿もそこに向かうといい」

「許していただけるので?」

「盧家に随分便宜を図ったそうだな。盧大海様もその分の恩は返すつもりだったと」

「保険はかけておくに限るな。感謝しよう」


 しかし、段珪は負傷者に恨みを買っている可能性があったために別室に入れられた。そして、そこを1人の青年が訪れた。


「……何者だ?」


 段珪の言葉に応じることはなく、青年は満足に体の動かない段珪の腹に小剣を突き立てた。


「ぐっ……」

「伯父上の、仇……!」

「伯父……?」

「伯父上を、済北相を讒言ざんげんで追いこんだこと、忘れはしないぞ!」

「覚えがないなぁ……くっくっく、だが、そういう恨みこそ、最期にこの身を滅ぼす、か」


 段珪にはこの一撃に耐えるだけの体力がなかった。

 張譲派最後の宦官・段珪。記録では趙忠に襲われ、最期は襲われた傷が元で乱の最中に死んだとされている。


 ♢♢


 趙忠は劉弁・何皇后らを連れて雒陽を脱出しようとしたものの、その動きを読んでいた者がいた。袁家の有力者・袁隗えんかいである。

 彼は張温を呼び戻す動きに合わせて董卓を雒陽に招いており、羌族と戦うべく奥地にいた張温より早く雒陽まで来れると判断していた。そして、その読みは正しかった。


 董卓は2000の騎馬隊のみを選抜して雒陽に急行し、郊外で趙忠らを捕捉した。趙忠に同行していた何皇后の弟である何苗は、董卓軍の手で宦官ともども皆殺しにされた。霊帝の子2人を手に入れた董卓を見て袁隗は2人で政治中枢の掌握を提案したが、ここに待ったのをかけたのがまだ意識があった何進と、彼の意を受けていた盧植らであった。

 何進は重傷を押して彼らとの会談に臨み、霊帝が既に死んでいたこと、宦官は全滅したことなどが情報共有された。そして、次期皇帝をどうすべきか話し合われたのだった。


「何大将軍には申し訳ないが、弁様に帝位が務まるとは思いませぬな」

「董将軍、それは言い過ぎであろう」

「しかし、盧尚書も俺が保護していた様子を見たはず。胆力に欠ける君主は大事な時に臣をいたずらに殺しますぞ」

「臣は君の欠けたるを補う者。ならば君が決断できるよう出来ることをするのが臣の務めだ」


 既に長男・劉弁は周辺の家臣を失いすぎていた。側近と言える宦官は失脚あるいは死亡し、母親の後ろ盾である何苗も死亡。何進以外に頼れる相手はいないと言っていい。張温は宦官皆殺しの報をうけて軍勢とともに長安に撤退しており、彼もまた後ろ盾にはなりえなかった。

 そして、霊帝の母である董太后とうたいごうは別家ながら同じ姓である董卓と接触を開始し、劉協の後ろ盾となっていた。劉協の擁立には袁隗も賛同しており、霊帝崩御を隠した悪人の誅罰をした董卓の功績を考えると無視できる状況ではなかった。


「それに、亡くなった皇帝は協様こそ愛されていた。なればその遺志をくみ取るのも大事ではないかな?」

「それでも、長子相続の原則を乱すのは王室の為にならぬ。儒学を説きながら儒学を蔑ろにする国にするつもりか?」


 盧植と董卓の話し合いは平行線を辿ったが、それこそ袁隗の狙いだった。何進の容態が悪化し、彼が死ねば自分に匹敵する政敵はいなくなるという読みだった。

 しかし、その思惑に董卓は乗らなかった。董卓は何進を大将軍に据え置きながら西園八校尉のトップにし、盧植を大司空に、司徒に袁隗を、そして太尉に自分を置く人事で何進らを納得させたのである。袁隗も三公に復帰できるため表立って文句は言えず、結果としてこの体制で改めて霊帝の崩御が発表されることとなった。


 だが、皇帝問題だけは固まらなかった。ひとまず葬儀を長男の劉弁が行うことが発表されたものの、霊帝の遺体を納めた梓棺しかんに泣きつくでもなく、さりとて毅然とした様子で見送るでもなかった劉弁に董卓は主としての才覚を見出さなかった。これは、彼の感覚が騎馬民族に近く、上に立つ者が力を持たねば国が治まらないと考えていたためだった。


