第28話 英雄色を好む?
青州 北海国・高密侯国
収穫も無事終わり、年が明けた。
中平3(186)年となり、青州で納められた算賦を雒陽に運ぶために出発することになった。その前に蔡邕様のところに新年の挨拶をしに孫家の屋敷に向かった。
屋敷の入口近くでロバ牧場をのぞくと、イヤーマフラーをつけた文姫がヤギと一緒に並走しながら遊んでいた。こちらに気づくとロバに声をかけてから駆け寄ってくる。数え9歳になって背も少し伸びてきた彼女は、最近は背がもっと伸びたいと周囲に言っているらしい。扇は持ち歩いているものの、頬を叩くのはしなくなった。
「仲厳様!」
彼女の満面の笑みはきっといつか癌にも効く。彼女の幸せを願うばかりだ。
「楽しそうですね」
「ええ。この子はいつも私と一緒に遊んでくれるので」
去年は乗っていたロバに、今年は乗らずに一緒に走っていたようだ。ロバは文姫からトウモロコシの粉末をもらうと、美味しそうに食べてから牧場の中に戻って行った。
「賢いから、ここから先にもついて来ないんです」
「ロバも人を見分けられるんですねぇ」
「ええ。私か姉様でないとこの子は近寄りませんから」
俺がロバを少し頭を撫でようとしたら、首を彼女の方に向けて彼女の頬にスリスリと擦りつけていた。こ、こいつ。
「なるほど。色を好むは英雄ばかりでなし、か」
そう言ったら、文姫はこちらの顔をじっと見ていた。何か聞きたいことでもあるのかな?
「仲厳様は、色を好むのですか?」
「いやぁ、そういう余裕はないですね」
父の元に縁談は複数いっているらしいが、俺が忙しすぎてそれどころじゃないのが大きい。父も何か考えがあるのだろうが、俺のところまで話を持ってこない。
「あと何年くらい余裕がないでしょうか」
「うーん」
董卓がどう動くか次第だが、そのあたりが4年後だから、動乱が収まるのに1年以上。6年くらいか。
「6年、ですかね?」
「6年。ちょうどですね」
何がだ?まぁ、彼女が楽しそうだからいいか。
♢
兗州 任城国・任城県
戦乱で荒れた地域は、食糧の入手に苦労している。
黄巾賊に荒らされた兗州は特に顕著な場所の1つだ。一番影響の大きい冀州はそもそもまだ残党が万単位で残っているので、それ以前の問題だけれど。
兗州の微山湖が西に広がる任城国もその1つだ。算賦を雒陽に届けつつ、こういった地域に食糧を売ったり知り合いを増やしたりするのが今回の旅の目的である。同行しているのは張飛・王豹・簡雍と案内役も務める程昱だ。
都市内の官庁で出迎えてくれたのは任城相の橋羽殿だった。父よりは若いが、既に40歳以上だろう見事なMの髪のラインだ。
「橋相、お出迎えいただきありがとうございます」
「いやいや、我々としても盧県令とは一度お話したかったので」
兗州の泰山を越えるとコーリャンは1石400銭まで値上がりしている。麋竺の父は大量に買い取ってくれるが青州から離れるほど買い取ってくれる額も高くなる。泰山はコーリャンの栽培が進みつつあるが任城国は戦乱の影響もあって栽培が進んでいないからだ。うちとしても、今年の算賦を払うためにここで売れるのはありがたい話だ。
「食糧の件、ありがたい限りです。黄巾賊に県の蔵まで荒らされていたので」
「大変でしたね」
「私も青州に移りたいと雒陽にお願いしたのですが、断られました。誰も太守が死んでいないので、当たり前なのですがね」
死者も多数出たから任期を無視して太守などが新任されているので、それもそうだ。元々ここを守りきった人材を別の場所に移す理由がない。
「済北の陳太守にも喜んでいただきました。我々としても民が食べる以上の分は外で売った方がいいので」
「青州は算賦が倍も課されたと聞いております。今年だけでもこの取引でお互いに実りがあれば」
済北の太守・陳珪との交渉も簡雍が見事にまとめてくれたので、今回も詳細は簡雍と相手の役人で話し合うことになる。
こちらはどちらかと言えば情報交換とか、交流がメインだ。
「紹介します。こちら我が娘、橋靚と橋婉です」
「これはご丁寧に。青州は北海国、劇県の県令の盧仲厳と申します」
優雅に挨拶された2人は文姫よりちょっと年上くらいの姉妹だった。背は文姫より高いのに顔は2人の方が小さい。利発そうな切れ長の目がこちらを射抜くように見ていた。お茶を出されて飲んでいると、ふいに脳内がつながった。もしやこの2人、大喬小喬か?
