第18話 泰然自若の心、龍の体(後編)
本日から1日1話になります。基本0時すぎ投稿の予定ですが、やや前後します。ブックマークなどしてお待ちいただけると幸いです。
青州 北海国高密侯国
種蒔きの時期が終わり、周辺は穏やかな情勢が続いていた。周辺の主だった黄巾残党の討伐は終わり、俺も3回の戦いを経験した。
そして、自分に違和感を感じていた。
1800年後の世界を知る人間の記憶もあるのに、なぜか血や人の死に迷いがない。なさすぎることだ。
本来こんなことはありえない。幼少期の自分にそういう思考が根付いていた気もしないし、1800年後の記憶でもサイコパスだった記憶はない。
近場をホッカイテイオーに乗って散歩しようと馬小屋に行くと、文姫がコウミツトップガンに干した牧草を食べさせていた。
「良い子良い子」
的盧は不吉な象徴と言われることもあり、俺の家臣以外は近づきたがらない。しかし文姫だけは結構うちの的盧たちを結構普通に可愛がってくれている。
「仲厳様」
「この子たちも、貴女に可愛がられて嬉しいでしょうね」
「的盧を不吉だとは思わない。だって、私たちを援けに来てくれた馬ですから」
「そう言ってもらえると嬉しいですよ」
この前の戦のことだろう。的盧は基本俺以外は乗りたければ乗ればいいスタイルにしていた。そのうち的盧の半数以上が士大夫でない出身で、護衛として鍛錬によって武に秀でるようになった者たちの乗る馬になった。今もホッカイテイオーとコウミツトップガン、ゲキインパクトは俺しか乗らないが、他の馬は誰かしらが乗るようになっている。
彼女はこちらを少しじっと見ていたが、少ししたら「早く大人になりたい」と呟いて馬小屋を出て行った。
悩みでもあるのかな、なんて思ったが、自分が悩んでいる時に彼女の悩みを聞いてあげられるほど冷静でもないなと感じたのでそのまま予定通りにホッカイテイオーに乗って外に出た。
少し外をゆったりと散歩する。もうすぐ日が落ちるから、食事の準備をする良い匂いがしてくる。そんな中、馬小屋近くの雑草を一口食べたホッカイテイオーが、なぜか口から紙を吐き出した。
「紙?なんで……」
馬から降りて紙を拾うと、そこには『孫呉』の文字が書かれていた。その裏には金色の文字で『泰然自若』と書かれており、今の俺の悩みの答えだと確信できた。
ようするに、生まれた時点で俺の精神面が命のやり取りでも冷静でいられるように何か補正を与えられていたんだ。
チート、と言えば聞こえはいいが、自分に干渉されたようで気分は全く良くない。思い通りに動かされているようで気分は悪いが、同時に戦場で慌てふためかずにすんだ部分もある。複雑な気分だったが、大きく1回深呼吸すればなんとか飲みこめた。
そして俺は、今までの2枚の紙と同様にこの紙を首にかけたきんちゃく袋の中に納めた。自分で用意した一種のお守りだが、今回のこれが入った途端呪いの装備に見えてくるから何とも言えないものだ。
♢
問題は解決したようで解決していないが、折り合いはついた。そう思っていると、久しぶりに父からの手紙が届いたと連絡が入った。孫家に青州刺史からも連絡が入っており、両方の情報を比較しつつ共有することになった。蔡邕様が情報をまとめ、重要人物を集めた場で話を主導してくれた。
「父は北方の黄巾賊を任されたそうで、雒陽に黄巾賊が集まる前に兵を集め始められたので、冀州の兵の過半を左馮翊にひきつけられたそうです」
「青州刺史の手紙でも、黄巾賊は北と雒陽方面と青州との境の三方に分かれたようだと書かれているな」
本来張角の名の下に10万近い兵を集めていたはずだが、雒陽方面にはほとんど兵が送れていないようだ。少しは楽になったか?
