35話 探偵、少女に決意させる
エヴァンスの娘のメイは、小柄な少女だった。
髪は、父親と同じく茶色でウェーブがかかっている。
全体として、ちいさくてかわいらしい小動物を連想させる。イメージとしては子リスだろうか。
が、その子リスは今、おびえていた。
「ひっ、ひい!」
突然現れた俺とアマミを見て、悲鳴を上げる。
「い……い、いや! 来ないで! 来ないで、いやあああああ!」
メイはそう叫びながら、体を震わせ、後ずさる。
≪だいぶ……心が参っているみたいですね……≫
アマミが俺に念話で話しかけてきた。
声に出すとますます脅えさせてしまうかもしれないという配慮だろう。
俺も念話で答える。
≪無理もねえさ。宿屋にいたら突然衛兵に乱暴に連れ出され、広場で晒し者にされて住民たちから罵声を浴びせられ、剣で斬られる激痛を味わわされ、そのうえ魔王の生け贄にされちまったんだ。何もかもが怖えに違いねえ≫
≪どうします?≫
≪まずは匂いだな≫
旅から帰ってきた人間が故郷の匂いで安心するように、人間、慣れ親しんだ匂いを嗅ぐと落ち着くものである。
≪アマミ、例のやつを出してやれ≫
≪はい≫
アマミはアイテムボックスから毛布を取り出した。
エヴァンスから預かっている毛布である。
アマミはその毛布を、風魔法を使ってふんわりとメイのところまで優しく飛ばす。
メイは突然飛んできた毛布にびくりとした。
が、匂いを嗅いではっとした。
毛布は、メイが野宿をする時に使っているものだった。
冷たい夜の空気と地面からの冷えを防ぐため、エヴァンスとメイは野宿の時、毛布にくるまって寝る。
その毛布をメイのところまで飛ばしたのだ。
「あ……」
慣れ親しんだ安心できる匂い。
無意識のうちにか、毛布をギュッと抱きしめる。
そこにアマミが、精神を安定させる魔法をかける。
嫌な記憶を緩和させる魔法だ。
本来なら直接手を触れないとかけられない魔法だが、アマミほどの使い手であれば遠距離からでもかけられる。
しだいにメイの目に生気が戻っていく。
ほどなくして我に返ったのだろう。
はっとしたように俺たちを見た。
毛布を持ってきたこの2人組は何者なのだろう、と不安げな様子である。
その表情にはまだ脅えが残っている。
そんなメイに対し、俺は自分のレベルボードを見せた。
そこにはこう表示されていた。
『ジュニッツ レベル1 G級冒険者』
メイは目をパチクリさせた。
それから口をぽかんと開けた。
父親とそっくりの仕草である。
「ジュニッツ先生……なの……?」
メイは、俺を見上げて言った。
「ああ、ジュニッツ先生だ」
俺はそう言って、うなずいた。
「ジュニッツ……先生……」
「そうだ、ジュニッツ先生だ」
「先生!」
「その通り、先生だ」
俺はエヴァンスから、こんな話を聞いていた。
「娘のメイは、ジュニッツさんに憧れているんだ」と。
メイは、レベルが2から上に上がらず、そのことがずっとコンプレックスであった。
日々ずっと悩み、苦しんでいた。
そんなある時、神の知らせで、レベル1のジュニッツという男が魔王を倒したと聞いた。
びっくりした。
どんな人なんだろうと思った。
自分よりもさらにレベルが低いのに、伝説の勇者が戦うような相手である魔王に勝ってしまうなんて、いったい何者なんだろうと思った。
興味はしだいに憧れへと変わっていく。
父のエヴァンスと2人で、ジュニッツについて「どういう人なのかな?」と何度も語り合った。
最初はジュニッツと呼んでいたのが、ジュニッツさんと呼ぶようになり、いつしか『人生の目標にすべき師匠』という意味を込めて先生と呼ぶようになった。会ったこともないのに勝手に呼び名を付けるのは、ファン心理というやつだろうか。
今、メイの目の前に、その『ジュニッツ先生』がいる。
メイはすっかり興奮しているように見えた。
「先生! 先生! ジュニッツ先生!」
と何度も嬉しそうに呼ぶのだった。
◇
「あの……興奮しちゃって、すみませんでした……。それと勝手に先生と呼んだりもして……」
落ち着いたメイは、そう言ってぺこりと頭を下げた。
そうしてメイが落ち着いたところで、俺はエヴァンスからの手紙をメイに見せた。
そこには『俺とアマミが何者か』ということと、『どうして俺たちが生け贄になったのか』ということが書かれていた。
「そ、そんな! わたしなんかのためにお二人が生け贄に……」
事情を知ったメイは「申し訳ありませんでした!」と頭を下げた。
「気にするな」
