第20話 兗州奪還と宦官問答 前編
兗州 東郡東武陽県
敵将の卜巳は1万2千ほど兵を城外の川の前に展開していた。こちらは渡河しないと東武陽の城には入れない。渡河しようとすれば黄巾賊に襲われる。そういう配置だった。
偵察部隊でそれを確認したところで、程昱が声をかけてきた。
「では、そのまま西に向かいましょう」
そう、言ってしまえば三方ヶ原の戦い前に浜松城を無視した武田信玄だ。
こちらがもしそのまま東武陽県を無視して西部を掌握すると、困るのは卜巳である。
なにせ川を渡らなければ朱儁・皇甫嵩の両将軍がいる長社県まで一直線で行けてしまうのだ。
こちらが西に向かい始めると、相手は大慌てで渡河の準備を始めたようだった。
しかも、こちらはあえて孫邵の兵糧部隊を一部後方から連れてきている。食糧があるとなれば、黄巾兵も目の色が変わるだろう。
「見逃せばここにいる意味がなし。しかも川を渡れば食糧がある。余程統制がとれていれば別ですが、黄巾賊のまとまりかたでは渡河しない理由がありません」
そう言っている間に、相手の兵が順次川を渡り始めた。
程昱の側を見たが、彼は首を振った。臧覇もそれを見て頷いている。まだらしい。このあたりの時機を読む力は俺にはまだない。
そして、敵の部隊が8割がた渡り終わったあたりで、臧覇の弓騎兵500を一気に反転させた。
さぁ、ここからが本気の戦いだ。
♢
臧覇の部隊が鞍で踏ん張れることで騎射を習得しているのは大きなアドバンテージだ。これを生かすべく、陣形が整っていない敵に向けて攻撃を行う。、相手は反撃をほぼできないまま矢を受け、そして一部が突出して臧覇隊に切り込もうとする。
臧覇はあえて東に抜けるように突出した部隊を誘導していく。渡河した部隊の中央あたりにいるであろう卜巳の目を奪うように。
開戦直後から弓の射程で勝り、かつ機動力のある臧覇の部隊が敵の南側、つまり最も突出した部隊に矢を射かけ続ける。そして追いつかれない程度に相手を引き付けることで相手を徐々に釣りだしていく。こちらは馬で退きながら攻撃をし、そこまで統制のとれていない黄巾賊はどんどん釣られて前に出ていく。その結果、相手の陣形は極端な斜めになり、先頭に引っ張られるように中央部の兵も前に出始めた。そして、臧覇の部隊は徐々にその進路を南東に変えていく。
本陣にいた程昱こと程仲徳が、感心した声をあげる。
「お見事ですな。賊徒共は自分たちがどちらに進みつつあるのかも気づいていない様子。予定より多く敵を釣りだせるならば、勝利は間違いなしです」
そうして北の敵が徐々に南東に移動していく中で、西(味方左翼)から敵の後方、渡河地点にやや回りこむ様に鮑信殿の部隊が動く。しかし、中央で指揮をとっているであろう卜巳の視界ではこちらの弓兵と相手の一部弓兵による射撃戦が入り、彼らの動きに気づかない。そして、予定通り臧覇の部隊は一斉に南東に撤退し、敵は中央部に厚い魚鱗のような陣形に誘導が終わっていた。魚鱗の陣形と違うのは、敵の一番突出した部隊は南東を向いており、こちらに正対していないということだ。つまり、こちらの攻撃を受け止めるにはまず陣形を整える必要があるということ。渡河時点でさえ整っていなかった陣形は、もはや相手を軍とは言えない状況にしていた。
「今だ、一斉にかかれ!」
「「了!」」
そして、こちらはそんな魚鱗もどきを叩くべく、張飛・太史慈を先頭にした部隊で鋒矢の陣形に近い布陣で南西側から敵とぶつかった。突進力のない魚鱗はただの烏合の衆であり、正面に目隠しされた形の卜巳は戦いが終わるまでまともな指示をできないだろう。
しばらくして、本来背水の陣形をつくるはずだった敵部隊は釣られた前の部隊と釣られなかった後ろの部隊で分裂していた。そして、分裂した後ろの部隊に鮑信殿の部隊が横から回りこんで攻撃を開始した。正面の混乱に加えて横からの一撃を受けた敵は、どんどん北東へ北東へと全体が下がっていく。つまり、渡河地点から離れたことで、船に戻る手段を失ったのだ。それに気づいた後方から一部の兵が川に向かって逃げ出し始めた。程昱を見ると、ここが好機だと言わんばかりに大きく頷いた。
