第26話 台頭する英傑たち(別視点)
全編3人称視点です。
青州 北海郡・劇県
滕耽・滕冑兄弟は書館がない日は書類の処理に明け暮れていた。彼らは鍛錬の時間も学問の時間も与えられていたが、年相応に遊ぶようなことはなかった。
それは彼らの目的にあった。
「聞いたか冑。今度こちらにあの段珪が来るらしい」
「あいつか。伯父上の、残った仇」
兄弟の伯父の名を滕延と言う。品行方正で、兗州の済北相に任じられる清流派の名士だった。だが、彼は済北国で封地をもつ宦官の段珪と侯覧と揉め、その讒言によって免職された。彼らのせいで滕延は財産を没収され、病死した。侯覧は既に死亡し、その封地の一部は皇甫嵩らに与えられた。
「仲厳様のお父上である盧大海様は宦官と戦って下さっている。仲厳様もだ。ここで力をつけて、そして、」
「伯父上の仇を、討つ」
2人には明確な目的があった。ここはその達成への最短ルートだ。だから彼らは、年相応に遊ぶ時間も削って邁進できている。
自分たちにも優しかった、あの人の無念を晴らすために。
♢♢
涼州 漢陽郡・冀県
涼州で発生した羌族らの反乱は、想定より遥かに大きな動きとなっていた。この討伐を命じられた車騎将軍・張温だったが、協力して対応する中郎将・董卓の意見を採用した結果、漢陽郡から反乱軍を追い出すことに成功した。しかし、その後金城郡・朧西郡が反乱軍の支配下に入り、反乱軍は徐々にその支配地域を拡大していた。
「張将軍、また雒陽より手紙です!」
「どうせ中常侍だろう。なんとか賊を早期に討てという命だ」
張温は曹操の祖父である曹騰に推挙されて出世した人物である。その後も趙忠らの支援もあり、順調に出世街道を走っていた。黄巾賊の乱では雒陽の警備を担当し、宦官たちの何進への恐怖を和らげる役目を負った。しかし、そのために武功をあげる機会を失っていた。
今回の反乱鎮圧はこうした状況から宦官に近い武官を昇進させるための機会であり、董卓も配下に段煨という宦官の親戚を置いて活躍させる役目を任されていた。
「簡単に賊を討てるならとうに討っている。相手は騎馬で常に動いている。簡単には倒せぬ」
騎馬を中心に編成すると、機動力が大きく違う。張温は雒陽周辺で徴兵した歩兵ばかりで、その速度についていけなかったのである。そのため、拠点防衛以外は董卓頼みになってしまうところがあった。
「しかし、あの田舎者が第一功と言うのも困る」
「張将軍、また近隣の邑から報告が……」
「またか。ええい、中常侍の親戚を副官にしているからと好き放題しおって!」
董卓は副官にした段煨の威を利用し、現地での物資調達に利用していた。段煨の父は涼州三明と呼ばれた名将である故・段熲である。そして、その従兄弟が中常侍の1人・段珪だった。この結びつきがあるかぎり、張温は董卓に強く出られないのである。
「また兵糧を徴発したのか」
「は。反乱軍討伐のためと」
董卓の厄介なところは、この邑は食糧の徴発の代わりに税を免除する約束をしていることだ。これで税より負担の少ない食糧の提供をした邑は、漢の支配下に留まる代わりに、今年は税がとれないのだ。董卓は周辺から人気が出るし、邑々は税が軽くなる。困るのは反乱鎮圧後にここを任される太守や県令であり、彼らは何1つ困ることはないのだ。
「しかし、奴の率いる兵が優秀なのも事実。あの者なしで勝つのは無理だ」
「流石この地を良く知るだけあって、我らの知らない山道を上手く使っているようです」
とは言え、張温もこのままでは良くないと思っていたため、援軍を雒陽にお願いすることを決めていた。ちょうど荊州や豫州の反乱がほぼ鎮圧されたらしく、荊州方面で活躍している武官ならばこちらに呼ぶことも可能と彼は考えていた。
「このままではあの田舎者にこの地で一大勢力を築かれかねない。なんとか楔を打たねば」
張温の心労はやまない。最近やけに自分に手紙を送ってくる張純という男にも辟易していた。彼は自分なら涼州を瞬く間に平定すると大言壮語を書いてくるので、絶対にこういう男は呼ばないと心に誓っていた。
「しかし、あの田舎者、あれだけ兵を集めて、よもや何かしでかそうとは考えておるまいな」
張温は彼が本当に味方なのか疑っていた。しかし、今の行動は間違いなく宦官を喜ばせる内容であり、段煨の活躍は直接雒陽に報告されて宦官の希望となっているのだ。それに口を挟めば自分の立場こそ危うくなるのを知っている張温は、この件に関して口を噤み続けるしかなかった。
♢♢
司隷 河南尹・雒陽
1人の男が日中の明るい時分から、鬱々としたオーラを周囲に振りまいていた。
男の名は袁紹。字を本初という。
彼は叔父の命令で黄巾賊との戦いに参加することを許されず、活躍の場を失った焦りと絶望の只中にいた。
そんな彼を、友人で騎都尉に任じられた張邈が訪ねて励ましていた。
