第25話 新たな敵
青州 北海国・膠東県
膠東県に戻り、公沙盧の元に帰った。彼は上機嫌だったが、塩漬けにした首を見て怪訝な顔をした。
「これは、真に管承なる男ですかな?」
そこに入っていた首は、明らかに50近い白髪の生えた人物のものだった。どう見ても管承の事前情報と違うという顔をしていた。
「納得できませぬな。本当にこれが管承とは思えませぬ」
「さて、そう言われましても。降伏した海賊はこの者こそ管承だと言い、本人もまた管承と名乗っていましたが」
「しかし」
「もしや、敵の詐術に惑わされたのかもしれませんね。誰が長かわからなくするために」
「では、仲厳殿が騙されたのでは?」
「しかし、降伏した者はこちらで吟味の上どうすべきか判断しても良いという話でしたし、どちらにせよもう彼らが膠東を脅かすことはないでしょう」
こちらの言葉に、公沙盧は渋い顔をする。彼の依頼は管承の首であり、敵が管承だと証言する首がある。写真もないこの時代に、管承がこの人物だと証明する手段はないのだ。
「……わかりました。では、これで依頼は」
「いや、少し確認したいことがありまして」
ここで、都尉としての盧慈ではなく、コーリャンを提供した報酬をもらえる盧慈として話をする。
「今、膠東でもコーリャンを栽培していますよね?」
「ええ。とても助かっております」
「ところが、コーリャンを栽培しても税が払えぬ者がいるとか」
「愚かな働かない者もいるのです」
「それで、こちらへの支払いはなんとかなっていますが、公沙家への支払いが滞っているとか」
「ええ。困ったものです」
「では、その支払いはどのように?」
「無論、連中の子に労役を課しております」
「いやいや、それは良くないですな」
公沙盧とはここからが儒学問答だ。
「『孝子伝』に曰く、董永は父の葬式の資金が足りない時己の意思で身を売って、その費用を揃えたことが天に称賛されました」
「だから、子に労役を」
「ここで大事なのは、己の意思で身を売ったことです。そして、天女より身売りの資金はいくらで取り戻せるか確認をしていること」
前漢の劉向が記した『孝子伝』は儒学研究でそこまで重視されていないが、漢の思想的に忠孝を民衆に示すための書となっている。だから、漢の役人であれば、その言葉を無視はできない。
「つまり、税を払えぬ者の子が自発的に農奴となるのは問題ないですが、強制的に連れて行くのは孝をなす道を一方的に塞ぐ行いです。そして、身売りによっていくらが支払われるか、いくらで身を取り戻せるかは相互に確認する必要があるのです」
「ぬ。ぬぬぬ」
「それを行っていないのであれば、その行動は暴挙と言わずにはいられません。一度子を戻した上で、改めて身売りを選ぶか否か、子の孝の機会を与えるべきです」
まぁ、子どもが身売りしないですむ世の中が一番なんだけれど。
「その機会を奪ったために、逃げた農奴の子がいたと証言が出ています」
「そ、それはその者の詭弁だ!」
「しかし、子の孝をなす機会を奪っていたのは事実ですよね?」
「そ、それは……」
結局、その後公沙盧は口を噤んだままになってしまった。しばらく答えを待っていたが、彼の家臣にお願いされてその場を去ることになった。管承の部下はこちらが預かり、南長島でもコーリャンの栽培ができるように準備しつつ牡蠣の収穫などで彼らが収入を確保できるようにした。管承は劇県で仕事を手伝ってもらうことにし、名前も管続と名乗ることになった。
「ありがとうございます。部下も命を救っていただいて」
「ただ、今後は私にしっかり仕えてもらうぞ」
「無論です」
「それと、誰が支援していたのかも、教えてくれ」
その言葉に、彼は意を決してその相手を明かした。
「公孫豹の家臣と名乗っていました。遼東からいくつか船を融通してもらいました」
遼東公孫氏か。そう言えば、彼らは青州に勢力を拡大したがっていたか。
新たな火種の1つを視認したとはいえ、今は手出ししにくい。とは言え、警戒は必要だろう。
♢
青州 北海国・劇県
父から兄について手紙が来た。兄は司馬で働いていたが、今回の乱で何進大将の下で頑張った功を認められたそうだ。潁川太守に任じられたとかで、雒陽から出発したらしい。かなり大幅な出世だ。太守は3年が任期なので、しばらく兄は奥さんの実家周辺で暮らすことになるようだ。
