77話 探偵、妖精の森で話をする
宿の部屋に戻ると、俺は転移門を設置した。
すでに何度も書いているが、転移門とはこのような性質を持つ神の祝福である。
<転移門>
転移門を最大2つまで設置できるようになる。
転移門をくぐると、自分が別の場所に設置した転移門まで、一瞬で移動できる。
くぐれるのは、自分が許可した人(相手の合意も必要)と、その人の衣服・持ち物のみ。
転移門は自分の近くに設置できる。
一度設置した転移門を回収し、別の場所に設置し直すこともできる。
門の1つはすでに妖精の森に設置しているため、宿にもう1つの門を設置すれば、いつでも妖精の森と行き来できる。
事実、門扉を開ければ、すぐ目の前に、本来なら約1000キロも離れた場所にある妖精の森が広がっている。
扉をくぐれば、あっという間に妖精の森である。
が、俺はすぐにはくぐらなかった。
「どうしたんです、ジュニッツさん?」
アマミが不思議そうな顔で俺にたずねる。
「いや、ふと試してみたいと思ったことがあってな」
俺は扉を半分だけくぐった。
体の半分はエルンデールの町の宿屋、残り半分は妖精の森、という状態である。
その状態で、立ち止まった。
このままでいるとどうなるのだろう、と思ったのだ。
結果はすぐに分かった。
おおよそ3秒後、体が妖精の森の側に押し出されたのだ。
勢いよくというわけではなく、やわらかい空気の壁にゆっくりと押されるようにして、俺は妖精の森に体を運ばれた。
「なにをやっているんです?」
「ちょっとした実験さ。もうちょっと続けるぞ」
俺は再度転移門をくぐろうとする。
が、どういうわけかくぐれない。
透明な壁があるかのごとく、扉の向こう側に行けないのだ。
どういうことかと思っていると、おおよそ1分後、透明な壁が消えたかのように、普通に扉をくぐることができた。
その後も何度か転移門をくぐり続け、次のことが判明した。
・扉をくぐるのに3秒以上時間をかけると、転移先のほうに体が押し出される。
・一度扉をくぐった人は、1分間くぐれなくなる
・扉はゆっくりと歩いてしかくぐれない。走ったら、くぐる前に弾かれる。
「なるほどな」
「何か分かったんですか?」
「予備の選択肢が1個消えただけさ」
「……えっと?」
俺は何も答えず、肩だけすくめると、そのまま妖精の森の奥へと向かった。
◇
森の奥に行くと、妖精たちがいて、いつものように歓待を受ける。
ひとしきりの歓待が終わり、寝るのが早い妖精たちが寝静まった後、俺とアマミとルチルだけが残る。
既に日が沈み、あたりが暗くなっている中、アマミの光魔法でほんのりと照らされながら、3人で毛皮の敷物に座り、温かい黒茶を飲む。
「この森は不思議なのじゃ。森全体が、奇妙な透明な壁に囲まれているのじゃ」
ルチルは森を大きく見回すようにしながら言う。
「妖精の森だからな。全体が結界に覆われているのさ。この結界のおかげで、魔王や死神のような特殊な存在をのぞけば、誰も森に入ることができねえ。もっとも俺らも、転移門のような特別な手段を使わねえ限り、結界を越えて森の外には出られねえけどな」
そんな風に少しばかり雑談をした後、本題に入った。
まず、今日のできごとをルチルに伝える。
つぶさに漏れなく伝える。
チェスリルの模擬戦の話、レコとキーロックが魔王と戦った話、死神や月替わりスキルの話。
一通り話し終えると、ルチルはこう言った。
「色々と興味深い話なのじゃが……」
そうして、何か思い悩んだような顔をする。
ルチルの気持ちは分かる。彼女にとって最大の関心事は、仲間である宝石人たちの救出である。
今日の俺の話を聞いても、はたしてこれがどう仲間の救出につながるのか分からず、不安に思っているのだろう。
とはいえ、俺の方もまだ調べるべきことを調べ終えたわけではない。
感覚としてはもう9割以上の調査は終わっている。あとちょっと……最後のピースがそろえば終わる。
だが、100パーセント終わったわけではない。
ルチルの仲間を救う方法も、魔王を倒す方法も、ある程度は目処がついているが、完璧に確定したというわけではない。
今の段階で未確定なことを軽々しく言うわけにもいかない。
となるとさて、ルチルにどう声をかけたものか。
そう思っていると、ルチルは何やら考え込むように目を閉じている。そして、目を開くとこう言った。
「その、じゃな……急にこんなことを言うと変に聞こえるかもしれぬが……ジュニッツ殿とアマミ殿は、死にそうなわらわを助けてくれた。わらわの仲間達も救い出してくれると約束してくれた。口だけでなく、実際に行動もしてくれている。そんな2人のことを……わらわは仲間じゃと思っている」
