50話 伯爵、罰を受ける 後編
<三人称視点>
『崇拝する剣の魔王が倒された』という衝撃的な事実に、魔見の丘はパニックになった。
ゴドフ伯爵も呆然としている。
「う、嘘だ……嘘だ……」
伯爵は「嘘だ……」とうわごとのように繰り返した。
現実が受け入れられず、ただただ唖然と立ちつくす。
その時である。
ピコン。
そんな音がした。
と同時に、伯爵の視界にこんなメッセージが表示される。
『ゴドフ伯爵へ
あなたは、今回大きな功績を挙げたジュニッツに対し、これまで不当にひどい行為を行ってきました。
その罰を下します。
なお、今回は罰が拡張されたため、あなたにふさわしい姿へと変えさせていただきます』
(え?)
伯爵がそう思った時である。
不意に体が落下する感覚がした。
一瞬ののち、全身が地面に叩きつけられる。激しい衝撃により、体全体に強い痛みが走る。
「ぐあっ!」
思わず悲鳴を上げる。
わけがわからなかった。
伯爵は、さっきまで普通に立っていたのだ。
なのに、いきなり地面に落下するとはどういうことか?
足下が崩れたとでもいうのか?
状況を把握するため、立ち上がろうとする。
が、どうしたことだろう。
足が動かない。手も動かない。
というより手足の感覚がない。
(な、なんだ!?)
そうして初めて自分の体を意識する。
意識すると、自分の体が今どうなっているのか、はっきりと隅々まで知覚することができた。
細長く平べったい金属。まるで剣の刀身のようである。
金属の根元には、同じく金属製の短い棒がついている。まるで剣の柄のようである。
平べったい金属と棒の間には、平べったい金属と直角になる形で、長方形の金属板が取り付けられている。まるで剣の鍔のようである。
もはや答えは明らかであった。
伯爵は剣になってしまったのだ。
「な、な、な……」
伯爵は、わなわなと口を震わせた。
そして、あらん限りの声で絶叫した。
「なあああああああああーーー!?」
剣なのに叫ぶことができたのは、剣に顔がついているからである。
長方形の板の形をした鍔の真ん中に、絵のように平たくなった顔がついているのだ。
下図でいうと●の位置である。
刃
刃
刃
刃
刃
刃
鍔●鍔
柄
柄
それも人間の顔ではない。ネズミの顔である。
そのネズミの顔が、口を大きく開けて叫んでいるのだ。
つまるところ伯爵は体が剣になり、顔がネズミになり、その顔が剣についているという奇天烈極まりない姿になってしまったのだ。
「ひっ、ひいいいい! ひいいいいいいいーーー!」
常日頃から「最近の若いやつらは気迫が足りぬ。わしを見習うがいい」と豪語している伯爵は、いまや気迫の欠片もない情けない顔で、半狂乱の声を上げた。
人間の体であったならば、地面を転がり、のたうち回っていたかもしれないが、あいにくと今の伯爵は剣である。
体はピクリとも動かない。スキルもまるで発動しない。
伯爵は、のたうち回ることもできず、地面に落ちたまま、ネズミの顔で「ひいいいい!」とわめくのだった。
一方、魔見の丘にいる伯爵の親族や家臣たちはというと、そんな伯爵を助けようとはしなかった。
というより、助けられる状態ではなかった。
なぜなら、彼らもまた、皆そろって剣になっていたからだ。
「お、お、お、おれが剣になってる! ななな、なんだこりゃああああ!」
「な、な、なにこれ! なんであたしが剣になってるのよ!? えええええ!?」
「……へ? は? ぼ、僕が剣んんんんんんん!? はあああああ!?」
白い金属の刀身に鍔と柄がついているその姿は、まぎれもない剣である。
鍔の真ん中に、絵のように平たくなったネズミ顔がついているのも、伯爵と同じだ。
ようするに、伯爵の親族や家臣たちは、全員伯爵と同じ姿になってしまっていたのだ。
彼らはいずれも、ゴドフ伯爵の『低レベルの人間は全員、魔王様の生け贄にして殺す』という指針に、積極的に賛同していた者たちであった。
