第32話 うまらないもの
青州 北海国・劇県
青州に帰ってくると、北海相が病で数日寝込んでいるという話を聞かされた。
高齢なので厳しいかもしれない。役所のNo2である丞は鄭玄様のところでかつて学んでいた人物のため、臨時で仕事を手伝うことになった。相変わらず食糧をくれと手紙を送ってくる琢県令の公孫瓚と、遼東半島から定期的にこちらの沿岸に海賊面して小競り合いをしかけてくる遼東公孫氏。忙しい中でも戦時を意識した訓練は欠かせない。
楽進と于禁が到着した後は于禁を500人を率いる将に、楽進を100人を率いる将にして訓練に参加させる。劇県と北海国の部隊はこれで人材不足と嘆く必要はなくなったと言っていい。
一方、東莱郡の従銭や朱拠県の劉政殿、高密侯国の王豹の下は人材がまだ十分とは言い難い。正確には武官はある程度大丈夫なのだが、文官が足りない。漢王朝自体が太守・県令の人材不足に悩んでいるので、地方官の補佐なんて言わずもがなだ。
こうなると目先の解決策はなかなかない状況になる。雒陽への出発前から人材は募集していたのでギリギリ運用はできているが、彼らに輪番で休むなどができる余裕はなかった。
俺が劇県に帰ると同時くらいで新たな応募があったので、簡雍に頼んで面接をしてもらった。新しい応募者は1人目が先日書館を卒業した北海国内の若者、王脩だった。
「王叔治と申します!営陵県より参りました!」
「体も鍛えているとのことだが、文官で良いのか?」
「はい!元々官庁志望であります!ただ、必要があれば戦場でもお使いください!」
はきはきした新社会人みたいな話し方で、少し前世の自分の記憶を刺激された。集団面接、グループディスカッション、書記やりますが言えずに役割の唯一ない自分、ボードを持った社員の巡回……う、頭が。
眩暈がしそうになるのを必死にこらえ、1800年後の社会から戻って来る。
「大丈夫でしょうか?」
「ええ。では、1週間後からここで働いてもらいます」
「はい!頑張ります!」
そして、もう1人は徐州から逃げてきた人で、乱世の影響がない地域を目指し青州に来たと言う劉馥だった。おお、ゲームで政治ステータスが高い人だ。これは頼りになるぞ。
「劉元穎にございます。ここで働かせてください!」
「元気があるのは良いことです。豫州出身とのことですが、王室との関係は?」
「何もありません!ですが、ここで働かせてください!」
お前の名前はこれから千だ、って言いたくなるくらい働きたいを強調してくるかんじだった。この場合釜爺は誰のポジションだろうか。なんて考えてしまった。
他にも人はたくさんいるのだが、まぁ、特徴的な人材はこんなかんじで集まっていると考えてくれていればいい。
そうこうしているうちに収穫の季節になった。俺は雇った彼らを臧覇の父の下に置き、早速収穫に関して調査を進めさせるのだった。
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青州 北海国・高密侯国
穀物価格の上昇と収穫による収入を計算するだけで1ヶ月単位で忙殺されるような日々を送った。
そして年が明け、187(中平4)年になった。
青州に住む人々の間では増税に対して怒りの声はあったが、同時にそれだけだった。穀物価格が1石500銭の大台に入ったため、単純に7年前の5倍の価格でコーリャンが売れる状態に突入しているからだ。桑の栽培も少しずつ養蚕で収入に繋がっているし、膠の販売もちょっとずつ増量し始めている。オイスターソースも領内でよく売れているし、蜂蜜の販売も順調だ。蜂蜜・膠はコーリャンと違って恒久的に俺が雇って生産してもらっているので、輪作をしている農家の多い地域で安定的に俺の収入になってきている。
というわけで、増税とは言えそれ以上に収入が増えている青州では「漢王室は傾いている」「漢王室は税ばかりとる」と文句が人々の口から日常で出る程度ですんだ。少なくとも、程昱が考えた通り俺に対する不満は出ていないようだ。
いつも通り新年になって少したったので高密で蔡邕様に新年の挨拶をするべく向かう。ロバ牧場は結構な数がいる状態で、一部は別の牧場に移されて膠の材料になってくれている。そんな牧場で、今年もロバに乗って文姫が遊んでいた。
彼女が乗っているロバはおそらくいつものロバだが、耳の根元に何か紐が巻きつけられていた。おそらく彼女以外がそのロバを見分けられるようにだろう。
「仲厳様!」
俺が牧場の出入口にきたところで、文姫が気づいてやってきた。ロバから華麗に下りながらそばにやって来る。しかし、いつもと違って少し頬を膨らませていた。
「仲厳様、本当に5年後まで婚儀はしませんか?」
「何の話です?」
去年そんな会話はしたけれど。
「父上が、姉上の婚儀を今年行うと」
「それはめでたいですね」
