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第43話 疎は礎なり

 青州 東莱郡・牟平ぼうへい


 東莱太守はことの次第を知ると、青ざめた様子で決断を下せずにいた。

 彼はきっと青州黄巾が発生していれば生きてはいられなかったはずの人物だ。遠方の事なかれで生きていける場所を任された、これ以上出世が見こめない老齢目前の役人の退職金代わりの役職だからだ。次の太守入れ替えで彼は引退となるだろう。


「しかし、盧県令殿が襲われたならば処罰は免れませんし」

「多少なりと毅然とした対応をしなければ、太守様もないがしろにされますよ」

「いや、私は、別に……」


 この人は事なかれ主義者でもあるから、難しい。でも、だからこそ長い物に巻かれるタイプだ。


「青州刺史に新しい人物がそろそろ決まるでしょうね」

「突然、何を」

「その人物は私とどういう縁でしょうね」

「……」

「青州刺史は、東莱をどう考えるでしょうね。何せ、冀州が荒れた原因に豪族の搾取さくしゅは当然入っているでしょうし」

「や、やはり何かはしないとか?」

「正直、太守様が何もせずとも、次の太守が引き締めに何かするでしょう。そして、それは恐らくかなり苛烈になるかと」


 東莱郡の民衆に気に入られる最も安易な方法だ。俺に危害を加えそうだった豪族を討伐する。それだけで民衆は新しい太守を支持するだろう。体よく利用されるだけだ。何より問題なのは、王営の妻の実家である公沙氏は今雒陽で誰も要職についていないということだ。一方、俺は父が尚書にいて兄が潁川太守であり、兄の嫁の実家は名士・李家である。公沙氏にとって数少ない縁のある潁川荀氏は潁川郡で荀彧じゅんいくらが兄の孝廉で出世中。となれば中立を保ってもらうので精一杯だろう。彼らは中央と離れすぎた。見切るのが早すぎたのだ。


「多少なりと穏便に収めたければ、むしろ太守様が動く他ないかと。でないと、私を慕う者が暴走することさえあり得ますし」


 実際、王豹は行けと命じたらすぐ飛び出しそうなくらい武器を磨くのに余念がないし、王営が治める東牟とうぼう県の隣である牟平県の従銭もいつでも兵が動かせるように準備している様子だ。名目上は黄巾や烏桓族の残党が来た時に即応できるようにだが、誰もが建前だと気づいている。


「でも、甘すぎると私に怒りの矛先が向くのではないかな?」

「まぁ、それはその通りですが」

「盧県令だけが頼りだ。うまく収めてはくれないか」


 定年退職1年前に部長職を最後に受け取ったら、係長同士が揉めて他部署の課長に迷惑かけている構図だ。うまく収めないと残りの期間だけでなく再就職にも響く。同情はする。とは言え、ここで多少動けないと青州の豪族に手が出せなくなる。それは良くない。漢王朝は儒教で治める国の皮を被った法治国家だ。


「では、まず王営をここに招集しましょう。彼に直接申し開きさせ、ここで謝罪となればこちらもある程度矛を収められますし、対外的にも太守が呼びつけて謝罪させたという体裁が整います」

「だが、謝罪しない場合は?」

「鞭打ちや罰金か、それとも水利の管理を王欽に完全に渡すと宣言するかでしょうね」

「しかし、罰金はあの男、嫌がりそうだな」


 確かに。金の亡者だし、罰金と謝罪なら謝罪を選びそう。何なら鞭打ちの方がましとか言いそう。そういう意味では頭が儒学に染まっていない。だが社会に適応してはいない。


「ひとまず、呼び出しはしよう。処罰するかどうか含め、あの男が来てから決めよう」

「そうですね。まずは来てもらわないことには」


 そうすんなり行くかはわからないけれど。


 ♢


 そして、王営が来ないまま1月が経過した。4月も半ばに入り、そろそろ霊帝が亡くなる時期に来ていた。父からは手紙が来なくなった代わりに、兗州えんしゅう泰山たいざん郡の羊続ようぞく殿や陳留ちんりゅう郡の李乾りけん殿、任城にんじょう国の橋羽きょうう殿から連絡が来るようになった。

 手紙には宦官が一部処罰されたという情報が届いていた。前回の合戦で敗れた責任を高進の養父である高望がとったらしい。高望は次の皇帝候補であり、史実で董卓に排除される劉弁と仲が良かった。この失脚は劉弁を次期皇帝にしようと画策している一派には大きなダメージのはずだ。そうなると、いきなり弟の劉協が皇帝になる可能性も出てくるのだろうか。張譲一派は劉協側にすり寄りつつあるとも聞くし、可能性はなくもない。


 一度高密まで戻ったものの、政務を処理してまた戻って来た時に太守は頭を抱えていた。手紙が届いていない筈はない。何せ王営の城内に入るまで太史慈が見送ったのだ。そして王営の衛兵に帰ってくれと言われ、帰ってきた。だから、届けたのは間違いない。太守は頭を抱えていた。