みな、高レベルであることを鼻にかけ、レベルの低い者たちをあざ笑い、見下し、そして殺してきた者たちだった。
「まったく低レベルのクズどもめ。レベルなんてちょっと訓練すれば上がるではないか」
「きっと、怠け者たちなのよ」
「恥知らずな連中だ。これ以上生き恥をさらさせないよう、剣の魔王様の生け贄にしてやろうじゃないか」
「いいねえ。魔王様もお喜びになるに違いないよ」
「ゴミどもが消えれば、世の中もすっきりして気持ちいいだろうなあ」
彼らはそう言って、これまでずっと、ゴドフ伯爵の指針に賛同してきた。
賛同するだけでなく、組織作りにも協力してきた。
レベルの低い人間を見つけ、捕縛・監禁し、公衆の面前で痛めつけ、剣の魔王のところに生け贄として送りつける。そのための人員や予算を手配し、伯爵領全土に組織網を作る。
これらは全部、伯爵の親族や家臣たちがやったことである。
ジュニッツとアマミが伯都で手早く捕まり、虐待され、魔王の檻まで連行されたのも、彼らが脈々と作り上げてきた組織のおかげである。
嫌々やったわけではない。
喜んで協力したのだ。
『レベルの高い人間が偉い。低いやつはゴミ』と心底信ずる彼らは、『地べたに這いつくばるのがお似合いの低レベルのクズどもを処分し、世の中を綺麗にする』ことに嬉々として同意し、協力を惜しまなかったのだ。
が、今や彼ら自身が、ネズミ顔のついた剣と化し、地べたに這いつくばっていた。
「たた、助けてくれええ! うわああああ!」
「ひゃ、ひ、ひいっ、こ、こんなのありえない、ありえない……」
つい先ほどまで、伯爵領の高貴なる身分の人々が集結し、華やかな様相をていしていた魔見の丘は、今や何百本もの剣が転がりながら絶叫を上げているという有様になっていた。
ゴドフ伯爵もまた絶叫を上げていた。
「お、おい! 誰か! 誰か早くわしを助けんか! な、なんとかしろ!」
ネズミ顔で精一杯威厳を出そうとしながら、そう叫ぶ。
が、反応はまるでない。
周囲は相変わらず、阿鼻叫喚のわめき声を上げるばかりである。
伯爵は焦燥感に狩られながら、もう一度叫ぶ。
「おい、聞いているのか! だ、誰か!」
その時である。
ひょいっと伯爵の剣の体が持ち上がった。
今の伯爵は剣である。
持ち上げようと思えば簡単にできる。
「だ、誰だ!?」
伯爵は自分の体を宙に持ち上げた人間に目を向けた。
それは商人だった。
伯爵領に武具を買い付けに来たところを、たまたま伯爵に呼び止められて強引に連れて来られた商人たちだった。
伯爵は反射的にこう叫ぼうとした。
「わ、わしを持ち上げるとは何事だ、無礼者!」と。
が、あわてて口を閉じた。
持ち上げられて視線が高くなったことでわかったのだが、魔見の丘の上で人間の姿を保っているのは、今や商人たちだけなのである。
『平凡なレベルの卑しい商人ごとき』に頼るなど不愉快であるが、ともあれ商人たちを利用しないことにはこの危機から逃れられない、と伯爵は考えた。
利用するからには、多少は気をつかった口の利き方をしないといけない。
伯爵は、彼なりに気をつかった口調で(しかし実際には上から目線にしか聞こえない口調で)こう言った。
「おい、商人ども。わしを伯都へ連れて行け。卑しい貴様らにはもったいない栄誉だが、この際やむをえまい。さあ、連れて行くのだ!」
伯都へ帰れば、お雇い魔術師たちがいる。
貴族の家には、そういう魔術師たちがいるものであるし、剣を重視する伯爵家でも何人かはいる。
(魔法だの薬だのに詳しい魔術師どもなら、わしを元の姿に戻せるに違いない)と伯爵は思ったのだ。
もっとも、実際は『愚か者への罰』を治療できた人間など、歴史上、1人もいない。
愚か者への罰を治すには、刑罰の期間が過ぎるのを待つか、被害者(伯爵の場合はジュニッツ)に心から謝罪し、許してもらうかの2通りしかないのだ。