ルチルは、そこでいったん口を閉じ、一息入れた後、こう続けた。
「……その……自分で言うのもなんじゃが、宝石人は誰もが皆、軽々しく仲間という言葉は口にせぬ。宝石人が仲間と口にすれば、必ず本気で仲間だと思っているということじゃ……じゃから……その、本気で仲間と思うジュニッツ殿に……わらわは全てを任せるのじゃ」
「ふむ」と俺はあごに手を当てて考えた。
ルチルが突然このようなことを言いだしたのは、おそらく決意表明のようなものだろう。
彼女はここ数日、ほぼ妖精の森にこもって、外には出ていない。出てナルリスとでくわせば、やっかいなことになるからだ。
いっぽうで、仲間の宝石人達は、いつ死ぬか分からない状況だ。
何しろ、町中で聞いた話によると、ナルリスは2日後には宝石人達を全員引き連れて、地下迷宮に潜む魔王討伐に向かうというのだ。
最悪、みんな魔王に殺されてしまうかもしれない。
心配で仕方がないに違いない。
仲間の救出を俺に任せたとはいえ、心の底には今すぐ自分自身で助けに向かいたいという気持ちが残っているに相違ない。
その焦るような気持ちは、日に日に強くなっているのだろう。
だから、いささか唐突ではあるものの、あらためて自分の口から「ジュニッツ殿に任せる」と宣言し、みずからの決意を固めたのだろう。
「ああ、任せとけ。即座に解決してやる」
俺はそう答えた。
聞くところによると、宝石人は皆、『即座に』という言葉を『準備が整い次第すぐに』という意味で使う。
そんな宝石人達にならって、俺はそう答えた。
「ありがとうなのじゃ。宝石人はみな、死は最大の不自由だと思っておるのじゃ。その最大の不自由に陥らないよう、どうか……どうか皆を救って欲しいのじゃ」
ルチルは深々と頭を下げた。
それから先は、まとまりのない話をした。
まず、ルチルが推理をした。
「探偵であるジュニッツ殿の前で推理など気恥ずかしいのじゃが……」と言いつつも、こう言った。
「ぶしつけな言い方で申し訳ないのじゃが……、アマミ殿はナルリスには勝てぬのじゃよな?」
「ええ、勝てません。レベルは同じくらいでしょうけど、わたしは器用貧乏なほうですからね。ナルリスという男は、見たところ戦闘特化です。1対1でも負けるでしょうねえ。宝石人達を操っているとなればなおさらです」
「うむ……つまり、我らの中でナルリスに勝てる者は誰もおらぬ、ということじゃ。であれば……妖精たちに頼むのはどうじゃろうか?」
ルチルの考えはこうである。
妖精は恐ろしく強い。たいていの相手になら勝てる。死神相手だと、ひょっとするとお互い有効な攻撃手段が無くて、勝ち負けがつかないかもしれないが、魔王相手なら勝利した実績がある。
ナルリスなど瞬殺だろう。
ただし、妖精たちは種族の特性から、妖精の森から出ることはできない。出ると死ぬ。あくまで地域限定のローカルな強さに過ぎない。
だったら、逆にナルリスを妖精の森におびき寄せればいいのではないか?
挑発なり何なりして、ナルリスをおびき出し、転移門をくぐらせて妖精の森に連れてくる。
森の中なら、恐ろしい強さを持つ妖精たちがいる。ナルリスなど、たちまち無力化してしまうだろう。
「難しいな」
俺は否定した。
「まず、ナルリスが転移門をくぐるかどうかわからねえ。転移門はいささか目立つ見た目をしているから、警戒されるだろう。しかも門の奥には、森が広がっている。ますます警戒される。
それに、そもそもナルリスをおびき寄せると言っても、やつが素直に追いかけてきてくれるとは限らねえ。追いかけずに魔法を放つかもしれねえし、宝石人に代わりに追いかけさせるかもしれねえし、なんなら宝石人に命令して自爆させるかもしれねえ。そうなったら本末転倒だろう?」
「む、そ、それはまずいのじゃ……」
ルチルはそう言って「むむう」とうなったが、すぐにこう言った。
「で、ではこういうのはどうじゃ。妖精たちに、森の中から攻撃してもらうのじゃ」
彼女はそう言って説明した。
まず、ナルリスの目の前で転移門を出す。そして、転移門の向こうから、妖精たちに魔法で攻撃してもらうのだ。
魔法は転移門を通ってナルリスに直撃し、めでたしめでたし、というわけである。
「それは無理だな」
俺は首を横に振った。
「転移門は、人とその所持品しかくぐれねえんだ。俺やアマミやルチルはくぐれるが、魔法は通らない。
それに、門はゆっくり歩いてしかくぐれない。だから、たとえば俺に剣を持たせて妖精に勢いよく弾丸のように飛ばしてもらい、ナルリスにぶつけようとしても、門に弾かれてしまう」
