第29話 決断と英断
帰宅が遅かったので遅くなりました。申し訳ございません。
明日も帰宅が遅くなるかもしれません。ブックマークなどして、投稿時間を確認していただければ幸いです。
兗州 任城国・任城県
張倹、字を元節。党錮の禁で最も宦官が警戒した男の1人。そんな老人が俺に選択を迫っていた。
「わしはただの反逆者。そんなわしを雒陽に連れて行ってはくれぬかな?」
メリットは絶大な名声だ。おそらく、今後清流派の人材は多数俺の元に集まるようになるだろう。あの張倹様がいる!という声はあまりにも大きい。
デメリットは宦官との完全な敵対だ。現状の俺は決して友好関係ではないが、完全に敵対している訳でもない。だが、ここで彼を連れて行けば宦官側はそう判断するだろう。この提案は橋羽殿にも想定外だったらしく、彼も少し慌てた様子で俺と張倹様を交互に見ていた。
俺はメリットデメリットを天秤にかけ、そして、決断した。
「申し訳ございません。一緒に、は無理です」
驚いた様子の橋羽殿と、こちらの目を覗きこむような張倹様。
「理由を聞いても、良いかな?」
「宦官が敵、ではないからです。敵は漢王室を意のままにしようとする宦官であり、今私が元節様を連れて雒陽に入れば、話せる宦官とも話せなくなるかと」
結局、問題なのはシステムなのだ。皇帝が頼れるのが外戚と宦官という二択しかない状況にこそ問題があり、それを解決するには宦官の力も借りなければならない。
曹操だって宦官は使っていたし、劉備だって孫権だって宦官を登用していた。大事なのは、彼らの使い方だ。全否定していいわけではない。
「ただ宦官を排除すれば、外戚に漢王室を乗っ取られます。外戚も宦官も排除すれば、王室が孤立します。それぞれが力を握りすぎない形を目指すことが、私の目指すべきことですので」
言いたいことを言ったところで張倹様を見ると、彼は満足そうな表情でこちらを見ていた。
「実に良い答え。その通り。罪を憎んで人を憎まず。宦官がああなるのも理由がある。それを正さねば世は乱れたまま」
罪を憎んで人を憎まずは孔子の言葉だ。だからこそ、この時代はとても大事にされている。
「貴殿こそ漢王室を立て直すことの出来る最後の手。なればこの老骨、出来ることを精一杯させていただきたく」
「えっと、つまり……」
「わしは青州に向かいます。仕えるとなると宦官は喜ばぬでしょうが、ただ劇県にいれば名士なれば意図を理解し、貴方の声望が高まるでしょう」
つまり、自分の名声だけ上手く使えるようにするということか。党錮の禁が解除された今、張倹様があえて青州にいる意味はない。その意味を各地の名士に悟らせるということだ。
「わしはこの考えに気づくまでに20年かかり申した。逃亡の中で気づいたこの漢王室の問題に気づいた若き勇士がいるならば、その助力となるのが老いぼれの最後の奉公でしょう」
握手をしてその場はお開きとなった。張飛は「仲厳様が認められたのなら何よりです!」と喜んでいた。
帰り際に橋羽殿から父への紹介状を頼まれた。何か用ですかと聞いたら「本気で盧家の皆様と縁を結びたくなりまして」と言われた。橋羽殿・張倹様・大喬小喬(推定)に見送られ、俺は川で雒陽方面へ向かうのだった。
♢
豫州 陳国・陳県
川を使って豫州に入り、梁国で陳王に招かれているとのことで陳に寄り道することになった。
陳国の王は劉寵と言い、弩兵を多数抱えた上自身も弩の名手だったため、黄巾賊もこの地には侵入しなかったという人物だ。光武帝の息子の末裔であり、血の名門レベル(皇帝との血の近さ)で言うと劉備はもちろん劉焉、劉表とはレベルが違うと言っていいだろう。
彼は俺の使っている重藤弓に興味があったらしく、是非にと言われては断れなかった。
劉寵様は肩と背筋がかなり盛り上がっており、腹筋はそこまでないためかやや猫背の人物だった。
「なるほど。その弓、矢が遠くに曲線を描いて飛ぶのか!」