だが、伯爵はそんなことは知らない。
伯都に戻れば、魔術師たちが何とかしてくれると思っている。
それゆえ「はやくわしを伯都へ連れてけ、グズ!」と高圧的にわめく。
商人たちは伯爵を無視した。
彼らは「お、おい、聞いているのか!」と叫ぶ伯爵に構わず、剣(伯爵)を裏返したり、角度を変えたりして眺めた。
商人たちは、ささやき合った。
「な、なあ、これ、伯爵……だよな? なんでこんな姿になってるんだ?」
「たぶん、愚か者への罰だろうな……ネズミの顔がついているし……」
「し、しかし、愚か者への罰ってのは、首から上がネズミになるものじゃないのか?」
「いや、古い伝承で、そうじゃないパターンもあると聞いたことがある。おれが聞いたのは、首から上がネズミになり、首から下が馬になるやつだったが……」
「……これもそのパターンだって言うのか?」
「ああ。考えてもみろ。伯爵たちは、あのジュニッツを魔王の生け贄にして殺そうとしたんだろ? で、逆に魔王を倒された。その直後に、このありさまだ。罰を受けるにふさわしいし、タイミング的にもバッチリじゃないか」
「む、たしかに……」
「それに、これだけの人数……それも高レベルの連中を、まとめてこんな姿にするなんて、愚か者への罰くらいしか考えられない」
「なるほど……だったら……」
商人たちは、さらに声をひそめ、ささやき合う。
やがて、何かに合意が取れたのか、真剣な顔でうなずき合う。
「な、なんだ、貴様ら。何を企んでいる!?」
伯爵が大声でわめく。
「ん?」
商人たちのうち、リーダー格の赤髪の男が、伯爵に反応した。
歳は30代ほど。陽に焼けた、いかにも冒険商人という風情の男である。
彼は、先ほどまでの真剣な表情を崩すと、フランクな顔つきで伯爵にこう答えた。
「ああ、伯爵閣下ですかい。すみません、ちょいと、こっちの話に夢中で聞こえてませんでしてな。で、なんです?」
「なんです、じゃない! さっきから、こそこそと何を企んでいると聞いているのだ!」
「いやなに、大したことじゃありませんや。ただちょっとね、ここにいる伯爵様たちを、剣としてまとめて外国に売っちまおうと思いまして」
「……は?」
伯爵はネズミ顔をぽかんとさせた。
一瞬、何を言っているのかわからなかったからだ。
が、徐々にその言葉の意味が頭に浸透してくる。
商人たちは伯爵たちを全員、輸出しようとしているのだ。
伯爵は、わなわなと口を震わせた。
そして、こう叫んだ。
「わ、わ、わしらを売るじゃとおおおーーーー!?」
「ええ、そうです。いやあ、さすがは高レベルな皆様。我々も商人としてそれなりの目利きはあると自負しているから、わかりますぜ。あなたがたは相当な高値がつきますよ。なあ、みんな」
声をかけられた仲間の商人たちは口々に「おおっ!」と同意する。
「その通りさ。見ろ。どの剣も、白く輝く刀身に、切れ味鋭そうな刃。なかなかの剣だぜ」
「だな。剣の等級として最高峰のS級とまではいかなくてもA級……悪くてもB級くらいの評価はつきそうだ」
「柄や鍔の意匠も凝っているし、宝石細工までしてある。これだけでも高く売れるぜ」
そう言って、皆それぞれ手に持った剣を頭上に掲げて笑い合う。
「ふふふ、ふざけるな! わしらを売るだとぉぉぉ!?」
伯爵はわめいた。
「ええ、そうです。売ります。武器商人が武器を売るのは当たり前でしょう? あっ、もしかして、剣の性能を確かめもせずに売るのは、商人としてよくないって話ですかい? 確かに商品チェックは大事ですからなあ。じゃあ、いっちょ試し切りしますか。おおい、みんな! 伯爵閣下が自分の斬れ味を、体を張って教えてくださるそうだぞ!」
赤髪の商人が叫ぶと、仲間たちは「そいつはいい! やれやれ!」と賛同する。
「よおし、じゃあ、こいつでいくか」
