37話 探偵、裏世界の使い道を問う
日が暮れた後、穴の底で俺たちは夕食にした。
ゆらゆらと火が赤く燃える中、アマミがアイテムボックスの中で冷凍保存していた魔物肉を焼く。
塩と香草を適度に振りかけ、後は食べるだけである。
「んっ! んんっ!」
メイが口の中に肉を入れた途端、目を輝かせる。
口がふさがっているので声は出せないが、その様子から美味いと感じているのはわかる。
「たくさんあるからな。ゆっくり食え」
メイはこくこくとうなずく。
子リスのような雰囲気のメイだが、口にものを入れて頬が膨らんでいるためか、ますます子リスっぽく見える。
俺もアマミも食べる。
2人とも昼食を食べていない。
食欲を満たすべく、黙々と食べる。
ほどなくして3人とも食べ終わる。
そうして一息ついた雰囲気が漂い始めた頃、俺はおもむろにこう言った。
「メイの裏世界スキルな、あれ、かなり役に立つぞ」
「え?」
メイが驚いたように声を上げた。
「ほ、ほんとう?」
「言ったろ。必要なスキルだって」
「う、うん、もちろん先生が必要だって言ってくれたから信じてる。だって先生だもん。でも、その……変な世界に行って帰ってくるスキルにしか思えなくて……」
「何の役に立つかわからねえってことか?」
「う、うん……」
「アマミはどうだ?」
「ううん……わたしもちょっと使い道はわからないですねえ」
「ふむ」
推理というほど難しい話でもないのだが、2人とも答えに気づいていないようだ。
この世界では、裏世界スキルのように直接戦闘の役に立たない能力は、軽視される傾向にある。
アマミもメイも、ガチガチの戦闘至上主義者というわけではないが、それでもこういう能力の使い道を考えるのは苦手なのかもしれない。
「なら、ヒントだ。森の中を歩いていたら、ばったり魔物と出くわした。びっくりして慌ててしまう。そんな時、裏世界スキルがあったらどう役立つ?」
「ん……ああ、なるほど! 考える時間を稼げますね」
「その通りだ」
俺は先ほどこんなことを言った。
――アマミとメイの2人だけで裏世界に行ってもらう、ということもやってみた。俺がまばたきしている間に、2人は裏世界に行き、帰ってきた。「1分間、2人でぼーっとしていました」とアマミは言った。
アマミとメイは裏世界で1分間過ごしていたにもかかわらず、現実世界にいる俺からすれば、まばたきする間の一瞬の出来事だった。
ということは、裏世界に行っている間、現実世界では時間が経過しない、ということである。
その間に、パニックになった頭を落ち着かせ、どうやって魔物と対処すればいいか考える時間が稼げる。
魔物が相手でなくても、衛兵に詰問された時や火事に巻き込まれた時のように、とっさの判断が必要な状況で考える時間が稼げるというのは大きい。
「まだ役に立つことがあるぞ。たとえば、ダンジョンの中で曲がり角に出くわした。角の先がどうなっているか知りたい。さあ、メイ。裏世界スキルをどう役立てる?」
先ほどはアマミが答えたので、今度はメイに質問を振った。
「え、えっとえっと……うんと……あ、わかった! 偵察できる!」
「正解だ」
「えへへ、やった」
裏世界は現実世界と全く同じである。
裏世界で地形や罠を偵察すれば、現実世界で偵察するのと同じ情報が得られる。
しかも現実世界より楽に偵察できる。
第1に、邪魔されない。
裏世界には生命がいないから、魔物や人間に邪魔されたり見つかったりする心配をすることなく、堂々と偵察できる。
(もっとも生命がいないということは、現実世界で魔物や人間が待ち伏せしていても、裏世界では見つけられないということなので、この点は注意が必要である)
第2に、安全である。
裏世界スキルの説明には『裏世界に行ってから1分後、元の世界に戻る。戻った時は、裏世界に行った人間の記憶以外、何もかも元通りになる。たとえ、誰かが死んだとしても、元通りに生き返る』と書かれている。
裏世界でケガをしようが、死のうが、現実世界に帰れば元通りになるのだ。
現に先ほど、こんな実験結果が出ている。
――裏世界で自分の手に小さな傷をつけても、現実の世界に帰還すると、傷はきれいに消えていた。
裏世界では、ケガや死を気にしなくていいのだ。
なにしろ、宝箱を開けて毒針に刺されようが、落とし穴に落ちて骨折しようが、吊り橋で足を踏み外して谷底に転落しようが、1分後には無傷の姿で現実世界に戻っているのだ。
