第37話 臨済の戦い(中)
青州 楽安国・臨済県
戦場の後方に控える白波賊の楊奉は、その報を受けて迅速に対処した。その意味で、彼の打った一手は最善手だった。問題は程昱にその行動が読まれていたことだった。
「千乗の城が攻められている!?」
「はっ!敵は盧の旗を掲げており、黄巾共は女子供を逃がすべく動き始めておりますが、混乱して敵の数は不明です!」
「使えない連中だ。しかし、どこから兵を……」
「どうしますか?」
「黄巾が崩壊したら面倒だ。敵の兵数も不明ならある程度川を渡って援軍に向かわざるを得ないだろう」
こうして楊奉は兵を一部千乗に向かわせた。千乗を襲ったのは海賊出身の管承で、盧慈の命令で500を率いて蓼城に海岸から上陸していた。管承が蓼城の兵を一部加えて手薄な千乗を襲った結果、そこに滞在していた黄巾賊の家族などが大混乱に陥っている状況だった。
そして、この白波賊の動きを誘導するための動きだったことを楊奉は気づくのが遅れた。白波賊の兵が川を渡河しつつある状況で盧慈軍は歓声をあげながら勢いに乗って攻めかかってきたのである。
ここで黒山賊・白波賊・黄巾賊・烏桓族がそれぞれ独立した指揮系統である影響が出た。白波賊の行動は誰にも共有される必要がないために、その行動の意味は白波賊しか知らなかったのである。
♢♢
「「「勝った!勝った!勝った!勝った!」」」
全軍が叫びながら黒山賊の軍勢に襲いかかる。実際に白波賊が一部とはいえ川を渡っているのは事実だ。これを見た後方の黒山賊は明確に前に出ることがなくなっている。程昱が敵軍の動きが鈍い部分を見つけ、楽進・于禁の両将に指示を伝えていく。少しずつ押しこんでいくと、太史慈のいる前線から続々と報告がやってくる。
「敵将の張雷公、太史様が討ちました!」
「劉将軍、敵将の浮雲を負傷させ撤退させました!」
「よし!そのまま黒山賊を打ち破れ!」
既に俺の軍勢と前の中央軍はほぼ合流し、前線の疲弊した兵と入れ替わっていく。王豹が俺の側で細かい指示を出している中、ついに敵の後方にいる弓兵の射程に入るほど前線に近づいている。王豹は俺を気遣って少し下がるよう進言してくる。
「仲厳様、ここは危ないです!少し下がった方が!」
「違う!ここで退いたらダメだ!前に、前に行くんだ!!」
後方にいるのはもはや程昱とその周りを守る100もいない兵だけ。でも、前の黒山賊を倒すのが一番大事な状況だから問題ない。
俺自身も弓を番えて敵陣めがけて矢を放つ。こちらから放物線を描いて敵陣を襲う矢より多数の矢が飛んでくるが、味方が矢盾を張って防いでくれる。とにかく攻勢を緩めずに押していると、于禁軍から更に楊鳳が敗走を始めたという情報が入ってくる。
「右側の方が敵が崩れている!右からどんどん崩すぞ!」
元気な兵を右側に寄せていくと、程昱が輿を降りてこちらに合流してくる。
「仲厳様!右を全力で崩し、烏桓族に負けたと思わせましょう!烏桓族は白波賊が川を渡っているのも見えています!」
「今兵を動かしているところだ!私も動くか!?」
「いいえ!仲厳様が姿を見せると万一の逆転を狙われかねません!仲厳様は左翼へ!右はお任せを!」
そう叫んだ程昱が孫邵を連れて中央右軍をドンドン押しこんでいく。俺はやや大回りして左翼側を楽進と協力して押していくことにする。確かに、黒山賊が壊滅しても烏桓族の兵数はうちより多い。『自分たちだけでも勝てる』と思われたら終わりなのは事実だ。
楽進は最前線で自ら槍を振り回しながら黒山賊を定期的に分断し、分断された部隊に余力のある部隊をぶつけて確実に敵兵を削り取っていた。楽進自身は敵の指揮官を狙い、相手を圧倒していくため相手は指示も出せなくなってうまく敵の前線を機能不全にしていく。目の前で見事な戦いぶりを見ながら、俺はやや後方の敵司令官を弓で狙って全体の指揮能力を奪っていく。俺の弓では敵は倒せないが、相手が警戒して指示が細部に届かなくなれば問題ない。
敵が若干後ろに退いて全体が一息つける間ができた時に、楽進がこちらに下がってきた。これだけ前で戦いながら俺が近づいているのに気づいているとか、視野が広い。
