44話 探偵、しがみつく 後編
俺が目にしたもの。
それは黒い岩だった。
初めてしがみつき能力を使った時、俺のすぐ横に黒い岩が転がっていた。
その岩だった。
(そういや、岩には一度もしがみついていなかったな。というか、『身体性能アップ』の実験をした時に岩を持ち上げて以来、穴の中の岩には誰も触ってもいねえな)
上空には、さんさんと照りつけてくる太陽が見える。
すでに陽はかなり高くなっており、穴の底にも日光が降り注いでいる。
俺は、また先ほどの黒い岩を見た。
太陽の光を浴びることで高熱を発する黒い岩を見た。
俺は、今朝メイが言った言葉を思い出していた。
彼女はこう言っていた。
この穴の底に転がっている黒い岩は、太陽の光を受けるとかなりの高熱を発するようになる、と。
普段はこの黒い岩は冷たいが、陽光を浴びることで、触ると大やけどしてしまうくらい高熱を発するようになる、と。
俺がやりたいのは、『前後左右上下、どの方向からしがみついても危険なものに対して、しがみつき能力を使ったらどうなるか?』という実験である。
高熱を発している黒い岩なら、間違いなくどの方向からしがみついても危険である。普通に考えれば、しがみついたら死ぬ。
そう、死ぬのだ。
だが、そういった危険なものに対してしがみつき能力を使ったら本当に死ぬのか、という探偵としての追及心もわいてくる。
棒を正面に突き出しているアマミに対して、しがみつき能力を発動させた時は、棒を避けて後ろから抱きついた。安全機構が働いたのだ。
では、どの方向からしがみついても危険なものに対しても、やはり安全機構が働くのだろうか? 働くとしたらどんな風に働くのだろうか?
気になる。
恐怖よりも追及心が勝った。
「……メイ」
「なあに、先生?」
「裏世界に連れて行ってくれ」
「うん。わかった」
俺たちは裏世界に来た。
しがみつき能力は、視界に映ったものに対して発動する。
俺の視界には先ほどの黒い岩が映っている。太陽の光を浴びることで高熱を発する黒い岩が映っている。
俺は深呼吸をした。
そして、しがみつき能力を使った。
直後、俺は死んだ。
やってみてわかったのだが、どこからしがみついても危険なものに対してしがみつき能力を使うと、そのまま普通に(何の安全機構も働かず)しがみついてしまうのだ。
その結果、俺はすさまじい高熱を発しているものに対し、全身でしがみついてしまった。
当然、死ぬ。
常識をひとつ言うと『高熱の岩に全身でしがみつくと人間は死ぬ』ということである。
◇
無論、死んだと言っても裏世界のことである。
1分後には現実世界に戻り、全部無かったことになる。
俺が死んだことも無かったことになる。
生き返る、というより、死んだ事実が無かったことになるのだ。
俺の感覚としては、(あっ、死んだな)と思ったら、次の瞬間には意識が現実世界に戻ってきたという感覚だろうか。
死ぬのは初めてだが、さほどショックはない。
むしろ、
(なるほど、どの方向からしがみついても危険な物に能力を使うと、普通にそのまましがみついちまうのか。うかつに危険な物にしがみついたら、ただの自爆になるってわけか。気をつけねえとな)
と新たな知見が得られたことに満足したくらいである。
だが、アマミはというと……。
「ひぐっ、えぐっ、う、ううっ、うわあああああ!」
泣いた。
俺に両腕でぎゅっと抱きつき、全力で泣いた。
かわいらしい顔を真っ赤にして、ぽろぽろと涙を流しながら泣いた。
「う、う、裏世界だからって……し、死ぬようなこと……しないでください!」
そんな風に、泣きながら怒りもした。
アマミに本気で怒られるのは初めてかもしれない。
どうも俺は、実験をすると夢中になってしまうようだ。
さっき黒い岩の話をした時に言ったように、しがみつくと危険なものはないかと探している時、ちょうど俺の目に高熱を発しているものが映った。そのせいで、あれにしがみついたらどうなるんだろう、と追及心が湧いてきてしまった。そして、本当にしがみついてしまったのだ。
死ぬかもしれないとわかっていながら、俺はしがみついた。
俺が死んだら他の人がどんな気持ちになるかとか、そういうのが吹っ飛んでしまったのだ。
我ながらひどい。
実験で死ぬのが必要であるにしろ、せめて相談なり何なりがあるべきだっただろう。
俺はアマミに謝った。
「悪かった、アマミ」と言いながら、泣くアマミの背中をそっとさすった。
メイにも謝った。
昨日、メイが1人で勝手に裏世界に行った時、俺はこんなことを言った。
