第19話 捧太陽
兗州 泰山郡奉高県
泰山郡の中心都市・奉高まで8日ほどで着いた。気分はさながら中国大返しだ。休みは普通にとっていたものの、食糧を運ぶ必要がほぼなかったので1日100里(約40km)進めた日が数日あったのが大きかった。
奉高で情報を収集する。黄巾賊はこのあたりにはあまりいないらしい。鮑信が義勇兵を徴集して500ほど集まったとのことで、行き先を伝えたら同行したいと申し出てきた。鮑信って曹操を守って討死した人か。優秀な人だし全力で賛同した。合流したところで、周辺に偵察に行かせていた太史慈(子義)が戻ってきた。
「東阿県の丞である王度という男が黄巾賊に寝返って、周囲で暴れているらしい。逃げてきた民に何人か話を聞けた」
「東阿県というと、我々の標的である卜巳のいる東武陽のすぐ東か」
「場所的に、先に何とかせねば背後を襲われかねない」
「良い情報だ。助かった」
太史慈の情報でまず東阿に行くことを決定する。兗州黄巾軍の根拠地となっているのが東郡東武陽県だ。ここにいるのが渠師の卜巳である。しかし、そのすぐ手前で黄巾側について者がいるならば、倒しておかないと困ることになる。孫邵の部隊にはここで兵糧と一緒に待機してもらい、太史慈を先行させて王度を撃退すべく進軍を開始した。すると、太史慈は再び偵察ですごい情報を見つけてきた。
「民は東の山に逃げたようだが、王度も城を自分のものに出来ずに北の川辺で陣を張っているらしい。兵数は1500ほどだ」
「完璧だ子義、その軍勢を討って東阿を完全に取り戻すぞ!」
♢
兗州 東郡東阿県
王度は移動を開始しており、自分が本来守るべき城を攻めているところだった。
城内も城外も見るからに兵が少なく、だからこそ周囲を警戒する兵を置く余裕はなさそうだった。気づかれずに近づく好機だ。
相手の後方の部隊がかなり視認できる距離になって、相手がようやくこちらに気づいた雰囲気を感じた。臧覇と張飛の部隊が一斉に『盧』の白い旗を掲げる。
「賊徒を残らず討ち果たせ!」
「「了!」」
あえて北の川に向かって逃げやすいよう、東南から攻めかかる。城を囲んでいた黄巾賊(と言っても正規の黄巾兵と違い、黄色い布を巻いているのはごく少数だ)を北の川沿いに追い立てるように矢を射かけ、張飛の槍兵が敵に迫る。慌てふためいた敵は崩れるように北へ逃げ始め、張飛と劉政の部隊がこれを追撃する。太史慈も突っこんでいったのを確認して、俺は城に声をかけた。
「我らは青州より黄巾賊を討つべく派遣された朝軍である。城の責任者はどこに?」
「い、今門を開けます!」
東門を守っていた比較的武装のしっかりした兵が返事をし、すぐに開門した。そこには下あごまでしっかりとした髭を蓄えた大男が鎧をつけたまま立っていた。父ほどではないが、俺より少し背が高いくらいの30は過ぎたくらいの年齢の人物だ。
「救援いただき真に感謝いたします。私はこの町に住む程仲徳と申します。県令は今探している最中で、吏僚でない身で出迎える非礼をお許しいただきたい」
程仲徳?ということは程昱か。とんでもない大物だ。曹操の軍師軍団の中でも、手段を選ばないタイプと言っていい。だが、軍師不在の今は喉から手が出るほど欲しい人材だ。
「ここにいる民は県令もいないのにどうやって戦うことができたのです?」
「大半の民は東の山に逃げていましたが、山の頂上付近で小さな火事を起こして無理やり下山させました。そのまま山に居られないならば城の方が安全と説いて、城の守りに参加させたまで」
「山の火は消したか?」
「無論。しかし、一度火事があればまたあると人は思い、安心はできませぬ」
「その通りだ。その火事で怪我をしたものはいなかったか?」
「誰も」
「ならば、城を守れたのだし、問題ない」
非難されると思ったのか、少し警戒した様子だったが、俺の答えに程昱は左の口角だけを上げて笑った。
「これから東武陽を攻める予定だ。少し助言をもらえないだろうか?」
「身に余る光栄。是非」
その後、彼に協力していた豪族の薛房に協力してもらい、孫邵の部隊と兵糧をこの城に運びこんだ。一部を民の炊き出しに使い、ここを薛房に守ってもらいつつ拠点として東武陽攻めを行うことにした。夜には追撃部隊の張飛と劉政が戻ってきて、王度の首を持って帰ってきた。民衆は大喜びだった。
1日休んでいる間に県令も戻ってきたので、正式に協力を取り付けた。その間に話をしていたら、彼の名前はまだ程立だった。だが、孫邵の到着を待っている間に夢で太陽が昇るのを見たとかで、彼は自分の名前を程昱に変えると話していた。多分史実より早いはずだ。