そう言うと、赤髪の商人は、さっきまで伯爵がふんぞりかえっていた椅子の前に立つ。
ゴテゴテした飾りがついていて、玉座と呼んだ方が適切かもしれない重厚な椅子だ。ある意味、伯爵の権力を象徴しているとも言える。
「な、なんだ? 何をする気だ!?」
伯爵が声を震わせながらたずねるが、誰も聞いていない。
「ふん!」
赤髪の商人は剣(伯爵)を椅子に向けて振り下ろした。
商売で剣を扱う以上、最低限の剣スキルは持っている。その剣スキルで椅子に斬りつけたのだ。
「ぎいやあああああーーー!」
斬る時の衝撃で全身に痛みが走り、伯爵は悲鳴を上げる。
椅子は綺麗に真っ二つになっていた。
「すばらしい斬れ味だ」
「だな」
「こいつはすげえや」
椅子といっても、貴族が座るような背もたれと肘掛け付きのものである。大きくてガッチリしている。簡単に斬れるものではない。
並の剣ならば、斬る途中で刃が止まってしまうだろう。
だが、商人は椅子をスパッと真っ二つにした。断面は見事なまでに滑らかである。斬れ味が極めて鋭い証拠である。
腕のいい冒険者や騎士が使えば、椅子どころか、硬いドラゴンの皮膚すら切り裂けるだろう。
悪くてもB級以上の値がつくのは間違いない。
普通の剣がEからD級。伯爵領の剣がC級程度だから、これだけのまとまった数のB級以上の剣がタダで手に入るとなれば笑いが止まらない。
「よおし、おれもちょっと試し斬りしてみるか」
「あ、おれも、おれも」
皆、それぞれ手に持った剣を振るって周りの物を斬り刻んでいく。
そのたびに「ぎょええええええ!」だの「ぎああああああ!」だのという絶叫が響き渡る。
「き、き、貴様らぁ!」
伯爵は、怒りを込めて商人たちをにらみつけた。
「き、貴様ら、こんなことをただで済むと思っているのか! わしを何だと思っている! ゴドフ伯爵だぞ! 貴様ら商人どもが本来話しかけることすら許されない高貴な存在なのだぞ!
そのわしを外国に売るだと!? そんなことをしたら、このゴドフ伯爵の軍が黙っていないぞ! 貴様ら木っ端商人なんぞ、皆殺しだ。平凡なレベルの貴様らなんぞ、ゴミのように消し飛ばされるだけだぞ!
さあ、身の程を思い知ったのなら、さっさとわしらを伯都へ連れて行け。そして、魔術師連中に、わしらを元の姿に戻させるのだ」
伯爵が叫ぶと、周囲の剣(伯爵の親族)や剣(家臣)や剣(使用人や護衛)からも次々と賛同の声が上がる。
「そ、そ、そうだ! おれたちを売る!? おれたちがお前たちを売るならともかく、その逆が許されるはずがないだろ!」
「そうよ! あたしたちは高レベルなのよ。あんたたちケチな商人とは違うの。分をわきまえなさい!」
「わかったら、すぐに僕達を伯都の魔術師のところへ運べ。くれぐれも丁寧に運ぶのだぞ! 僕達は高レベルなんだからな」
親族や家臣たちは口々にそう叫んだ。
伯爵と同様、彼らもまた魔術師たちなら自分たちを何とかしてくれると思っていた。
実際には、魔術師たちにもどうにもならないのだが、そのことを知らない彼らは高圧的にわめくのだ。
商人たちはしばしの間、黙っていた。
それから一斉に笑い出した。
「ぷっ、ぷぷっ、ぷぷぷぷぷ」
「あはっ、はははっ、ははははははは!」
「わっははははははは!」
いきなり笑われたことに、伯爵たちは、怒りの抗議をした。
「な、なにがおかしい!」
「お、おい、話を聞いているのか、おい!」
だが、商人たちは笑うのをやめない。
ひとしきり笑い、ようやく笑いが収まってきた頃、リーダー格の赤髪の商人が不意に真面目な顔つきになり、こう言った。
「商人ってのはね、何よりリスクを重視するんですよ」
「は!? い、いきなり何をわけのわからないことを……」
伯爵がわめくのを無視して、商人は続ける。
「商売ってのは、やってみなきゃ儲かるかどうかわからない。
たとえば近場で小麦のような定番の商品を扱えば安全ですが、大きくは儲からない。ローリスク・ローリターンってやつですな。
