第27話 武闘派の黄門様
青州 北海国・劇県
各地の太守・県令に正式な任命状が渡される際、使者として派遣されるのが黄門侍郎と呼ばれる官職の人間だ。そして、今回その立場で青州に来たのが、中常侍でもある宦官の段珪だった。
段珪は兗州・青州各地で霊帝の詔書を渡して秩序と治安の回復を進めているが、その実これらの地域が清流派にどれだけ支配されているかを観察しに来たのだろう。
わざわざ他の地域の仕事をほぼ終えてから最後に劇県に来たのは、俺がどう考えても清流派だからだ。盧植の息子な上、昨年段珪の部下にあたる小黄門の左豊をおちょくったのだからさもありなん。
劇県の城外に出迎えたところ、彼は今までに会った宦官と明確に別物だとわかった。中常侍に会うのが初めてというのもあったが、見た目からして彼は異質だった。
宦官は青年期までに男根を切除する。そのためホルモンバランスが変わり、筋肉を育てるのに有効なホルモンも減るため、筋肉質な肉体を手に入れたり維持したりが難しくなるのだ。
しかし、彼は明確に肩や腕、そして足に筋肉がついていた。武官だと言われても納得できるレベルの肉体を見せつけるように、彼はやってきたのだ。
「段黄門様、このような辺境までご足労いただき感謝いたします」
「うむ」
「官庁で準備をしてありますので、そちらまでお願いいたします」
「うむ」
無駄話が嫌いと言う事前情報を得ていたので、さっさと先導する形で官庁まで案内する。道中は常に周囲を見回していたが、落ち着きがないというより警戒を崩さない雰囲気だった。その警戒した様子は、官庁に入っても同様だった。
「盧仲厳、劇県県令として3年の任を命ず」
「拝命いたします」
皇帝の璽が捺された書を受け取って、彼の役目は終わりだ。この官職に任じられた人間は大抵がこの後宴会を求めるが、事前に段珪からは宴会は不要と連絡が入っていた。段珪から来た希望は、俺と1対1で話す部屋を用意することだけだった。
「では、こちらに琅邪国から仕入れた茶が用意してありますので」
「うむ」
徐州の琅邪国は茶の名産地で、麋竺の父からコーリャンの代金の一部で買いためている。商売は相手も儲けないと関係が破綻するからだ。今回のような時の接待用や、蔡邕様への普段のお土産に使っている。
念のため部屋には張飛と段珪の護衛が1人いるが、それだけだ。北海康王様が手配してくれた女官がお茶の準備をしている間に、彼は早速本題に入る。
「宮殿で火災があったのは聞いているか?」
「ええ」
郗慮が孔融との手紙で教えてもらったらしく、嬉々として俺に連絡をくれた。彼は俺が出世し次第茂才などで推薦してほしいらしい。良いのか?俺より出世が遅くなるぞ?ありがたい情報はいただくけれど。
「その修繕費だが、雒陽周辺では到底賄えない」
「でしょうね」
涼州は反乱、兗州・豫州・冀州は戦乱で荒れている。おまけに司隷も天候不順の影響が大きかった。
「で、青州には3年間田租を倍、払ってもらいたい」
「倍、ですか」
田租がいわゆる年貢だ。現在は大体収穫の3%が課されている状況なので、ぱっと見は高くない。そして後漢の税制度は算賦と呼ばれる人頭税が追加される。1人あたり120銭が課されている。これらは現在の青州では重い税じゃない。大寒波の影響で食糧価格が上昇しており、1石あたり300銭で売れるからだ。
しかし、田租が倍ということは、算賦が倍になるよりずっと重い。払えないことはないが、反発は必至だろう。そして、豪族なら尚更だ。
「難しいですかな?」
「青州だけ、というのが難しいかと。青州でも戦乱で荒れた地はありますし」
「しかし、盧県令の活躍で、この地は今数少ない食料を他の州に売れる地でもある」
彼らからすれば高騰する食糧を税として回収し、それを売って資金をつくるチャンスでもあるのだろう。だが、青州の豪族たちから反発があるだろうことは間違いない。涼州の一部が漢の支配を外れたのも影響しているだろう。
「こういうことは忠孝の考えから王室を助けるということではないかね、盧県令」
「あくまで私見ですが、王室を救うのは使命と思いますが、民が不安定な今、あまり民心を揺るがす策は講じるべきでないとは思いますね」
ここで多少なりと反発しておくのも大事だ。こういう姿勢が民衆に広まり、民が味方につくかどうかを決める。
「そうか。まぁいい。俺もこれはやりすぎだと思っている。故に、算賦を倍で、かつ雒陽まで県令が青州の分を責任もって持ってくることを命じる」
「私が、ですか?」
「あぁ。盧県令に会いたがっている者は多いからな。かく言う私も、会えて嬉しかったよ。戦場を知る武人に会えて、な」
「せめて兗州までではダメなので?」
「あぁ。県令が雒陽まで、だ。でなければ、算賦はこの県の分だけ5倍だな」
そう言って機嫌良さそうに茶を飲んだ後、彼は「身の危険には敏感なのでな」と言って一泊すらせずに北海康王への拝謁などを済ませてから帰って行った。