「青州刺史は更に、潁川周辺に数万の黄巾賊が集まっていると書いている。初戦は潁川の賊の指導者である波才という男が用兵巧みで敗れたようだ」
これも(詳細まで覚えていないが)史実と変わらないはずだ。
「ただ、穎川には荊州や徐州方面から援軍も向かっているようだ」
この言葉の後、蔡邕様は会議に参加していた徐州刺史の派遣してきた役人に目配せをする。彼は緊張した面持ちで立ち上がり、書類に目を落としながら読みあげる。
「今徐州の下邳で丞だった孫文台という男が朱儁様の佐軍司馬として徐州で兵を集めて豫州を通り、穎川に合流を目指しております。この者は先日息子を黄巾賊に殺されたとかで、かなり気合が入っておりました」
孫堅だ。そして、予想通りといったらあれだが、やはり誰か死んでいた。孫堅本人だと黄巾の乱から厳しいと思っていたが、そうはならなさそうだ。年齢的に孫策だろうか。孫権は生まれたばかりか生まれていないかの時期だ。
「この軍勢が潁川で合流すれば、黄巾賊の討伐は可能でしょう。しかし、黄巾賊に兵が合流し続ければ、雒陽も危うくなります」
「で、青州刺史からの手紙の内容になる。仲厳殿に刺史の代理として兵を率いて兗州の黄巾軍を撃破せよとの命令だ」
青州刺史に対し、何進は青州の残党を討伐したら冀州・兗州の黄巾賊をなんとかせよと命じたらしい。冀州側は北海康王・楽安王といった人々の協力もあって済水を利用した防衛線を構築したらしいが、刺史は本当に病で倒れてしまったらしい。というわけで、泰山から北を通って兗州の黄巾兵を討伐せよということらしい。父からも兗州の東郡にいる黄巾賊を攻撃してほしいという連絡が来ていたので、俺はそこに向かうことになる。
「ここには従銭が残ります。彼は牟平県の豪族でもあるので、周囲に睨みを聞かせてもらいたいので」
「では兵はいくつ連れて行く?」
現在俺が動かせる兵力は11000。従銭に2500を残すとすれば、8500は連れていける。孫家から孫邵が借りられるので、彼にも兵を預けることになる。
王豹・劉政・臧覇・張飛に1500、孫邵に1000の兵を預けて兵糧を任せ、自分も1500を指揮する形にしよう。軍師役が欲しいが、蔡邕様は青州のまとめ役をしてほしいし、貞姫・文姫の姉妹と引き離すのも偲びない。
「8500連れて行きます。黄巾賊は戦えぬ者も連れていますが、うちは戦える者だけで」
「兵糧はどうする?」
「ここの蔵の食糧を一部持って行きます。行軍は遅くなりますが」
そう言ったら、話を聞いていた華歆殿がにやりと笑った。
「仲厳殿は周辺から収奪はしないのだな?」
「ええ。それは我が名に反するかと」
「然り然り。そう申されると信じていた」
そう言って、彼は机に広げた地図の劇県を指し示した。
「既に青州刺史の兵に協力を仰ぎ、安徳県に食糧を運ばせてあります。8500ならば、3ヶ月は食糧に困らぬでしょう」
「3カ月……ならば、6月までは大丈夫と?」
「青州を通る間は各地の邑から仲厳殿に納める筈の分を軍に供出すれば、半分で今年の分を納めたことにするという布告をしてあります」
「ということは、青州を通る間は食糧をほぼ運ばずにすむ、と?」
「ええ。伯喈様の許可を得て、支度しておりました」
蔡邕様が予め許可を出していたなら問題ない。それに、結果的に俺としては助かる話だ。ここから青州を横断する間、身軽に移動できるわけで。
「他にも、矢の予備もいくらか運んであります。これであまり苦労せず兗州に入れるかと」
「助かります」
やはり史実の有能官僚は有能だ。状況から兗州に俺が行くとほぼ予測していたため、蔡邕様と予め相談してこういう動きをしていたわけだ。
「仲厳殿、武運を」
「蔡先生、ここをお願いいたします」
「文姫が寂しがる。早めに役目を果たして戻って来るのですよ」
「ではそれまでに扇で叩いてもらえるようになっておいてください」
「それは光武帝でも苦労するかもしれませぬな」
後漢を築いた光武帝は陳留郡出身で蔡邕様と一緒だ。そこまで頑ななのか。
済水は現在の黄河と同じ流路になっています。済南・済北の地名はここから来ています。
『後漢書』では成人という表現があるので、「大人になりたい」より「成人したい」の方がいいのかなと思いましたが、ニュアンスが伝わらないなと感じたので大人のままにしています。
孫策の死ですが、後々出てきますが下邳から九江郡に移る途中で盧江郡で蜂起した黄巾(というか山賊)の戴風によって孫家が襲われたという設定です。
孫策は10歳で一族の移動中に数名の家臣と周辺警戒に出かけ、数十名の賊に襲われたことになっています。史実より動きが早いことで、孫堅は先に下邳から豫州に兵を動かすため孫家一族の移動に同行していなかった、という設定です。他の孫家は無事です。
色々な説を見ていると、黄巾賊の集合が予定より早まったために冀州黄巾の主力の動きが鈍かったため、潁川黄巾の第二軍が実質主力化したというのが正しいのかなという感覚です。張角の病からの死も大きかったのでしょう。本作では最初の1ヶ月だけ張角が元気なので、雒陽側の攻勢は史実より強いです。ただ、その分何進・皇甫嵩・盧植の動きも早いのでギリギリなんとかなっているかんじ。曹操がいない分、このままだと朱儁は危ないです。そのへんを見抜いた盧植が、息子に黄巾軍の後方を脅かさせて潁川黄巾をなんとかさせようとしている感じです。