転移門越しに攻撃するのは不可能なのだ。
他に妖精たちの力を借りるとするなら、彼らに俺たちのステータスをアップしてもらうとか、強力な武器やアイテムを作ってもらうという手が考えられるが、妖精たちにそのような力はない。
妖精たちはあくまで単独で戦うと強い存在なのであり、他の誰かを強くすることはできないのだ。
結局のところ、断言してしまうと、今回俺が妖精たちの力を借りることはない。
それだけはないと断言できる。
「そういえば」
とアマミが話題を変える。
「ナルリスが宝石人を操っているという話ですけど、実際どうやって命令しているんでしょう。心の中で念じているのでしょうか?」
アマミの質問に、俺は一言「声だ」と言った。
「声、ですか?」
「ああ、そうだ。それもあまり複雑な命令はできないし、一度命令したら再度命令するまで取り消せない。断言はできねえが、そんなところじゃねえか、ルチル?」
「う、うむ、全てその通りなのじゃ。よくわかったのじゃ」
「難しい話じゃねえさ」
はじめてナルリスの姿を見た時、やつは宝石人達を引き連れ、ドラゴンの死体を運びながら街道を歩いていた。
途中、ドラゴンの爪に刺さっていたルチルが路上に落ちたのにナルリスは気づき、彼女を馬上から見下ろしていたのだが、その時、こんなことが起きた。
――一方、人間の男は、馬上からしばし青の少女を見下ろしていたが、宝石人たちが自分を押しのけながらどんどん先に進んでいってしまっていることに気づき、
――「全員、止まりなさい!」
――と大きな声で叫んだ。
――よく響く声なので、俺にも聞こえる。
――男の声に、宝石人たちは一斉にぴたりと止まる。
人間の男、とはナルリスのことである。
ナルリスは、宝石人のことを「低レベルで自爆しか取り柄のない」と言って見下している。
そんなナルリスが、『宝石人たちが自分を押しのけながらどんどん先に進んでいってしまっている』という、彼にとっての『無礼』を許すだろうか?
許すかもしれない。が、許さない可能性の方が高いのではないか。
となると考えられるのは『操ると言っても、そんなに細かい命令はできない』ということだ
たぶんナルリスはこの時、宝石人達に「街道を真っ直ぐ進みなさい」とでも命令していたのだろう。
というより、それ以上複雑な命令はできない。「街道を真っ直ぐ進みなさい。ただし、私のことはこまめに確認して、私が止まったら、あなた方もすぐに止まりなさい」などとは命令できない。
だから、ナルリスが止まっても、宝石人は彼を押しのけるようにして愚直に街道を真っ直ぐに進んだ。
そして、一度命令したら再度命令するまで取り消せないし、命令はいちいち声に出す必要がある。
だからこそ、ナルリスは「全員、止まりなさい!」と、わざわざ大きな声で叫んで、命令を上書きしたのだ。
考えてみれば、ナルリスがルチルの部族を襲った時も、彼は、
「宝石人どもを攻撃して痛めつけなさい!」
「宝石人どもを痛めつけるのです」
といちいち声に出して、宝石人達を操っていた。
声の命令は、念じるよりも不便である。
俺の月替わりスキルには、念じることで発動する能力がいくつかあるが、どの能力も、念じている間は誰かに聞かれる心配は無いし、念じ終えればすぐに効果が発動する。
いっぽうで、声の命令は、少なくとも口を動かして音声を発する必要がある。命令している途中で周りに気づかれるし、命令の内容だってバレてしまう。
もし、念じるだけで命令できるなら、『たった1人で、宝石人の部族を襲う』という緊迫した状況において、わざわざ声に出して命令などしないだろう。
無論、これらはあくまで推測である。
完全に断言はできない。
だが、どうやら正解だったようである。
ルチルは俺の言葉にうなずいていた。
「全てジュニッツ殿の言う通りなのじゃ。ナルリスは、わらわ達を操る時、必ず声に出して命令をしていたのじゃ」
「どんな時もか? たとえば、静かにしなきゃいけねえ時でもか?」
「うむ。ドラゴンに不意打ちを仕掛ける時のように、なるべく静かにする必要がある時もそうじゃ。ナルリスは大きな声でわらわ達に命じていたのじゃ」
まとめると、ナルリスの操りは、
・大きな声で命令しないとダメ
・複雑すぎる命令はダメ
・一度命令したら、再度命令するまで取り消せない
という制約があるようである。
どれくらいが複雑な命令かは難しいが、少なくとも「こういう時は●●しろ、ああいう時は××しろ」みたいに条件をつけて命令をするのはできないようだ。
