99話 探偵、思い出す
魔王に勝利した俺は、すぐにその場を立ち去った。
「魔王と戦った直後なんだから、ちょっとくらい休んでもいいのでは?」と思うかもしれないが、そういうわけにはいかない。
なにしろ、今の俺は死神との決闘の真っ最中だからである。
本来なら、席について死神の到着をじっと待っていないといけないのだ。
席から離脱して、そのへんをウロチョロしてしまっては死罪である。
今、俺が死なずに済んでいるのは、決闘作法で『対戦相手が来るまでの間、魔物が近くにいたら駆除してよい』と許可されているからであり、近くの魔物(つまり魔王)を倒してしまった今、すみやかに席に戻らなければならない。
俺は硬い土の床を踏みしめながら、帰り道を歩いていく。
静かである。
先ほどまでは魔王がいて、「コッチニコイ」という声を響かせていたが、今はそれもない。
ただ俺の足音だけが鳴り響く。
5分ほど足音を響かせたところで、アマミ達のところに戻った。
「おかえりなさい」という返事はない。繰り返すが、今は決闘の真っ最中である。私語は死罪だ。
俺も一言もしゃべることなく、席に着く。
姿勢を良くし、真面目な顔をし、いかにも真剣な面持ちで決闘に臨んでいますという体裁で、来るはずのない死神を待つ。
(決闘が時間切れで無効化されるまで、あと7時間か)
それまで静粛かつ神妙に待ち続けなければならない。
じっと待っているのは退屈ではあるが、うっかり眠りについて寝言を言ってしまっては、私語と見なされて死罪になってしまうかもしれない。
退屈で寝てしまわないよう、適度に考え事をして頭を使いつつ、時間をつぶす。
魔王との戦いのことを振り返ったり。
ルチル達の今後のことを考えたり。
以前立ち寄った町のことを思い出したり。
そうやってあれこれと思考を巡らせること7時間。
頭の中に、こんな声が鳴り響いた。
『決闘開始から8時間が経過しました。
時間切れですので、現時刻をもって決闘は中止します』
どうやら無事、決闘が中止となったようである。
無事に中止、というのもおかしな表現だが、ともあれ俺たちが死ぬことはなくなった。
俺は心の内で、そっと安堵する。
アマミやルチルの前では、できるだけ堂々とするようにはしているが、失敗すれば死ぬという状況であれば不安な気持ちだってある。
推理で99パーセント大丈夫とは分かっていても、1パーセントの心配はある。
その心配が解消されたことに、俺はほっと息をついたのだ。
「ジュニッツさん!」
声のした方を向けば、アマミが心底安堵した顔を浮かべている。
「ジュニッツ殿!」
ルチルもまた、ほっとした顔をしている。
俺はそんな2人に向け、堂々とした顔でビッと親指を立てるのだった。
◇
さて、帰り道である。
俺たちは今日、魔王の玉に触れることで、魔王のいるこの星まで転移してきた。
玉は、地下迷宮と魔王の星の2カ所にある。
片方の玉に触れれば、もう片方の玉に転移できる。
地下迷宮の玉 ←→ 魔王の星の玉
そうやって、相互に行き来することができたのだ。
今までは。
だが……。
「消えているな」
「消えていますね」
そう、魔王の玉はきれいさっぱり消えていた。
当然と言えば当然だろう。
魔王の玉は、魔王の一部である。
アマミも3日前、こう言っている。
――≪あれは魔王の分身です。魔王の一部、と言ったほうがいいでしょうか≫
俺は今日、魔王を倒した。
であれば、分身である魔王の玉だって、消えるのが当然だろう。
つまり、『魔王の玉に触れて地下迷宮に帰る』のは二度と出来ない。
こんなことを言うと、「大変じゃないか! 魔王の星に閉じ込められてしまったぞ!」と思うかもしれない。
が、その心配はない。
というのも、今朝、俺は転移門を収納しているからだ。
――門をしまい、偽の壁を崩して、外に出る。
つまり、今の俺は転移門を持っている。
この転移門を設置すれば、妖精の森へと帰ることができるのだ。
「じゃあ、帰るか」
俺の言葉にアマミとルチルがうなずく。
俺は転移門を設置した。
見慣れた門が目の前に出現する。
扉を開ける。
何度も嗅いできた安心できる森の匂いがする。
妖精の森の匂いだ。
『帰るまでが冒険』という言葉がある。
無事に帰ってこそ冒険は終わる、という意味だ。