そして、孫邵の1000と薛房に後方を任せ、鮑信とともに8000の部隊で俺たちは東武陽に攻めこんだ。
♢
兗州 東郡東武陽県
東武陽にいると言われている黄巾賊は推定1万。これは軍勢の大半が豫州潁川郡で右中郎将の朱儁様と戦っているからだ。朱儁様が左中郎将の皇甫嵩様とともに3万以上の兵を連れて、長社県で黄巾賊の波才・彭脱といった将と戦っているらしい。そして、黄巾賊の占領地域の中で済水の南岸側では東の端になるのがここ東武陽なのだ。ここを突破すれば黄巾賊は背後が一気にこちら側の支配下にはいるので、現状のような攻勢を維持できないわけだ。
彼らは雒陽を落とせないと負け。一方、こちらは雒陽を守りきれば勝ちだ。そして、今は4月。そろそろ張角の寿命ももたなくなる。これは俺だけが知っているアドバンテージだ。切り所を間違えてはいけない。そんなことを考えつつ、東武陽県には川を渡れば行ける地で夜の軍議の時間となった。周辺に詳しい鮑信と程昱が、状況を説明してくれる。
「現状、東武陽の西部は黄巾賊に占領されていません。これは彼らにその余裕がないからです。ただし、西部の城は皆城門を閉ざし、黄巾賊の妨害をすることもできていません。黄巾賊に加わった男も多く、城内に城を守れるほどの兵がいないことが1つ。黄巾賊が都市をわざわざ襲わないので、城門を閉じていれば害がほぼないのが1つです」
「連中は本当に戦える者は根こそぎ雒陽攻めに使おうとしています。当初は宛などを襲い、太守や県令を襲って支配地域を増やしていましたが、潁川郡の黄巾賊だけが雒陽を攻めることができる部隊となったためです」
「本来、本隊となるはずだった鄴と鉅鹿一帯の部隊は、盧大海様の部隊により撃退されました」
そう。3月時点で父は鄴に集まっていた羅市らが率いる部隊を撃破し、鄴周辺を黄巾賊から取り戻している。その影響で冀州西部の済水北岸は既に父の影響下にあるのだ。そのため、本隊だったはずの部隊は雒陽攻略がほぼ不可能となり、成皋関にさえ辿りつける状況ではなくなったのだ。うちの父上、活躍しすぎ!結果として、潁川の黄巾賊は多少無理攻めでも雒陽方面への進軍を求められ、その途中にある要衝・長社を攻略するのに全力を傾けているわけだ。
「というわけで、東武陽の卜巳さえ討てれば黄巾賊はほぼ終わりです。この均衡の要がこの地である、ということに、敵は気づいておりません」
程昱の言葉に、臧覇がなるほどと呟いた。こういう分析を全員に分かるように説明してくれるのがありがたい。軍師って最高だな。
とは言え、疑問がありそうだったのは張飛だ。何か聞きたいことがあるか声をかけたら、上手く言えないんですが、と一言加えて話しだした。
「荊州方面があるから、潁川の敵はまだ何とかなるんじゃないんですか?」
「翼徳殿が申す事は間違っていない。しかし、こちらには既に下邳から部隊が黄巾賊を攻撃している最中だ」
「あぁ、孫なんとかって人でしたっけ?」
「そう。彼が既に豫州の黄巾賊を数か所撃破したと報告が入っている以上、そもそも敵は焦っているのです」
黄巾賊は大軍だからこそ、食糧や武具の不足に陥りやすい。それでいて後背地が少なく、調達は困難だ。そのため、短期決着以外は許されていない。そもそもの勝利条件に無理があるのだ。
「そして、ここで兗州まで失えば、相手の士気を大いに下げることが出来ます。そして、上手くいけば長社の軍勢と我々で黄巾軍を挟み撃ちにすることも可能なのです」
「そうか。なら、頑張らねえとな」
「というわけで、明日敵の将軍・卜巳のいるこの城へ攻めかかります。おそらく敵はこちらの渡河を防ぐべく城外に出てくるでしょうが、むしろ相手を渡河させましょうぞ」
内部で略奪もあったようで、城内には黄巾賊を恨む民も多いらしい。となれば、籠城が破綻しては困るから相手は城から出てくるだろう。そして、程昱は相手が渡河せざるをえない理由をもう用意しているらしい。
「兵数は相手の方が多いでしょうが、訓練した兵も多いこの軍勢ならば問題ないでしょう。夜襲に来る様子もありませんので、しっかりと休んでください」
程昱の言葉に、各々が頷いてから帷幕を出て行った。
十六夜の月が、警戒する俺たちの視界を広げてくれていた。
北海郡高密から奉高県まで約250kmなので、途中から食糧も運ぶと考えても8日です。普通無理です。
敵からすれば突然8500の兵が湧いたようなかんじでしょうね。
程昱は私のイメージだと「手段を選ばない」ですが、本当の意味で効率重視なのかなという感覚で人物像をつくっています。