(やはり皇帝にこの小僧を立てては黄巾の二の舞だ。袁隗も人と人の間でうごめくだけの愚物。何大将軍が力を示して国を治めるなら良かった。なのに、将軍はもう何日も保たない)


 董卓は霊帝の葬儀直前に意識不明となった何進を見て、決断した。

 葬儀の4日後、何進の死が確認されると、董卓は袁隗を宦官と通じていた罪で殺害した。そして、何太后を董太后の証言で「孝の道に叛く」として幽閉し、劉弁を弘農王にして皇帝にならないことを内外に示した。

 一方、盧植は長安にいた張温の討伐を任されたため、何太后の幽閉や劉弁の諸侯王就任を止められなかった。盧植にとって不幸だったのは、皇甫嵩・朱儁が冀州討伐のために冀州におり、張温討伐が任せられる人材がいなかったことだった。一連の動きに関わることが出来なかった袁紹は憤慨し、袁隗の仇討ちを訴えて董卓と公然と対立していくことになる。


 ♢♢


 冀州 常山国・元氏げんし


 黒山賊と白波賊が合流したとされる地は今、官軍によって制圧されていた。

 一連の合戦で活躍した袁紹は、しかし満足していなかった。


「何故これだけ色々な動きがあったのに、私は雒陽にいなかったのだ!」


 前線で経験を積み、良き将を得ている。戦功をあげ、冀州渤海郡の太守にも任じられた。しかし、袁術のように雒陽にいれば直接権力闘争に加われたという後悔があった。家臣の逢紀ほうきはそんな彼に、今の雒陽は危険だと説く。


「本初様、今は粛清などもあり、雒陽はむしろ不安定です。ここは雒陽に近づかず、渤海郡を己の地にすべく赴任すべきかと」

「ちっ。しかも向かうのが盧大海の息子の影響がある地とは」


 渤海郡は青州と接しており、先の白波賊や烏桓族に大いに荒らされた地でもあった。


「袁術は後将軍となったし、我らはひとまず渤海で力を蓄えるしかないか……」

「今は我慢です。名士も続々と集まっておりますれば」

「いざとなれば叔父上を討たれたことを名目に董卓に反旗を翻せる……董卓も負い目があるから私や袁術を優遇するのだ。必ずここから雄飛する機会はある」


 袁紹は必死に自分の地盤を固めるため動き出した。


 ♢♢


 豫州よしゅう ちん国・陳県


 陳国王の劉寵りゅうちょうは不安定な状況が続く中、自領を安定させていることで大いに評価されていた。同族の劉虞りゅうぐは何進亡き後張温の後継として車騎将軍に任じられており、董卓は周辺を固まるべく名士を多数招いて政権の安定化を図っていた。


「で、うちの娘と婚儀を願う男が多数、と」

「御父様、あの……」

「安心せよ。地位だけの愚か者にお前は渡さぬさ」


 そして、彼が盧植に出していた手紙の返事が来ていた。


「やはりな。読み通りだ」

「御父様?」

「潁川の兄にも程よく近く、青州から届かぬわけでもない。劉一族の血。盧大海ならば、この縁を受けると思っておったぞ」

「あの、どういう……」

「何、我の勝ち、ということだ」


 劉寵は満面の笑みで、その手紙を娘に見せた。


「今宵は宴会だ!酒だ!酒を持って参れ!」

史書→何進は自分から兵を引き連れたが謀略で討たれる

本作→宦官が主体で兵を送ろうとするが何進が察知したため死にはしなかった


とは言え、宮中に兵を入れるのは難しかったため、何進も重傷を負うことになりました。

結果として宦官が全滅したのは史実通りです。宦官側も分裂していた関係で、多勢を入れられなかったのが響きました。


また、後ろ盾が壊滅した劉弁ですが、さらに何太后まで先に失脚した結果、即位できませんでした。これらの動きが史実より早い&霊帝崩御が隠されていたので、色々な意味で割を食ったかんじです。ただし、即位していない分そもそも董卓に殺される可能性も減っています。

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― 新着の感想 ―
おお、史実と違えど宮中から天下が更なる大混乱 かつての三英傑が居ても治まらなかったこの混乱に盧慈様はどう立ち向かうのか。 そして弩弓の王様は大笑い。次回も気になります
[一言] ついに乱世に突入か。 三将がいない分、袁紹・袁術らの群雄や皇族が力をつけるのですかね
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