第22話 成人と未成人の境目
兗州 泰山郡奉高県
南城県から北上して済水沿いに戻ると、近隣住民が山の近くで黄巾賊が出没していると陳情があった。新しい泰山郡太守が決まるまで誰も頼れないらしく、放置していいことはないので臧覇・張飛・王豹・太史慈を派遣して山狩りをさせた。
山狩り開始直後に賊はあっさり降伏してきた。黄巾賊を名乗っていただけの野盗だったらしく、部下共々食うに困って邑を襲ったとのことだった。
首謀者は郭祖と公孫犢という人物だった。まだ若く、村を襲っても人死にが出ていない状況だったので、とりあえず青州刺史に引き渡すことにした。一応情状酌量の余地はあるだろうし、弁護つきで引き渡すつもりだ。
奉高県まで戻って来ると、父が副将だった宗員殿と一緒に待っていた。
「待っていたぞ、旋」
「父上は一応謹慎じゃありませんでしたっけ?」
「だから安全な道で琢県に帰る途中だ」
なんでこういう時は柔軟な動き方するくせに、宦官相手だと全拒否モードに入るんだろうか。
「それより、さすがに左豊に難癖をつけられたそうだな」
「ええ、まぁ。そういう理屈だけなら得意なので何とかしましたが」
「どうやら敵の張角とやらが死んだらしい。最近城門に出てくることがなくなったそうだ。せっかくもう少しで城を落としてその首を腑抜けた宦官共に投げつけるつもりだったのだが」
怖い怖い。
「まぁいい。乱が終わった時に士冠礼が終わっていないと正しく旋が評価されないのでは困る。士冠礼の儀を済ませよう」
「い、今ですか」
「むしろ、今しかない」
まぁ、後で困らないようにするなら今がその時というのはそうかもしれない。
♢
父が準備をして待っていたので、儀式自体は特に問題なく終わった。字はそもそも決まっていたし、冠も父が用意した物を使っただけ。親族がいないのは残念だが、父曰く「私を継ぐのは兄の欽だ。お前はお前の道を往け。祖廟も琢県でなくてもいい」とのことだった。
「しかし、何故わざわざ宦官の不興を買うようなやり方を?」
「宦官を倒すためだ」
「宦官を倒すために?」
どういうことだ。
「今、宦官を追いこんでいる。追いこみすぎている」
「ですが、漢朝の中心は宦官が牛耳っていますよ?」
「逆だ。宦官はこの乱の影響で雒陽しか手が届かない」
そう言われれば確かに。兵権は何進大将軍・皇甫嵩・朱儁・董卓の各将軍が握っている。宦官が動かせるはずだった兵力も、長社防衛に駆り出されている。
「ここで宦官の影響がない兵が増えすぎると、黄巾賊を討った後に連中が暴挙に出る可能性があった」
「我らが兵で宦官を脅せる状況が出来てしまう、と」
「そうだ。やるかやらないかは別として、連中はそうなると考える。しかも、今回の黄巾賊と通じた者までいた」
「しかも、戦功をあげた武闘派や清流派ばかりが今後太守や県令になる」
「そこに関与できないのは連中が最も恐れることだ。黄巾賊に身内が討たれた者もいて、とても隙間に送れる宦官側の人材が足りないしな」
雒陽を董卓に変わる前の父と3将軍が包囲したら、彼らは全滅必至だ。宦官は良いところが何もないままだ。しかも乱後の太守が党錮の禁から復帰した清流派に独占されれば、彼らの影響力はどんどん低下する。
「しかし、ここで一番順調な戦線で一番功を立てそうな男が退けば、宦官も暴挙には出ない」
「まだ自分たちの影響力は十分あると考える、と」
「そうだ。それに、皇甫将軍と朱将軍は罷免されるとなれば獄に繋がれる危険もあった。唐周を捕まえたおかげで、私にはそれがなかった」
父が黄巾賊の告発を行ったことを知っている霊帝は、実際に今回罷免だけで終わらせた。史実で父は獄に入ったはずなので、これが大きな変化だったのかもしれない。
「そして、そうなれば今雒陽で起こっているのは、中常侍の内紛だ」
「中常侍の?」
「張譲に対する不信感が広がっている」
そうか。目の前でトカゲの尻尾切りにあった宦官が出たことで、何かあったら自分も、という思いをもった宦官がいるわけだ。
「漢朝を害する毒蛇同士、潰し合いをさせるには何よりな状況だ」
「しかし、父上の出世には不都合では?」
「あれだけ左豊を怒らせたお前こそ危うかった。だからこれでいい。怒りの矛先をこちらに向けておかないと面倒だ」
庇ってもらった面もあるらしい。どうやら左豊のヘイトを自分にうまくコントロールしてくれたようだ。
「あの時はまだ冠礼も終わっていなかった。子が親に迷惑をかけるのは当然だ」
父はそう言って、儀式が終わった翌日にさっさと琢県に帰って行った。出産のため昨年に琢県に帰っている母に会いに行くようだ。仲が良いのはいいことだけれど。
