49話 伯爵、罰を受ける 前編
<三人称視点>
ジュニッツが剣の魔王を撃破する少し前のことである。
「そろそろだな」
きらびやかな椅子に座るゴドフ伯爵が、足を組みながら、傲然とした態度で言った。
「はっ、まもなく剣の魔王様が、そのお姿をお見せになられるかと」
家臣たちの1人がそう答えた。
伯爵たちは今、赤茶けた荒れ地にそびえる岩山の上にいた。
正確には、そびえると言うほど高くもない。岩山というより岩の丘とでも言うべきか。
頂上は広くて平たく、まるで大きな台のような形をしている。
伝承によると、遠い昔、伯爵家の始祖が岩山の上半分を剣閃で切り落とし、今のような頂上部が広く真っ平らな丘にしたのだと言われているが、伯爵家が自分の先祖に箔をつけるために流した嘘であるともささやかれており、真偽のほどは不明である。
そんな丘の上に伯爵たちが集まっていたのは、剣の魔王を見るためである。
この丘は、魔王の檻にほど近く、途中をさえぎるものは何もない。魔王が現れれば、よく見える。
加えて、魔王の活動範囲外ということもあり、まず安全である。
魔王の『活躍ぶり』を見学するにはもってこいの場所なのだ。
元より伯爵領では武芸が盛んである。剣を持って戦う強き者こそ偉いのだという風潮がある。
巨大な剣を圧倒的な威力と速度で操る魔王のことを、住民達は魔物であるにもかかわらず、崇拝している傾向がある。
この丘は、そんな崇拝の対象である剣の魔王の『勇姿』を眺める格好のスポットとして、昔から利用されてきた。
魔王を見るための丘ということで、魔見の丘という呼び名もあるほどである。
今、魔見の丘の上には、持ち運び用のテーブルがいくつも置かれ、刺繍入りの白いテーブルクロスが掛けられた上で、ティーセットや軽食の類が並べられている。
ちょっとした野外パーティ会場のようである。
そんなパーティー会場に集まっているのは、ほとんどが伯爵に近しい者たちである。
伯爵一族に重臣たち、彼らの使用人に護衛たち、といった面々だ。
いずれもレベルが高い。
レベルの上がりやすさというものは、ある程度遺伝する。
上がりやすい遺伝子を持っているのは王や貴族、それに類する家柄の者たちである。丘の上にいる伯爵一族も、重臣たちも、みなレベルが上がりやすい才能に恵まれている。
家柄が良ければ、才能も恵まれやすいとでも言うべきか。
使用人や護衛とて、それなりの家柄であり、そこらの平均的な冒険者よりレベルが高い。
もっとも王侯貴族であれば全員恵まれているというわけではない。生まれつき才能の恩恵を受けなかった者は貴族であっても、冷遇されるなり、僻地に飛ばされるなり、放逐されるなり、修道院送りにされるなりするものである。が、無論、そのような者は、この丘の上にはいない。
「いやはや、また剣の魔王様のお姿を見られるとは、楽しみですなあ」
「今日の生け贄は、何秒もちますかなあ」
皆、楽しげに会話をしながら、魔王の登場を待っている。
そんな中で、いささか場違いとも言える者たちが、丘の上の隅にいた。
商人たちである。
伯爵領は良質の金属が産出することから鍛冶が盛んである。鍛冶が盛んで、良い剣がたくさん作られるから、武芸も発達した。そんな良い剣を求めて、商人たちがよく訪れるのだ。
魔見の丘に今いるのも、そんな隊商の1つである。
彼らは居心地が悪そうに、隅の方で所在なげにしている。
「なんでおれたち、こんなところにいるんだろうな……」
「おれに聞くなよ……」
この世界では、レベルの高い人間は、高位の地位に就く。
貴族であれば家を継いだり、そうでなくても騎士や宮廷魔術師になったりする。
平民であれば高ランクの冒険者を目指したり、国によっては王家や貴族家などに取り立てられることもある。
よほどの変わり者でない限り、そういう扱いの良い道を歩む。
一方、農民や職人、そして商人などというのは、それらになれなかった落伍者たちと見なされる。
少なくとも高レベルの者たちは、そのように見下している。
必然、地位も扱いも劣る。
それゆえ、今、丘の上にいる商人たちも「なんで商人ごとき平凡なレベルの連中たちが、ここにいるんだ?」と言いたげな侮蔑混じりの視線をじろじろと向けられている。
居心地が悪いこと、この上ない。
もともと商人たちは、こんなところに来る予定ではなかった。
偶然、伯爵一行と出くわしただけである。
そして、伯爵はこの日、たいそう機嫌が良かった。『魔王様が低レベルの生け贄どもを斬殺する勇姿を見られる』ということで高揚していたのかもしれない。
上機嫌の伯爵は、『下々の卑しい者ども』にもその喜びを分けてやろうと思い、商人たちを魔見の丘に招待したのだ。
驚いたのは商人たちである。