裏世界であっても痛みは普通にあるので、罠や転落を全く気にしなくていいというわけではないが、安全に偵察できるというのは大きい。
ちなみに、メイには言っていないが、裏世界スキルは泥棒にも向いている。
侵入したい建物の構造や、逃走経路などを、人目を気にすることなく偵察できるからだ。
秘密の手紙や書類といった情報を盗むのであれば、現実世界に一切干渉することなく、裏世界の中だけで盗むことだってできる。
≪ふふふ、ジュニッツさん、また何か悪いこと考えています?≫
≪……考えていねえよ≫
アマミが念話でからかってくるのを否定し、俺はまた2人に問いかける。
「さて、裏世界スキルの使い道はまだある。たとえば、月に1度しか使えない魔法があるとする。強力な魔法だから、いざという時の切り札として使い慣れておきたいが、何しろ月に1度しか使えないから難しい。こういう時、裏世界スキルをどう使えばいい?」
アマミを見ると「あっ!」と何かに気づいたような顔をしている。
が、何も言わない。
最後はメイに譲ろうというのだろう。
「メイ、わかるか?」
「ん……え、えっと……あっ、あっ、わかった! 練習ができるんだ!」
「正解だな」
「えへっ、やった」
メイの言葉通り、裏世界スキルは、練習やテストをする時に使える。
月に1度しか使えない魔法の練習だろうと、稀少な素材を使った錬金スキルの実験だろうと、1分以内にできることであれば、裏世界ならやりたい放題である。
何しろ、裏世界で何をやろうが、1分後に現実世界に戻ってきた時には、何もかもリセットされるのだ。
現に先ほど、こんな実験結果が出ている。
――たとえば、裏世界でアマミに岩を片っ端から粉砕させる、ということをやった。現実世界に戻った時、破壊した岩は全て元通りに戻っていた。
そう、裏世界では、岩を粉砕しようが、月に1度しか使えない魔法を使ってしまおうが、稀少な素材を消費してしまおうが、1分後には全部なかったことになるのだ。
いくらでも練習し放題なのである。
「さて」
俺は、アマミとメイに改めて向き直って、言った。
「以上を踏まえて、裏世界スキルを魔王と戦うのにどう役立てるか、わかるか?」
しばしのあいだ、頭を悩ませる2人。
まずアマミが答えた。
「魔王戦で予想外の出来事が起きて混乱した時にスキルを使えば、落ち着いて考えることができますね」
「ああ。まずそれが1つだ。他には?」
今度はメイが答えた。
「えっと、事前に、このあたりの地形を偵察しておくことができると思う。さっき、裏世界に行った時、先生とアマミさん、穴の外に出たよね? だからこのへんがどんな地形か、あらかじめ調べておけるんじゃないかな」
「それも1つだ。他は?」
俺の言葉に、アマミとメイは「うーん」と頭を悩ます。
「うーん。魔王と戦う練習でしょうか? でも、裏世界には生命がいないから、練習のしようがないですよねえ」
「えっと、えっと……」
2人とも、これ以上思いつかないようだ。
「じゃあ、ヒントだ。こいつは俺が持つ『月替わりスキル』というスキルの能力の1つだ。これを見て何かわからないか?」
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『剣の決闘』
剣による決闘を強制的に行うことができる。
決闘相手は、能力使用者が会ったことのある相手であれば、自由に選べる。
※どちらかが死ぬまで決闘は終わらない。
※剣を持っていない相手には、決闘を挑めない。
※決闘中は、相手から100メートル以上離れることができない。
※5分以内に決着が付かない場合、双方共に死ぬ。
※この能力は1回使用すると消滅する。
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「えっと……」
「わからねえか? ヒントは最後の行だ」
「……あっ! わ、わかった! 能力の練習ができるんだ!」
「その通りだ」
月替わりスキルの能力は、使用回数が限られているものが多い。
今回、俺が魔王を倒すのに必要と考えている能力も、どれも1~3回使えば消えてしまう。
つまり魔王と戦う時、ぶっつけ本番で能力を使う必要があるのだ。
言うまでもなく、いきなり本番というのはリスクがある。
これまで俺が魔王と戦ってきた時はどれもぶっつけ本番だったが、できれば能力を使う練習をしたいし、どんな能力であるかを調べる実験もしたい。