「え、え、でも、わたし、ジュニッツ様にもアマミ様にもご迷惑をおかけしてしまいましたし……と、というかいま現在も、まさにお二人にご迷惑をおかけしていますし……」
「かしこまらなくていい。話し方も、ざっくばらんでいい。呼び方も先生でいいさ。そっちのほうが素なんだろ? 俺たちはこれから3人で魔王と戦うんだ。変に気をつかわれると、戦いに支障が出る」
俺は何となくだが、今回の魔王討伐は、俺・アマミ・メイの3人で協力してやるような気がしていた。下手に遠慮されたり恐縮されたりして、協力がぎこちなくなっても困る。
「え、で、でも……」
メイは、とまどった様子を見せる。
そんなメイに、アマミがくすくすと笑いながら言う。
「大丈夫ですよ、メイさん。ジュニッツさんなんて、わがままで、好き放題に自分のやりたいことに突っ走るだけの人なんですからねえ。もう、先生と言わず、推理バカとでも、そこのお前とでも、何とでも好きに呼んじゃってくださいな」
「ちなみに、アマミは敬語が素なだけで、別に敬意を払っているわけじゃねえからな」
「いやですねえ、わたしはジュニッツさん以外には、ちゃんと敬意を払っていますよ?」
「ああん!? なんだと、こら」
俺とアマミのやり取りに、メイはしばし困惑していた様子だったが、すぐに決意を固めたのだろう。
「ん……わかった、ジュニッツ先生」
と言った。
「ああ、それでいい。一緒に魔王を倒すぞ」
「う、うん。が、がんばる!」
子リスのようなメイは、小さな両手をぎゅっと握って、決意を表明する。
そしてすぐ、
「あ、でも……」
と表情を曇らせた。
「どうした、メイ?」
「ごめんなさい……わたし、何の役にも立たない……レベル2しかなくて……」
メイは、落ち込んだ顔を見せた。
「ふむ」
俺はあごに手を当てる。
「メイ、ちょっと調べてみるか?」
「え? 何を?」
「メイの能力についてさ。エヴァンスからメイについて色々と話を聞いているんだが、能力のことでちょっと気になることがあってな。調べてみてえんだ。いいか?」
「わ、わたしの能力? もちろんいいけど……」
◇
メイの能力を調べる前に、俺とアマミは着替えた。
着替え用の衝立をアマミがアイテムボックスから出し、その裏で着替える。
俺はいつもの左右白黒スーツに、アマミは白を基調とした賢者のローブに着替える。
「先生、かっこいい!」
中折れ帽にスーツという探偵スタイルの俺を見て、メイは憧れのヒーローを見るようなキラキラした目で、感嘆の声を上げる。
「どうだ、アマミ。お前はいつも俺のことを変な格好だというが、これが正当な評価というものさ」
「まあ、子供は道を踏み間違えるものですからねえ」
わざとらしく「やれやれ」と両手を左右に広げるアマミを無視して、俺はメイに向き直る。
「さっそくだが、メイのスキルボードを見せてもらいてえ。見ても大丈夫か?」
「う、うん」
この世界の人間は、レベルが上がるとスキル点という数値を獲得できる。
スキル点は、スキルを手に入れるのに使える。
たとえば、身体強化(初級)は8点、回復魔法(初級)は10点、といった具合にスキル点を消費することで、自由にスキルを入手できるのだ。
そして、手に入れられるスキルの一覧が載っているのがスキルボードである。
メイはスキルボードを空中に出現させる。
剣術や炎魔法といった定番のスキルが並んでいる。
そんな中、奇妙なスキルが1つ存在した。
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『裏世界』
裏世界に行くことができる。
裏世界に行ってから1分後、元の世界に戻る。戻った時は、裏世界に行った人間の記憶以外、何もかも元通りになる。たとえ、誰かが死んだとしても、元通りに生き返る。
※裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない。
※裏世界に行くことができるのは能力使用者と、能力使用者が許可した人間(本人の承諾も必要)のみ。
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エヴァンスに聞いていた通りのスキルである。
「アマミ、このスキル知っているか?」
「いいえ、ぜんぜん」
アマミは首を横に振った。
「アマミさんも知らないの?」
「ええ、メイさん。わたしも賢者として色々なスキルを見てきましたけれども、こんなスキルを見るのは初めてですねえ」
「そ、そうなんだ。お父さんも見たことないって言ってたけど……」
「これはユニークスキルですね」
アマミの言葉に、メイが「ユニークスキル?」と聞き返す。
