97話 探偵、魔王キング・リゾックを倒す 3
「じゃあ、ちょっと魔王を倒してくる」
そう言うと、俺はスーツの上から、さらに服を着た。
自分で言うのもなんだが、奇妙な服である。
生地は、ほぼ透明だ。
そして、頭の先端から足のつま先まで、顔面も含めて全身をすっぽり覆っている。
端的に言えば、透明な布で体全体が包まれている状態である。
「な、なんじゃ、その服は? 透明な布……のようなもので出来ているようじゃが……」
ルチルが驚いた顔でたずねる。
「スライム布だよ」
スライム布とは、死んだ大型のスライムに特殊な薬品を加え、薄く伸ばしたものである。
軽くてやわらかく、そのわりにかなり頑丈な上に透き通っている。
また、水を弾く一方で、空気は通すという性質を持つ。
「そんな布があったとは……。雨ガッパに便利そうじゃのう」
ルチルが感心したようにつぶやく。
「実際、雨ガッパとして人気だぞ。従来は革製のコートに油や樹液を塗って雨ガッパとしていたが、こっちのほうが安いし軽いし蒸れないからな」
もっとも高級感はあまりないので、下級貴族などはあえて不便な革製の雨ガッパを身にまとうことが多い。ちなみに、中級以上の貴族は雨ガッパなどは使わず、使用人に傘を差させるそうだ。
無論、俺は高級感などどうでもいいので、スライム布を使う。
というより、俺が着ているのは雨ガッパとは異なり、顔面も含めて全身を覆う特殊な服なのだから、透明なスライム布でなければ、そもそも前が見えない。
「ジュニッツ殿はそれを着て魔王を倒しに行くのじゃろうか?」
「ああ」
「なぜじゃ?」
「魔王のスミを防ぐためさ」
魔王の攻撃のうち、まず気をつけなければいけないのはスミである。
スミ以外の攻撃は、風の刃と破壊の粒子だが、風の刃は魔王から逃げる時にしか放たれないから今回は関係ない。
破壊の粒子も、魔王の周囲を覆うものだから、近づくまでは関係ない。
だから、まず気にすべきはスミ、というわけだ。
そして、推理の時に話した通り、魔王のスミには人を操る効果がある。
俺は今から魔王を倒しに行くが、普通に行けば当然スミを食らってしまう。
だから、スライム布で体を覆うのだ。
「おおっ! なるほどなのじゃ。スライム布を全身にまとえば、スミを弾くことができる。そうすれば操られることなく、魔王を倒すことができる。そういうことじゃな?」
「いや、ちょっと違う」
「え? ど、どういうことじゃ?」
「あー、つまりな、そもそも俺はスミを食らったところで『魔王に操られるという異常な状態』にはならないんだ」
俺はこれから、能力『死神対戦』を使う。
2日前に説明したように、この能力を使うと、魔物と戦っている間、俺は不死身になる。
ケガをすることも、死ぬことも、状態異常になることもなくなるのだ。
――そのため、たとえば、どの決闘作法のパターンでも、先にチェスリル勝負の場所に着くなどして決闘相手を待っている間は、目に見える範囲に魔物がいたら駆除することが推奨されているし、その際にケガをしたり、死んだり、毒などの状態異常になったりしてはならないと明記されている。
「ポイントは状態異常にならない、という点だ」
「え?」
「考えてもみろ。操られるというのは、要するに『自分の意思で体を動かせず、魔王の意のままに動かされる状態』だろ? 明らかに異常な状態じゃねえか」
状態異常にならないのであれば、操られるという異常な状態にもならないと考えるのが自然だ。
「要するにスミを食らっても俺は操られねえってことさ」
「し、しかし、ではジュニッツ殿はいったい何のためにスライム布なんて着るのじゃ?」
「単純な話さ。安全のためだ」
「安全?」
「ああ。そうだ。もし俺が、スライム布無しで魔王を倒しに行ったらどうなる?」
「それは……その……スミを食らってしまうじゃろうな」
ルチルは答えた。
俺は「その通りだ」とうなずいた。
レコとキーロックは、魔王のスミのことを『たいして速くはないので、避けるのは簡単である』などと評して軽々と避けていたが、レベル1の俺が同じことをできるとは思えない。
一応、スミを防ぐために盾を持っていくつもりではあるが、それにも限度がある。
全身スミまみれになる可能性のほうが高いだろう。
「そうなれば俺は、体も髪も服もスミだらけだ。そのスミだらけの状態で魔王を倒す。問題はその後だ」
魔王を倒すと、このあたりにいる魔物は消滅する。
するとどうなるか?