逆に海や山を越えて珍しい商品を仕入れてくれば、大きく儲けられますが、遭難したり魔物に襲われたりして、命や財産を失う危険性もある。ハイリスク・ハイリターンです」
「お、おい! 聞いているのか!」
「うちらはね、冒険商人なんですよ。あんたらは見下しているが、命を張っている冒険商人なんだ」
カルスラ王国という国は、全体的に山がちである。
伯爵領に辿り着くには、険しい上に魔物も多い山々を越える必要がある。
当然、命を失ったり、大ケガを負ったり、体は無事でも財産を失ったりするリスクがある。
彼らはそれを覚悟でやってきた商人たちだった。
確かに、商人たちのレベルは平凡である。たいしたスキルを持っているわけでもない。
だが、豊富な経験と知識から、魔物の足跡や生活の痕跡を探ることで、魔物を避けることは得意である。
特定の臭いを嫌がる魔物を遠ざけるため、体に臭いを塗り込めたりもする。
万が一、強力な魔物と出くわしてしまった場合は、ドラゴンの咆吼とそっくりの音が出る笛(高価な上に一度使うと壊れる)を吹く。賢い魔物でなければ、魔物はドラゴンが来たと思って、慌てふためいて逃げる。
それでも確実に魔物を避けられるわけではない。
何度も死ぬような思いをしてきたし、仲間や財産を失うようなこともあった。
常に命がけである。
だが、それでも、ある者は野心のため、ある者は家族の病気のため、ある者は親が犯罪者で他に行き場がないため、皆それぞれ事情は様々ではあるが、これまで冒険商人として活動してきたのだ。
冒険者や貴族から、こそこそ逃げ回っている連中だとバカにされようとも、命を張ってやって来たのだ。
「わかるかい? こっちはリスクを承知で商売をやっているんだ。今さら、脅されたくらいで、こんなでかい商売のチャンスを見逃すわけないだろ」
赤髪の商人が言うと、仲間たちも続く。
「そうさ、おれたちは冒険商人だ。でかいチャンスを見過ごしちゃ、冒険商人の名が廃る!」
「だいたいよぉ、偉そうなこと言ってるけど、あんたらの権力なんて、伯爵領の中でしか通用しないんだろ? だったら外に出ちまえば怖くないさ」
「それにあんたらが伯爵領にいる限り、また低レベルの連中が虐殺されるかもしれないんだろう? なら二度とそういうことができないように、外国に売っちまうのが一番だ」
商人たちはそう言って、愉快げに笑った。
内心では商人らしい計算もある。
魔見の丘には、伯爵や親族や重臣たちが集まっていた。それらがそろって姿を消せば、伯爵領は権力のトップ集団を失うこととなり、しばらく混乱が続くだろう。そうなれば、商売どころではなくなるに違いない。
であれば、今のうちに、もらえる物だけもらって逃げてしまおうという計算である。
だが、まあ、商人たちがどんな計算をしていようと、伯爵たちからしてみれば関係ない。
要するに売られるのだ。
(う、売られる、だと……)
伯爵はぞっとした。
剣の体でありながら、心臓がバクバクいっているような、全身を悪寒が駆け抜けるような、そういう感覚を覚える。
外国に売られてしまえば、もう二度と伯爵領に帰ってくることはできないだろう。
動くこともできず、スキルも使えないのだから、自力では帰ることは不可能だ。それに伯爵領から出てしまえば彼の権力も通じなくなるのだから、誰かに頼んでも言うことを聞いてくれる可能性は低い。
伯爵領に帰れなければ、魔導士たちに元の姿に戻してもらうこともできない。いや、魔導士たちでも『愚か者への罰』を直すことは出来ないので、どのみち元の姿には戻れないのだが、そんなことを知らない伯爵からすれば、『伯爵領に帰れない』とはすなわち『一生剣の姿のまま』ということなのである。
(い、一生、剣のまま……)
そう、一生剣のままなのだ。
どこぞの冒険者か騎士の剣として、魔物に叩きつけられ、衝撃と痛みで悲鳴を上げながら、残りの生涯を過ごすのだ。