「焦るな本初。今は雒陽内部で宦官同士が揉めている。ここでお前が表に出れば、矛先が変わりかねん」
「くそ、趙忠め。貴様のような下郎が、袁家の名士たる俺を邪魔するなんて……!」
「仕方あるまい。本初の叔父上はその下郎に物申せる立場ではない」
「せめて伯父上が生きていれば、今頃俺を引き上げてくれたろうに!」
「その代わり、本初は公路の下に置かれたろうな」
公路とは袁術のことである。彼の父親は袁逢と言い、2年前に病で亡くなった。司空まで務めた一門の長であり、彼の実力は宦官でも手が出せない人物だった。だが、袁紹の父である袁成は太守まで務めた後死んでしまった。袁家は今、ちょうど良い世代で中央に力のある人物が叔父で都郷侯の袁隗しか存在しない状況となっていた。その袁隗の命令で袁紹は仕官も許されず、雒陽の家で謹慎させられているのだった。
「それはそれで屈辱だ。本当に家柄しか取り柄がなくなったら人間は終わりだ」
「口が悪いな。だからこうして家を出ることさえ許されぬのよ」
「俺という至高の才が地に埋もれている間に、盧大海の息子が2人も出世しているという。何故同じ名士なのに、こうなったのか!」
「袁家は目立ちすぎるのかもしれぬなぁ」
張邈の言葉に対し、「我が光は玉袋のない下郎共の目でさえも焼いてしまったということか。輝きすぎるのも考えものだな」と言いながら頭を抱える袁紹に、張邈は内心安心しつつ呆れていた。
(これだけ図太ければ、もう少し大人しくさせておいても平気だと袁侯に報告しておくか)
♢♢
豫州 沛国・譙県
黄巾賊が撃退された沛国では、穏やかな日々が戻って……いなかった。
黄巾賊の残党は各地で移動しながら農村を襲い、時に味方を増やして小規模な集団として生き残っていた。
そして、そうした小規模な集団を倒して地域で評判になっている集団がいた。
『曹』の旗を掲げ、壊滅させた200人ほどの黄巾賊の集団の首を掲げて譙県の城門までやってきたのは、曹彬とその家臣である夏侯惇・夏侯淵兄弟らだった。
出迎えたのは同じく小規模な黄巾賊を討伐して回っている史渙、字は公劉という男だった。
「おう、帰ったか!元譲!」
夏侯惇の字を呼ぶ史渙に、夏侯惇は気まずそうな顔を見せる。
「公劉殿、俺たちの大将は華徳だ。俺は副将でしかない」
「孟徳ならいざ知らず、自分で弓も引けない小僧に話はない」
曹彬は字を華徳と名乗るが、彼はまだ20歳になっていない若者だった。そのため、夏侯惇は無理をさせないために戦場では常に自分が守り、指揮も自分がしていた。そのため、家臣たちも曹家の名の下で集まっているものの、実態は夏侯惇の軍となっていた。実際、彼らの活躍を知った豫州刺史は夏侯惇に褒賞を出そうとしたが、彼はこれを固辞した。結果未成人の曹彬も官職は与えられず、褒賞金だけを与えられることとなった。
史渙は夏侯淵の方を向くと、彼に話しかける。
「妙才、お前も仕える主は間違えない方がいいぞ。同族の曹仁とやらが徐州で活躍しているらしいし、曹氏を盛り上げたいならそっちをオススメするぜ」
「公劉殿、世の中色々あるんだよ」
「人生色々、男も色々。そう言っているうちに、女に騒がれる色のある日々は遠ざかっていくぜ」
彼はそう言うと、「俺の兵は明日北西の賊を討ちに行くから、今日は早めに休ませてもらうぜ」と挨拶しながら去って行った。
「華徳、気にするな。さぁ、領主様に報告に行こう」
「う、うん」
そう言って城内に戻って行く3人だったが、いつもほどの元気はなかった。
夏侯惇が空を見上げると、今は亡き男の顔が思い浮かぶ。その自信に満ちた表情は、自分たちに強烈な何かを残すのに十分だった。だから、彼らは彼の残り香を探すように挙兵した。そうすれば、そこで彼に会える気がして。
(約束した。華徳を曹家の大将にすると。だから俺は……)
彼の両目は、景色をはっきり映している。しかし、彼の望む道は、未だどこにあるか見えていない。
滕延の失脚は『後漢書』からですが、血縁関係は不明です。今作では宦官との因縁を生みだすために血縁関係という事にしました。
董卓周辺は前々話で描いた通り、若干史実から変更されています。その分、董卓が基盤を築き始めるのが早くなっています。
段珪・段熲らの血縁関係も創作ですが、董卓を推薦した段熲と董卓家臣の段煨は字に同じ字を1つ使っているので、同世代か親子関係ではないかと考えています。そこに段珪さんを加えた感じです。とは言え、段珪は出身地が涼州ではないので、あるとしてももっと遠縁かもしれません。
実は史実でも黄巾の乱に一切関わっていない袁紹。この当時は雌伏の時だったという。
幼い頃に曹操のオーラに脳を焼かれた夏侯惇と夏侯淵。彼らが曹家を見捨てられるわけもなく。
一方、沛国の任侠だった史渙は、曹操との関係性がないので独立独歩で少しずつ台頭しています。