♢
翌日。
帰って行った段珪の命令に関して、兗州で事前に聞き込みをして帰ってきた程昱も合流して幹部級で話し合うことになった。
最初に程昱から報告を受ける。
「どうやら、他の城市でも泊まることなく移動しているようで、あえて城外で帷幕を張って寝泊まりしているとのこと」
「その情報が入っていれば、情報が間に合って寝所の準備をせずにすんだか」
「申し訳ございませぬ」
「いや、これに関してはもっと早く情報収集を頼んでおけばよかっただけ。私の判断が遅かっただけです」
この会話を聞いて、張飛が少し納得できたといった表情でこう言った。
「なるほど。だから妙に張りつめてたんですね、あの宦官」
「張りつめていた?」
「ええ。戦場に近い空気感というか。いつ矢が飛んできても体が動く、みたいな」
張飛には彼の異常さが感じとれたらしい。
「それについても、兗州の役人から情報が。実は朱将軍の視察に出向く際、彼の一行が黄巾賊らしき集団に襲われたそうで」
「そう言えば、そんな話も聞いたな」
「実は、段珪本人は戦うつもりだったようですが、取り巻きが臆病者ばかりで、段珪の輿を持ってさっさと逃げてしまったのだとか」
「それで今回は馬に乗ってきたのか。輿では戦えないからと」
「段珪は戦えなかったのを無念と思っているらしく、次こそは戦うと息巻いているとか」
やっぱり宦官詐欺だな。思考回路が武官のそれだ。そう言えば左豊も輿だった。彼は宦官の中でも異常なのだろう。
続いて、雒陽の伝手を持つ華歆殿も情報をくれる。
「酒にも美食にも、女にも富にも興味はなく、己の肉体を鍛えて武官と手合わせもする男らしいですな。彼の一族は涼州で優秀な武官が多い。宦官になっても、その気質を大事にしているのやもしれませぬぞ」
「ということは、遅かれ早かれ宦官たちは段珪に軍権を任せるか」
「あるいは、段珪と誰かでしょうな。あの男も、今雒陽で起こっている宦官の派閥争いと無縁ではないので」
最近の霊帝は蹇碩という中常侍への信頼を強めているらしい。彼は趙忠と仲が良いものの上下関係にもなく、張譲と一定の距離感があるため霊帝が今頼りやすいのだそうだ。そして、蹇碩は段珪とともに数少ない武闘派の宦官らしい。軍権を握りに行くとすればこの2人だろう。
「おそらく、今回の件で税を多めに納めさせることで段珪は蹇碩に対抗するつもりなのでしょう」
「面倒ですな。権力争いに巻きこもうと言うことですか」
「雒陽に出入りするなら仲厳殿の動向が見られて良し。5倍払うなら霊帝に手腕を見せられて良し。どちらでもいいのでしょうな」
宦官内部の争いに結果的に巻き込まれたと言える。だが、よく考えれば5倍と言っても俺が今もらっているコーリャンの上納分で十分賄える額でもある。
「5倍払うか。あえて」
「仲厳殿が払うので?」
華歆はそう尋ねてきた。
「無論。どうせ県令をしている劇県の分は実質半分しか必要ないし」
算賦は120銭を集めるが、役人が半分を経費としてもらえる仕組みになっている。そうすることで役人が責任をもって徴収する仕組みにしているのだ。だが、俺の場合支払いを渋る農民も商人もいない。集める手数料としては元から多すぎるくらいだった。民が120銭、俺が180銭出せば、問題は解決する。
「それでは、民は仲厳殿に甘えるだけになります。ここは民に宦官の布告を伝えましょう」
「怒りを宦官に向けると?」
「左様。それに、豪族ばかり儲けることになるので、支払いを全額仲厳殿がもつのは良くありませぬ」
つまり、民には240銭を用意してもらい、俺が60銭を負担する形にしようということだ。そして、1年終わってからこのことを明かせば、民は俺に感謝しつつも甘えることはないという考えらしい。程昱もその提案に賛同した。
「連中は仲厳殿の民からの信望か、仲厳殿の富を奪うつもり。ならば、どちらも上手くいかなくするのが我らの狙うべき策」
2人がこう言うならそれでいいか。どうせ民から届くコーリャンの売買でもっと儲かるんだし。
「ただ、今年だけは雒陽に行った方が良いでしょう。今年の布告はもう間に合いませぬ故、負担が大きすぎます」
「そういう時期も考えてきたのかもしれない、か。厄介だな、宦官」
もう8月。収穫間近で税が2倍だよは彼らの計画を狂わせる。今年分は結局俺のポケットマネーが多めとなりそうだ。だから、せめて少しでも支払いを減らした方がいいと。
「あと、兗州を通る途中で名士を募り、勇士を配下に加えましょう。盧北海が来るとなれば、仕官を志望する者と出会うこともありましょう」
「なるほど。優れた才人を配下に加え、陣容を厚くすると」
兗州の出身で優秀な人物か。どれくらいいるかな。ちょっと記憶を整理しなければ。
史書にも武闘派として描かれる段珪。実は2章のキーマンの1人です。
宦官の中で色々な意味で主人公と関わることが多くなる予定です。前話の通り家臣にも因縁があるので。