伯爵は今まで、高貴なる者として、ずっとちやほやされてきた。
毎日、いばり散らしてきた。
ふんぞりかえって、いい気になってきた。
ぜいたくに暮らしてきた。
だが、もう二度とそんなことはできなくなるのだ。
一生、道具扱いされながら、生きていくしかないのだ。
(一生……道具扱い……)
伯爵は血の気が引くのを感じた。
「や、や……やめろ……やめろーーー!」
伯爵は悲鳴を上げた。
「うん?」
「や、やめろ! わ、わしらを売るな! やめるんだ! き、貴様らには人間の心というものがないのか!? ひ、人を売るなどと、そんなひどいことをして恥ずかしいと思わないのか!?」
伯爵の言葉に、親族や家臣たちも叫ぶ。
「そ、そうだ! この人でなし!」
「お前たちには義理とか人情とかがないのか!」
「あたしたちのことを可哀想だと思わないの!? 思うでしょ!? だったら、早く伯都に連れて行きなさいよ!」
商人たちは目をパチクリさせた。
その表情は「何言ってんだ、こいつら?」と言わんばかりのものだった。
商人たちを代表して、赤髪の男が言った。
「あー……えっとだな、お前ら、今まで散々レベルの低い連中のことを殺してきたんだよな? で、今回、ジュニッツも低レベルだからと殺そうとして、逆に魔王を倒されてしまったんだよな? それで、剣になっちゃったんだよな? だったら……自業自得じゃん」
「なっ!?」
「いや、驚くところじゃないだろ。どう考えても自業自得だって。むしろ、これまで大勢殺してきたのに、命だけは助かったんだから、神様の寛大な処置に感謝しろって」
「な、何を言うか!? ちょっと低レベルのゴミどもを掃除したくらいで、なんでわしらがこんな目にあわないといけないのだ!」
「いいじゃないか。あんたら、『剣を持って戦うこと』にこそ最も価値があると思っているんだろう? その剣になれたんだ。本望じゃないか」
「ふ、ふ、ふざけるな!」
伯爵は叫んだが、商人たちはもう聞いていなかった。
商人たちは、別段、レベルの低い人たちの事が好きというわけではなかった。
だが、最近は、ジュニッツの活躍により、低レベルの人間のことを見直す気持ちが生まれつつあった。
リスクを取ってでかい商売を成功させることが尊敬の対象となる冒険商人たちにとって、レベル1で魔王と戦うという特大のリスクを取りながら、魔王撃破を3度も成功させているジュニッツは大いなる尊敬の対象であったからだ。
「レベルが低いやつらの中にも、すごいやつはいる!」
平凡なレベルでありながら危険を冒して商売する冒険商人たちは、レベルが高くないことに苦労している分、この世界では珍しく、低レベル者への偏見も少なく、素直にそう認識することができた。
そんな商人たちにとって、『低レベルの人間は問答無用で皆殺し』という伯爵の考えは、正直あまり賛成できなかった。
このまま、伯爵たちを伯爵領に残しておいては、もしかしたら剣の姿のまま伯爵領に君臨し続けるかもしれない。そうして、今までのように『低レベルの人間たちの虐殺』を続けるかもしれない。剣の魔王はもういないから、魔王の生け贄にすることはできないが、何か別の方法で虐殺を続けるかもしれない。
虐殺される者の中にはジュニッツのように尊敬できる人間がいるかもしれないのに、だ。
そんなことをさせるくらいなら、伯爵たちは外国に売ってしまうのが一番だと商人たちは思ったのだ。
商人たちは、黙々と伯爵たちを箱に詰めていく。
その淡々とした様子から、伯爵たちは、商人たちがもはや自分たちを道具だと思っており、本気で売るつもりなのだと理解してしまう。
「う、うわあ! や、やめろおおお! やめてくれえええ!」
「た、助けて! ひいいいいいい!」
「ひゃっ、ひっ、う、売るな! おれを売らないでくれええええ!」