先ほど俺はこう言った。
――この能力を使うと、魔物と戦っている間、俺は不死身になる。
そう、俺が不死身なのは、魔物と戦っている間だけだ。
魔王という魔物を倒してしまえば、不死身ではなくなる。
状態異常無効化も解除される。
そしてその時、俺の全身は魔王のスミまみれなのである。
「人を操る魔王のスミを全身に浴びた状態で、不死身が解除されたら、何が起きるかは誰にも分からねえ。楽観的に考えれば、魔王は既に死んでいるんだから、スミの効力も失われて何も起きない。悲観的に考えれば、死してなお魔王のスミの効力は残っていて、その力で何かまずいことが起きる」
どちらの可能性も十分に考えられる。
「だから、スライム布をかぶるのさ。そうすりゃスミを浴びることもなく、問題も起きないだろ?」
「な、なるほどなのじゃ! さすが、ジュニッツ殿。よく考えているのじゃ」
「さて、じゃあ行ってくる」
俺はアマミとルチルに告げた。
これから先、1時間かけて魔王と戦う。その後は、死神対戦の効果が切れるまでの7時間のあいだ、死神が来るのを待ち続ける必要がある。
長丁場だ。
無論、準備は出来ている。
体力が途中で尽きないよう、ここに来る前に食事はしっかりと取っている。
トイレを不要にする薬も飲んでいる。3日前、アマミとチェスリルの決闘の模擬戦をした時に説明した薬だ。
――トイレはどうするのだと思うかもしれないが、これはトイレを不要にする薬を使用することで解決する。この薬は安価で広く市中に出回っており、安く安全にトイレを不要化できるということで、危険なダンジョンに長時間もぐる冒険者や、優雅なイメージを崩したくない貴人などに需要がある。
チェスリルの対戦の準備も、アマミがすでに整えてくれている。アイテムボックスからテーブルや椅子を取り出して、並べてくれているのだ。
「死神が来ることはないのに、対戦の準備なんているの?」と思うかもしれないが、形式は大事だ。
建前としては『死神対戦を使ってチェスリルの決闘をしようとしたけれども、なぜか死神が来なくて、待っている間に近くに見えている魔物でも倒そうということで、魔王を討伐しにいく』という形で魔王を倒すことになるのだから。
俺はアマミが準備してくれたものを見た。
まず小さなテーブルが2個置かれている。
テーブルの1つには、チェスリルの盤と駒が載っており、向き合う形で椅子が2つ置かれている。
俺と死神が座る椅子だ。
もう1つのテーブルには椅子が2つ。
付添人であるアマミとルチルが座る椅子だ。
図にするとこうなる。
■がテーブル、○が椅子である。
○ ○
■■■
○■○
上のテーブルがアマミとルチル用で、下のテーブルが俺と死神用だ。
俺たちはそれぞれ椅子に腰掛ける。
「じゃあ、死神対戦を使うぞ」
俺の言葉に、アマミとルチルがうなずく。
「はい、お願いします」
「ご武運を祈るのじゃ」
俺は念じた。
能力が発動したという確かな感覚があった。
俺はじっと座り続けた。
1分が経つ。2分が経つ。3分が経つ。
誰も来なかった。
死神が来ないことは、推理で証明してきたし、ルチルの足が縮んだことで裏付けも取れた。
それでもこうして、本当に死神が来ないことが確認できると、特別な感情が湧いてくる。
安堵、ではない。
確かに、死神がもし来ていたら、俺はチェスリルの決闘で死神に敗れて死んでいただろうが、今胸の内にある気持ちは安堵ではない。
なんというか、自分の命を張ることでしか得られない特殊な高揚感とでもいうべきか。
そんな感情にしばし浸る。
(……さて、行くか)
いつまでも浸っているわけにはいかない。
魔王を倒しに来たのだ。
俺は黙って立ち上がると、約500メートル先で緑色の目を爛々(らんらん)とさせている魔王へと向かった。




