93話 ナルリス、倒される 4
<三人称視点>
罠の解除を終えると、ジュリー(ジュニッツの偽名)、アマミ、ナルリス、宝石人達の一行はさらに進む。
階段を降り、通路を進み、また階段を降りる。
それを繰り返す。
そうして、地下25階につき、ある大きな部屋に入った時である。
両手で抱えられるほどの大きさの玉が、ドブのような色で光りながら宙に浮いていたのだ。
魔王の玉である。
触れると魔王のもとへ転移できる玉。かつてレコとキーロックが触れた玉である。
ついに一行は、魔王の玉の部屋へとたどり着いたのだ。
部屋の中央に行くと、アマミがアイテムボックスからテーブルと椅子2脚、そしてチェスリルの盤と駒を取り出した。
チェスリルの決闘セットである。
ジュリーとナルリスは、向かい合う形で椅子に座り、盤に駒を並べる。
一通り駒を並べ終えた時、2人の頭の中に声が響いた。
『それでは、これよりチェスリルの対戦を始める。制限時間は1手1分。先手は対戦相手(ナルリスのこと)からである。反則、時間切れ、降参、試合放棄は死罪となるので注意するように。では、始め!』
こうして、チェスリルの対局が始まった。
先手はナルリスである。
(この勝負……絶対に勝ちます! 勝てば、ジュリーのスキルを全部奪えて、私は一気に強くなれるのです。私が一番強くて、一番ちやほやされる、という理想の未来が手に入るのです!)
ナルリスは、1分という制限時間をギリギリまで使って考えると、第1手を指した。
後手はジュリーである。
彼もまた時間いっぱいまで考え、第1手を指す。
カコッ。カコッ。
駒を指す音だけが、部屋に響き渡る。
(……ん?)
ふと、ナルリスは違和感を感じた。
初めは気のせいかとも思えるほど、小さな違和感。
カコッ。カコッ。
だが、手を指すごとに、違和感は大きくなっていく。無視できなくなっていく。
(な、なんです……これは……?)
ナルリスは決してチェスリルの名人というわけではない。
最強というわけでもない。
それでも「自分は賢い」と自負するだけあって、それなりには指せる。
そんなナルリスから見れば、対局相手であるジュリーの指す手は奇妙だったのだ。
いや、はっきりと言おう。
弱い、としか思えないのだ。
(い、いったい……どういうことです? わざわざ私に決闘を挑む以上、ジュリーさんにもそれなりにチェスリルの腕前はあるはず。だというのに、指し手は初心者にしか見えない……。いえ、初心者でも、もっとマシな手を指すはず。何かの策……でしょうか? で、ですが、いったいどういう策だと……)
ナルリスは考える。
1手1分という制限時間の中、最大限に考える。
だが、分からない。
どう考えても分からない。
ジュリーの指す手は、やはり初心者以下にしか見えない。
ジュリーがわざと負けようとしている、などとは、ナルリスは考えもしなかった。
何しろ、ジュリーは負けたら全スキルを失うのだ。社会の最底辺へと転落してしまうのだ。
そんなことをする理由など、考えられない。
じゃあ、いったいなんなのか?
実はジュリーは名人級の腕前で、弱いふりをして巧妙な罠を仕掛けてきている?
確かにその可能性はゼロではない。
事実、ジュリーの顔は自信たっぷりで、慌てた様子などまるでない。
それゆえ、ナルリスは慎重に指す。時間いっぱいまで思考を重ね、これまでの人生の内でもっとも真剣に思考をフル回転させ、指す。
そして……。
(勝った……?)
そう、勝ちである。
あと3手指せば、ジュリーの王駒はどうやっても逃げられない。
ナルリスの勝ちである。
(……うふっ)
ナルリスは心の内で笑った。
(うふ、うふ、うふふふ。勝った! 勝った勝った勝った勝った、勝ちましたよ! あっははははは! なんですか、この人。ザコじゃないですか。まったく散々脅しておいて、こんなに弱いなんてお笑いぐさですね。よくこの程度の腕前で、チェスリルの決闘を挑めましたね。
きっと、ジュリーさんは貴族のお坊ちゃまで、いままでの対戦相手は皆さん、気をつかってわざと負けてくれたんでしょうね。それで、自分の実力を勘違いしちゃったんでしょう)
そうして、ナルリスは楽しい未来を想像した。
(さあて、これで、ジュリーさんは全スキルを失います。いやあ、レベル145のジュリーさんともなれば、きっとすばらしい数々のスキルを持っているはずです。どんなスキルを持っているんでしょうね。楽しみですねえ。
いずれにせよ、それらのスキルを手に入れた私は、一気に強くなれますよ、うふふふ。
そして、ジュリーさんは、これでスキルを全部失って、レベル1以下のザコになっちゃうわけですね。いやはや、可哀想ですねえ。まあ、でも、私にケンカを売った罰は受けてもらわないといけません。泣こうがわめこうが、たっぷり痛い目にあわせてあげますからねえ)
頬が緩みそうになる。
決闘中なので、余計な声は出せないが、笑い声を上げてしまいたくなる。
それを我慢しながら、1手、1手と指す。
そして。
(これで、私の勝ちです!)