――俺はメイに、感謝はしているが、次からは行動する前に一言俺に相談するように、と伝えた。
そんなことを言った俺自身が、相談も無しに、ある意味自殺をしたのだ。
謝罪してしかるべきだろう。
「う、ううん! わ、わたしは大丈夫だよっ!」
メイはそう言った。
子リスのような雰囲気の彼女は、小動物っぽくわたわたしているが、アマミほど取り乱してはいない。
おそらくアマミの取り乱しっぷりがすごくて、かえって冷静になってしまったのだろう。
そのアマミとは『二度と死なないこと』という妙な約束までさせられた。
「い、いいですね、ジュニッツさん! ぜ、絶対に……絶対に死なないでくださいね!」
「いや、そりゃ無茶じゃ……」
「いいですね!」
「……わかった」
そうして約束をした後も、アマミは泣き続けた。
俺はアマミの頭を撫でたり、涙をぬぐったりして、彼女をなだめるのだった。
◇
アマミが落ち着くと、俺たちはしがみつきの実験を再開した。
「今度は何を調べるの?」
メイがたずねてくる。
「物にしがみつく実験さ。人には何度もしがみついたが、物にはまだ1回しか、しがみついていねえからな」
もっとも、その物へのしがみつきで、さっき俺は死んでいる。
だから、アマミを安心させるべく、「もちろん、今からやるのは安全な実験さ」と付け加えもした。
その言葉通り、俺たちは安全な実験をした。
陽光を浴びて高熱を発している黒い岩にしがみつく時は、アマミの魔法で適度に冷やした上でしがみついた。
ちなみに、「これだけ高熱の岩なら、魔王にぶつけたらダメージを与えられるんじゃねえか」と俺がアマミに聞いたところ、アマミからは「うーん、無理でしょうね。熱量なら、わたしの炎魔法のほうが強力ですし、その炎魔法でも魔王には通じる気がしませんよ」という答えが返ってきた。
そのようにしておこなった実験だったが、新しい事実はさほど発見できなかった。
たとえば、物に対して能力を発動させたら1秒以内にしがみつくことになるが、これは人間の場合と変わらない。
近くの岩にしがみつこうとすると、ふわりと浮かんで飛んで行って岩にしがみつく。遠く離れた岩に対して能力を発動させれば、瞬間移動して岩にしがみつく。
人間の場合と同じだ。
また、物にしがみつく時は、物全体を視界におさめないとしがみつけないが、これも人間の場合と同じである。
たとえば、地面に転がっている大きな岩にしがみつこうと思ったら、ある程度離れないといけない。あまり近すぎると、視界に収まりきらないからだ。
そして視界に入りさえすれば、小さな物でも大きな物でもしがみつける。
たとえば、地面に落ちている小石に対しても、しがみつける。
能力を発動させてみたところ、地面に寝転がって、小石を両腕でぎゅっと抱きかかえる格好になった。
5階建ての建物くらいはありそうな、ちょっとした岩山に対しても、しがみつける。
もっとも、岩山というのは地面の下にも山の下部が埋まっているものであり、そのまましがみつこうとしても『しがみつく対象の全体が視界におさまらないといけない』という条件をクリアできない。
なので、細くて破壊しやすそうな(折れやすそうな)岩山をアマミに壊してもらい、ポキリと折れて地面に転がったその岩山にしがみついてみた。
普通にしがみつくことができた。
ちなみに対象がでかいので、しがみつき能力を使い、瞬間移動をして岩にしがみついたとたん、視界全面がいきなり岩で覆われてしまったのだが、(あっ、しがみつき能力が発動したな。目標通りのものにしがみつけたな)というのは、いつも感覚でわかる。
それに、これまでの実験では、毎回目標通りのものにしがみつくことができている。
だから、視界が急に岩で覆われたからといって、特に混乱はなかった。
実験でわかったことといえば、これくらいである。
「どうです、ジュニッツさん。魔王の倒し方、わかりましたか?」
「先生、何かわかったの?」
アマミとメイが俺にたずねてくる。
「まだだな。まだ材料がそろっていねえ」
俺は肩をすくめて言った。
「だから、もう少しだけ実験をしよう」
「え、でも、能力はもう3つとも全部試しましたよね?」
「能力を1つずつ使った場合は試した。だが、複数の能力を組み合わせて使った場合にどうなるかは、まだだ。たとえば、『身体性能アップ』をしながら『しがみつき』を使ったらどうなるか。このあたりを確認してえんだ」
複数の能力の組み合わせのテストが終わった時、魔王の倒し方もわかるだろう。
あと少しである。




