第13話 大寒波
明日の分も0時過ぎに投稿します。
青州 北海国高密侯国
光和6(183)年に入った。張飛少年から書館の卒業を許されたという手紙が届いた。今年の末には北海に来るそうだ。頼もしい仲間が増えるぜ。なにより、黄巾の乱に間に合ってくれたのが本当にありがたい。
昨年の寒波はなんとかなったが、今年は昨年以上に冬が厳しい。
北海郡の沿岸地域では腰くらいまで雪に埋まり、斉国から予め運びこんでおいた石炭で暖をとらないと凍死者が出るレベルだった。鄭玄様も各地の様子を聞き、若い門下生たちを各地に派遣して孫家と情報共有していた。孫乾と孫邵は一時的に実家に戻って手伝いをし、俺と高誘は郗慮と3人で農村を周って状況確認を手伝った。護衛と一緒に動く俺の集団は寒波で外を警戒できない農村にとってはいい警備となったようで、北海郡では野盗の発生はほぼなかったようだ。
途中で合流した郗慮は騎馬の部隊に会って野盗かと悲鳴をあげていたが、俺だとわかると恥ずかしそうに耳を真っ赤にしながら咳払いしていた。
「このあたりは火炕の家が少ないですね」
「幽州では火炕?というのが普通なのか?」
「ええ。火炕は厨房の薪で温めた空気を家の床下に通すもので、寝室が温かくなるんですよ」
つまり床暖房だ。ただ、火炕は寝室にしか入れないので、凍死は絶対ない代わりに日常生活の空間は寒い欠点がある。韓国のオンドルとかだと家全体がほんのり温かくなる代わりに、寝室だから特別温かいとかはない。
「今後の冬が厳しいならば、火炕の家を建てるのも考えた方がいいかもしれません」
「琢郡は北だから、そういう寒さには強いのだなぁ」
「冀州あたりも結構火炕の家が多いですけれどね。兗州だとあまり見かけないかもですね」
寒さに負けない馬たちとそのまま各地を回り、報告のため孫家の屋敷に避難している鄭玄様の元に向かう。
孫家の屋敷では、分厚く服を着こんだ蔡姉妹が暖炉の近くで俺のプレゼントした知恵の輪で遊んでいた。
報告を終えて少し温まっていくよう誘われたので中に入ると、こちらを見た妹の文姫がこちらに駆け寄ってきた。
「顔が真っ赤よ、仲厳様」
「今日は吹雪いていないとは言え、外は寒いですからね」
文姫はいつも通り扇で頬をポンポンと叩く……かと思ったら、手を引かれて暖炉前まで連れて行かれた。
「体が冷えていては良くないわ」
「ありがとうございます」
姉の貞姫は郗慮に場所を譲って少し部屋の奥に居場所を変えた。しかし、彼女の配慮に気づく様子が郗慮にはなかった。そういうところだぞ。
「姫様、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでです」
貞姫は年齢と許嫁がいる関係であまり他の男性と話したがらない。本人に嫁ぎ先がもう決まっているという意識があるからだろう。逆に、自由な文姫は俺と普通に話をする。まぁまだ数えで6歳というのもあるか。
しばらく温まっていると、孫乾が部屋にやってきた。彼も耳が真っ赤だ。文姫がその様子を見て、孫乾に向かって暖炉をビシッ!っと指さして暖炉へ行けと促していた。苦笑しながら隣に来た孫乾が、東莱郡の役人に会って聞いた話を教えてくれた。
「東莱はここより過酷なようです。とは言え雪が逆に寒風を防ぐ部分もあり、家の中でじっとしていれば凍え死ぬことはなさそうですが」
「雪が積もることでかえって寒風を防いでいるのか。不思議な話だ」
そんな話をしていると、少し離れたところで文姫が筆を持ち、字を書いていた。
『雪落何霏霏』
「よくそれだけの字が書けますね」
「勉強しました」
雪が降るのがこれほどずっと続くとは、みたいな意味だ。
賢いってのはこういうことだ。残念ながら、そういう才能は母のお腹の中に置いてきた。
