91話 ナルリス、倒される 2
<三人称視点>
薄灰色の石造りの壁が広がる地下迷宮の通路。
その通路をナルリスは、あと数時間で自身が破滅することも知らず、楽しげに歌を口ずさみながら歩いていた。
歌は、ナルリス自身が作詞作曲したもので、タイトルは『聖戦士ナルリス』。彼がいかに賢くて優雅で優れた冒険者であるかをアピールした曲である。
いずれ自分が魔王を倒して英雄になったら、吟遊詩人達にこの曲を歌わせようと計画しているのだ。
もっとも、仮にナルリスが英雄になれたとしても、それは宝石人達を自爆させるなど、大勢の亜人を犠牲にした上での功績になるだろう。
が、その点をナルリスに問い詰めたとしても、彼はこう言うに違いない。
「それがどうしたというのです?」
ナルリスは亜人の犠牲など気にしない。
「いいじゃないですか、亜人なんて死んでも。優れた私の栄誉の礎になれるのですから。名誉じゃないですか」
と本気で思っているのだ。
そのナルリスは今、背後に宝石人達を引き連れながら、地下迷宮の通路を進んでいる。
ほどなくして、彼らは正方形状の大きな部屋についた。
出口のたくさんある部屋だが、幾度となく迷宮に潜っているナルリスは慣れたものである。
正解の出口へとまっすぐ向かっていく。
不正解と分かっている出口になど、わざわざ目を向けたりはしない。
まるで実家の庭を歩くかのような気楽さで、歩いて行く。
そして、下図の○の位置まで歩いて行った時である。
出
口
■ ■
■ ■ ■ ■■ ■■
■ ■
■
■
■ ■
○
■ ↑ ■
■ ↑ ■
↑
■■ ■■↑■ ■ ■
■↑■
入
口
突如として、ナルリスの身体が動かなくなった。
(……え?)
何が起きたのか分からない。
身体がピクリとも反応しないのだ。
(な、なんです!? い、一体どうしたというのです!?)
わけのわからないまま、部屋の中央で棒立ちになるナルリス。
その時である。
不正解の出口の1つの奥で、壁が崩れた。ちょうど下図の☆の位置である。
出
口
■ ■
■ ■ ■ ■■ ■■
■ ■
■
■
■ ■
☆ ○
■ ↑ ■
■ ↑ ■
↑
■■ ■■↑■ ■ ■
■↑■
入
口
ダンジョンの壁は破壊できるものではない。
だから、あれは土魔法か何かで作った偽の壁なのだろう。
その崩れた偽壁の向こうから、男女の2人組が現れた。
2人とも仮面を着けている。だから顔は分からない。
だが、体格から見て、1人は成人男性、もう1人は十代前半ほどの少女であることが分かる。
ジュニッツとアマミである。2人が仮面をつけているのである。
だが、ナルリスには分からない。彼にして見れば、謎の男女である。
その謎の男女がゆっくりと歩いてくる。立ち位置から見て、男の方がリーダーなのだろう。
ほどなくして、2人はナルリスの目の前にたどり着く。
と同時に、頭の中に声が鳴り響く。
『これより、チェスリルの決闘を開始します。
決闘作法は、パターン22に則って行われます。
具体的なルールは……』
音声は頭の中でルールを説明していく。
どうやら、これから目の前の男とチェスリルの決闘をしなければならないらしい。
ナルリスは「ふざけないでください!」と叫びたかった。
彼は、今から魔王のところへ行き、宝石人達を楽しく処分するつもりでいたのだ。
その楽しみを邪魔されたことに、激しい憤りを感じた。
(レベル120もある私の邪魔をするなんて!)
が、ぐっと堪えた。
今の状況は異常だからだ。
何しろ、謎の力により、S級冒険者であるナルリスの身体が動かなくなっているのだ。
わけがわからない。
(くっ……何らかのユニークスキルでしょうか?)