そんな父がいなくなった冀州戦線。青州や幽州と接する地域では黄巾賊が撤退し、長広県に集まった黄巾賊は新指揮官である董卓と対峙し始めたらしい。宗員殿は父と一緒に罷免されたので、とりあえず雒陽に戻るそうだ。
「何かあれば頼ってください。御兄上は雒陽の司馬で何大将軍と奉職しているそうですよ」
「大将軍の。それはすごい」
兄の死因は何だったんだろうか。確か盧毓という名の弟が幼少の時に(自分も含めて)死んでいるはず。これがまだ生まれていないので、黄巾の乱が原因ではないだろうと推測しているけれど。
「長社も包囲が解かれ、今は睨み合いとは言え多少は余裕ができた。後背が完全に安全なこちらと、徐々に豫州・荊州を失うのに睨み合いしかできない黄巾賊。時間が経てば経つほど我らが優位だ」
「これから兗州でも義勇兵が雒陽方面に向かうでしょうしね」
「王允殿も義勇兵を自ら集めて失った地位を取り戻さんと戦っているそうだ。荊州の黄巾賊が討てるか、長社の黄巾賊が撤退するか、どちらが先かという話だな」
一時は雒陽も危険に晒されかねなかった黄巾の乱。終息への道筋は既に見えつつあるということだ。
とにかく、自分たちのやるべきことは終わった。青州に帰ろう。
♢
青州 斉国・臨菑県
夏、長社の敵が撤退したと連絡が入った。青州刺史が病没した関係で青州から動けない俺たちは青州と冀州の境で少数の敵を定期的に討伐するだけになっている。一応雒陽に新しい刺史を送って欲しいと北海康王などの連名で送ったらしいが、すぐに返事が来るものでもない。
そして、夏が終わりに近づいたころ、三兄弟の1人である張梁を討ったという情報が入った。同時に黒山賊と呼ばれる野盗集団が大きくなりすぎたとのことで、その討伐令が青州に届いた。安定している青州に刺史を派遣する余裕はないそうだが、大将軍から直接冀州で戦うように命じられた形だ。
幽州で公孫瓚が頑張っているようだが、彼の率いる軍勢はそこまで多くない。そのため、中山郡などで結構自由に暴れられているようだ。首領の名前は張牛角。食べ放題とかできそうな名前だ。
北海郡から再び食料と兵を運び始め、9月の収穫が終わる頃には董卓が罷免されて皇甫嵩将軍が黄巾軍と広宗県で戦っていた。なんでやねん。いや史実通りではあるけれど。
結局、潁川方面の黄巾賊との戦いも、宛の攻防戦で王允・孫堅の活躍があってかなり優位な状況の様だ。孫堅は南陽で張曼成や彭脱という将を見事打ち破り、南陽を取り戻した。王允は宛郊外で秦頡という新太守と協力して黄巾賊を破り、波才・趙弘らは宛に籠城しているらしい。
潁川郡の過半を取り戻した漢王朝は、支配を取り戻した地域に順次新しい太守や県令が任命している。しかし、青州のように支配が安定していると後回しにされ、派遣されない場合も多い。
今度は潁川方面に宦官の段珪が1人派遣されて朱儁将軍を罷免させようとしたらしいが、道中で黄巾賊の残党に襲われ朱儁将軍に会わずに逃げ帰ったらしい。宗員殿の手紙には、本当に黄巾賊だったかはわからないと書いてあった。これは策士将軍・朱儁かもしれない。もし黄巾賊に扮した兵に宦官を襲わせていたとしたら、俺のようなへ理屈で追いだすよりスマートだ。父は正面から相手の攻撃を受け止めても負けないタイプの将軍だが、朱儁将軍はあらゆる計略を使うのを厭わないタイプなのかも。
情報を整理した上で程昱と相談しつつ準備を進め、9月の終わりに青州から冀州に入ることになった。
史実より冀州黄巾軍は厳しい状況(本来味方の多かった青州が敵になった)のため、冀州側に兵が必要だったのが黄巾軍失敗の要因となりました。
長社を落とされなければ横綱相撲で押し切れる程度には力があるのが漢王朝。なんだかんだで(資金面さえ無視すれば)黄巾軍でなんとかなる理由はないです。
史実では黄巾賊の行動は唐周が宦官に密告して発覚しましたが、本作ではただ宦官の悪行がバレただけです。そのため黄巾の乱は終始宦官の地位を危うくするものになっています。そのため反清流派で団結して内乱終了後に宦官が何かをしかける可能性がありました。
盧植は唐周捕縛の功もあり、ここで自分があえて戦場から去っても優勢は揺らがないと判断して宦官のガス抜き&ヘイト役となりました。これで何進の権力拡大と皇甫嵩・朱儁の出世、各地にここで活躍した将の配置と清流派の復権が進み、宦官内部で反張譲による内紛まで発生させようと企んでいます。このあたりの狙いは何進とも共有しているので、何進も軽挙妄動には出なくなっています。