挨拶もそこそこに練習場で弓を実演させられた。動きを見ては楽しそうに軌道を見たり、俺の筋肉を触ってくる。鼻息も荒く、正直気持ち悪い。
「ここか!この部分を強く引いて矢を引き絞るのか!?」
5本ほど射ると、今度は俺の予備用の弓を使って重藤弓を使い始めた。うーん、この生粋の弓マニアなかんじ。完全に俺には興味がなくなったのを感じる。
張飛もやや引くほどの弓への愛を感じていると、彼の1人娘がお茶を用意してくれた。汗を拭って休憩させてもらう。
劉寵様の近くにいた王豹が手本役をやらされ、何本も射ながら構えやコツを説明している。張飛もお茶をもらって俺の近くで飲んでいた。
「申し訳ございません。父上はああなると周りが全く見えなくなる人で」
「弓で戦う者として、褒められたのは悪い気分ではありませんから」
彼女は19歳だそうで、陳国内の県令と婚約していたそうだ。ところが、黄巾賊の乱でその男は県令なのに我先に逃げ出してしまい、今も戻ってきていないらしい。肘あたりまで伸びた長い黒髪を軽くまとめているが、その髪はリンスもない時代の割にとても艶やかだ。なんでこれだけの美人がいて逃げ出したんだか。
「それから父は戦で逃げない、自分より強い相手と結婚させると口にするようになりました」
「大変そうですね」
呂布や関羽でもないと結婚できなさそう。
お茶を飲んでいると、王豹が疲れた様子で戻ってきた。
「いや、素晴らしい体力ですな、陳王様は」
「お疲れ様」
「あと、仲厳様をお呼びでした」
ええ。まだ射るの。
「仲厳殿、10本勝負だ。大分射れるようになったぞ!」
「あ、あははは」
流石に負けることはなかったが、10本勝負を5回もさせられた。翌日は久しぶりに筋肉痛だった。
なのに、見送りにきた劉寵様は元気いっぱいに朝からプレゼントした予備の重藤弓で練習していた。化け物かよ……。
♢
豫州 潁川郡・陽翟県
兄の赴任先に寄って挨拶と太守就任のお祝いを贈った。まぁコーリャンとトウモロコシなんだけれど。
兄はかなり喜んでくれた。潁川郡はまだ黄巾賊の残党もいるとかで、あまり作付けができていないらしい。まだ間に合う種なので、近隣で少し栽培してみるとのことだった。
兄の補佐として紹介されたのは杜基という潁川出身の名士だった。他にも雒陽で学んでいた際に出会ったという韓浩が郡の都尉を務めていた。
「韓都尉は杜丞の従妹とこの前婚儀をしてな。多少なりとこの荒れた地で明るい話題になった」
「家中が仲良いのは良いことですね」
「まぁ、団結せねばいつ黄巾賊の残党が襲ってくるかわからんしな」
兄はある意味最前線で頑張っている。コーリャンなんかの種が多少なりと助けになればいいのだが。
「それと、弩の件も助かる。早速陳王様に使いを送ろう」
「陳王様も賊が来ないから宝の持ち腐れだと申されてたので」
「いや、正直助かる。武具がなかなか揃わなくてな」
陳国に滞在中、陳王劉寵様から、無理を言った分何か返せる物が欲しいと言われた。ちょうど兄から武具が足りないと聞いていたので、兄に弩を融通してもらえないかと頼んだのだ。劉寵様は500ほど兄に弩を贈ってくれるそうだ。これで兄の軍も少しは整うだろう。陳に寄り道したのは結果的に兄を助ける一手になった。英断だったと言っていい。
「今の雒陽は危険だ。可能な限り早く青州に戻るのだぞ」
「もちろんです。宦官の不毛な争いに巻きこまれるなんて嫌ですからね」
少し遠回りしたのもあって季節は4月。そろそろ青州が恋しくなってきたくらいだ。
張倹は曹操の政治を批判した人です。曹操が漢王室を蔑ろにしたのを憂いたと言われていますが、宦官を抑えこみつつも外戚も無視した人物です。そういう姿勢が嫌だったのかなと思っています。
劉寵は武勇に優れた光武帝の子孫という劉姓の人物ですが、史実では青州黄巾党に殺される人物なので、結構大きな影響を受けています。
彼の娘は史実では父が死んだ後に袁術に利用された悲劇の女性。