「よし!臧覇の隊を再度南東へ!城に逃げ込めないよう威圧せよ!」
最初に射撃戦を担当した後に南東へ下がっていた臧覇の弓騎兵500を、また反転させてから敵の側面に向かわせる。やっと南西からのうちの主力に対応した頃に、もう一度騎射で攻めこんで敵を川に追い落とそうということだ。
「報告!張将軍、敵の副将らしき男を討ち取りました!」
「良し!敵は総崩れになるぞ!」
臧覇が騎射で背後を脅かすのと、敵が退却の銅鑼を鳴らすのはほぼ同時だった。退却せよと命じたであろう卜巳も、東にまた敵がいることで動きが止まったらしい。撤退しようとする敵と、立ち止まる敵で相手は完全に制御を失った。その機を鮑信殿は逃さなかった。敵右翼を率いる将を討ち取り、更に北に押しこんで見せたのだ。結果として人の流れが北に集中したため、敵軍は川を渡るためにこちらに立ち向かう能力を失っていた。そのため、済水に入った敵兵はこちらの弓のいい的にしかならなくなった。
「敵兵を敢えて川に逃して後ろから攻め立てる。お見事です、仲厳殿」
「いやいや、地形の細やかな提案を仲徳殿がしてくれたおかげです」
実際、こうした地形も生かした戦術は現地の情報あってこそだ。そういう意味でも曹操は中華全土から人材を求めたのだろう。誰も知らない土地を攻めるのは事前の情報収集が大変だからだ。
「相手もわかってはいたようですが、おそらく突出した部隊は怖いもの知らずの者たち。黄巾賊は戦慣れしていない者も多い。前に出る勇気がある兵は貴重故、どうしても前に出して敵と戦わせたい。そして、戦う者の姿を見て他の兵も奮戦するのが理想」
「とは言え、そうそううまくはいかないものですね」
「おそらく敵将は勘違いしております。人は戦において、利では動きにくいもの。逆の方が兵はよく動くのです。失うものがある方が、失う恐怖の方が兵は奮い立つものです」
山に火を放って無理やり城に戻らせた人は言う事が違うな。そんなことを思っていたら、黄巾賊の一部が降伏したらしい。卜巳の首は劉政がとったようだ。ここまで活躍が良い感じにばらけていて、後でどう褒賞を渡すか悩みどころだ。張飛もまだ若いから、どこに敵の武将格がいるかを探すのが難しいと戦終わりに言っていた。そのあたりで劉政殿に先を越されたそうだ。
「これも経験だ。もっと手ごわい敵もいるだろうし、今のうちに経験しておいてくれ」
「うん、劉将軍にはこの後も少し敵軍の動きの見方を教わってくるぜ!」
素直でいいことだ。張飛の副将格も少し年配で孫に教えるお爺ちゃんみたいな環境らしい。良い具合に育ってくれ。
♢
2日後には戦場の後始末も終わり、敵の拠点だった城は抵抗せずに開門した。城に全軍は入れずに庁舎を掌握し、孫邵に食糧の一部を送ってもらいながら周辺の県令たちに周辺状況を報告するように青州刺史代理の名で協力を求める手紙を送った。太史慈に200の兵を預けて兗州の西部がどうなっているか偵察をお願いし、10日間東武陽に滞在した。周辺の范県や衛公国はすぐに返事をくれたが、一緒に招かれざる客も来ていた。
雒陽から派遣されてきた、宦官である。
「小黄門の左豊様である」
付き人らしき男がそう呼んで、俺たちを下座に置いてふんぞり返っていた。
「ほほほ。皇帝の命により、青州刺史がきちんとその命を果たしているか、確認にきたのですよ」
宦官は少年から青年の時代に下半身の一部を切除しているため、声が高めになる。それ自体に文句はないが、この男は少しねちっこい声のトーンがこちらを苛立たせるものだった。
「さて、では刺史の代理でここに来ている盧植の息子よ」
「はい」
「未だ冠礼もされていない貴殿に、ここにいるに足る役職はないはず。何故兵を率いている?」
心底意地の悪そうな笑みを浮かべる男と、今回の乱では一番と言っていい山場が訪れた。
合戦になると張飛と臧覇がやはりエースです。
程昱が味方になった影響も大きいですが、一番大きいのは戦場が地元の人間がいることです。
戦国時代もそうですが、地形や天候の傾向などを知っていることが大きな影響をもたらすのは間違いないでしょう。