羊氏の根拠地である泰山郡の太守も応劭殿に決まり、その丞には昨年末に諸葛玄が赴任した。諸葛玄は諸葛亮の叔父だ。婚儀があるなら俺も参加して顔見知りになっておきたいところだ。
「しかも、御父様から、仲厳様の婚儀も近いだろうって。お手紙にそう書いてあったと」
「まぁ、婚儀の相手を決めるのは父上ですからね」
妾くらいなら自分で決められるだろうが、初婚の相手は基本父親が決めるものだ。だからこそ俺に対して直接アピールしてくるのは妾狙いの身分が低い女性ばかりであり、そんな女性はそもそも暗殺の危険から俺に近づけないように張飛などが気を配ってくれている。
しかし、この流れで考えると文姫は身近な人が近々どんどんいなくなるのが怖いのだろうか。蔡邕様がいる限り、俺がここに来るのは変わらないのだけれど。
「背が伸びたから頭が痛くなるでしょう?新しいのをつくりましたから、これをつけてください」
やや大きめに作った新しいイヤーマフラーを贈る。古いものはもう頭のサイズが合わないから最近はつけずに部屋に飾っていると蔡邕様に聞いていた。なので今日にあわせて用意してきたのだ。
「まだ、まだ私は大きくなれるのです」
「ええ。ぜひ来年も、再来年も新しいのを作りたいですね」
史実の彼女は幸せだったのか、俺にはわからない。父が死に、最初の夫と死に別れ、匈奴の騎馬兵に拉致され、子どもと生き別れになった。きっと辛い思いをしたことの方が多かっただろう。だからこそ、せめてこの世界では、幸せであってほしい。
「約束、ですよ」
「ええ。必ず」
俺が教えた指切りげんまん。この誓いは彼女としかしない。絶対に守りたいものだ。
文姫と分かれて、蔡邕様に会いに行く。最近は雒陽から蔡邕様に復帰するよう要請がひっきりなしに来ているが、彼は「娘の婚儀の準備」を理由に断っていた。実際、今年貞姫の婚儀があるなら、周辺から文句は出ないだろう。蔡邕様は暖かい部屋で、胡床と呼ばれるキャンプ用の折り畳みイスに近い構造の椅子に座ってお茶を飲んでいた。
「来たか、仲厳殿。牧場で文姫には会ったかい?」
「ええ。新しい耳当てを用意しましたし」
「そうか。喜んでいただろう」
「ええ。ですが、貞姫様の婚儀で寂しがっていました」
そう言うと、「それもあるが、」と蔡邕様は目線を落とす。
「このままなら、文姫の願いは叶わないからでしょう」
「彼女の願いが?」
彼女の願いとはなんだろうか。男尊女卑とは言わないが、価値観的にどれだけ才覚があっても官吏などにはなれないことだろうか。
「これを読んでみてほしい」
渡されたのは、彼女自筆の詩だった。想い人との歳の重ね方が一緒だから、いつまでも相手に追いつけないことを嘆く詩だ。
「これは」
「誰のことか、わかってもらえると思う。だが、私は文姫と仲厳殿では釣り合わないと思っている」
「釣り合わない、ですか?」
「ああ。君は今後三公か、あるいはそれ以上になれる将器を見せている。だが、文姫の父である私は議郎や司徒で働いた事しかない。あの子が苦労するのは見えている」
ようは、俺の出世に彼女の立場がついていけない、ということか。でも、才覚は彼女の方が上だ。いや、そもそも俺と文姫が夫婦になる?正直想像もしていなかった。
「ただ、親としてはあの子に幸せでいて欲しいとも思う。妾でもいい。あの子を側に置いていて欲しい。そうも思うのだ」
俺は何とも答えられなかった。
「無理はしなくてもいい。君が飛躍するためにここに来た私が、君の足枷になってはならないのだから」
その日、俺は必死にない頭を絞って1つの詩を作った。彼女が誰とも添い遂げることが出来なかった人生を、この世界では何とかしたいと願って。
俺と彼女の年齢差である13年よりこれからの人生の方が長いと伝えるために。
弾清角韻若(清らかな琴の音色をあなたが奏でるように)
中華太平我(中華は私が太平とする)
人生若朝露(人の一生は朝露のように儚く)
況十三一瞬(ましてや十三年は一瞬のこと)
若夜幕降臨(夜の帳が降りるならば)
就共度嬿婉(美しい君と共に過ごそう)
王脩は孔融家臣から袁譚、さらに曹操の家臣になった人なので、地味に袁術にダメージ。劉馥は合肥城を整備し堅牢にした人。ある意味孫権にとって一番厄介だった敵です。ゲームの三国志でも結構能力が高いので、知っている人は知っているかなと。
最後の漢詩はオリジナルなので、あまりいい出来ではありません。日本語訳も若干甘いのは許してください。
一応夜の帳は朝露との対比で人生の後=死後を表しています。愛を伝えるというより、ずっと一緒にいるよという思いを伝える詩です。
日本人がよく知る漢詩は唐の時代以降で、この時代は古体詩と呼ばれるほぼフリースタイルです。
曹操から曹植までの曹一族がこれを四言詩や五言詩というベースで整えたので、YSS(やっぱり曹操はすごい)。
主人公も一応五言詩にしているので、流れの一端にはなれるかも?