ナルリスは勢いよく盤上に駒を叩きつける。
ジュリーの駒はもう逃げ場がない。取られるしかない。
ナルリスの勝ちである。
頭の中に声が響き渡る。
『そこまで! 対戦相手の勝利とする』
対戦相手とはナルリスのことである。
自分の勝利を改めて声で告げられ、ナルリスの心の内に歓喜がわき上がる。
声はさらにこう続ける。
『では、これより賭けの支払いをおこなう。
敗者は、負けたら自分の全スキルを差し出すと宣言していた。
よって、敗者の持つ全スキルを、勝者へと譲渡する』
敗者とはジュリー。勝者とはナルリスである。
つまり、ジュリーの全スキルが、今からナルリスのものになるのだ。
気がつくと、ジュリーの体の中から、何か光り輝く青白い球が出てきた。
青白い球は、ゆっくりと浮かび上がると、そのまま静かにナルリスの体内に入る。
ジュリーのスキルが、ナルリスへと移動したのだろう。
『賭けの支払いは終わった。これにて決闘は終了とする。以上』
声の宣言と共に、ナルリスを縛り付けていた圧迫感のような感覚がなくなった。
決闘が終わり、自由の身になったのだ。
ナルリスは立ち上がると、にんまりと笑った。
そして、ジュリーを見下ろしながら、優越感でいっぱいの顔でこう言った。
「あっはははは! 勝利、勝利、勝利ですよ!
私の勝ち! 勝ちです!
うふふふふ、どうです、ジュリーさん、今の気分は。私にスキルを全部奪われてしまった気分は。
あなたはもう強くないんです。ザコです。クソザコです。そこらへんの10歳の子供より弱いんです。
何しろ、あなたの自慢のスキルは、全部私の物になってしまいましたからね。
いやあ、この先が楽しみですねえ。今の私なら、国相手でも勝てるかもしれません。そうです、どこかの亜人の国を襲って、国ごと私の奴隷にする、というのはどうでしょう。大勢の亜人を死ぬまで奴隷としてこき使うんです。きっと、楽しいでしょうねえ、ふふふ。
まっ、それはそれとして、ジュリーさん。あなたには、私にケンカを売った罰を受けてもらいますよ。さあて、どんなスキルで痛めつけてあげましょうかねえ」
ナルリスは、そう言いながら、自身のスキルボードを開いた。
スキルボードは誰でも空中に出せる半透明の板で、本人の持つスキルのリストが載っている。
ナルリスの想像では、そこにはレベル145のジュリーから奪ったばかりの、数々の有用な新スキルが載っているはずだった。
ところが、違った。
「え……?」
ナルリスは呆然とした。
スキルボードに載っているスキル。
それらのスキルは、どれも灰色文字になっていたのだ。
本来、スキルボードに掲載されているスキルは、どれも白文字で表示されている。
灰色文字になるのは、強力な呪いを受けてスキルを封印されてしまうなど、何らかの事情でスキルが使えなくなってしまった時だけである。
つまり、ナルリスのスキルは、どれも使えなくなってしまったのだ。
「な、な、な、なんですか、これは……」
剣術スキル。
身体強化スキル。
炎魔法スキル。
鑑定スキル。
アイテム発動スキル。
どれも灰色文字だった、
宝石人達を操って自爆させたり、タスマンの妻に重傷を負わせたりした時に使ったナルリス自慢の数々のスキルが、全て使えなくなっていたのだ。
「バ、バカな……バカな……」
ナルリスの心臓がバクバクと鳴る。
冷たい汗が流れ、呼吸が荒くなる。
震える手で、スキルボードのページをスクロールさせ、スキルの一覧に目を走らせる。
灰色文字。
灰色文字。
灰色文字。
ナルリスの持つスキルは、どれもこれも灰色文字だった。
1つとして、使えるものはなかった。
「そ、そんな、そんな、なんで……」
ナルリスは泣きそうな声を上げる。
レベルが高い者が強いのは、スキルをたくさん使えるからである。
スキルが何も使えなければ、実質レベル1以下である。
レベル至上主義のこの世界で、レベル1以下というのは、社会の最底辺の扱いを受けるということだ。
それがどういう扱いかは、ナルリス自身、よく知っている。何しろ、自分が今まで、低レベルの者たちを蔑んできたのだから。
レベル1以下。
この世の最底辺。
「い、いやだ、いやだ、いやだ……」
ナルリスは震える手で、スキルボードを操作する。
これはきっと何かの間違いだ。
ちょっとした手違いに違いなくて、すぐに元に戻すことができるはずなのだ。
未来の英雄であり、世界中からちやほやされるべき自分が、こんな目にあうはずがないのだ。
だが、どこをどう見ても、スキルは全て灰色文字のままである。
どのスキルも使えないままである。
ナルリスの心の内を、ぞっとするほどの絶望が支配する。
と、その時である。
白文字のスキルを1個見つけた。
慌てて、食い入るような目でスキルを見る。
そこにはこう書いてあった。
『月替わりスキル』
「……はい?」
ナルリスは訳がわからなかった。
(月替わりスキル……な、なんです、これは?)