その後呼ばれた姉妹が部屋を出ていくと、孫乾が話しかけてきた。
「すごいですね。よくそれだけ彼女と話せますね」
「そうですか?気さくで話しやすいですが」
「家中でも話しかけられるのは数人だそうですよ。気に入った相手には扇を見せるそうですが」
「蔡先生がそれをしてもらえないと嘆いていましたからね」
「そうなんですか」
まぁ、初期に話が苦手だった時期の影響だろう。今は結構話も上手なので、普通に話しかけてみたらと答えておいた。
♢
春の時期になっても雪が融けきらない地域もあり、今年は厳しい状況になりそうだ。冀州では小麦を蒔くのも難しいらしく、東莱も雪深い地域はコーリャンすら植えられないかもと連絡が来ていた。
その分、どれだけ寒くても彼らが飯のタネだからと守ってきた蚕は無事だったらしい。東莱郡では養蚕が盛んなのでこれだけは死守したそうだ。収入源があれば北海や東莱南部からコーリャンが買えるということだろう。みんな生きるのに必死だ。
冀州だけでなく徐州から種を求める声があり、備蓄から一部を緊急で出した。徐州の仲介をしてくれた商人の1人が麋姓で、聞いてみたら子どもの名前が麋竺と麋芳だった。劉備を支えたあの兄弟だ!ということで快く支援をしておいた。恩を売っておきたい相手だからね。北海での交渉役として北海に居残る担当となった弟の麋芳は芽吹いたコーリャンの畑を見て、驚いていた。
「寒くても、水が少なくても育つというのは本当なのですね」
「ええ。この種は鮮卑の地でも育てられる力がありますから」
「最近はここで育てているカブや玉蜀黍が鶏や豚のエサとして多く出回っているので、徐州では家畜の飼育で生活を立てる者も増えていますよ」
「青州では農地を広げる者が多くて、家畜は最低限しか飼わない家が多いですね」
作物を売って農地を増やしたり、牛を飼って耕作の補助を強化する場合が多い。冀州では食料を買うために牛を手放す家が多く、張世平もちゃっかり牛を馬と一緒にこっちで売りさばいているようだ。
「しかし、18歳になったのに太学に入らず青州の混乱を鎮めてから行くとは英断でしたな。もし仲厳様がいなければ、今年の青州と徐州は大混乱だったやもしれませぬ」
「いやいや、でも、食糧庫を早々に一部開放する判断はここにいたからこそ出来ましたから、その意味では残って良かったです」
そう。昨年18歳になったところで寒波が強くなった。だからこの異常気象が収まるまでこちらで頑張ってから太学を受けると父に手紙を送った。父からは「気のすむまで頑張れ」と返事をもらった。蔡邕様を保護しているので、あまり無理してこちらに来なくてもいいみたいなかんじかもしれない。
「徐州でもなんとか種蒔きは出来たと報告が来ておりますので、徐州はなんとか落ち着くでしょう。高粱がなければどうなっていたことか」
「そうですね」
知っている。どうなっていたかを。青州は黄巾党の大根拠地になって大いに荒れるのだ。だからそれを防ぐ必要があった。
「冀州では生まれ育った村を離れる者も多くなっているとか。こちらにも人が来ていると聞きましたが」
「ここよりも、今は平原国や楽安国、斉国に人が押し寄せていますね」
冀州に近い地域や青州刺史がいる地域に人が集まっている状況だ。コーリャンが一番集まっているのが北海国と知らない人が多い。普通に考えれば人口の集まっている青州刺史がいる斉国に穀物もあると思うだろうから、仕方ない。
「ただ、そのうちこちらにも来るでしょうね。東から穀物を運んでいるのはいずれ気づくでしょうし」
「変な食い詰め者が来ても困りますね」
「青州刺史からは、もう少し護衛を雇ってほしいと言われていますね。孫家もある程度自衛できる兵を集めたそうです」
