98話 探偵、魔王キング・リゾックを倒す 4
広々とした地下空間の中、俺は魔王に向かって歩いて行く。
土の床は、平らで固い。
以前、俺が『荒野の魔王』という別の魔王と戦った時も、こんな風に地面は固かった。
(遠い別の星でも、土の感触は似たようなものなんだな)
足を進めながら、そんなことを思う。
そうして自分が今、何兆キロも遠く離れた星にいることに改めて思い至る。
もっとも、大きな感動はない。
魔王の玉に触れただけで転移してきたから、苦労もない。天井も壁も全て土で囲まれているから外の様子も分からず、実感もない。
それに、ナルリスのやつが頻繁にここに来ているのだと思うと、あまりありがたくもない。
何でもそうだが、1番手というのはそれだけで価値があるし、2番手3番手というのは一段価値が下がる。
もっとも昨夜、そんな話をアマミにしたら、
「でも魔王を倒すのはジュニッツさんが1番手じゃないですか。それが何より価値がありますよ」
と言われたが。
(まだ魔王を倒せたわけじゃねえんだがな)
俺は数百メートル先にいる魔王を見る。
塔のように巨大で、青い体に緑色の目を爛々(らんらん)と光らせ、「コッチニコイ」という言葉を発する巨大なイカの姿をした魔王である。
イカを見たことのない俺にとっては、ある意味これが初めてのイカということになる。
(レコも、魔王が初めて見るイカだったんだろうな。彼女はイカの存在すら知らなかったと記録に書いていたのだから)
そう思いつつ、ふと床を見る。
レコとキーロックの足跡が残っていないかと思ったのだ。
それらしいものは何もなかった。周囲を見渡しても何もない。
固い床だし、長い年月が経っている。
(残っているわけねえか)
この部屋だけではない。
レコたちの残したものは、書庫の片隅にひっそりと置かれていた魔王との戦いの記録の他は、ほとんど何も残っていない。彼女たちを知る者も、今は少ない。
かつてS級冒険者として名を馳せたレコとキーロックの足跡が、今やほとんど消えかかっているかと思うと、なんとも言えない気分になる。
(俺は消えやしねえぞ)
初めて魔王を倒した時、俺はアマミとこんな会話をした。
――「世の中の連中は、どいつもこいつもレベルが高いやつが偉いと思っている。俺のことはゴミか何かだと思っているか、そもそも眼中に入っちゃいねえんだ。そんな中で……そう、そんな中でレベル1の俺が誰よりも上だと示されたら、おもしれえと思わねえか?」
――「上?」
――「ああ、つまり……世界活躍ランキングの歴代1位になるんだ」
あの時、俺はアマミと約束したのだ。
この先何百年、何千年もの間ずっと、全人類に対してレベル1の俺が1位であることを見せつけてやる、と。
約束は守る。
(そのためには魔王だ。魔王を倒さないと始まらねえ)
その魔王のところまで、目測であと300メートル少しである。
(そろそろだな……)
俺は、鉄の盾を前方に掲げた。
ちょうど顔を覆い隠す形だ。
前は見づらくなるが、どのみち魔王までは一直線だし、途中に誰かいるわけでも障害物があるわけでもない。
「コッチニコイ」という魔王の声に向かって歩けばいいのだから、問題ない。
そうして10メートルほど歩いた時だ。
ぶおっと音がした。
途端、鉄の盾に衝撃が走り、バシャッと黒い何かが飛び散る。
盾を少しずらして前方を見ると、魔王の口から黒い液体が発射されようとしている。
俺は急いで、また盾で顔をふさぐ。
バシャッ。
再び盾に衝撃が走り、黒い液体が周囲に散る。
魔王のスミである。
俺が近づいたことで、魔王がスミを放ち始めたのだ。
俺は走った。
スライム布に覆われていて走りづらい。あまり無理をすると転んでしまうだろう。
それでも俺は、可能な範囲でスピードを出す。
魔王のスミは、次々と飛んでくる。
角度もタイミングも様々だ。
頭上から襲いかかってきたり、胴体目がけて低い弾道で飛んできたり、しばらく飛んでこなかったかと思うと、連続で2発3発と飛んでくる。
盾で防ごうとするが、全ては無理である。
何発かは、食らってしまう。
全身を覆うスライム布のおかげで、体や服にはかからなかったが、代わりにスライム布のあちこちがスミがかかる。
俺は盾を掲げ、走り続ける。