「こ、このまま任期が終われば……まずい」

「前回の任免が中平3年ですので、今年中に代わることもありそうですね」

「むしろ、次の太守に大義を与えただけな気がするのですが」

「そうならないために、もう一度督促をしましょうか」


 そんな会話をしていたら、公沙盧が官庁に来るという連絡が来た。明日にはここに到着するらしい。


「これで少し話が進めば良いのですがね」

「公沙家なら上手くまとめてくれないものか」


 そう事は簡単に行くだろうか。公沙盧自身は俺に脅威を抱いていても、おそらく王営は俺がそこまで大軍を動かす余裕がないと高を括っている様子が見える。最悪金銭で処理するか領内で謝罪なりなんなりで処理するつもりだろう。


 ♢


 翌日。

 公沙盧はかなり憤慨した様子で官庁に来た。


「姉上から、『夫が太守様に酷い仕打ちを受けている』と手紙で聞きました」

「酷い仕打ちとは?」


 俺が聞くと、公沙盧は顔を真っ赤にして太守を問い詰めるように口角から泡を飛ばす。


「水路の衛兵を皆殺しにされ、謝罪するようここに出向けと言われたと」

「衛兵側から矢を射ってきたので、一部を討っただけです。半数は捕縛して、今もここの牢に繋がれていますよ」

「どうせでっちあげの偽物でしょう!管承も県令様は討たずに逃したのですから!」

「どこに偽物と言う証が?」

「とにかく、信じられませぬ!姉上から、『夫は怯えて領内から出られない』と聞きました!このような横暴は許されませぬぞ!」

「そもそも、王氏一門は上流の『』をご覧になったのですか?」

「疎?」


 疎とは言ってしまえば堤防などの治水工事のことだ。夏王朝のが行った治水全般を示す言葉で、治水の理想とされている。


「今王氏一門が水を御し恩恵にあずかれるのは、上流の疎が機能しているから。その恩恵を受けながら水路の大きさは大きく取るのは、王氏がただ強欲である証ではないですか?」

「そ、それは私にはわかりませぬ」

「ならば、尚更一門から誰でも来るべき。我らはただ事情を説明するよう伝えたのみで、謝罪をいきなり求めてはおりませぬ」

「ぬ、ぬ、ぬ」


 公沙盧はどうにも勉強不足だ。この時代は儒学でどれだけ自分たちが正しいと言えるかのレスバトルが重要だ。しかし、彼には必要な知識が足りない。前回もそれで俺の指摘に答えられなかったし。


「とにかく、ここに来ないのであれば、太守への叛意ありと断じられかねないことを理解していただきたい」

「か、帰らせていただく!」


 公沙盧は最後までまともなメッセンジャーにすらなれなかった。東莱太守は最後まで自分から発言できなかったが、これではどうにもならないことは理解したようだ。


「盧県令殿、あと1月以内で王営が来なければ、彼を捕縛してもらいたい」

「わかりました。あと、公沙氏については北海の士なので、こちらで別途対応いたします」

「頼みます」


 彼の手は震えていたが、さすがにこうなると動くしかないということだろう。


 ♢


 青州 北海国・膠東こうとう


 10日後、公沙氏の領有する邑で小作農による反乱が発生したと報告が来た。俺は急ぎ高密にいる王豹の部隊を招集し、公沙氏の元に向かった。公沙一族には多数の死者が出ており、配下にいた兵士の一部も反乱に加わっており、領地に戻る前だった公沙盧以外で無事な男性はいなかった。公沙盧は何故か劇県に助けを求めず、王営のところに逃げ込んだのを確認した。

 領内は俺が向かうと反乱がぴたりと止まり、首謀者7名が出頭してきて彼らを打ち首にしつつもきちんと埋葬して終わりとした。

 俺は一連の処理が終わり、牟平県に戻る際に馬車で一緒になった程昱に聞いた。


「反乱の首謀者、みんなうちで子どもたちを保護していた者だったそうだな」

「そうですか、それは知りませんでしたな」

「以前の問答で身売りを我々相手にし、親を助けた子どもの親ばかりだ」

「偶然とは怖いですな」


 まぁ、彼から何かが出てくることはないだろう。


「清水に魚棲まず、くらいは私も知っているよ」

「しかし仲厳様、恨みを買えば章邯しょうかん程の名将でも故郷で信を失い、敗北しますので」


 清水に魚棲まずは清廉潔白すぎても人がついてこないということだ。しかし、秦の名将の1人だった章邯でも恨まれるようなことをすると、劉邦の寡兵にさえ負けてしまう。清濁併せ呑むのはいいが、恨みを買わないようにするのが自分の仕事だ、ということだろう。


「これで王営は牟平県まで来れませぬ。偶然に感謝しつつ、青州を貴方の命が届く地にして下さいませ」


 程昱はそう言って、俺に大きく頷いた。

程昱は必要ならば自分の手を汚すことを厭わない軍師なので、こういうこともします。

豪族が減れば減るほど国相の収入は増えるので、軍事力をより養えることになります。程昱はそれを狙った行動をしている状況です。

何故公沙氏かと言えば、北海国内なので謀略がしやすかったことなども影響しています。

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