実際は、ユニークスキルなどではなく、誰でも取得できる『月替わりスキル』の能力の1つ『強制チェスリル』をジュニッツが使ったのだが、そんなことはナルリスには分からない。
月替わりスキルの能力は1000個もあるし、しかも1000個の能力は毎月全部入れ替わる。いちいちその内容なんて把握していない。そもそも月替わりスキルは、取ると他のスキルが全て使えなくなってしまうことから、世間ではゴミスキルと見なされている。ナルリスは、このスキルの存在すら忘れている。
いずれにせよ、意味の分からない状況である。
下手な行動を取るわけにはいかない、とナルリスは思った。
ナルリスが大人しくしている理由はもう1つある。
頭の中に響き渡る音声は、
『決闘と関係のない余計な発言、筆記、ジェスチャー、合図などのコミュニケーションを取ったら、死罪となります』
と伝えてきたのだ。
伝えるのみならず、心臓を氷のように冷たい何かが握る感触をはっきりと感じた。
あれは警告だろう。
「ルールを守らないと、心臓を握りつぶすぞ」という冷徹な予告なのだ。
(くっ……今は静かにするしかありませんね……)
ナルリスは大人しくルールを聞く。
ルールは、チェスリルの決闘パターン22と同じであるようだ。
まず、お互いに賭けるものを決める。
次に決闘場所を決め、移動する。
決闘場所に着いたら、チェスリルの対戦をする。
対戦時は、1手を1分以内に指さなければならない。
時間切れ、反則、降参、試合放棄は死罪である。
決闘中に余計な私語を話したり、相手に暴力を振るったり、決闘を妨害したり、逃げたりしても死罪である。
一通り説明を終えると、音声はこう言った。
『では、挑戦者は、決闘で賭けるものを10分以内に提示してください』
挑戦者とは、チェスリルの決闘を申し込んできた者。
つまり、目の前にいる仮面の男である。
仮面の男は堂々とした態度で、ナルリスに向けてこう言った。
「俺が賭けるのは、こいつだ。俺が負けたら、こいつをお前に全部くれてやろう」
そう言うと、男のすぐ前に板が出現した。
空中に浮かぶ半透明の板。
レベルボードだ、とナルリスは思った。誰でも空中に出すことのできる半透明の板で、その人の名前やレベルが書かれているのだ。
男が出した板には、こう書かれていた。
『ジュリー・ライツ レベル145』
(……は?)
おおよそ3秒間、ナルリスは呆けた。
まるで白昼に神が降臨したのを眼前で目撃したかのように、ぽかんと口を大きく開けた。
そして、心の内で絶叫した。
(な、なな、なっ……なんですかっ、あれはっ!?)
レベル145。
ナルリスのレベル120を遙かに超えている。
レベルの高さは戦闘力の高さを意味する。
高いほど強い。
多少のレベル差ならともかく、25も差があればまず勝てない。
レベルボードが偽造とは、ナルリスは露ほども考えなかった。
ジュニッツも言っていたように、レベルボードを偽造できるなど、誰も夢にも思わないからだ。
――俺とアマミは、このレベルボードを偽造する術を、数ヶ月前に発見している。
――レベルボードが偽造できるなど、世間では知られていない。言い換えれば、レベルボードさえ問題なければ、世間は怪しまない。
つまるところ、目の前の仮面をつけたジュリー・ライツと名乗る男は、自分よりも遙かに強いとナルリスは信じたのだ。
もっとも、それはナルリスがジュニッツに騙されているだけである。
実際のところは、レベルボードは偽造であり、ジュリー・ライツはジュニッツの偽名であり、レベル145というのも無論嘘のレベルで、本当はレベル1である。144もレベルのサバ読みをしたのは、ジュニッツが史上初であろう。
だが、ナルリスにそんなことは分からない。ただただ恐怖と驚異と驚愕の限りである。あまりの高レベルに足がすくみ、心臓が早鐘を打つ。
(くっ……ま、まさかこんな高レベルの者が現れるなんて……)
ジュリー・ライツという名は聞いたことがないが、そのこと自体は不思議ではない。
貴族の子息が金と権力にあかせて質の高い訓練を積んで高レベルに達する、という事例もあるし、無名であっても高レベルの者はいる。
(そ、そんなことより、問題は今の状況ですよ! なんですか、これは! わけがわからないですよ!)