伯爵領の人間ではない彼らにとって『剣の魔王様の偉容が見られる』ことなど全く嬉しいことではなかったし、伯爵に顔を売り込んで商売を広げるチャンスといえばそうかもしれないが、それよりなにより癇癪持ちで気むずかしいと言われている伯爵に下手に関わりたいとは思わなかったのだ。
要するにありがた迷惑であった。
(おれたちのことは放っておいてくれ……そして、早く終わってくれ……)
そう思いながら、ひたすら時が過ぎるのを待つ。
そんな彼らの願いも虚しく、伯爵の使用人が商人たちに声をかける。
「商人ども! 伯爵閣下がお呼びである。さっさと来い!」
商人たちは、慌てて伯爵の元へと馳せ参じる、
ひざまづいた商人たちに対し、白髪をオールバックにした50歳前後の筋骨たくましい伯爵は、きらびやかな椅子に腰掛けたまま、こう言った。
「どうだ、下賤な者ども。嬉しいだろう?」
伯爵はただそれだけを口にした。
「卑しい下々の分際でありながら、魔見の丘に来る名誉を与えられたのだから、嬉しいだろう?」という意味である。
「はっ、まことに光栄の限りで……」
商人たちは地面で額がこすれるほどに深々と頭を下げた。
「うむ。貴様らのようなチョロチョロとうろつき回るネズミどもにも、魔王様の偉容を見せてくれようというのだ。感謝しろよ」
剣を堂々と振るうことにこそ人としての価値があると信ずる伯爵にとって、商品を運んであっちに行ったりこっちに行ったりしている商人たちは、チョロチョロするネズミにしか見えなかった。
ネズミ、という言葉に商人たちの幾人かは顔をしかめた。
この世界では、魔王を倒すなど大きな功績を挙げた人間に対し、過去に不当にひどいことをしてきた者には『神』から罰が下される。
首から上を、人間大のネズミの姿にされるのだ。
「見る目がない愚か者だから、将来偉大な功績をあげる者に対してひどいことをするのだ」ということから、この罰は『愚か者への罰』と呼ばれている。
そういった事情から、世間ではネズミを愚者の象徴としており、人をネズミ呼ばわりするのは最大の侮蔑であると見なされるのだ。
そのネズミ呼ばわりを、伯爵は商人たちに対して平気でした。
商売のためには人から侮辱されることにも慣れている商人たちの中にも、さすがに顔をしかめる者もいる。
もっとも深々と頭を下げていたため、その顔は伯爵には見えなかったのだが。
「はっ……まったくもって感謝の念が尽きませぬ……」
商人の代表が、懸命に感情をコントロールした声でそう言う。
「ははは。貴様らのようなつまらない人生を送る平凡なレベルの者どもにとって、今日は生涯最良の日となるであろうからな。ありがたく思うのだぞ」
伯爵はそう言って、傲然と見下す顔で笑った。
彼にとっては、いつもの態度である。
レベル至上主義のこの世界で、伯爵はさらに一歩“進んで”、『レベルの低い連中は殺してしまえ』という“先進的”な思想を持っている人物だ。
「やだぁ、助けて!」と泣き叫ぶ女の子だろうと「死にたくないよぉ!」と懇願する少年だろうと、低レベル者であれば容赦なく魔王の生け贄として葬り、「実にいいことをした」と本気で思っている人物である。
ごく自然と、平凡以下のレベルの人間を見下しているのだ。
くすくす、という嘲笑の声があたりに聞こえる。
「うむうむ。伯爵閣下のおっしゃる通り、感謝するのだぞ」
「そうよ、あなたたち程度のレベルの人たちが、この神聖な場所に来ることができるなんて、本来はありえない栄誉なのよ」
「わははは、なあに、この知恵のなさそうな下賤の者どもも、さすがに感謝くらいはできますぞ」
伯爵の親族や重臣たちが、そう言って商人たちをあざ笑う。
商人たちは(くそ、早く終わってくれ……)と願いながら、内心を押し殺していっそう頭を下げる。
と、その時である。
「魔王様です!」
そんな声がした。
人々が一斉に魔王の檻に目を向けた。
◇
太陽が天に高々と輝く中、剣の魔王が、人々の前にその圧倒的な姿を現そうとしていた。
身の丈およそ20メートル。
乾いた血を思わせる褐色の鎧兜に全身を包み、真っ赤な両眼をギラギラとさせている。
「イケニエ……コロス……ミナゴロシ……」
地獄の底までこだましそうな魔王の声が、あたりに響き渡る。
丘の上の人々は声もない。
伯爵が魔王を見学するのはこれが初めてというわけではなく、それゆえこの場にいる人々の中にも、魔王の姿を見るのは2回目以降という者たちも少なくなかったが、それでもその圧倒的な存在感の前に、みな、息をのんで一言もない。
唯一、声を上げたのは伯爵である。
「おお、お前たち、見ろ! 魔王様だぞ! あのそびえ立つような勇姿。手に持つ大剣。すごかろう。ははっ、そして見ろ、魔王様の足下に虫けらどもが運ばれて行くぞ!」