伯爵たちは泣き叫ぶが、商人たちは荷詰めの手を止めない。
それどころか、剣についている宝石を回転させると、伯爵たちの声が出なくなる(逆回転させるとまた声が出るようになる)ということを発見し、伯爵たちを黙らせてしまうのだった。
箱詰めが終わり、魔見の丘から引き上げようとする時、商人たちはさっきまで剣の魔王のいたところを見た。
騒ぎになる前に立ち去ってしまったのだろう。ジュニッツたちの姿はどこにもなく、静かな荒れ地が広がっているばかりだった。
「さっきまで、あそこにジュニッツがいたんだな……」
「ああ。ちょっとしか見えなかったけど、左右白黒の変な服を着た若い男だった。あれがジュニッツか……」
「いったい、どうやって魔王を倒したんだろうな」
「わからん。だが……すごいやつだってのは確かだ」
「だな。おれたちも冒険商人としてそれなりにリスクを背負っているつもりだったが、さすがにレベル1で魔王と戦おうとは思わん。しかも、3度も魔王を倒してしまうなんてな。まさにハイリスク・ハイリターンの極みだ。おれたちより、よっぽどすげえや」
「さすがはジュニッツ……いや、ジュニッツさんだな」
「ああ。おれたちもジュニッツさんのようになりたいものだ」
「そうだな。がんばろう」
商人たちは、互いにうなずきあうと、その場を後にした。
この日、伯爵領から、伯爵をはじめとした首脳部が姿を消した。
◇
ゴドフ伯爵たちが泣き叫んでいた頃、伯爵領のあちこちで悲鳴が上がっていた。
あちこちの町や村で、『低レベルの人間は全員、魔王様の生け贄にして殺す』という伯爵の指針に積極的に賛同・協力してきた者たちが、皆そろって剣になってしまったのだ。
「心配するな。お前さんのゴミ娘は、町の外の荒野のとある場所に、ちゃんと閉じ込めてある」と言って、メイを魔王の生け贄にした衛兵。
「じゃあな、お前ら。あと2日の人生だ。低レベルの分際で自殺もせずに生きてきたことを、たっぷりと反省しておけよ。あはははは」と言ってジュニッツとアマミを魔王の檻に閉じ込めたドルンという男。
「魔王様の生け贄に捧げる前に、罰を与えてやる」と言って、ジュニッツとアマミを痛めつけた男。
ジュニッツとアマミが痛めつけられることに大きな声で賛同し、歓声を上げてきた住民たち。
つまるところ、低レベルの人間の虐殺に喜んで協力してきた者たちが、みな、剣になってしまったのだ。
「へ? ほわ? な、な、なにこれえええええ!?」
「ぎゃあああああ、お、おれが剣にいいい!?」
「あ、あ、あわわわわ……」
伯爵たちと同様、剣の鍔にはネズミの顔がついている。そのネズミの口から、そろって悲鳴を上がる。
いったい伯爵領の住民のうち、どれほどの人数が剣になってしまったのかは、正確なところは明らかになっていない。
確実なのは、すさまじい数の剣が町や村のそこかしこで絶叫を上げるという、阿鼻叫喚の光景が生まれたということだ。
これらの剣は、あるものは家族に引き取られ、あるものは引き取り手もなく倉庫に放り込まれた。
中には、商人たちによって回収され、外国に売り飛ばされてしまった剣もあった。どうもレベルの高い人間ほど、質の良い剣になるらしく、それらの剣は伯爵たちに比べれば劣っていたが、それでも標準以上の質だったのである。売られた剣は、冒険者や騎士の武器となったり、あるいは『世にも珍しいしゃべる剣』として見世物にされたという。
◇
同じ頃、伯爵領の外でも、悲鳴が上がっていた。
様々な国の町や村で、過去、メイをいじめてきた者たちの首から上が、ネズミになってしまったのだ。
「ひゃ、ひゃ、ひゃひいいいいいい!」
「ネ、ネ、ネ、ネズミ!? ネズミにいいいいい!?」
「そ、そんなああああーーー!」
「あ、あ、あわわわわ……」
彼らはかつて、メイに石を投げつけたり、足を引っかけて転ばせたり、突き飛ばしてゴミでも見るような目で見下したり、町や村から追い出そうとしてきた者たちだった。
