第15話 黄巾の旗、北海を狙う(別視点)
冀州 鉅鹿郡広宗県
収穫の秋を迎えながら、冀州は実りの秋とはならなかった。大寒波によって小麦が満足に育たず、冀州北部では冬になるまでに収穫できるかさえ怪しい状況だった。
そんな中、太平道の指導者が9人、鉅鹿の拠点に集合していた。
彼らは日増しに漢朝から強くなる取り締まりに不満を持ち、信徒の武装と組織化を始めていた。
「大賢良師様、最早漢朝の横暴は看過できません。聖断を下すべきかと」
声をあげた何儀に対し、大賢良師と呼ばれる張角は口を噤んだままだった。代わりに口を開いたのは、張角の弟である張宝だった。
「何渠師、落ち着け。まだ準備を始めたばかりだ」
「しかし、地公様!」
渠師とは太平道における36人の指導者であり、将軍となる者だった。その上に地公と呼ばれる次兄・張宝と人公と呼ばれる三末弟・張梁がおり、大賢良師と呼ばれる天公張角が頂点に立つ組織を形成していた。
「表向き大人しくするため、各地の伝道は控えめにせよと大賢良師様は仰せだ。準備ができ次第」
「雒陽を襲うのですね?」
「各々方、今は耐える時だ」
静かに頭を下げた6人が下がるのを待ち、部屋に張3兄弟のみになったところで、張角は荒い息を隠さなくなった。
「兄上、休みましょう」
「駄目だ、今が踏ん張り時」
連日の会議で高齢の張角は体力を消耗しつつあった。病気などにはかかっていないが、弱っているのは明白だった。
「それに、天が味方ならばわしはまだ死なぬ」
「ひとまず、今日は休みましょう」
張梁に支えられ、張角が寝室に下がる。残った張宝と張梁は、実務に関する話し合いを始めた。
「梁、青州の信徒が減っておる。やはり盧北海とか呼ばれている小僧のせいか」
「一時は太平道に協力していた従銭なる男も、こちらに従わなくなってしまいました」
「荊州と豫州、冀州は順調。徐州もある程度数はいるが……」
「青州でも動かねば、雒陽や兗州の東部と挟み撃ちにあうやも」
彼らは地図上で大まかな信徒と動員できる兵を確認していた。十万単位で兵が動かせる地域がある中、青州で動かせるのはわずか4000まで減っていた。
「来年になれば更に減るだろう。司馬倶以外は信用ならない」
「兄上、となれば渠師は張饒を、管亥を補佐にして司馬倶とともに立たせる他ありますまい」
本来は青州で10万以上兵を動員する計画だったため、大きく計画が狂った張宝は焦りを、そして張梁は怒りを感じていた。
「盧北海が手に入れたという種、我らが手に入れていれば」
「きっとその種は于吉仙人のもたらした恵み。それを奪われるとは!」
太平道の元となった『太平清領書』を記した于吉仙人は徐州の下邳出身で、徐州から青州で活動した人物である。そのため、張宝と張梁はコーリャンとフリントコーンの種は本来自分たちが手に入れるべきものだったと考えていた。
「しかもしかも、蒼天の申し子たる盧植の子がそれを手にし、民を導いているのは最悪極まる!」
蒼天を彼らは儒学であると考えていた。蒼天たる儒学の時代は終わり、黄天たる老荘思想が新しい時代を作ると。そう信じていた。だが、蒼天の衰えを助けようとしているのが蒼天の申し子では困るのだ。
「落ち着け梁。逆に言えば、北海王や青州刺史より先に狙うべき者が明確になったと考えよう」
「……ということは、挙兵時は」
「そうだ」
そこで張宝は、冷や汗をかきつつもにやりと笑った。
「青州の兵はまず孫家の屋敷と、盧慈なる小僧を狙う」
「だが兄上、怒り狂った民衆を敵に回しかねんぞ?」
「これ以上あの小僧を生かしていれば、それ以上に敵を増やし味方を減らしかねん。あれは絶対に我々に靡かない」
張角は太平道で人を救えると信じている。しかし、張宝は太平道を利用して天下をとるつもりであり、兄の寿命が近い今立たねばならないと考えていた。兄のカリスマでなければ人は集まらないし、人救うと信じている人間が指導者でなければこの集団は崩壊すると思っているからだ。
「今頃管亥が視察に行っているはずだが、おそらくこちらに味方はしないだろう。あれを放置するわけにもいかぬ故、蜂起は来年の始めすぐにしなければなるまい」
「後ろにずらすほど何渠師らも暴走しかねませんからね。妥当かと」
「これ以上青州をあの小僧の地盤にされてなるものか。最悪でも小僧が負傷してくれれば時間稼ぎはできる。鄴に兵を集め、雒陽を落とし、冀州と豫州、兗州を掌握するまで、あの小僧が動かなければ……」
張宝は本来ならば来年の春頃にしたかった蜂起の時をずらされたことに苛立ちつつも、極力顔に出さないようにしていた。
そして宮廷工作も想定よりできることが少なくなるだろうことも理解していた。
♢♢
司隷 河南尹雒陽
息子である盧慈の手紙を受け取った盧植は、ひそかに河南尹の職にあった何進と相談し、宦官の周辺を洗っていた。
そして年末。2人は祭祀で偶然を装って隣同士に座り、ひそひそと互いの調べたことを報告し合っていた。
太平道に対する取り締まりが強化されながら、雒陽では宦官の意見もあって伝道していなければ取り締まらないよう通達されていることに何進も不審を抱いていたためだった。