そういう意味では、『帰るまでが魔王討伐』と言うこともできる。
「あ、ジュニッツさまなのです!」
「わあ、ジュニッツさまー」
「おかえりなさいなのですー」
俺に気づいた妖精たちが一斉に声をかけてくる。
「おう、今帰ったぞ」
魔王討伐の終わりを実感しながら、俺は返事をするのだった。
◇
妖精の森に帰ってからは、静かな日々が続いた。
宝石人達は、長い間操られていたせいか、まだまともに体が動かない。
彼らが元通りになるまで、俺はやることがない。
宝石人達のリハビリは、ルチルが取り仕切っている。
俺が何か手伝おうかと言っても、「恩人のジュニッツ殿の手をわずらわせるなど、とんでもないのじゃ!」と断られてしまう。
俺としては、手の空いている妖精たちと戯れるか、「ジュニッツさんは働かないのが似合いますねえ」などと言ってからかうアマミにデコピンを食らわせるくらいしか、やることがない。
そうして1週間が過ぎた。
宝石人達は順調に回復している。
リハビリというと数ヶ月くらいかかりそうなイメージがあるが、宝石人達の回復は予想以上に早い。
「おお……ジュニッツ殿……! おかげさまで、この通りですぞ」
様子を見に来た俺に、宝石人の1人が若干不安定ではあるものの、誰の助けを借りることもなく歩いてみせる。
まだぎこちなさは残るが、助け出した当初より断然良くなっている。
ルチルに話を聞いてみると、
「みな、よい具合に快癒していっているのじゃ。この調子なら、あと2週間ほどですっかり元通りなのじゃ。何もかもジュニッツ殿のおかげなのじゃ」
と嬉しそうな顔をして言う。
順調なのは何よりである。
とはいえ、回復までは今しばらく時間がかかる。
それまでどうするか。とりあえずは妖精たちとまた戯れるか。
そう思って歩き出そうとしたところで……。
ふと、何かを忘れているような気がした。
具体的に何を忘却してしまったのかは分からない。
だが、何かを忘れてしまっているのだ。
たぶん重要なことではないだろう。とはいえ、無視して良いことでもない気がする。
たとえるなら、部屋の隅に置き忘れた腐ったパンのように、どうでもいいけれども放っておくわけにもいかないような、そんな何かを忘れているような気がするのだが……。
「あの……ジュニッツ様。今、大丈夫ですか?」
声がする。
見ると、妖精の族長のリリィが、ふわふわと俺の顔の近くに浮いている。
「どうした、リリィ?」
「その……あの人、どうしましょうか?」
「あの人?」
「はい。ジュニッツさんが連れてきた人です。黄色い服を着て、ロープでぐるぐる巻きにされた人間の男の人なのです」
「……ああ!」
その瞬間、俺は忘れていたことを思い出した。
ナルリスである。
1週間前、この妖精の森の隅にやつを放り出して以来、ずっとほったらかしていたのだ。
魔王を倒すことで頭がいっぱいだったこともあり、俺は完全にやつの存在を記憶のかなたに放り出してしまっていた。
「悪い。完全に忘れていた」
「い、いえ。わたしも、ついさっき気づいたのです」
「そうか。で、その……ナルリスは生きているのか?」
今のナルリスは、かつて持っていたスキルを全て封じられた上で、全身を縛られ、目隠しと猿ぐつわまでされている。
自力で水や食べ物を探して口に入れるのは不可能だ。
つまり、1週間のあいだ、ずっと飲まず食わずだったことになる。
死んでいてもおかしくない。
無論、ナルリスの命など惜しくはない。
ただ、俺はナルリスの処分は宝石人達に委ねようと思っている。委ねる前に死なれても困る。
(まあ妖精の森だから大丈夫だとは思うが)
妖精の森というのは不思議な場所で、多少断食をしても体は持つ。
生命の力のようなものが空気中に漂っているのか、呼吸するだけでエネルギーが体に満ちてくるのだ。
だから、ナルリスもまだ死んではいないと思った。
リリィの答えはこうだった。
「その……生きてはいるのですが、ただ、何というか……へんてこなんです」
「へんてこ?」
「えっと、すみません、なんと説明すればいいのか……」
「ナルリスの所に行けば分かるか?」
「あっ、はい。見れば分かると思うのです」
「分かった。じゃあ、見に行こう」
俺達はナルリスのもとへと向かった。