「ええ。普通、スキルボードに載っているスキルは誰でも一緒なんですが、たまにこんな風に誰も見たことのないスキルが、ある特定の個人のスキルボードにだけ載っていることがあるんですよ。そういうのをユニークスキルと言うんです。その人専用のスキルと言うやつですね。伝説の勇者アーサーのスキル七星剣なんかもユニークスキルですねえ」
俺は「ほう」と感嘆の声を上げた。
「つまりメイの『裏世界』ってスキルは、勇者並みにすげえってことか」
「そんな! わたしのユニークスキルなんて全然ダメだよ! お父さんも、このスキル見た時、困った顔をしながら『うーん、まあ使いようによっては役に立つかもしれないなあ』だなんて、気をつかったこと言ってたくらいだし……」
「じゃあ、メイは『裏世界』以外の別のスキルを取得したのか?」
メイのレベルは2である。
レベル2なら、1つか2つくらいスキルが取得できる。
身体強化とか、回復魔法とか、いわゆる普通のスキルをこれまで取得してきたのだろうか。
メイは首を横に振った。
「ううん、スキルは1つも取ってない。その……この先レベルが上がるかどうかわからないから……だからスキル点は大事にとっておいて、本当に必要な時に使いなさいってお父さんが」
「まあ、常識ではそうするだろうな」
俺も、前世を思い出すまでは、1点しかないスキル点を大切にとっておいたから、気持ちはわかる。
「だが、その常識を無視して、メイに頼みたいことがある」
「え? な、なに、先生?」
「裏世界スキルを取ってくれ」
「……え?」
メイはきょとんとする。
それから言葉の意味を理解したのだろう。驚いた顔をする。
「う、裏世界スキルを?」
「そうだ。取って欲しい。そのスキルが必要なんだ」
「ひ、必要?」
「そうだ。魔王と戦うのに必要だ」
「わたしが必要……」
「もちろん、これは頼みであり、判断はメイに任せる。人生を決める大事な選択だ。急かしたりはしねえさ」
どのスキルを取るか。
それは人生を決める大事な選択である。
戦士系のスキルを取るか、魔法系のスキルを取るか、探索系のスキルを取るか、などなど、スキルの取り方で人生は変わってしまう。
平凡な冒険者でも、中級クラスのスキルを10個くらいは持っているが、どんなスキルを取るかは真剣に悩んで決める。
ましてやメイはレベルが2しかない。
スキルなんて1つか2つしか取れない。
裏世界スキルの取得に必要なスキル点は10点。メイのスキル点も10点。
取れば、次のレベルアップまでスキルは取得できなくなる。
もし、メイが二度とレベルアップしないのであれば、この先の人生、一切スキルを獲得できなくなる。
スキルというのは初級レベルでも、あるとないとではだいぶ違う。それが今後一切取得できなくなるのだ。
そんな一生を左右する重大な決断を、俺は12歳の少女に迫っていた。
なんともひどい絵面である。
≪ジュニッツさん、ジュニッツさん≫
アマミが念話で俺に話しかける。
≪なんだ?≫
≪あの裏世界スキルって役に立つんですか?≫
≪たぶん、あれを使わねえと魔王を倒せねえ≫
≪そんなにですか≫
直感ではあるが、今回の魔王討伐は、メイの裏世界スキル、そして俺の月替わりスキルを組み合わせないと成功しないだろう。
つまり、メイが裏世界スキルを取ってくれないと、俺たちは全員死ぬ。
≪とはいえ、「このスキルを取らないと死ぬぞ!」とメイをおどして、無理矢理スキルを取らせるわけにもいかねえ。そんなことをしたら、メイがおびえたり、恨みを抱いたりして、チームワークがバラバラになる恐れがある。そんなんじゃ魔王相手に勝てるわけがねえからな。じっくり説得するさ≫
≪またまた、そんなこと言っちゃって。単にジュニッツさんが優しいだけじゃないんですか?≫
≪ああん? 俺は魔王を倒すためなら何でもやる冷徹無比な男だぞ≫
≪はいはい、そうですね≫
さらさらした銀髪を揺らしながら、かわいらしい顔でクスクス笑うアマミを無視し、俺はメイのほうを向いた。
「そろそろ飯にしようか」と言おうとしたのだ。
俺は、メイに気持ちを落ち着かせる時間を与えたかった。
魔王が来るまで、まだ2日ある。
昼と夕方の間という中途半端な時間だが、ここで一度食事にすることで、メイが現状を整理するだけの間を置きたかったのだ。
だが、俺が口を開くより一瞬早く、メイはこう言った。
「と、取る!」
「ん?」
「わたし、裏世界スキル、取る! ジュニッツ先生は、わたしが必要だと言ってくれた! だったら、わたし、スキル取るよ!」