「私も本来は黄巾賊の乱では妻の実家がある廬江郡に逃げようかと相談していたのですが、東武陽での盧県令の戦いっぷりを聞いて逃げるのをやめました。おかげで任を解かれずにすみましたよ」
「太守や相を務められる人材は不足気味と聞きます。橋相がいてくださって雒陽も安心しているでしょう」
「その雒陽ですが、今は宦官同士で醜い争いをしているとか」
「ええ。張譲が大分追い詰められていると聞きました」
「厄介事に巻きこまれぬよう、ここで祈念しております」
「ありがとうございます」
「それと、実はぜひ盧県令と会いたいという方がいましてな」
「私と?」
誰だろう。名士か豪族か。
部屋に入ってきたのは70歳は過ぎているだろう老人だった。白髪と真っ白な髭、そして顔と首の深いしわがそれを物語っている。しかし、腰はしっかりしており、杖はついているものの背は丸まらず堂々とした雰囲気をもっていた。
「盧大海の息子。いや、盧県令殿。お初にお目にかかる。わしは張元節。2年前まで漢朝に追われ続けていた、真の反逆者よ」
「元節様。もしや、八及の」
「民草にそう呼ぶ者がいるのは知っている。だが、わしはただの反逆者。そのような大層な者ではない。わしが逃げるために多くの前途ある者を犠牲にし、それでもなお今の漢朝に異議を唱える、大馬鹿者よ」
張倹、字を元節。党錮の禁で最も追われた人物の1人だ。孔融の兄が死んだのはこの張倹様を逃がすためだった。それくらい、市井で評判の名士だ。
「宦官と幾度と揉めている県令殿。わしを雒陽に連れて行ってはくれぬかな?」
彼の問いかけは、あまりにも大きな分水嶺だ。党錮の禁から許されたとは言っても、彼が宦官と大きく対立しているのは事実だ。
なにせ追われた理由は、亡き宦官・侯覧の弾劾をしたからだ。これは宦官らによって阻止されたが、これを恨んだ侯覧によって無実の罪を着せられて逃亡したのが党錮の禁の一幕だ。
「さて、返答やいかに?」
主人公の盧慈はまだ文姫を妹視点で見ています。文姫は少しずつ自覚してきた段階。
6年後に文姫は15歳。女性の成人年齢です。主人公は女性が周りにいないので、女性の成人年齢なんて知りません。
貞姫の成人が184年なのですが、黄巾の乱で主人公が多忙な時期に終わってしまったので詳細を知らないのです。
貞姫の婚儀が黄巾賊の残党のせいで少し延期になっているのも影響しています。
盧植と蔡邕は手紙でやり取りしています。この辺りも含めて。
地味な歴史改変で橋一族は廬江郡に逃げずに残りました。大喬・小喬の揚州行はなくなったよというお話。
色々説がありますが、大喬小喬の父の説がある1人が橋玄。でもこの人の年齢(103年生)を考えると子どもは厳しいかなということで、孫にしました。
本作では橋玄ー橋羽ー大喬・小喬という系図です。