「で、子幹の方はどうだった?」
「おそらく、盧慈の申す通りかと」
盧植が探っていたのは中常侍の1人、徐奉だった。彼はある時期から何者かを屋敷に呼んで宴会をする回数が増えていた。それに違和感を覚えた盧植が彼を探っていたのだった。
「おそらく5日に1度その何者かを招いています。ですので今宵、その者が屋敷に出向くはず」
「では、そこをおさえるか」
「いいえ、帰り際をおさえます。出向かねば徐奉に不審に思われますので」
「わかった。相手の潜伏先はわかっているか?」
「ええ。こちらに」
渡した紙には、雒陽中心部に近い場所の逆旅(宿屋)が記されていた。
「では、わしは逆旅の近くで騒ぎを起こそう」
「成程。その日に戻らなくても不思議はない状況を」
「敵に知られるなら遅ければ遅い方がいい。騒ぎがあれば万一徐奉を訪れている男に仲間がいても、わしの騒ぎで戻ってこれないのだろうと判断してくれるはずだ」
「騒ぎも河南尹としての取り調べなどならば、疑われにくい」
「それさえ危険と思うなら、むしろ仲間の男が逆旅から逃げようとするはず。そこを伏せた兵で確保する」
「流石です。そちらはお任せします」
「うむ。そちらも上手く頼むぞ」
「もちろん」
そして、その夜。
少数で動いた盧植は、見事徐奉の元から帰る途中の太平道信徒・唐周を捕縛した。唐周は拷問する必要もなく計画の始終を何進・盧植に明かしたため、翌日には唐周の担当していた封諝・徐奉の邸宅に何進の兵が押し入り、2人を捕縛した上で証拠を確保して宮中で霊帝に処罰を求めた。
「この者たち、帝への叛意明らかにございます!厳重に罰すべきかと!」
霊帝は隣にいる宦官の張譲に意見を求めた。張譲は霊帝に父と呼ばれるほど信頼されている宦官である。すると、彼は捕まった2人を冷たく見下ろしてこう言った。
「貴方様を裏切った不届きものです。即刻首を落とし、太平道を誅罰いたしましょう」
「そうだな、我が父がそう言うのだ。そうしよう」
「ええ。悪いのはこの2人だけ。いや、雒陽での太平道の布教を擁護していたのは、亡き王甫と侯覧もでしたか」
「なんと。あの者らもか」
張譲の言葉に、封諝と徐奉は怒りを露わにする。
「な、裏切ったか張譲!貴様に誘われて我々は馬元義との交渉を!」
「お耳を貸してはなりませぬぞ。あれは逆賊です。そこの者、すぐにこの逆賊を処刑し、一族を皆殺しにせよ。雒陽中に、謀反人は許されぬことを示すのだ」
何進もなんとなく察していたものの、今はまず太平道の反乱を収め、高位に上りつめるのが先と判断していた。そして、何進が今、全ての宦官と揉める気がないであろうことを張譲も気づいていた。2人の宦官が怨嗟の声をあげながら引きずられるように謁見の間から退場するのを見届けた後、張譲は悲しげに霊帝に話しかけた。
「我ら中常侍から謀反人が出たのは申し訳なさの極み。そこで、我らが今まで頂いた給金を国庫にお返しいたしたく」
「なんと。そなたがそこまで責任を感じる必要はないぞ」
「いえいえ。我ら中常侍一同、改めて忠節を示させていただきたく。襟を正すということで」
「……わかった。そこまで言うなら受け取ろう」
「はい。何河南尹が太平道の叛徒を討つ元手にしていただければ」
「とのことだ。此度の報告、ご苦労だった。そなたを大将軍とし、この鎮圧を任せよう」
その言葉に、何進は目的を果たしたことを理解した。
「お任せを。必ずや王室の敵を全て討ち果たしてみせましょう!」
何進はそう言うと、馬元義捜索中の盧植と合流すべく許可を得たので部屋を出ようとした。
「のう我が父よ」
「なんでございましょう?」
「ほ、本当に、そなたは裏切っておらぬよな?」
後方で霊帝と張譲の会話が行われるのを少し耳にしながら。
「もちろん。内に省みて灰しからず、でございます」
そう言いきる張譲の堂々とした振る舞いに、何進は警戒心を更に強くするのだった。
太平道もバカではないので、主人公みたいな存在が現れればその勢いを警戒します。その結果蜂起の時期が前倒しになるわけです。
時間があればあるほど主人公の作物が影響力をもつので、それでは困るわけですね。特に182~183年の大寒波は火山噴火の影響でかなり大きいですが、これが今後も続いたら太平道は自壊しかねないわけです。一時的な天変地異かどうか彼らにはわからないので、今しかないのです。
だって今なら冀州や豫州、荊州のように救われていない地域で「漢王室が天に見放されたのだ!」と主張できますが、来年にはそこまで主人公の救いの手が回る可能性もある。そうなったら「漢王室と儒教が我らを救ってくれた!」になりかねない。ただし、準備期間なしで蜂起も出来ない。
絶妙に難しい判断を求められる張宝さんでした。
そして、予定が早まったため史実ならもっと慎重だっただろう宦官との接触をわかりやすくしてしまった馬元義とその部下。盧植と何進ならわからないわけもなく、唐周が捕まって計画は露呈です。
本編では描写しませんが、王允さん免職などのイベントは発生してます。何進は宦官全員倒すのは今じゃないと思っているため、手助けしませんので。