伯爵領の住民と違い、彼らは剣にはならず、その代わりに通常の『愚か者への罰』と同様、首から上が人間サイズのネズミになってしまったのだ。
愚か者への罰が拡張された影響だろう。
ジュニッツだけではなく、かつてメイに対して不当にひどい扱いをしてきた者たちにも罰が下ったのだ。
もっとも、拡張が及んだのはメイだけであり、どうして彼女に対してだけ拡張が及んだのか、またどうしてメイをいじめてきた者たちは剣にならなかったのかは、定かではなかった。
いずれにせよ、過去にメイをいじめた者たちは、みなことごとく首から上がネズミになった。
彼らは伯爵領の住民たちのように、メイを殺そうとしたわけではない。したがって、罰の期間も、伯爵領の者たちほど長いわけではないだろう。
それでも、ネズミとなったことは事実である。一生もののトラウマであり、悪夢である。
みな、狂ったように「ぎゃひいいいいい!」などと泣き声を上げるのだった。
◇
その後の伯爵領について、少しだけ語ろう。
貴族や騎士や町長といった偉い人たちを中心として、多くの住民が剣になってしまった伯爵領だが、商人たちが思っていたほど大きな混乱は起こらなかった。
ゴドフ伯爵には子供が何人もいた。
子供たちはそのほとんどが、伯爵の『低レベルの者たちを皆殺しにする計画』に賛同し、喜んで協力していたが、ただ1人、四男だけが反対していた。
「いや、何も殺さなくてもいいのでは……」
そう言う四男を伯爵は「軟弱者め!」と怒り、辺境へと追放した。
この四男が立ち上がったのだ。
彼は、愚か者への罰が発動するやいなや、周囲の者たちを取りまとめ、混乱する伯爵領を瞬く間に平定した。
四男と権力争いができるような人間がそろって剣になってしまっていたため、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく、四男は伯爵領を手中に収めることができた。
そして、新伯爵へと就任したのだ。
新伯爵が最初にしたのは、低レベルの人間への虐殺・虐待をやめることだった。
反対の声はほとんどなかった。
何しろ、これまで積極的に虐殺・虐待をしてきた人々が、みなそろって剣になってしまったのだ。
そんな光景を目の前で見せられてしまっては、低レベルの人間をいじめる気になどなれなかったのだ。
こうして伯爵領は、この世界では珍しく、低レベル者にとって優しい……というほどはないにしろ、比較的扱いが穏やかな土地となったのである。
◇
ゴドフ伯爵のその後についても語ろう。
当初、冒険者に売られた伯爵だったが、その冒険者が森の中で命を落とした後、ブタの魔物であるオークに拾われた。
オークは通常、棒きれを武器とするのだが、そのオークは変わり者で、冒険者の残した剣を好んで使っていた。
だが、一方でそのオークは乱暴者であり、イライラするとすぐ剣でそこらへんの岩を叩くため、すぐに剣をダメにしてしまうのだった。
そんなオークにとって、新しい剣(伯爵)はすばらしい武器だった。
斬れ味が鋭くてよく斬れる上に、とても頑丈で、いくら岩を叩いても壊れないのだ。
「ぎゃぎいいいいい! や、やめろおおお! い、痛い! わしはゴドフ伯爵なのだぞおおお!」
何かの拍子に剣についている宝石が回転したのか、声が出るようになった伯爵は、岩に叩きつけられるたびにそのように泣き叫ぶのだが、オークはそんなことなど気にしない。
むしろ、悲鳴が心地よいかのごとく、ガンガンと岩を叩く。
伯爵はますます泣き叫ぶ。
やがて、その光景を目撃した冒険者たちによって、伯爵の噂は流れていく。
こうしてゴドフ伯爵は『ブタの剣になった伯爵』として、その名が広く知られるようになるのだった。
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