「もう一つ聞きてえんだが」
「なんじゃ?」
「操られている時、呼吸やまばたきと言った、生きるのに必要な行動、とでも言うか、そういうのはできるのか?」
「自分の意思ではできぬのじゃ。体が勝手に動いて呼吸やまばたきをしてしまうのじゃ」
「じゃあ、声は出せるか?」
「いや、いっさい出せぬ。どういうわけか、命令されてもしゃべれぬ」
俺は「ふむ」とうなずいた。
操りの話はそれで仕舞いとなり、しばし沈黙がおとずれた。
沈黙を破ったのはアマミだった。
「そういえば神の祝福ってありますよね。あれで、ナルリスを倒すことはできないんですか?」
「祝福か」
俺はポイントボードを出現させた。
ポイントボードとは、自分の意思で空中に表示できる板である。
これを使えば、ポイントで取得できる神の祝福のリストを閲覧できる。
ポイントボードには、様々な祝福が載っていた。
たとえば、瞬間移動できる祝福があった。
念じればすぐに移動できる。
他人だけを瞬間移動させることはできず、必ず俺自身が瞬間移動する必要があるが、念じた時に俺に触れている人も一緒に移動できる。
たとえばアマミだけを瞬間移動させることはできないが、俺と俺に触れているアマミが一緒に瞬間移動することはできる。
必要なポイントは1000。十分足りている。
ただし、移動距離は最大でわずかに3メートルである。
それに移動先に固体・液体があってはいけない。空気はあってもいいが、地面や壁にめり込むような形での瞬間移動はできない。やろうとしても、発動しない。
そういうのがなければ、「2メートル前方に瞬間移動しろ」などと念じることで、どんなところにも移動できる。
また、変わり種として『祝福を取り消す祝福』もある。
これは、自分が使用中の祝福を1種類選んで取り消すものである。
たとえば、俺は今、転移門を、エルンデールの町の宿と、妖精の森の2カ所に設置している。
が、転移門を選んで祝福の取り消しを使えば、転移門は2つとも消えてしまう(この場合、転移門以外の祝福は取り消されない)。
もっとも、祝福はキャンセルされるだけであり、祝福が二度と使えなくなるわけではない。扱いとしては祝福を使う前の状態に戻る、ということだ、だから、もう一度転移門を出して設置することはできる。
必要なポイントはわずかに1。おまけに何度でも使える。いくらでも取り消し放題である。
まあ、大量に取り消せるほど、たくさんの祝福を使用中というわけではないが。
「いろいろあるのじゃな」
とルチルは感心した。
ナルリスを倒せる祝福があるかについては、俺は何も言わなかった。
後はとりとめの無い話をした。
たとえば、ルチルは同年代の宝石人達と比べて、いささか背が低いことを気にしていた。
宝石人というのは、だいたいがほっそりとしていて、背もあまり大きくならない者が多いが、そんな中でもルチルは小柄なほうだった。
「もっと大きくなりたいのじゃ」
とルチルは冗談めいた口調で言った。
いや、体が大きくなれば、それだけ物理戦闘では有利になり、強くなる。「強かったらナルリスなんかに負けなかった」という思いが彼女にはあるだろう。あながち冗談ではないかもしれない。
「残念ながら、体型を変えるスキルも祝福もアイテムも、世の中には存在していないですねえ」
「むう、残念なのじゃ」
体型の話に関連して、宝石人特有の体の変化についても話をした。
宝石人は、故郷から離れるほど髪と足が短くなる。
「人間はそういうことはないのか?」
「一切ねえな。だろ、アマミ?」
「ええ、一切ないですねえ」
「むむう、便利でいいのじゃ」
「その代わり、宝石人さんたちは、故郷の近くではレベル以上に強力な魔法が使えるのでしょう? お互い無い物ねだりですよ」
「むっ、確かに……」
髪の話が出たので、髪の色の話もした。
「宝石人さんは、みんなエメラルドみたいな緑色の髪なんですよね」
「うむ、そうじゃ。ただ正確には1人1人、微妙に違う色なのじゃ。だいたいの宝石人は、自分の髪の色を自慢に思うものなのじゃ」
「ってことはあれか? 知り合いなら、髪を見ただけで、誰か判別できるのか?」
「うむ。簡単なのじゃ」
「すげえな」
「ふふ、ジュニッツさんには絶対無理ですよね。聞いてくださいよ、ルチルさん。ジュニッツさんときたら、わたしが整髪料を変えても全然気づかないんですよ?」
「うるせえ」
ひとしきり話をした後、俺たちは床についた。
明日は、魔王が潜むという町の地下迷宮に向かう。
なんとなくだが、おそらくそれで今回必要な手がかりは全て手に入るだろう、と思った。