そう、ナルリスにとっては今の状況は、わけがわからない。
貸し切りにしたはずの地下迷宮で、なぜか自分よりも高レベルの者が現れ、何を考えてかナルリスにチェスリルの決闘を挑んできているのである。
男女2人組が何者で、何の目的でこんなことをしているのか、さっぱり分からないのだ。
(ああっ、もうっ! だいいちなんで、あなたみたいな高レベルの人が、この町にやってくるんですか! この町で最強なのは私であるべきですよ! 私が一番強くて、一番ちやほやされるべきなんですよぉっ!)
ナルリスは、心の内で怒りをぶちまける。
と、その時である。
怒りの対象であるジュリーが、突如としてこんなことを言った。
「おっと、間違えた。これは賭けられない。賭けられるのは、金かアイテムかスキルだったな。なら、俺はスキルを賭けよう。俺が負けたら、俺のスキルを全部お前にくれてやる」
ジュリーと名乗る男は、レベルを賭けると言ったはずだ。自分のレベルを見せながら「こいつを賭ける」と言ったのだから。
だが、前言を翻し、スキルを賭けると言う。
なるほど、たしかにレベルは金でもスキルでもアイテムでもない。
だから賭けられないということか。
そんなことをナルリスが考えていると、例の音声がこう言った。
『挑戦者の賭けるものを受理しました。続いて、対戦相手の方、賭けるものを10分以内に宣言してください』
対戦相手とは決闘を申し込まれた側、すなわちナルリスである。
わけの分からない状況であるのは相変わらずだが、ともあれチェスリルの決闘を申し込まれた以上、勝つべきだとナルリスは考える。
(そ、そうです、意味の分からない状況とはいえ、まずは決闘に集中です。……さて、今は私が賭けるものを決める番ですか。何を賭けるべきか……。ジュリーさんは自分のスキルを全部賭けると言っています。となると、私も何かスキルを賭けるべきでしょうか? ……ん? 待ってください)
そこでふとナルリスは気づく。
ジュリーと名乗る男は「俺が負けたら、俺のスキルを全部お前にくれてやる」と言った。
つまり、彼は『自分が負けたら差し出す物』を宣言したのだ。
以前、アマミが説明したように、チェスリルのパターン22の決闘は、次の2通りのやり方で賭けるものを宣言できる。
1.勝ったら欲しい物をお互いに宣言し合う
2.負けたら差し出す物をお互いに宣言し合う
1は例えばこうである。
ジュリー「俺が勝ったら、お前の金を全部よこせ」
ナルリス「私が勝ったら、あなたのアイテムを全部いただきます」
2は例えばこうである。
ジュリー「俺が負けたら、俺のスキルを全部くれてやる」
ナルリス「私が負けたら、銅貨1枚を差し出しましょう」
どちらにするかは挑戦者(今回ならジュリー)が決められる。
1を選べば、自分が勝った時に手に入る物を自由に決められる。
つまり、勝利した時の報酬をいくらでも高くできる。
当然、お互いが「俺が勝ったら、お前の全財産をよこせ」などと、がめつく要求し合うことになる。
勝った時の報酬が大きい分、負けた時の被害も大きいのだ。
ハイリスク・ハイリターンである。
一方、2を選べば、自分が負けた時に失う物を自由に決められる。
つまり、敗北時の支払いをいくらでも安くできる。
当然、お互いが「俺が負けたら、コイン1枚を差し出そう」などと、しょぼい提案をし合うことになる。
勝った時の報酬が少ない分、負けた時の被害も小さいのだ。
ローリスク・ローリターンである。
普通の挑戦者は、わざわざ決闘を仕掛ける以上、報酬を高くしようとする。
つまり1を選ぶ。
しかし、ジュリーは2を選んだ。
それだけではない。
なんとジュリーは「俺が負けたら、俺のスキルを全部お前にくれてやる」と言ったのだ。
スキル全て!
しょぼい報酬どころではない。
レベルが高い人間がなぜ強いかと言えば、スキルをたくさん持っているからである。
そのスキルを、負けたら全て差し出すという。
無論、ジュリーは「負けたら、俺のスキルを全部くれてやる」と言っただけで、自分がどんなスキルを持っているかは一言も言っていない。当然、ナルリスは、ジュリーの所持するスキルなど知らない。
が、ナルリスにとって、そんなことはたいした問題ではない。
(なにしろジュリーさんのレベルは145です。
せっかくレベルを上げておきながら、役に立たないスキルを取る人間など、いるわけがありません。
当然、ジュリーさんだって、強力な魔法が使えるスキルとか、最上級の剣術が使えるスキルとか、そういう素晴らしいスキルをたくさん持っているはずです。
そんな素晴らしい数々のスキルが、チェスリルに勝てば手に入るのです! 手に入れれば、魔王を倒せるほど強くなれるかもしれないのです!)