雒陽から兄が離れた理由の1つに、雒陽が現在魑魅魍魎による壮絶な政争の場になっていることがあるようだ。何進大将軍と連絡を取り合っている父は、その状況を教えてくれた。情報共有をかねて、程昱や臧覇、王豹、簡雍らと手紙の内容と周辺から得た情報を確認した。
「臧覇、例の話は本当でしたか?」
「ええ。故郷の知り合いから、宦官内部で争いが起こっているのは間違いないだろうと」
「やはりか。父上の言っていた通りになったな」
宦官は現在、中常侍の張譲と趙忠が二大巨頭となっている。しかし、張譲は黄巾賊と内通していた疑いがかかっており、しかも仲間だった宦官2人を犠牲にしたことで内部から不信感を抱かれているそうだ。現在は大将軍となって各地で軍権を掌握しつつある何進将軍と、彼の妹を皇后に担ぎ上げた郭勝という宦官が協力して張譲派を追い詰めつつあるらしい。追及の最前線に立っている呂強という宦官に、何進将軍らが後方支援をしているそうだ。程昱が話に追加して調べた内容を教えてくれる。
「呂強という宦官が最も追及しているのが夏惲という宦官だそうで。この男は冀州に封地を持っていたようですが、黄巾賊に襲われていないという話で疑われているとか」
「それは狙われやすいか」
「実際は夏惲の封地の周囲に黄巾賊が進軍出来なかっただけでしょうが、その意味でも盧大海様はお見事ですな」
「父ならやりかねないなぁ」
おそらく、父はこういう『狙いやすい敵』まで考えて黄巾賊と戦っていた。そして、狙われたのが夏惲なのだろう。そして、夏惲を中常侍に推薦したのが張譲、というわけだ。張譲としても、これ以上自分の味方を失うわけにはいかないだろう。彼を庇うことで、立場が揺らぎつつあるようだ。
「おそらくですが、お父上と何将軍は趙忠を焚きつけてまずは張譲を失脚させたいのでしょうな。張譲は皇帝に『父』と呼ばれ、趙忠は『母』と呼ばれるほど信頼されている2人。その片方がいなくなるだけで、宦官の勢威は大きく衰えます」
「最悪、張譲と趙忠の不和が起きるだけでも、何将軍と父は動きやすくなる」
「そういうことでしょうな」
問題は宦官側が一枚岩になる場合だが、車騎将軍となった張温将軍が宦官と良好な関係で、彼の地位が脅かされない限り宦官が一枚岩となる可能性は低いようだ。軍権を何進将軍が完全に掌握していないのが重要らしい。
「涼州の反乱で辺允・韓約が李文侯とともに王室に反乱している件で、宦官と比較的距離の近い将軍が派遣されたのも重要ですな。涼州を鎮圧できれば宦官は面目が保てる。その見込みがあるかぎり、清流派より目先の権力強化を忘れないでしょう」
「変な宦官がこれで減れば良いのですがね」
「愚かな宦官が滅びたら、次に来るのはそれより愚かな宦官ではないかと思ってしまいますがね」
「根本的に宦官の制度を再構築しないと、か」
宦官が不要なのではない。宦官をどううまく使うか。そこには外戚の権力が強すぎる現状も考えないといけない。外戚の権力が強いと皇帝はそれに対抗するために宦官を頼り、宦官が強くなると外戚が危機感をもつ。個人の資質でバランスがとれる皇帝もいるだろうが、個人の能力頼みでないシステムでないと長続きしない。両者を牽制できる宗族、つまり親戚は、ある程度時代が進むと血縁が離れる。その結果は八王の乱(三国時代の後の晋が滅亡する原因となった乱)にしかならない。血縁が離れる理由は後漢から特に強く言われるようになった同姓婚は儒学が認めていないという理論だ。この結果、日本の藤原氏のような定期的な血縁の強化ができず、代を重ねるごとに血縁が離れて他人化していくことになる。そして頼れるのは外戚か宦官になる。悪循環極まれり。
「宦官と外戚、そして宗族の問題点を解決せねば、王室は同じ過ちを繰り返すか」
「そこが解決できるなら、仲厳様がすぐにでも三公になれるでしょうな」
「三公、ねぇ」
今の漢王朝で三公は正直罰ゲームでしかないと思うけれど、まぁなりたい人もいるにはいるのか。どうやってへ理屈を構築するか、考えないといけないのかな。
董永の親孝行は唐代に広まった蜀漢の人物というバージョンが流布していますが、前漢の劉向の本では戦国時代・趙の人と伝わっています。
公孫度・韓遂の初名まで主人公は流石に知らないですね。名前が変われば気づくでしょう。
史実と違い、青州が安定している分皇甫嵩は引き続き冀州で活動中です。そのため、涼州の反乱は張温・董卓が担当に変わっています。
こういう状態に持ち込む余裕ができるだけ、青州と盧植の活躍度合いが変わるのは大きかったというかんじ。