「仲厳様、どうやら子義殿が難敵と当たったようで」
「難敵?」
「ええ。趙子龍と名乗る若武者だと」
太史慈と趙雲が戦っている?史実じゃまずありえなかった戦いだ。
「負けることはないものの、敵に勢いを殺されると劉将軍から一報が来ておりました」
「わかった。右側は程軍師がうまく敵を崩している。ここが突破できればほぼ勝ちだ」
「承知いたしました!烏合の衆には負けませぬ!」
「とは言え、侮るなよ。敵にも優秀な者がいる場合がある」
「はっ!」
俺は中央の様子を見るべく、王豹と一旦中央に戻ることにした。すると、戻る途中で左軍にいた張飛が兵とともに戻ってきていた。
「仲厳様!黄巾共はもう総崩れですぜ!」
「良くやった!ケガはないか!?」
「準備運動にもなりゃしませんでしたよ、あんな連中!」
黄巾賊は千乗を襲ったことで一番動揺するだろう敵だった。どうやら効果はてきめんだったようで、離脱する兵が出たために諸侯の兵が一気に勢いづいて押しこんでいるそうだ。
「自分はどこへ向かいますか!?」
「一緒に中央へ!子義が強者と戦っているらしいから、そこをもう一度押しこむ!」
「承知!」
張飛を連れて中央へ戻る。気づけば太陽は中天を過ぎており、俺は準備していたトルティーヤの生地で作ったサンドイッチ風の食事をその場でとり、竹筒の水筒から水を飲んで一息ついた。張飛も食事を忘れていたようで、紙で包んでいたトルティーヤを頬張って美味しそうに咀嚼していた。
黄巾賊が崩れている今、白波賊はそのフォローと敗走する兵を押しとどめるので精一杯と休憩中に報告が来た。諸侯軍もこれだけ押せ押せなら、しばらくは白波賊とも戦えるだろう。
周りの兵も少し落ち着いた様子を見せ、王豹もこちらを見て頷く。
「よし、一気に勝負をつけるぞ!」
「「了!!」」
♢
中央の疲弊している兵に水分補給を促し、支給してあったトルティーヤを食べさせる。塩分補給も兼ねているので、食事は重要だ。ミカンの絞り汁も少しかかっているので、疲労回復も期待できる。こういう発想は俺にしかないもののはずだ。
そのまま休憩している兵を追い越して前線へ。そこではたまたま休憩している太史慈が前方を警戒しつつ水分を補給していた。事前に用意していた蜂蜜と塩の入った水を定期的に摂取していたらしい。
「少しきちんと休みな!俺が代わるぜ!!」
張飛が前に出て、太史慈に休むよう促す。流石に疲れたのか、太史慈も素直に俺の後方まで下がって食事をとる。普通疲労困憊したら食べ物なんて喉を通らないかと思ったが、さすがの豪傑ぶりで片手で危うく包装の紙ごと食べる勢いで貪っていた。野性味強いな。
張飛が前に出たことで敵は元気な部隊の追加に慌てたようで、動きが鈍い。おそらく太史慈同様趙雲も後方に下がった隙だったのだろう。驚くくらい張飛の攻勢についていけず、加速度的に敵兵を押しこんでいく。
「声を張れ!勝った!勝った!勝った!勝った!」
「「「勝った!勝った!勝った!勝った!」」」
こういう時大事なのは自分たちが勝てると思うこと。足が止まれば戦場の人は驚くほど脆い。
だから、こうして自分たちは優位だと心理的に刷りこんで、アドレナリンを出させて戦う。
逆に、敵は押しこまれている事実と相手の勝利を叫ぶ声にさらに足が止まり、手が止まり、体が重くなって討ち取られるものが増える。
そうすると、どんどん敗戦ムードが濃くなっていくのだ。
だが、ここで敵中央から津波のような大声が響く。
「負けてない!我らは負けていないぞ!立て!立つのだ!!」
その声の主の中心には『牛角』の旗が靡いていた。張牛角の配下で生き延びた兵をまとめ、黒山賊の実質的リーダーとなっている褚燕だった。彼を倒さねば、この軍勢が完全に崩壊することはない。
「旗を掲げろ!ここに盧仲厳ありと示せ!」
ここが最後の大勝負だ。普通なら感じる恐怖がない俺なら、ここで踏ん張って勝てる。
明日投稿分も少し遅れるかもしれません。1時すぎまでには投稿する予定です。
片手で食べるにはトルティーヤの方がいいなという発想です。
クエン酸と糖分と塩分を意識した戦闘中の食事はさすがにこの時代はないはず。