伯爵が指を指して笑ったのは、ジュニッツ、アマミ、メイの3人である。彼らは、今まさに白い球に包まれたまま、ふわふわとゆっくり魔王の足下に運ばれていく途上であった。
伯爵の言葉に人々は、はっとした。
「お、おおっ! あの低レベルの虫けらどもが、今回の生け贄ですな」
「わ、わはは、楽しみですなあ」
「ふふ、あれが今から魔王様に斬殺されますのね」
人々は呆然とした様子から立ち直ると、ジュニッツたちをあざ笑い始めた。
もともとレベルの低い人間を心底見下しているというのもあるし、さきほどまで我を忘れていたのをごまかすためでもあるし、魔王がジュニッツたちを虐殺するのが楽しみだというのもある。
みな、かわいそうだとは全く思っていない。
そもそもジュニッツたちを人間だとすら思っていない。
レベルが1ケタの連中などゴミか何かだと見なしていたし、死んでくれれば世界が少しはきれいになるとすら思っていた。
無論、ジュニッツたちが勝つとは欠片も思っていない。
誰もが『低レベルのくせに自殺もしない恥知らずな生け贄ども』が、魔王によって天罰を下されるに違いないと信じていたし、彼らの関心は勝ち負けではなく、魔王がいかにしてジュニッツたちを鮮やかにかっこよく殺してくれるかであった。
「あの恥知らずどもは、きっと慌てふためいて逃げるだろう。そこを魔王様が背中から一撃で粉砕するに違いない」
「いいえ、虫けらどものことですもの。魔王様の姿を前に腰を抜かして動くことすらできませんわ」
「いやいや、意外とムダな抵抗を試みるのではないかな」
そんなことを口にしながら、伯爵一同は「はやく魔王様がやつらを殺すところが見たい」という共通の思いを胸に、見守っていた。
やがて、ジュニッツたちが魔王の足下へと降り立つ。
白い球が消え、自由の身になる。
(さあ、いよいよだ!)
(10秒後、魔王様が動き出す!)
(どんな風にかっこよく殺してくれるのかしら。楽しみだわ)
(ああ、早く殺してください、魔王様)
そう人々が願っていた時である。
生け贄の1人、若い男とおぼしき人物が、ふっと姿を消した。
あれ? と人々が疑問に思ったのもつかの間、次の瞬間、さらに驚くべきことが起きた。
剣の魔王がその姿を消したのだ。
「……はひゃ?」
伯爵がぽかんと口を開けて、まぬけな声を上げた。
「……え?」
「は、はい?」
「……ほわっ!?」
人々もまた、良家の者とは思えぬほど口をあんぐりと開け、すっとんきょうな声を上げる。
魔王が消えた!
生け贄を殺すことなく、その剣技を見せることもなく、手品師がウサギを消すがごとく、幻のようにその姿を消してしまったのだ!
だが、真の驚愕はその後に訪れた。
まず、5秒後、先ほど姿を消した若い男が、元の場所に戻ってきた。
そこまではいい。
いや、よくはないが、魔王が姿を消したという大事件に比べれば、ささいなことである。
問題はそれからおおよそ10秒後のことである。
みなの視界に、こんなメッセージが視界に流れてきたのだ。
『全世界にお知らせです。住所不定のジュニッツ(レベル1、G級冒険者)が剣の魔王を倒しました』
伯爵は目をパチクリさせた。
二度、三度まばたきした。
それから目をゴシゴシとこすり、今一度視界に表示されている文章を確認した。
内容はまるで変わらなかった。
それどころか音声でも、まるで同じ情報が流れてくる。
つまるところ、誰がどう見ても、ジュニッツが剣の魔王を打倒したという事実が明らかになったのである。
伯爵はあごが外れるほど、口をあんぐりさせた。
そして、たっぷり1分ほどそうしたのち、こう叫んだ。
「な、な、な、なんだこりゃああああああああーーー!」
大いなる衝撃を受けたのは、伯爵だけではない。
この丘の上にいる者たちが全員、たとえ目の前に神が降臨してもこうは驚かないだろうというほどに驚愕したのだ。
「そ、そ、そんなバカな! ありえない! ありえない!」
「まままま魔王様が……剣の魔王様がレベル1のクズに……ひ、ひいいいーーー!」
「うそだ! 我らが剣の魔王様がやられるなんて! うわあああああああ!」
「あ、は、ははははは……これは夢だ……夢なんだ……でなきゃ低レベルの生け贄が、あの最強の剣の魔王様を倒すなんてあり得ないんだから……」
ある者は絶叫した。
ある者は茫然自失とした。
ある者は狂ったように笑い出した。
魔見の丘はパニックだった。
◇
ちょうどその時、魔王を倒したばかりのジュニッツは、こんなメッセージを目にしていた。
『ジュニッツへ。
このたび条件を達成したため、あなたに対して過去にひどいことをしてきた人達への報復刑(通称、愚か者への罰)を拡張しました』
ジュニッツは、伯爵ほどではないにしろ、意表を突かれて固まった。
「……なんだこりゃ?」
伯爵たちが罰を受けるまで、あと10秒。