魔王を倒せるかもしれない。
そう思うと、ナルリスの心のうちに歓喜が湧き上がってくる。
(……くっ、くくっ、くくくくくっ、あっははははははは!)
ナルリスは心の内で笑った。
大笑いした。
幸運が舞い込んできたことへの喜びと、ジュリーに対する嘲笑が、心の内で笑いを引き起こしたのだ。
(ふふふ、いやあ、愚かですねえ、このジュリーさんとかいう人は。本当は「俺が勝ったら、お前のスキルを全部よこせ」と言いたかったでしょうに。きっと間違えてしまったんでしょうねえ。可哀想にねえ)
ナルリスは「私は強いだけでなく、賢い男です。愚かなジュニッツなど、私の用意したあの罠に簡単に引っかかってくれるでしょう」などと言う男である。
ジュリーが愚かだから、賭けの宣言の仕方を間違えてしまったのだと決めつけてしまった。
ジュニッツの推理では、ナルリスはここで疑うはずだった。
ジュニッツが「俺が負けたらスキルを全部差し出す」と言ったことに対して、罠の可能性を考えるはずだった。
そしてジュニッツは、罠と疑われてもいいように準備をしていた。
だが、ナルリスはジュニッツの想像のはるか下を行っていた。
ナルリスは罠の可能性を考えもしなかった。
賢い自分が誰かを罠にかけることはあっても、自分が罠にかかることなどありえないと思っていたのだ。
ジュニッツが想像していたよりも、ナルリスはずっと思慮不足であり、愚かであった。
つまるところ、ジュニッツの予想よりも遥かにあっけなく、ナルリスは罠にかかってしまったのだ。
もしジュニッツがこの時、ナルリスの心の内を読み取ることが出来ていたら、「あっさり罠にかかってくれるのはありがてえが、拍子抜けだな」と思っていたことだろう。
ナルリスは自信満々に宣言した。
「私が負けたら、銅貨1枚を支払いましょう」
その瞬間、ジュリーがびくりと震えた。そして、慌てたように戸惑いを見せる。仮面を着けているので表情までは分からないが、「し、しまった!」とでも言いたげに、あたふたしている様子が見て取れる。
無論、演技であるが、ナルリスには分からない。
(うふふ、やっと賭ける物の宣言方法を間違えたことに気づいたんですね。でも、もう遅いんですよ。パターン22の決闘では、賭ける物が一度決まったら、拒否することも訂正することも出来ませんからね。悔やむなら、自分の愚かさを悔やむんですね、ジュリーさん。あっはははは!)
ナルリスは上機嫌だった。
ジュリーが何を考えて自分に決闘を挑んだのかは不明だが、これで彼の目的はくじくことができたと思ったのだ。
ジュリーからしてみれば、チェスリルに負ければ、全てのスキルを失って無力化する。
一方で、勝ったところで、銅貨1枚が手に入るだけである。
ハイリスク・ローリターンだ。
決闘を挑む意味が失われ、目的がくじかれたに違いないと思ったのだ。
(……いえ、まだ油断は出来ませんね。ジュリーは、目的を失った腹いせに、決闘の後で私に攻撃してくるかもしれません。レベル145のジュリーが攻撃してきたら……私じゃどうにもなりません。でも、大丈夫。チェスリルで、勝てばいいのです。勝てば、この男は全スキルを私に差し出し、無力化します。決闘の後で攻撃されようと怖くありません。そう、勝てばいい。油断せず、全力でチェスリルで勝ちに行くのです!)
ナルリスは、そんな風に自分に言い聞かせ、心を引き締めた。
引き締めたつもりだった。
だが、ナルリスは既にジュニッツの罠にはまっていた。
彼自身はまるで気づいてはいないが、愚かだと見下しているジュニッツの罠にすっかりはまっていたのだ。
ナルリスの破滅まで、あと4時間。