走って走って走り続ける。
やがて……。
魔王のすぐ近くまでたどり着いた。
(これが破壊の粒子か)
ほぼ透明の無数の粒子。
それが、魔王の体全体を分厚いバリアのように覆っていた。
キーロックは、この魔王を覆う破壊の粒子に飛び込み、一瞬で全身を粉砕された。
だが、今の俺は不死身である。
(じゃあ行くか)
俺は破壊の粒子に向かって足を踏み出した。
ぐいっと体を前に進める。
全身が粒子の層の中に入る。
無事だった。
俺の体はなんともない。
俺はさらに足を進める。
魔王はもうスミを吐いてこない。
近すぎる相手には、スミを吐けないのかもしれない。
破壊の粒子は20メールほどの厚みがあり、バリアとしては分厚い。
だが、歩けばあっという間である。
すぐに魔王の目の前にたどりついた。
(こいつが魔王か……)
今まで3体の魔王を倒してきた俺だが、手の届くほど魔王の近くまで来たのは初めてである。
(じゃあ、倒すか)
俺は右手部分のスライム布を取り外した。
この部分は長い手袋のようになっていて、自由に取り外しができる。
そして、素手になった右手を魔王に向けて伸ばした。
レコの記録に書いてあったように、魔王を倒すには素手で触る必要があるからだ。
――「まとめると、魔王本体を1時間素手でずっと触っていれば誰でも倒せるってことか、レコ?」
――「ああ、それでいい」
手のひらが、魔王の巨大な腕に触れる。
触られても魔王は動かなかった。
レコの言葉通りである。
――ただ、書き忘れていたことがあって、魔王自身は触られたとしても動かないということだ。
――あの魔王は動かない。
――腕が10本もあるのだから、その腕で攻撃してきてもよさそうなものだが、動かない。
――ただじっとふわふわ浮いているだけである。
――ずっと潜み続けてきたおかげで動くのを忘れてしまったのではないか、と思うほど動かない。
――魔眼で見抜いたことであるから間違いない。
――このことが魔王を倒すヒントになれば幸いである。
(大きなヒントになったさ。ありがとうな、レコ)
そう心の内で礼を言いながら、俺は魔王に手の平を当て続ける。
静かだった。
さっきまで魔王のスミが飛んできたり、走り回ったりして、それなりに騒がしかったが、今は静かである。
時折、「コッチニコイ」という地鳴りのような魔王の声が響き渡るだけである。
(俺はもうこっちに来ているんだがな。……いや、もしかして魔王は自分の近くにいる者の存在を認識できないのか? 破壊の粒子に守られている反面、粒子の中にいる者には触られようと何をされようと知覚できない……ということか? それが破壊の粒子の副作用なのか?)
考え始めるとキリがない。
魔王と戦っている最中なのに、余計なことを考えてはいけない。
俺はできうる限り、心を静かにした。
警戒心を解くわけではないが、余計な思考は排し、魔王に手のひらを押し当てることに集中する。
息をゆっくり深く吸い、少しずつ吐き出しながら、ただただ魔王に触れ続ける。
そして……。
どれほど時間が経っただろうか。
体感的にはちょうど1時間ほど経った頃。
「ガアアアアア……」
魔王が声を上げた。
崖が崩れるような低い響きのうなり声である。
次の瞬間、魔王の体が崩れ始めた。
粒子である。
魔王の体が少しずつ、無数の小さな粒子になっていくのだ。
まるで体が砂になったかのようである。
少しずつ少しずつ、小さな粒になって、空気中に舞い散っていく。
やがて。
「ガ……ア……」
最後の断末魔と共に、魔王は消え去った。
100年以上にわたってエルンデールの町周辺の魔物を強化し、大勢の人々を直接・間接に殺してきた魔王キング・リゾック。
その魔王が今、完全に消滅したのだ。
しんと静まり返った空間。
静かで暗くて何もない時間が10秒ほど流れる。
と、その時である。
視界にメッセージが表示された。
『全世界にお知らせです。エルンデール滞在中のジュニッツ(レベル1、G級冒険者)が魔王キング・リゾックを倒しました』
俺が4体目の魔王討伐を成し遂げたことが全世界に通知された瞬間である。
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