裏世界スキルを使えば、能力の練習・実験ができる。
何しろ裏世界で何をやっても、現実世界に戻れば何もかも無かったことになるのだ。
本来1回しか使えない『剣の決闘』能力も、裏世界で使えば、現実世界に帰って来た時に使用回数が元通りに回復する。裏世界であれば何度でも能力が使えるのだ。
「能力を練習し放題、実験し放題というわけさ。実にありがてえ。メイのおかげさ。頼りにさせてもらうぞ」
「……」
「……メイ?」
メイは、しばし呆然としていた。
それから、ほろほろと涙をこぼしはじめた。
しばらくは自分で涙を流していることにも気づかない様子だったが、不意に気づいたのか、「あっ」と驚きの声を上げる。
「ご、ごめんなさい……わたし、今まで『メイのおかげ』とか『頼りにさせてもらう』とか、お父さん以外から言ってもらえたことがなくて……し、しかも、言ってくれたのが、ずっと憧れていた先生で……だから、その、嬉しくて、本当に本当に嬉しくて……。ご、ごめんね、わたし、がんばるから……一生懸命がんばるから……」
メイの気持ちはよくわかった。
俺もずっとレベル1で、「ジュニッツのおかげ」だの「頼りにさせてもらう」だのと、アマミ以外から言われたことがなかったからだ。
だから俺はメイが泣き止むまで、ずっと待っていた。
アマミも何も言わず、優しい匂いのするハーブティーを入れている。
焚き火の光が、周囲を静かに照らしていた。
◇
「本日はお疲れ様です」
泣き疲れて寝てしまったメイをテントの中に横たえると、アマミはそう言った。
「なあに、本番は明日からさ」
今日の出来事を手早く日記に書き付けながら、顔はアマミに向けて俺は答えた。「話しながら日記を書くなんて器用ですねえ」とアマミはよく言うが、慣れればどうってことはない。
「魔王が来るのは、明後日でしたっけ?」
「そうさ。だから明日のうちに魔王の倒し方を推理できねえと、まずいことになる。まあ、最悪、妖精の森に避難するという手もあるが……」
神の祝福により、俺は『転移門』というものを使うことができる。
2つの場所を自由に行き来できるものだ。
転移門の1つは妖精の森に置いてあり、もう1つは手元にある。
だから、俺たちは今すぐにでも妖精の森に逃げることができる。妖精の森なら、魔王も来ることができない。
「でも、妖精の森に逃げたところで、森には結界が張ってありますから、森から外には出られませんよ?」
「だな。穴に閉じ込められた状態から、妖精の森に閉じ込められた状態になるだけだ」
それでも妖精の森なら、命の心配は無い。危険も無いし、食べ物もある。
俺の仲間だと妖精たちに言えば、メイも悪いようにはされないだろう。
父親であるエヴァンスとは未来永劫会えなくなってしまうが、どうしても魔王の倒し方が思いつかなかったら、それも選択肢に入れるしかないだろう。
「妖精たちに、剣の魔王を倒してもらうのも無理ですよね?」
「ああ。妖精たちは森から出られないから、魔王を倒してもらうには、魔王自身を森に連れて行く必要がある。が、転移門は人間しか通ることができねえ。魔王を連れて行くのは不可能だ。
妖精たちに森から強力な魔法をぶっ放してもらい、その魔法を転移門を通して魔王に当てる、というのも無理だ。転移門は人間しか通さねえ。魔法は遮断してしまうからな」
「結局ジュニッツさんが、推理パワーで魔王を倒すしかないんですよねえ」
「探偵だからな。探偵は推理をするものさ」
俺はハーブティーを一口飲む。
夜空を見上げると月が浮かんでいる。半月に近い形だ。魔王が明後日にやってくるという現実を嫌でも感じさせる。
「そういえば……」
「ん?」
「裏世界に行った時、穴を覆っている白い光の膜が消えましたよね?」
「そうだな」
俺たち3人は、今、深さ20メートル、縦横10メートルの直方体の形をした大きな穴の中にいる。
穴の中は、底・壁・入口と、いたる所が白い光の膜で覆われていて、俺たちを閉じ込めている。
例えるなら、穴と同じ形・大きさのガラスケースが、穴の中にすっぽり入っているようなものである。ガラスの代わりに、アマミでも破壊できないほど頑丈な白い光の膜が材料として使われているわけだ。
そして、裏世界に行った時、この白い光の膜が消えたのだ。
「どうしてかわかりますか?」
「根拠の薄い推測だが」
「ええ」
「この白い光の膜な、たぶんこれが魔王だ」
「……は?」
アマミが変な声を上げた。
「これが……魔王……?」