このスキルの存在自体は知っている。
『取得すると、月替わりでいろいろと役に立たない能力を使える。代わりに、他の全スキルが使えなくなる。要するにゴミスキル』
と世間では認識されている。
無論、ナルリスもゴミスキルだと思っている。間違っても取得などしない。
だが、現実として、その『ゴミスキル』がナルリスのスキルボードに所持スキルとして表示されているのだ。
他のスキルが全て灰色文字になってしまったのも、月替わりスキルの『取得すると他の全スキルが使えなくなる』という性質のせいだろう。
しかし、取るはずのない『クズスキル』をなぜ自分は持っているのか?
「ま、まさか……」
ナルリスは、はっとした顔でジュリーを見る。
ナルリスはチェスリルの決闘に勝った。勝って、ジュリーのスキルを奪取した。すると、ナルリスのスキルボードには『月替わりスキル』が追加されていた。
つまり、ジュリーが月替わりスキルを持っていた、ということに他ならない。
「ま、まさか、あなたなのですか? あなたがこの月替わりスキルを……」
ジュリーは返事をする代わりに、ニヤリと笑った。
それが答えだった。
「バ、バカな……ありえません……だって、あなたレベル145でしょう?」
確かにジュリーは、賭ける物を宣言する時、「俺の持つ全スキルを賭ける」としか言わなかった。
自分がどんなスキルを持っているかは言わなかった。
そういう意味では、月替わりスキルを持っていてもおかしくない。
だが、ジュリーのレベルは145である。
『月替わりスキル』を取得すれば、今のナルリスのように、他の全スキルが使えなくなる。そんな状態で、レベル145まで上げられるはずがない。
それとも、レベル145まで上げてから、月替わりスキルを取ったとでもいうのか。そんなことをしたら、それまで取得してきた数々のスキルを失ってしまうではないか。
どちらにせよ、ありえない話だ。
「ああ、悪いな、ナルリス。レベル145ってのは、あれは嘘なんだ」
「……は?」
「これが本当の俺さ」
ジュリーはそう言うと、自分のレベルボードを見せた。
そこにはこう書かれていた。
『ジュニッツ レベル1 G級冒険者』
「……は?」
ナルリスは、素っ頓狂な声を上げた。
ジュニッツ?
レベル1?
G級冒険者?
ナルリスは口をパクパクさせた。
理解が追いつかず、そうすることしかできなかったのだ。
しばらくして、ようやく掠れた声が出る。
「……な……な、な、なんですって……じゃ、じゃあ、まさか、あなたが……お前がジュニッツ……お前が……お前が……」
ナルリスはようやく、自分がジュニッツの罠にかかってしまったことを理解した。
ジュニッツを罠にかけて拷問しようと考えていた自分が、まんまとジュニッツの罠に引っかかってしまったのだ。
「よ、よ、よくも……よくも……よくも私を騙しましたね! クズの分際でよくも! よくもおおおおお!」
ナルリスは顔を真っ赤にしながら、ジュニッツに殴りかかった。
が、彼の攻撃は当たらなかった。
「あぎょっ!」
その前に、悲鳴を上げて倒れてしまったのだ。
アマミである。
彼女が、軽い雷魔法を放ったのだ。
スキルのないナルリスは、ろくに防御をすることもできず、あっさりと意識を失ってしまった。
こうしてナルリスは全てのスキルを失った。
S級冒険者としての実力を支える数々のスキルも、宝石人達を操って来たユニークスキルも、何もかも全て使えなくなった。
今や、ナルリスの実力は、レベル1以下である。
町に戻ったところで、名士どころか、財産を没収されてスラム送りになるだろう。
事実上の破滅である。
もっとも、ナルリスはこれで終わりではなかった。
彼にはまだ、宝石人達を虐げてきた罰を受けるという未来が待っていた。
数日後、ナルリスは報いを受けることになる。
Q.ナルリスの話はこれで終わり?
A.まだあります。何話か後に『ナルリス、罰を受ける』という話を予定しています。