「それがいいでしょう」
「私兵みたいなので、出来れば避けたいのですがね」
「むしろ、仲厳様が兵を持たねば、野盗が狙いやすいと集まってしまいますから」
後漢の皇帝は経費削減のために各州の兵を削減しまくっている。その結果が今の野盗が各地にいて、都尉では対応しきれない状況を招いている。それで俺みたいな人間や各地の有力者に自衛のために部隊を編成していいよ、なんてしているのだから、笑えない。黄巾の乱の前から準備ができるのは助かるけれどね。
その後、麋芳と50人の護衛と一緒に孫家に向かった。孫家の屋敷の外では新米の私兵が稽古用の槍をもって訓練していた。近くを通りがかると、その指揮をしていた孫家の人に馬を降りて挨拶する。相手には逆に謙遜されるが、こっちが年下なので当然だ。
「この方たちが、新たに集めた者たちですか?」
「ええ。主に東莱郡の沿岸で食うに困っていた者たちです。家も知っているので、逃げる心配が少ないですからね」
「なるほど。そういう地縁で集めているのですね」
「近場の者こそ仲厳殿の側に置かないと安心できませんから。孫家は部隊の中心が血縁で固まっているので、雑兵はこのくらいでいいのです」
俺に恩義を感じている人こそ俺の周りに置くことで忠誠心を確保する方針らしい。世話になりっぱなしなのも今後のために良くないかもしれないか。
そんなことを考えていると、妙にこそこそした動きの新米兵が目に留まった。背がそこそこ高いくせに誰かの背中に隠れようとしている。
「おい、子義!お前仲厳殿と同じ名の癖にこういう場でそわそわするな!」
「同じ名?」
「はい、あの者、太史慈、字は子義と申すのです。仲厳殿とほぼ年も変わらぬ上、同じ『慈』を名に持って壮健な体つきなのですが」
おお、太史慈だ。と思って彼の顔を見ると、あれ、どこかで顔を見たことが。
「あぁ、あの時の」
「あ、いや、その、人違いかと!」
「私はあの時の、としか言っていませんが?」
「あ、えっと、決して盧北海様とお会いしたことはないので」
間違いない。あの時コーリャンを盗もうとしてて追い払った男だ。太史慈だったのか。
「真面目にここで働いていたら、あの時のことは母親に黙っておこう」
「あ、いや、もう母上には知られてて。だから盧北海様のお役に立って償ってこいと」
語るに落ちる。確定だ。そう言えば孔融を援けに行ったのも、母親に言われてだったか。
「じゃあ、しっかり頑張るんだぞ」
「はい……」
正直、武力だけなら信用できるのだけれど。軍を率いるのに向いているのかと言われるとちょっと怪しい。
個人の武が必要な時はここにいるって覚えておけばいいか。
火炕の遺跡は古代であれば北京以北の地域に多いようなので、山東半島にはなかったと思います。
『雪落何霏霏』は曹操の作った詩の一篇です。彼がいない分、誰かが詩を多く編むことになるでしょう。
麋竺・麋芳兄弟は金銭的にも劉備を支えた徐州随一の商家出身。当然徐州との交易となれば関わってきます。
イメージとして大体主人公とほぼ同年代かなと思ったので、麋竺(164年生)麋芳(166年生)としています。
明代の『三才図会』によれば山東半島の鶏はかなり大型だったらしいので、それの進化前というイメージで書いています。
うちの太史慈は小物です。器がちっさいくせに大望を抱き、そして武力が高いです。でも親の義理には逆らえません。
孔融を助けに行った三国志でも、母親に言われてから3日家にいてそれから救援に行っている。久しぶりの実家とは言え、恩人を援けに行くのに3日家に留まるあたり、嫌々だったのかなという。
正直孫策との逸話があったから持ち上げられた感強いので、史書ベースだと太史慈はこんな人になるんですよね。