彼女が今まさに座っている地面。その地面を覆っている光の膜を指して、アマミが言う。
「ああ。裏世界スキルの説明文に『裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない』って書いてあっただろう? 裏世界とこの世界の違いは生命がいるかどうかだけだ。そして、裏世界に行った時にこの光の膜が消えたということは、この光の膜は生命だ。ここまではいいか?」
「まあ……生命には見えませんが、そういう話になりますね……」
エヴァンスは、剣の魔王についてこう言っていた。
――もっとも剣の魔王は、いつも活動しているわけではない。
――普段は、姿を見せない。どこにいるのかもわからない。
――魔王は存在しているだけで周囲の魔物を強化する存在であり、剣の魔王が姿を見せない時も魔物は強化されているので、どこかにいるのは確かである。
――地中で眠っているのだとか、透明になっているだけでずっと同じところにいるのだとか、空に浮かんでいるのだとか、色々と言われている。
「剣の魔王は月に2回、半月の日にしか姿を現さねえ。俺が前世を思い出したばかりのころ、アマミに『魔王ってのは、どいつもこいつも基本的に生まれた場所から動かねえんだ』って言った通り、魔王は生まれた場所から大きく離れねえから、このあたりにいるのは確かだ。だが、どこにいるかはわかっていねえ」
「え、ええ……」
「そして、エヴァンスはこうも言っていた」
――檻が開くのは、魔王が檻の中の人間を皆殺しにするために、自ら開ける時だけである。正確には一時的に檻が消えるらしいが、いずれにせよ、その瞬間だけは自由に出入りすることができるようになる。
「わかるか? 剣の魔王が現れる時、檻が消えるんだ。檻ってのは、俺たちを今閉じ込めているこの白い光の膜のことだろ? 魔王が現れる時、こいつが消える。
さらに言えば、この穴の大きさは、剣の魔王の大きさと同じくれえだ」
穴に入る時、俺はこう言っている。
――穴はかなり深い。高さ20メートル、幅と奥行きは共に10メートルといったところか。
――話に聞いている剣の魔王(人間の10倍以上の背丈があり、かなりごつくて横幅もある)が、直立した姿勢で、ちょうどすっぽりとおさまるくらいの大きさである。
「白い光の膜は穴全体を覆っているから、その大きさは穴の大きさと同じ。穴の大きさは、魔王の大きさと同じ。つまり、光の膜の大きさは、剣の魔王と同じ大きさってことさ。
つまり、どういうことかわかるか?
普段、剣の魔王は姿を見せず、代わりに魔王と同じくらいの大きさの、謎の白い光の膜がある。
この光の膜は月に2回消え、なぜか光の膜があったところに魔王が現れる。
そして、この光の膜は生命だ。
ここから推測できることはなんだ?」
「この光の膜こそが剣の魔王であり、月に2回、姿を変えて人間を襲っている……ってことですか」
「そうさ。ま、決定的な証拠はねえがな」
「うーん……」
アマミはなんとなく不気味そうな目を、地面に向けている。
白い光の膜は、穴の底も覆っている。
つまり、俺たちは光の膜の上に座っているのだ。
もしこの膜が魔王なら、俺たちは今まさに、魔王の上に座っているということになる。
「でも、この白い光の膜が魔王だとしたら、わたしたち今、魔王の体内にいるってことですよね。明後日、魔王が武人の姿になった時、わたしたち、魔王の体内に取り込まれちゃいませんか?」
「大丈夫だろ。エヴァンスはこう言っていた」
――檻が開くと、生け贄たちは得体のしれない力で宙に浮き、魔王の足元まで運ばれる。
――魔王は生け贄たちをじっと観察する。
――脅える人間たち、震えながらも立ち向かおうとする人間たち、必死で逃げようとする人間たちをおおよそ10秒間、ギロリと眺める。
「魔王は生け贄たちを10秒眺める。つまり、いきなり体内に取り込んだり、殺したりはしねえってことさ」
「その10秒で何をするかですよねえ」
「ま、それを考えるのは明日さ。そろそろ寝るぞ」
※ジュニッツの日記について
この小説の文章そのものがジュニッツの日記です。
ただし、ジュニッツの一人称以外のシーン(三人称シーンや、アマミの一人称シーンなど)は含みません。
また、日記は基本的にその日のうちに書かれていますが、未来について語っている文章(『俺は3日後、魔王を倒すことになる』とか)のみ、あとからジュニッツが書き足したものとなります。




